第二章 全米手配犯/Enemy of United States(4)


▼ Day3 07:35 EST ▼


 寝室でボマーが着替えている間、カナタは部屋を出ていた。

 リビングルームは、2階層分を吹き抜けにした、広々した空間である。ガラス壁から溢れんばかりの陽光が降り注いでいる。白色基調の部屋には、黒色のデザイナーズ家具が並べられており、コントラストが実に美しかった。

 部屋中央に並べられたソファには、コーヒーカップを手にしたボブとゾーイ、それにロベリアが腰掛けている。ゾーイに「飲みますか?」と問われ、カナタは勧められたカップを手に取った。空いているソファにカナタが腰掛けると、まず口を開いたのは、ロベリアだった。

「こんな洒落たペントハウスが、CIAの避難場所セーフハウスだなんて、素敵だと思わない?」

 室内を見渡し、ロベリアは改めて感想を口にする。

 応えたのはカナタではなく、ゾーイだった。

「別荘地を利用するのはよくあることです。一般人が立ち寄りがたい場所で、長期間、住人が留守にしていても不審に思われません。滞在者が入れ替わり立ち替わりしていても違和感さえありません。別荘を他人に貸しているのだろうと、人は勝手に納得してくれますから」

「言うは易し。財源のある組織はうらやましいわ。うちの避難場所セーフハウスなんて、寂れた喫茶店よ」

「それはそれで、素敵じゃないですか」

 ゾーイは出会って以来、初めて微笑みを見せる。

「悪いんだが、世間話は後にして、少し黙っててくれないか」

 2人の緩い会話などそっちのけで、ボブは、大型テレビを食い入るように見ていた。

 朝のニュース番組である。

「マスコミの連中。相変わらず、耳聡いことだぜ……!」

 数時間前の自動車修理場の事件を、早速、緊急特番として報じている局があった。

 修理場を取り囲む市警へのインタビューや、地元住人が撮影したと思われる、夜中の騒動の動画が放送され始めている。ニュースキャスターの説明を聞く限り、大統領が撃たれたことまでは、さすがにまだ報じられていない。だが、FBIまでもが出張って現場を取り囲み、朝には大量の死体袋が運び出される様が目撃されているのだ。普通の事態でないのは、誰が見ても明白だった。現場で何が起きていたのか、不安視する住人たちは多い様子だ。マスコミの、近隣住人へのインタビューが続いているのを見て、ボブは苦々しく言った。

「まったく。もう大騒ぎなのかよ。早すぎだろ。不幸中の幸いなのは、事件の詳報がされてないってことくらいだ。まだ、世間に俺たちの素性は割れていないってことだな」

「ええ。ですが、時間の問題でしょう。我々の素性がわかれば、すぐにでも情報公開して、指名手配してくるはずです。我が国の捜査機関は優秀ですから、いつまでも逃げ切れませんよ」

「まさか合衆国憲法が書かれたペンシルベニアで、法の目から逃れるハメになるとは、だぜ」

「私はFBIの捜査能力の高さを熟知しています。昨晩の内に、私たち全員が逮捕されていてもおかしくなかった。ですが……ここまで上手く逃げ切れるとは、思ってませんでしたよ」

 ゾーイはカナタを横目で見やる。カナタは涼しい顔でコーヒーを飲んでいた。

「FBI捜索班の通信に紛れ込んで、未捜索の場所を“捜索済み”と報告する。言葉にすると、たったそれだけのこと。そうして脱出ルートを作り出すなんて……」

 カナタは、それが造作もないことであったように、ゾーイへ応えた。

「敷地内の捜索は、いくつかの班に分担して行われていた。オレたちが脱出ルートとして使う場所だけ、他の班が捜索済みということにしておけば、そこをわざわざ2回も調べに来る班はいない。効率的に組織で動く訓練を受けたFBIなら、なおのことだろうと考えた」

