第二章 全米手配犯/Enemy of United States(6)


▼ Day3 09:22 EST ▼


 天気が良かったのは早朝だけで、フィラデルフィアの空は、早々に曇り始めた。

 ポツリポツリと小雨が降り始めるまでに、それほど時間は置かなかった。

 旧い型式の、オンボロのセダン車。車のフロントガラスに当たる雨粒を弾こうと、老人はワイパーを動かし始めた。そうして信号の切り替わりを待つ間、運転席から曇天を見上げ、何となく嘆息を漏らしてしまう。

 老人はユダヤ系の人種であり、黒髪で、黒い口髭をたくわえていた。年季の入ったジャケットとパンツ姿が、どことなく、くたびれた雰囲気を醸成している。

 ふと、リアミラーを見れば、後部座席に座った2人の子供の姿が見えた。

 異様に無愛想で無口な、東洋系の黒髪の少年。その隣には白人の少女だ。金髪の愛らしい容姿だが、微笑みというものを知らないかのように、無表情で虚ろな目をしている。何とも言えず、不気味な雰囲気の子供たちである。

「……さっきから何をしているんだい、お嬢さん」

 それが気になっていたため、老人は尋ねてみた。

 少女は先ほどから、後部座席で奇妙なことをしていた。どこかから拾ってきたのだろう、空のペンキ缶の容器に、よくわからない粉末や、固形物を投入してはすり潰して混ぜているように見える。少女が新たに投入しようとしている、ビニール容器に入った、青い粉末を指さす。

「そりゃ何だ?」

「廃屋の、家の壁から剥がしてきた塗料だよ。他には、家庭用ゴミから拝借したものが色々」

「……ゴミみたいだとは思っていたけれど、まさか本当にゴミだとは。たまげたな。いったい何のために、そんなものを集めているんだい」

 少女は何も答えない。人見知りが激しそうな子供に見えたため、そうした反応を予期してはいた。それでも老人は、やはり疲れて嘆息してしまう。

「やれやれ。最近の若い者が考えることは、ワシみたいな爺さんにはわからんよ」

 隣席。サイドシートに座るスーツ姿の女性を横目に見て、老人は苦笑した。

「異様に無愛想な少年に、ゴミ集めのお嬢さん。それに、単独行動中のCIA職員か。しかも全員が軽武装中ときてる。何とも不穏な雰囲気の御一行様だわい」

「……こんなことに巻き込んでしまって、申し訳ありませんでした、アラン」

 ゾーイは老人、アランへ詫びた。信号が変わり、交差点に止まっていた車群が動き始める。アランも車を発進させながら、ゾーイの謝意に対して、皮肉っぽく返事をした。

「全くだよ。こういうのに関わりたくなくて、CIAとの関わりを絶ったのに。良い迷惑だ」

「貴方は退役軍人ですし、地元警官にも顔が利きます。貴方のコネなら、検問をやり過ごせると思ったんです。ニューヨークまで送ってもらえれば、そこで私たちは消えますから」

「良いんだ。お前さんには、バクダットでの借りがある。これでチャラにしよう」

「ええ」

 僅かの間、車内は気まずい沈黙に包まれる。

 アランが、カーオーディオのボリュームスイッチを回し、音量を上げた。流れてきたのはニュース番組であり、朝から各マスコミが報道している、自動車修理場の事件についてである。大統領が撃たれたという情報が流れ始めており、真偽不明の情報で盛り上がっているようだ。

 アランは再び、曇天を見上げて言った。

「天気は悪いし、クソ寒いし、気が滅入るニュースだ。お前たち、これに関わってるのか?」

「……」

「聞いただけさ。説明なんて求めちゃいないよ、知りたくもないしな。夕方には孫娘を学校まで迎えに行かなきゃならん。それまでに、さっさと用を済ませるだけだ」

 再び、交差点の赤信号で停車する。

 ふと路肩を見やれば、白頭鷲の仮面を付けた幼い子供たちが、はしゃぎ、ふざけあって駆けていく姿が見受けられた。傘も差さず、元気いっぱいで遊んでいる様子だった。それらを、通りすがりの大人たちが微笑ましく見守っていた。アランも思わず微笑み、ゾーイへ言った。 

「あの仮面。たしか今、ネットで話題の義賊が付けてるやつだったよな。ほら。第四執行者フォース・カインドとか言うんだったか。政府機関に勤めてるお前から見れば犯罪者なんだろうが、巷じゃすっかりヒーロー扱いだ。子供たちが、傘も差さずにごっこ遊びに耽るくらいか」

