第二章 全米手配犯/Enemy of United States(5)
▼ Day3 21:14 JST ▼
米国が朝を迎える頃、日本は夜を迎えている。
官庁街の一角にある、
「はい。はい。そうですか。良いですねえ。仙台牛に冷酒というのも。なかなか。はい」
「……」
応接用の椅子に腰掛け、狩月を無言で見ていたのは、白衣の副局長、ドクターである。
「ははは。では、週末のゴルフの時にお会いしましょう。楽しみにしてますよ、大臣」
通話を終えた狩月が、受話口を置くのを見届けてから、ドクターは嘆息混じりに開口した。
「……あのな」
ドクターは眉間にシワを寄せ、苦言を呈するように言う。
「派遣した工作員が合衆国大統領を撃ったのに、週末の約束とは、ずいぶんと呑気でいられるもんだ。CIAからは、何が起きているのかを教えろと情報開示要求がきているぞ。なんと答えれば良いのか……四苦八苦さ。こっちは言い訳を考えて、頭を抱えているって言うのに」
「そんなの無視しておけば良いじゃないですか。大統領の意識が戻って、誤解を解いてもらえるまでは、こちらの立場が危うくなる情報を、わざわざCIAに渡す必要なんてありません」
「まあ、そうなんだが……簡単に言ってくれるな。相手は大国なんだぞ」
何でもないという態度で微笑む狩月の言葉に、ドクターは語調を濁す。
「イーグルアイなんて、連中の渡米初日から、ほぼ徹夜での情報支援業務になってる上に、今もCIAからの情報催促を誤魔化すので、ヒーヒー言ってたぞ。かわいそうに、たぶん今日も徹夜になるだろう。大分まずいことになっているのに、楽観的になれる要素があるか?」
「そうですねえ。別に大統領を殺したわけじゃありませんし。ならセーフでしょう」
表沙汰になれば、外交問題どころか、戦争行為にすらなり得る重大問題だと言うのに、作戦責任者である狩月は、まるで問題ないと言わんばかりだ。普段と変わらず、にこやかに微笑み続けている狩月の豪胆さに、ドクターは呆れと感心の半々で、目眩を覚えた。
「こんな時でも、めちゃくちゃ軽い爺さんだな。こっちは胃が痛くて仕方がないぞ」
「悩んでも仕方ないことを、悩んでも仕方ありません。なーに、ベイリルとは旧い仲です。銃弾の1発や2発くらいまでなら、許してくれるでしょう。やはりセーフですね」
「雑な所感だ……現大統領とは旧知の仲と聞いてるが、局長とは、どういう関係なんだ? 鉛弾をぶち込まれても許してくれる間柄というのは、相当なものだと思うが」
「そうですねえ。かつて1人の女を巡って争った男2人、と言ったところでしょうか」
それを聞いたドクターは、頬を引きつらせる。
「おい。途端に胡散臭い話になってきたぞ。それなら因縁の相手だから、その部下に撃たれて許してくれるような間柄じゃないだろ。ここぞとばかりに責められないか」
「はは。言われてみればそうですねえ」
「まったく、他言できない関係性なんだということだけは、よくわかったよ」
「ドクターの、そういう察しが良いところ、好きですよ」
「日本側の私たちも苦境だが、現地にいるブレイカーたちの身も、心配なところだ」
深い嘆息を漏らし、ドクターは続けた。
「大統領を撃ったんだ。向こうで作戦活動を支援してくれる予定だったCIAには、とても教えられない事態である以上、情報共有できず、まともな協力なんて得られる状況じゃない。しかもFBIの捜査の目もある。今はまだ逃れられているが……正直、大統領襲撃犯として手配されている以上、逃げ切れるとは思えない。全捜査機関の最優先捜査対象になってるんだ。こうしてる間にも身元がバレて、全員が捕まったとしても不思議じゃないだろう」
ふと狩月は、微笑むのを止めて真顔で言う。
「あるいは、全員射殺されて、身元不明の死体になっていただいた方が、
冷酷極まりない狩月の発言を聞き、ドクターは苦笑いを浮かべる。
「……ゾッとするようなことを、サラっと言うじゃないか」
「真面目に言ってますよ? この作戦は元々、そういう人選と覚悟で実行されてるんです」
「そうだな」
「まあ、少なくとも、彼等の身の安全は問題ないでしょう。そのために彼女を派遣しました」
「ボマーのことを言っているのか?」
狩月は再び愛想良く微笑み、ドクターに答えた。
「ええ。ご存じの通り、彼女はこと、個人戦闘能力については
「たしかにそうかもしれないが……あの子はかなり不安定だろう。私的には、こういう秘密作戦での隠密行動に向いている采配だったとは、思えなかったがな」
そこまで言って、ドクターは狩月に尋ねることにした。
「……なあ。前々から疑問だったんだが、あの子はいったい“何”なんだ?」
「と、おっしゃると?」
「イギリス系人種。弱冠12歳にして、爆薬に関するエキスパート。経歴はほとんど情報がなく、ただ、局長がロシアで見つけてスカウトしてきたということ以外、全て謎と言える」
有能であること。それを重視し、過去や経歴を度外視するのが
狩月は少し困ったように、顎髭をさすって答えた。
「正直なところ、私から見ても正体不明な少女なんですよねえ」
「おい……。まさか、よくわからないけれど、有能だからスカウトしてきたと言ってるのか」
「まあ、そんなところですよ。そうですね、たまには思い出話でもしてみますか。私が彼女と初めて出会ったのは、モスクワのリュベルツィ地区にある列車倉庫でした」
狩月は席を立ち、背後のガラス壁の向こうに見える、都心の夜景を見やった。
そうして視線を細め、遠く過去に思いを馳せる。
「当時の私は、現地マフィア組織、ブラトヴァの人身売買摘発で、現地捜査機関の一掃作戦に協力中でした。強制労働、臓器売買、性奴隷売買。現代の奴隷商人とも言うべき腐った商いをする連中が相手だったこともありましてね。現地警官たちと私は、摘発というよりも、犯人たちを皆殺しにするつもりで、嬉々として武装警官部隊を編成していましたよ」
「そんなことがあったのか」
「ええ。現場突入の際、縁あって私もお邪魔していたのですがね。そこで不思議な光景を目撃しました。我々が到着した時には、すでにマフィアは“全滅”していたんです」
「全滅していた?」
「ええ。列車倉庫はあちこち爆破された形跡があり、敷地内いっぱいに火の手が回っていました。その瓦礫に紛れて、マフィアの構成員たちの死体が、バラバラの肉片になって散らかっていました。辺り一面、炎と血の赤に染まっていて、あれは目の眩む強烈な光景でした。少し離れた暗がりから、燃えさかる現場を眺め、立ち尽くす女の子を見つけました。ボロボロのワンピース1枚の姿でした。どれほど壮絶な体験をしてきたのか、幼くして世の中に絶望しきっている様子で、まるで深淵の闇のように、おぞましい虚ろな目をしていましたね」
「……」
「おそらくブラトヴァに誘拐され、どこか遠くから連れてこられた境遇の少女なのだと思いました。その女の子は私に言ったんです。悪い奴は全て、私が燃やしてやった。とね」
夜景を見つめながら、狩月は不敵に笑った。
「彼女がどこから来た誰なのか、私にもわかりません。たしかなことは、彼女はただ、この世の悪徳を焼き尽くすために遣わされてきたということだけです」
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