『――――ちょっとちょっと! 立役者の私の存在を忘れられたら、困るんですけど!』

 スピーカーモードで放置されていた、テーブル上のセルフォンから、イーグルアイの声が割り込んでくる。

『口にして言うと簡単な理屈だけど、全ては、この私のスーパースキルとサポートがあってのおかげでしょ! 私が米国政府機関のネットワークを使ってなかったら、危なかったわよ!』

 政府機関側の人間であるゾーイは、聞いていて複雑な心境だったが、肯定する。 

「その通りだと思います。しかも捜査機関の通信に違和感なく紛れて偽情報を流すなんて。並大抵の技術では不可能です。うちでスカウトしたいくらいですよ、イーグルアイさん」

『フフン。天下のCIA様から、そこまで言われるのは悪い気分じゃないわね』

 気を良くしている様子のイーグルアイの単純さに、ゾーイは微笑ましい気分になった。

 一方、テレビを消したボブが、やや滅入っているように頭を掻いて言った。

「……ここには長居しない方が良い。ゾーイが言うとおり、FBIは優秀だ。居場所を突き止められるのは時間の問題だと思うぜ。そろそろ、これからの方針を決めて行動しないとな」

 そんなボブの意見を聞いて、疑問に思ったイーグルアイが尋ねた。

『え? 長居しない方が良いって言うけど、FBIの捜査状況をモニタしてても、まだ問題なさそうよ。ストリートの監視カメラに映ってた、あんたたちを追跡してはいるみたいだけど、まだ見つかりそうな感じじゃないし。その避難場所セーフハウスを拠点にして行動したらどうなの?』

「……」

「鈍いのね、イーグルアイ。そういう問題じゃないのよ」

『はあ? ムカつく言い方ね、ロベリア。何が言いたいわけ』

 ロベリアは腕を組んで答えた。

「まあ、あなたは日本にいるわけだし。そこからは見えないでしょうけど、ここにいるメンバーの顔を見れば、全員が同じ事を考えているのがわかるわ。方針を決める前に、まずはハッキリさせておいた方が良いことがあるようね」

『ハッキリさせておいた方が良いことって?』

「――――“裏切り者”がいるわよね?」

『!?』

 唐突なロベリアの発言に、イーグルアイは驚愕した。

 だが、ゾーイとボブ、それにカナタは、無言でお互いの顔を見つめ合うだけである。

 全員の心中を看破したことを確信し、ロベリアは続けた。

第四執行者フォース・カインドの一派は、大統領だけでなく、私たちがあの倉庫へ来ることを完全に把握していたわ。警備状況も、人数も、おそらく全てが筒抜けだったと考えるべきよね。そうでなければ、シークレットサービスの精鋭を、速やかに皆殺しにする奇襲なんて成功するはずないわ。なぜ、情報漏れが起きたか。簡単な話よ。味方の中に“内通者”がいるってことでしょ?」

 言いながら、ロベリアは不敵な笑みをゾーイとボブへ向けた。

「昨日の密会は極秘中の極秘。その情報を漏らせる人物は、第四執行者フォース・カインドの対策チームの中枢にいる誰かだとしか思えないわね。それこそ、ベイリル大統領の側近レベル。権力と地位を持った誰かでしょう。だからゾーイは、この窮地においてもCIA本部に支援を求めない。ボブも、ホワイトハウスの仲間に助けを求めない。それは自分の仲間の中に、内通者がいることを恐れているから。居場所を教えれば、第四執行者フォース・カインドの部隊や、FBIに情報を漏らされ、ここを襲撃される可能性があるからよね? どちらに見つかっても、私たちは殺されるわ」

 全員、しばらく無言で見つめ合った。やがて、ゾーイが肯定するように告げた。

「……補足すると、内通者は本部だけではなく“この中”にいる可能性も捨てきれません」

 険しい表情で、ボブもゾーイに続いて言った。

「ああ。お前たち、日本から来たガキ共も含めて怪しいもんだ。誰が味方かわからないってのに、悠長にここが安全だなんて思えんってことだ。いつ背後から刺されるかもしれん」