「……ええ。その様ですね」

「ハハ。見ろよ、あの子供たちのハシャギっぷりを」

 ふざけあっているのは、浅黒い肌の、ラテン系の貧相な子供たちである。移民だろう。

「3週間前くらい、奴は最高裁判事の秘書を殺した。この街の不法移民排斥を積極的にやってた、保守派のゲイリー判事のだ。判事は震え上がってな。その影響で、あの子たちみたいな移民の排斥運動の手を緩めた。少し前までの東海岸なら、移民の子供たちがストリートで騒ぐ姿なんて見られなかっただろう。すぐに警官が首根っこを掴みに来てたのに、今は自由だ。立場にも依るが、あの子たちからすれば、第四執行者フォース・カインドはヒーロー同然なんだろうさ」

「……」

「世の中を正し、不正を働く者たちを恐怖させるねえ。まるで、バットマンだ。メディアじゃ連日叩かれてるみたいだし、政府は必死に情報規制をしてるみたいだが、今じゃどこの街でも人気者になりつつあるみたいじゃないか」

 そこまで話をしたところで、傍らのゾーイが苦々しい顔になっているのに気付いた。

「……世間話のつもりだったんだがな。この話は、どうやらウケが悪かったみたいだ」

 無理にでも話題を変えようと、気を取り直し、アランはゾーイへ尋ねた。

「最近はどうなんだ。ちゃんと家に帰って、メシは食べられているのか?」

「……それなりに」

「相変わらずの仕事人間か。ここはシリアじゃないんだぞ。休憩してたって、捕まって斬首されることもなけりゃ、爆弾を持った子供が近寄ってくることもないだろ」

 信号が変わったので、車を発進させた。

 暗い顔のままのゾーイを心配し、アランは続けて言った。

「その様子じゃ、あの女の子のことを、まだ引きずってるんだな。仕方なかったさ。爆弾を身体に巻いてたんだ。あの時、お前が撃ってくれなかったら、基地は全滅だっただろう。ワシだって、こうして祖国で孫娘に会うこともかなわなかったさ。感謝してる」

 ゾーイは、車窓の外を眺めた。その眼差しには、凛とした強さが窺えた。

「……撃ったことが、間違っていたとは思いません。けれど、正しくもなかっただけです」

「そうだな……人の行動が、いつだって善か悪かのどちらかで分類できるわけじゃない。そのどちらでもない、残酷な現実だけが残ることだってある。お前たちの組織が相手にしているのは、いつもそういう、現実ってやつだったな」

 ハンドルを操作しながら、アランは苦笑する。

「目に見える敵と戦うのは、誰にだってできるさ。だが目に見えない敵を相手にするのは難しい。巷で噂の仮面ヒーロー様が人気なのは、そうした凡人たちには戦えない敵を、大衆の前でわかりやすく倒して見せるからだろう。本来、賞賛されるべきは、同じことをずっと昔から陰でやってきた、お前たちの方なんだがな。世間への認知度が高いか、低いかの違いがあるだけさ。この国のために人知れず命を懸ける戦士たち。お前たちこそ、真の英雄だよ」

 アランに賞賛され、ゾーイは複雑な心境だった。だから、苦しげに微笑むしかなかった。

「……英雄のいない時代は不幸だが、英雄を必要とする時代はもっと不幸だ。ドイツの劇作家の言葉だそうです。中東での任務中、いつかエリックが、そう言ってました」

「エリック=カーター。良い軍人だった。だがそれは皮肉な話だ。あいつの死によって、親父さんのジェイクは大統領選に出馬した。この国に英雄を誕生させる切っ掛けになったわけだ」

「彼が命がけで守り、そのお父上が築き上げた、今のこの国の秩序を、私も命を懸けて守りたいだけです。だからまだ、こうしてCIAを辞めずにいます」

「それが、この逃避行の理由に関係してるわけか」

 カナタとボマーは、後部座席で、アランとゾーイの会話を聞いていた。

 そんな2人に、イーグルアイがイヤホンマイク越しに話しかけてくる。

『ブレイカー。ボマー。回線を絞って話すわ、黙って聞いてて』

 イーグルアイは、ゾーイに聞こえないチャンネルで、カナタたちへ告げた。 

『エリック=カーターは、第四執行者フォース・カインドの息子よ。対テロ特殊部隊デルターフォースに所属していた米陸軍大尉。CIAの作戦ファイルにも詳細がない、中東での秘密作戦中に死亡したみたいね。あの口ぶりだと、ゾーイと何かしらの関係があったのかも。……ほら。内通者の話があったでしょ。彼女、もしかして要注意じゃない?』