「ふふ。本心を打ち明け合えたわね。私たち、少しは仲良しになれたのかしら」

 皮肉するロベリア。ゾーイは意に介さず、冷静に応じた。

「私とボブは、前政権から共に働いていた仲間です。勝手知ったる仲ですから、日本から来たあなたたちよりは、お互いに信頼しています」

「それってつまり、私たちのことは信用してないって言ってるのかしら。それならどうして、小休止と称して、別々の部屋での休憩と自由行動を許したのかしら。目を離した隙に、私たちの誰かが、第四執行者フォース・カインドに連絡したかもしれないわよね。少し抜けた対応だったんじゃない?」

 ロベリアの指摘に対して、ゾーイはほくそ笑んだ。

「お話していませんでしたが――――この避難場所セーフハウス内で行われる全ての通信は、秘密裏に“傍受”されて、CIA保有のサーバーへ保存される仕掛けになっています」

 抜けているどころか、実は、すでに仕掛けてきていた。

 したたかなゾーイの策略を聞かされ、ロベリアは感心する。

「あら。さすがCIA。性格が悪いわ。私たちの中に裏切り者がいないか確かめるために、泳がせて尻尾を出させようとしたわけ。それで、わざと自由行動を取らせたのね」

「申し訳ありませんが、無断で、皆さんの全ての通信を傍受させていただきました」

「それで、その結果、裏切り者は見つかったかしら?」

「いいえ。避難場所セーフハウスから外への通信は、一切、検出されませんでした」

「残念。つまり、これまでに誰かの裏切り行為は見受けられなかったということね?」

 ゾーイは黙ったまま、否定も肯定もしない。

 この場に存在するかもしれない、内通者を揺さぶっているのかもしれない。油断ない眼差しで、一同の顔色や行動を観察している様子だった。まだ容疑は晴れていないのだろう。

 ゾーイはロベリアの問いに答えず、ただ自身の考えを口にするのみである。

「日本のあなたたちに対して、ベイリル大統領は全幅の信頼を寄せていました。ですが、そんな大統領を、あなたたちは撃ちました。私たちは、もう信頼できる間柄ではありません」

「あら。大統領を撃ったのは先輩よ? あなた“たち”って一纏めにしないで欲しいものね」

「そうかもしれませんが、同じ内閣情報捜査局CIROの人間でしょう」

 ゾーイは、ロベリアとカナタを信用していないのだと、宣言している。

 だが意外なことに、ボブの方は、ゾーイと違う意見を口にする。

「でもよ。事実として、今のところは、この中で目に見えた裏切り行為は見つかってないんだろ? もちろん、大統領を撃ったことについては納得できないが、俺たちの命が救われたのは確かだ。事実だけを見りゃ、ガキ共のことは、まだ味方側と考えていて良いんじゃねえのか」

 ボブに問われ、ゾーイは言葉を濁した。

「それは……そうかもしれませんが。CIAの情報システムを利用している、イーグルアイさんが裏切っている。あるいは共謀している可能性だって残っています。この部屋の通信履歴を遠隔で改竄して、さも裏切り者がいなかったように見せかけてるだけかもしれません」

『ええ! わ、私まで疑われてるわけ!?』

「安心しろって。こうやって話をしている感じじゃ、嬢ちゃんが、裏切り者をやれるほど、人格的に器用な奴じゃなさそうなのはわかる。ちょっと揺さぶられただけで動揺してるしな」

『ぐぬぬ、今度は褒められている気がしないわ! なんか悔しい!』

 不服そうなイーグルアイの声は無視し、ロベリアはカナタを見やった。

「それで。これからどうするつもり? 考えはあるのかしら、先輩?」

 何となく、全員の視線がカナタに集まってしまう。

絶体絶命の窮地を、非常識な手段で形勢逆転した。あの奇跡の脱出劇を見れば、会って間もないゾーイやボブでも、カナタの異常な賢さと行動力に期待してしまう。

「――“人質”にできそうな、第四執行者フォース・カインドの血縁者はいないのか?」

 状況の打開策を求められたカナタは、それを冷淡に提案する。

「手っ取り早く敵の先手を取るには、敵の背を追いかけずに、敵の方から、やって来たくなるように仕向けることだ。人質に取れる奴がいるなら、そいつを使って誘き出す」

 平然とそれを提案してくるカナタに、ボブとゾーイは、心底で肝を冷やした。

 だが、カナタがそれを考えつくだろうことを、少なくともゾーイは予感していた。

 青ざめた顔で、ゾーイは唾棄するよう、カナタを睨んで答えた。

「残念ながら……第四執行者フォース・カインドに有効な人質になりそうな、そうした人物に心当たりはありません。奥様も、息子さんも、彼が大統領就任前に、すでに他界しています」

「俺も心当たりはないな。家族の死を乗り越えての大統領選。世論の同情を得られやすい境遇こそが、ジェイク=カーターが、選挙で大勝することになった要因の1つでもあった」

「……奴が食いつきそうなエサが用意できないなら、素直に背を追う以外になさそうだ」

「そうね。敵が食いつきそうなエサと言えば、第四執行者フォース・カインドたちが誘拐を目論んだベイリル大統領くらいでしょうけど、さすがに今頃、厳重警備されているでしょう入院先を、襲撃するようなことは考えにくいわね。誘き出す案は、難しいんじゃないかしら」 

「なら今、オレが知りたいことは1つだけだ」

 カナタは、全員の顔を見渡して問う。

「――第四執行者フォース・カインドの“最終目的”はなんだ」

 その疑問が、付き纏っていた。

「法を超越した正義の執行者として、米国各地を巡って殺人を犯す。そして現行の米国のあり方が間違いだと流布し、大衆の支持を集め、国家転覆を成し遂げようとしている。国家を破壊した後の荒野で、革命を成す。まるで“敗戦革命”だ。それがCIAの見立てだったな」

 敗戦革命――。正確には革命的祖国敗北主義のことだ。

 自国の政治や経済構造などを、一端、わざと破壊し、今の国家形態を消滅させることで、革命を成す方法である。かつてのドイツ革命などがそれに当たり、ナチス台頭の温床になったこともある。つまり第四執行者フォース・カインドは、自分の理想の国家を作るために、わざと今の米国を破壊しようとしているのではないかというのが、情報機関の分析結果だったはずである。

「はい。おっしゃる通りです」

「だが、奴自身にそれを聞いても、認めなかったな」

「……」

「しかも、昨夜に第四執行者フォース・カインドが行った、大統領誘拐未遂は何だ。これまでに積み上げてきた、正義執行とは完全に矛盾する行動だった。これまで積み重ねてきた善行の全てを否定しかねない。とてもリスクを伴う暴挙ですらある。そうまでした理由。おそらくは奴の“目標”を達するために、あれは必要な悪行だったと考えるべきだろう」

 カナタの話す可能性について、ゾーイは無言だった。構わず、カナタは続ける。

「それほどのリスクを冒して得られる何かが、昨日の行動には、あったということになる。逆を言えば、大統領を誘拐しなければ成立しない“何か”が、奴の最終目標に関わっているんだろう。それが何か、だ」

第四執行者フォース・カインドの暴挙を阻止するためには、その何かを突き止めなきゃいけないわけね』

「ああ。奴の最終目標の延長線上に、背後で暗躍しているエリスの狙いもあるはずだ」

 しばらく沈黙が続いた。

 カナタの話したことについて、全員が思い思いに、考えを巡らせている様子だった。

「なあ……“米国の秘密”ってやつが、関わってるんじゃないのか?」

 再び口を開いたのは、ボブだった。

「だってそうだろ。小僧がその話を第四執行者フォース・カインドにした時だ。米国の秘密が大統領誘拐に関係しているのか、否定も肯定もしなかったぜ。それどころか、何だか誤魔化している様子だった」