「……」

「……」

 カナタもボマーも、黙っていた。ただ、ゾーイの後ろ髪を見つめながら。

しばらく快調に道路を進んだところで、アランが、後部座席のカナタたちに尋ねた。

「ニューヨークまではこれから渋滞もあるし、まだ少しかかる。ガソリンを入れるついでに、コンビニへ寄るが、トイレ休憩とか、何か買い物するなら今のうちだぞ」

 無言の2人に代わり、ゾーイが応えた。

「生憎と、今は使えるお金がないので」

「わかってるよ。ゾーイの電子預金を使えば、その決済情報から、たちまち捜査機関に居所が割れちまうだろう。ワシの使う“電子ドル”なんぞ誰も監視しておらんだろうし、そもそも今時、この国で現金なんざ持ち歩いている奴は滅多にいないしな。奢ってやるさ」

「……お言葉に甘えます」

 カナタたちのイヤホンマイク越しに、やり取りを聞いていたイーグルアイが、今度はゾーイにも聞こえる回線で、世間話へ参加した。

『そう言えば、米国内では、もう“電子ドル”の普及がかなり進んでるんだったわね。現金決済できる店の方が希少になってるって話、本当なのね』

「電子ドル?」

 カナタが疑問符で尋ねる。親切に答えたのは、ゾーイだった。

「一般的に“中央銀行デジタル通貨CBDC”と呼ばれるものですよ。世界のどこでも、地元通貨に両替しなくても決済に使える、実体のないお金ですね」

「クレジットカードみたいなものか」

「まあ、使ってるユーザーの我々から見れば、同じに見えますね。ただ、クレジットカードと違うのは、中央銀行が発行してる“政府発行通貨”だという点です。クレジットカードは、カード会社の提携している店でしか使えないお金ですが、電子ドルは“提携してる国”ならどこでも使えるお金です。ここ3年くらいで、電子ドルは西側諸国ではだいぶ普及しました」

 それまで黙っていたボマーも、珍しく口を開いて相づちを打った。

「便利だね。日本の電子マネーは種類が多すぎるし、コンビニとか電車でしか使えなかったり、時と場所を選ぶ感じだし。どこでも使えるのは、羨ましいかも」

「ふん。ようやく世間話らしい話ができそうだな。そんなに電子ドルが珍しいもんか?」

「彼と彼女は、日本から来ています。だからあまり馴染みがないんでしょう。デジタル通貨の導入は当初、中国のデジタル人民元にリードされていましたが、それら競争に勝利した米国は、全世界に先んじて電子ドルを普及させました。欧州と米国間では、すでに通貨両替なんてしなくても、国をまたいで、どこでも電子ドルで買い物ができてしまいますから、便利な世の中になりましたよ。そう言えば、たしか日本でも“電子円”の導入間近だったはずですが?」

 イヤホンマイクを付けていないアランには聞こえないが、イーグルアイがゾーイへ答えた。

『来年からよ。まあでも……実際にはインフラ導入が間に合ってないのが実情なのよね。私に言わせれば、ビットコインで確立されてるブロックチェーン技術を流用すれば良いだけなのに、日本銀行の連中はこういう技術の知見がないバカばかりだから、モタモタしてるのよね。いち早く導入しちゃった米国は、やっぱ世界最先端で、さすがって感じよ』

 やがて車は、ガソリンスタンドへたどり着く。

「お前たち、小腹くらい空いてるだろ? ワシは適当に食い物でも買ってくるとするよ。悪いが、給油を頼めるか、ゾーイ」

 給油スタンド前で駐まると、アランは車の鍵をゾーイへ渡して告げた。

 ふと、ボマーが言い出した。

「私も、コンビニへ同行したい」

「ん? 何か特別に買いたいものがあるのかい? 言ってくれれば買ってくるよ」

「手袋が欲しい。ポリエステル製の。それと、他にも欲しいものがいくつかある」

「……聞いても、何を買ったら良いのか、よくわからなさそうだ。良いよ。一緒に行こうか」

 アランは苦笑う。傘を取り出して差すと、後部座席の扉を開けてボマーを連れ出そうとした。車を出ようとすると、冬の冷えた大気が車内に流れ込む。ボマーに、ゾーイが警告した。