 ボブの意見を肯定するように、ゾーイも自身の見解を述べた。

第四執行者フォース・カインド――ジェイク=カーター元大統領は、高潔な人格です。咄嗟にウソをついて取り繕うことは上手くない。図星を付かれて、その性格的な素が出てしまい、綻びが生じたのかもしれません」

 カナタは黙って、2人の話に耳を傾けていた。

 ロベリアが尋ねた。

「ゾーイとボブは、第四執行者フォース・カインドの政権と、今のベイリル政権の、両方で仕事をしてきたのよね。米国の秘密とか言うものに、何か心当たりはないの?」

「さあな。宇宙人の情報とか、ケネディ暗殺の犯人の話とかじゃないのか?」

 とぼけながらもボブは、しばらく考え込んだ。やがて、思いついたことを話し始める。

「……シークレットサービスは、大統領に付きっきりだ。公務の時も、プライベートの時も、ずっと傍に仕えて護衛する。大統領の場所はいつも把握してるし、どこで何をしているかも調べられる。大統領の動静を、本来なら他人に話しちゃならん。だが今は非常事態だ。だから例外的に敢えて話すが……以前、気にかかることがあった」

 ボブは表情を険しくする。

「半年前くらい。ベイリル大統領が公務で、ニューヨークに立ち寄った時のことだ。あの日は、連邦準備制度理事会の会合で、理事たちと上院議員、そして大統領が集まってた」

「……連邦準備制度理事会とは何だ?」

 カナタが怪訝な顔で尋ねた。するとロベリアが、呆れた顔で肩をすくめる。

「不勉強なことよね、先輩。簡単に言えば、米国の全銀行を仕切ってる親玉たちだと考えれば想像がつくでしょう。特徴として、議会下の政府機関のくせに、政府の言いなりにならない、独立した存在でもあるわ。世界の貿易決済で使われる“ドル”という基軸通貨キーカレンシーの発行権を持っているわけだし、ある意味、大統領よりも強大な権力を持ってる連中じゃないかしら」

 ゾーイが付け足した。

「米国全土の主要都市には、連邦準備銀行FRBが存在します。特にニューヨークの拠点は、米国の富の根源である、7000トンの金塊を貯蔵していると言われる大銀行です。各地の銀行を監督する元締めで、日本で言えば、日本銀行と同じでしょうか。それら連邦準備銀行FRBを取り仕切る、米国中央銀行制度の最高意思決定機関が、連邦準備制度理事会です」

「お勉強は済んだか? 話を戻すぜ。……悪いんだが、俺も会合の議題は知らないんだ」

 詳細を知らないことを、少し悪びれたように言ってから、ボブは話を続けた。

「会合が始まって、しばらく経ってからだった。会議室から、ベイリル大統領の怒鳴り声が聞こえてきたんだ。いつも温厚なベイリル大統領が、その時は珍しく激怒しててな。大統領にお仕えし始めて以来、大統領が、あんなに声を荒らげることなんてなかった。だから、よく憶えてるよ。俺は会議室前で待機していたから、声が漏れ聞こえてて、ちょっとだけだが、大統領の言葉を聞き取ることができた」

 ボブは目を鋭くして言った。

「――“君たちの正義は法に勝るのか! ”ってな」

 ボブはソファの背もたれに寄りかかり、嘆息混じりに言った。

「清廉潔白の奴なんて、今のご時世じゃ、探しても見つかるようなもんじゃない。長年、政治の世界を垣間見てきたシークレットサービスの俺に言わせれば、政界に関わる奴なんて大抵は犯罪者だ。これは機密情報とかじゃない。あくまで俺の想像。噂話だと思って聞いて欲しいわけだが……ベイリル大統領は、あの会合で、何らかの“犯罪”に巻き込まれたかもしれない」

「では、それが米国の秘密に関わっているとおっしゃるのですか?」

「さあな。俺に特別、心当たりがあるとすれば、その時のことくらいってことだ。ベイリル大統領の身辺警護をしていて、それ以外で不審に思うことは特になかった」

「へえ。何もヒントがないよりはマシ、って程度の情報ね」

 ロベリアは肩をすくめて皮肉する。そうして今度は、ゾーイを見やった。

「CIAと言えば、米国の裏の顔を担う組織よね。ベイリル大統領直属で、第四執行者フォース・カインドの捜査に関わっていたんだもの。あなたの正体は知らないけど、ゾーイって、かなり高い地位の立場にいるか、かなりやり手・・・の人間かの、どちらかよね。何か知ってることがあるんじゃない?」

 ゾーイは表情を変えず、しばらく黙考してから答えた。

「……米国の秘密と呼べるものは、心当たりがありすぎて、正直なところ絞り込めません。それに、私が知り得る情報は全て機密情報です。この場で容易にお話しすることはできません。ただ……教えてください、ボブ。その時の連邦準備制度理事会の会合には、もしかしてハドソン上院議員も参加されていたのではないですか?」

「ウイリアム=ハドソン上院仮議長のことか? ああ、いたぞ」

 よくわからない肩書きを耳にしたカナタは、またロベリアに尋ねた。

「上院仮議長?」

「先輩は、英語以外にも、米国の議会制度を勉強しておいた方が良かったわね」

 ロベリアが説明を始める前に、イーグルアイの声が割り込んでくる。

『今度は私が教えてあげる! 上院仮議長は、大統領権限継承順位が3位の、超が付くお偉いさんよ。ブレイカー、あんた、大統領を撃ったんですってね? あんたのせいで今、大統領は職務不能状態でしょ。米国憲法の修正第25条によって、大統領が職務不能になった今、代わって職務を遂行してるのは副大統領よ。ここでもしもあんたが、さらに副大統領を病院送りにして、職務不能状態にしたなら。上院仮議長が大統領の仕事を代行することになるわ』

「イーグルアイさんの例え話は、洒落になっていないのですが……」

 カナタたちのやり取りを聞いていたゾーイは、表情を引きつらせていた。

 また話が逸れそうになっているのを元に戻そうと、ボブがゾーイの話の続きを促す。

「それで。ハドソン議長が会議に参加していたとしたら、何だって言うんだ?」

「詳細は説明できません。あなた方には、その情報へアクセスする権限がありませんから」

「何だそりゃ。そこまで話しておいて、そりゃないぜ」

「ですが……その会議で話されていたことが、ベイリル大統領のおっしゃる米国の秘密に関わっている可能性があるかもしれないとだけ、お伝えしておきます。CIAが掴んでいる情報と、照らし合わせて考えた結論です」

 ゾーイは何か心当たりがある様子だったが、国家機密に関わる情報のため、話せないのだと言っている。ハドソン議長が出席している会議で、大統領が声を荒らげるようなことがあった。それが米国の秘密に関わる話だったのか。何も確証はない。

「だ、そうよ。どう思う、先輩?」

 カナタは、ソファから立ち上がった。

「ハドソン議長は、今どこにいるんだ?」

『そう言うと思って、もう調べ始めていたわ! 議員のスケジュール情報によれば、今日の来訪先はニューヨーク市。話題の連邦準備銀行FRBを、視察訪問予定みたいね。ニューヨークまで移動となると、そこから徒歩は無理。仮に車でも、渋滞時間込みで半日はかかるかも?』