「行くなら、くれぐれも店内の監視カメラに顔が映らないように、気をつけてください。おそらく街の上空のいたるところに、捜査機関のドローンも飛行しているはずです。顔が割れていなくても、顔認証されたら厄介ですので、念のため空は見上げないようにしてくださいね」

「心得ているよ」

 コンビニの方へ歩いて行くアランとボマーの背を見送った後、ゾーイも給油のために車を降りた。車内に1人だけ残されたカナタは、イヤホンマイク越しにイーグルアイを呼びつける。

「聞こえているか、イーグルアイ」

『はいはい。聞こえてるわよ。なんか用?』

「ロベリアにつないでくれ」

『えー……』

 イーグルアイは嫌そうな声を漏らしたが、間もなく「話してどうぞ」と告げてきた。

 次に聞こえてきたのは、別行動中の少女の声である。

『あら、先輩から呼びつけるなんて珍しいのね。もう私のことが恋しくなったのかしら』

「別働隊のそちらの状況を確認したかっただけだ」

『せっかちね。別行動を始めたのは、つい1時間前くらいでしょう。まだ大した状況の変化はないわよ。でもまあ、そろそろボブが市警のオフィスへ出頭するところね』

「予定通りだな」

『まあね』

 ロベリアは悠々とした口調で言った。

『大統領暗殺未遂犯に仕立て上げられた、私たちの窮状を救える唯一の味方は、現在意識不明のベイリル大統領だけよ。大統領の意識が戻っても、私たちが潜伏状態のままじゃ、すぐに連絡できないものね。1人はわざと警察に捕まっておいて、連絡係として待機しているのが都合が良いわ。私はこの国に存在しないことになってる人間だし、ボブ個人も、捜査機関から逃げ回り続けるのは嫌だったみたいだから、捜査機関への目眩まし役としては適任よね』

「……そちらに行くのは、ボブ1人でも良かっただろう」

『あら。情報が得られる確証もなく、無駄に命を賭して、ニューヨークまで危険な移動するのなんて、私はごめんだわ。そういうリスクを伴う行為は、男性の先輩にお任せよ』

「出頭後に、内通者によって暗殺されるかもしれないボブも命を賭してるのに、お前だけは、ノーリスクのままだな」

『フフ。珍しく嫌みを言うのね、先輩。でもね、私はそうして生き延びてきた女よ』

 毒蛇のごとく、ロベリアは悪びれもしない。

 カナタは、少しの沈黙の後に尋ねた。

「たしか……お前は過去に一度、エリスに会ってるはずだったな」

 唐突にそれを尋ねられたロベリアは、冗談っぽく応えた。

『あら。それを聞く理由って、私を内通者だと疑ってるってこと?』

「どんな奴だった」

『……よく知らないわ。接触したことがあるのは一度だけ』

 疑念を持たれていると感じたのだろう。ロベリアは少し苛立った口調で、カナタに答えた。

内閣情報捜査局CIROの採用前面接。というか、あれは取り調べだったわね。そこでも話したことよ。地毛か、色を抜いたのか、きれいな白髪をしてたわ。仮面で顔を隠してて、男とも女とも判別がつかない、中性的な声で話す奴だった。声色からして若かったと思う。黒陽宗の本家総会で、唐突に洞谷村へやって来たの。総会に招待した客でもないのに、どうやって侵入したのか。当たり前のように、私のいる奥座敷に現れたわ』

「以前にオレが遭遇した、自称エリスの外見特徴とも合致するな。奴の印象はどうだった?」

 なぜそんな話をするのか。カナタの意図がわからないものの、ロベリアは続けた。

『私が例の計画を画策していた時、彼……彼女かもしれないけど、私の目論見を見抜いていた。見ず知らずの奴だったけど、妙に魅惑的な奴でね。気が付けば、私は自分の計画を話してしまっていたわ。色々とアドバイスを受けて、計画を修正した。もはや頭が良いなんてレベルを超えてるわね。あいつも先輩に劣らない、もう1人の“天才”だと感じたわ』

「お前ほど頭が切れる奴から見ても、天才か。まあ、そうだろう」

『ちょっと、1人で納得してないでくれる? どうして私に、こんな話をさせてるのかしら』

「お前の知っているエリス像と、オレの知るエリス像をすり合わせた」

『あらそう。それで、何かわかったのかしら?』

「……奴は、はたして“この程度の相手”か?」

 カナタの疑問を聞いたロベリアは、呆れたように尋ね返した。

『エリスが第四執行者フォース・カインドに入れ知恵したせいで、私たちは全米手配犯にでっち上げられてるのよ? 頭にくるほど強力な敵参謀でしょ。すでに十分な窮地に追い込まれていると思うけど、それでもまだ、危機が足りないってこ――――……』

「……?」

 ロベリアの言葉が、脈絡なく途切れる。

 口を閉ざしたのではなく、通信が切断されたような途切れ方である。

「イーグルアイ? ロベリアとの通話が切れた。どうなってる」

 イヤホンマイク越しに語りかけるが、イーグルアイも全く返答しなくなっている。

 明らかな異変。カナタは、危険を気取り、急いで車から出ようと試みる。

 だが遅かった。その時、運転席の扉が開き、外で給油作業をしていたゾーイが戻ってきたのだ。なぜかゾーイは青ざめており、悔しそうな表情をして、カナタに告げる。

「……すいません。油断しました」

 カナタを振り向かず、ただ運転席で、車のハンドルを持って謝罪するゾーイ。

 その言動の意味することは、すぐには理解できなかった。だが次の瞬間、疑問は氷解する。

「動くな――――」

 そう言って、後部座席のカナタの隣席へ乗り込んできたのは、雨に髪を濡らした男だった。

 ウェーブした黒髪をボサボサと垂らした、無精ひげの白人。気怠そうな顔をした、不健康そうな男で、冷たい目つきをしている。ハンドガンの銃口をカナタへ向けて脅してきていた。

 男はカナタの顔を覗き込みながら、皮肉っぽく笑んだ。

「昨晩は世話になったな、日本人。2人とも、妙な真似をしたら撃ち殺す」

「……砂狼。アール=レイバースか」

「お前たちの居所は、常に把握できているんだよ。気付かれずに追跡するのも、得意技能なんだ。生憎と、負けず嫌いな性格でな。やられっぱなしじゃ、済まさない」

 レイバースが乗り込んできた少し後、今度はサイドシートの扉が開かれた。

 遅れて車に搭乗してきたのは、パーカーのフードを目深にかぶった見知らぬ少女である。

 長い茶髪をフードの中で束ねている。褐色の肌。覗いた耳には、無数のピアスをしていた。服装はボーイッシュな印象だが、スタイルの良さが色香を漂わせている。

 咥えていた棒付きキャンディを取り出しながら、少女は言った。

「こんにちはー、ブレイカーさん。噂のあなたには、ぜひお会いしたかったですよー」

言いながら少女は、後部座席のカナタを肩越しに見やる。

「私のハンドルネームは“叡智の番人ミネルヴァ”。でもまあCIAには身元もバレてるみたいだし。今さらか。ぶっちゃけ本名はルナ=ドレイクね。第四執行者フォース・カインドチームのハイテク担当ですよー」

 ルナは自前のモバイルPCを開き、その画面をカナタに見せつけてきた。開かれた無数のウインドウの意味は不明だったが、ルナはニヤリと微笑み、自慢するようにカナタへ宣告する。

「そんでもってー。CIAの回線を使ってる、邪魔な日本の情報分析官を、強制オフラインにしてやりましたー。退場、退場ー。ざまー。残念、よろしくー」

 軽妙な口調で、嫌みを言う。

 ルナは悔しがるカナタの反応を期待していたようだが、生憎とカナタは冷淡に尋ねた。

「大統領の次は、オレたちを拉致するつもりか。いったい何が目的だ」

「あははー。天才と呼ばれる割には、あんまり頭が回らないんですかねー。自分が置かれた状況が、まだよくわかってないなんて。期待してたわりには、肩透かしですなー」

「……」

 黙り込むカナタ。天才をやり込めたという小さな満足感で、ルナは微笑んでしまう。

「さあ、CIAのお姉さん。コンビニに行った、お爺ちゃんと幼女が戻ってくる前に、さっさと車を出してもらえるかな? 善良そうな、あの子たちを巻き込むのはかわいそうだしねー」

「巻き込む? 何にですか」

「目的地に着くまでは教えませーん。ただ、私の道案内に従ってもらいまーす」

 後部座席からレイバースに銃口で脅され、ゾーイは渋々と車のエンジンをかけるしかない。

 そうしてボマーたちを置き去りにして、車は再び走り始めることになった。

 雨の降りしきる曇天に、不吉な未来を思い描きながら、ルナは楽しそうに言った。

「全てはエリスさんの立てた計画通りですー」

 雨足は徐々に強くなり、カナタたちを乗せた車の屋根に、重々しい雨音を響かせていた。

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