「待ってください。もしかして、これから議長に会いに行くつもりなのですか?」

「ああ。本人を問い詰めるのが早いだろう」

「フフ。何だか物騒な物言いね。問い詰めるって、まともな手段なのかしら?」

「おいおい! それ以前に、無茶がすぎるだろ! 忘れたわけじゃないだろうな。俺たちは今、全米手配中の身なんだ! 幸いにも、まだ身元はバレてないようだが、時間の問題だ!」

 今にも出発しそうな様子のカナタたちを、ボブは必死に止めようとする。

「道程には、あちこち市警の検問や巡回があるだろうし、それらを掻い潜って辿り着ける可能性なんてゼロだ! そもそも連邦準備銀行FRBは、俺たちのような下々の人間が簡単に出入りできるような場所じゃねえぞ! 内通者のせいでバックアップも受けられないってのに、これ以上、俺たちだけで第四執行者フォース・カインドに対抗するなんて、無理にもほどがあるだろうが!」

 無事に辿り着ける見込みもなければ、情報を得られる確証もない。ただの無謀な移動でしかないのだと、ボブは言っている。正論だったが、意外にも、ゾーイは乗り気だった。

「いいえ……この近くに信頼できる人物がいます。協力を求めれば、行けるかもしれません」

「おいおい、ゾーイ! 正気なのか! 何で俺たちだけで第四執行者フォース・カインドと戦う必要がある!」

 ボブは思わず声を荒らげ、全員の正気を疑う。

「大統領の回復を待って、捜査手配の誤解が解けてから、信頼できる仲間を集めて、対策班を再結成すりゃ良いだろ! 今の状況で、俺たちだけでなんて、勝ち目のない自殺行為だ!」

「ですが、大統領が不在の今だからこそ、第四執行者フォース・カインドが何らかの行動に出る可能性は高い。味方が信用できず、状況を正確に把握できているのが私たちだけなら……私たちがやるしかありません。私たちの都合で、敵は攻撃の手を緩めてくれはしませんから」

 考えを曲げないゾーイを、ボブは苦々しい思いで見つめた。

「……死にたいのかよ?」

「死なないように努力してますよ。いつも」

「そこまでして止めなきゃいけないほど、第四執行者フォース・カインドがやっていることは悪なのか?」

「……」

「俺には、だんだんわからなくなってきてるぜ」

 それを言われたゾーイの顔は、苦しそうだった。

 かつて第四執行者フォース・カインドの政権を支えた2人。昔は、第四執行者フォース・カインドと同じ正義を胸に、苦楽を共にしてきた仲だ。それなのに、今は対立してしまっている。この対立に意味はあるのか。自分たちは、変わらず正義の側に立っているのか。第四執行者フォース・カインドは、悪に堕ちたと言えるのか。

 ボブと同じくらい、内心ではゾーイの考えも揺らいでいた。 

「行くなら、お前らだけで勝手に行け! 国のために命を賭けることは厭わないが、やる必要がない、無謀な博打なんて打つ気になれないんでな! 俺には妻と娘がいるんだ!」

 ボブはソファに腰掛けたまま、腕を組んで頑として立ち上がらない。

 そんな時ふと、ボブの背後で、寝室の扉が開く。

「――大丈夫。君たちの安全は、私が保証する。それが、私がここに送られた理由だからね」

 会話に割り込んできたのは、着替え終わった、金髪の少女である。

 奇妙なことに、これまで見せ続けていた、愛くるしい雰囲気は跡形もない。

 まるで人形のように虚ろな目をしており、不穏な空気をまとってさえいる。

「やあ。さっきは、お騒がせしたね」

 自らの粗相を軽く謝罪した後に、少女、ボマーは愛想笑いもなく無表情に告げた。

「私が“真のボマー”。アリスの中の、クリスだよ」

 明らかに雰囲気が変わった少女。その挨拶を目の当たりにした一同は、なぜか、背筋に寒さを感じた。少女は、言葉にできない、嫌な気配を放っていたのだ。

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