第二章 全米手配犯/Enemy of United States(3)


▼ Day3 07:20 EST ▼


 空が白み、街に日が差す時間になる。

 市庁舎や美術館など、フィラデルフィアの観光地が集まるセンターシティ付近。

 そこにそびえる高層マンション最上階のペントハウスにも、朝陽は注いた。

 ガラス壁から優しく差し込む陽光で、目が覚める。

 純白のシーツ。キングサイズのベッド。その周囲に配置されたソファや棚などの家具は、白い色調の部屋によく似合う、黒基調の色だ。住宅カタログの写真にでも出てきそうな、広々として洒落た部屋だった。ただ、ホテルの部屋のように生活感がなく、普段から誰かが住んでいるわけではなさそうだ。物が少ない部屋である。

「……?」

 ベッドの上で目覚めたカナタは、四肢を投げ出した格好で、身動きがとれないことに気が付いた。両手足が紐で縛られ、ベッドの足に括り付けられていることは、すぐにわかった。

 自動車修理場から逃亡した後、ゾーイの案内で、このペントハウスにたどり着いた。ここはCIAが米国各所に設けた、避難場所セーフハウスの1つであり、少しの間なら身を隠すのに最適のはずだった。人気のない夜に出歩くのは目立つため、人混みに紛れて移動できる昼間になるまで、小休止することになったのである。仮眠を取るつもりが……予想以上に深く眠り込んでしまったのだろう。起きたら、この様である。何者かに拘束されてしまっていた。

「油断したな……」

 自身を窘めるように、カナタはぼやく。

 誰の仕業だろう。たしか……各自別々の部屋に分かれて仮眠を取ることになった。するとボマーが「1人では寝られない」と言いだしたのだ。カナタに、相部屋になって欲しいと言う彼女を、ベッドで眠らせた。カナタ自身は、近くのソファーで寝ていたはずだ。

 自分の傍らに寄り添う体温に気付き、カナタは顔を向けた。

 …………ボマーが添い寝していた。

「目が覚めたみたいだね、お兄さん」

 いつも結っていた髪は解かれ、金髪は下ろされていた。ロングヘアーのボマーは、普段とは違う雰囲気である。陽気で無邪気な面影はなく、冷淡で落ち着いた様である。感情の色が薄い、冷ややかな眼差しだ。いや――魂のない、虚ろな目をしていると言った方が正しい。

 ボマーは無表情で、息がかかるほど近くから、カナタを見つめていた。

 カナタは取り乱すこともなく、だが警戒して尋ねた。 

「これは、お前の仕業か」

「そうだよ」

 ボマーは簡単に認めた。

「洗面所にあった安眠剤を、お兄さんに盛ったよ。眠ったタイミングで、お兄さんをベッドの上に移動させて、縛らせてもらった。こうしないと、あなたはアリスを拒絶するだろうから。でも安心して。別に殺そうとか、誰かに引き渡そうと考えてるわけじゃない」

 淡々と告げるアリスだったが、そこで急に、言葉を濁し始めた。

「…………」

「?」

 言いにくそうに、何かをモゴモゴと呟き、無表情な頬を赤く染めていく。

「………………して」

「なんだ?」

「アリスと“性交”して欲しい」

 言いながらボマーは、ベッドの上で上体を起こす。そうして、カナタの腰の上に跨がった。

 よく見れば、ボマーの格好は、白いワイシャツ1枚を羽織っただけで、裸身の格好である。

 小さな胸の丘陵はシャツに隠れているが、その2つの先端は、布地を押し上げ、位置を自己主張していた。白い柔肌は絹のようにきめ細かく、ほのかに火照り、薄紅色になっていた。荒くなった吐息を押し殺しながら、ボマーはもどかしそうに呟く。

「アリスは、お前のことが好きらしい。アリスは、お前と深い仲になりたがっている」

 虚ろな目は変わらず、ボマーはカナタを頭上から見下ろしてくる。ボマーの長い金髪が、糸のようにカナタの顔の上に落ちてくる。どうやらカナタは、ボマーに襲われているらしい。

 あまりにも予想外で異常なボマーの言動に、カナタは内心で驚いてはいたが、同時に別のことが気になった。ボマーは自分の願望を口にしているのに、まるで他人事のような言い回しである。口調や表情、態度も、いつもと比べて違和感が多い。

「様子がおかしいぞ。お前は本当にボマーなのか?」

「“クリス”はただ、アリスの望みを叶えるためにだけ存在する」

「……クリス?」

 唐突に、ボマーの口から聞き慣れない名前がこぼれた。

 ボマーの本名はアリスだ。ならクリスとは、誰のことを言っているのか。

 カナタの疑問など聞く耳持たず、ボマーは行為を始めようとしている。

「やり方なら知っている。お前のモノを、私の腹に入れて、搾り上げれば良いんだろう? 安心しろ。初めての私は痛いらしいが、男のお前は、とても気持ちが良いらしい」

 ボマーは枕の脇に置いてあったダクトテープを取り出し、カナタの口を塞ぐ。カナタを喋れない状態にしてから、そうしてカナタのベルトを外し始める。慣れない手つきで、手間取っていたが、ベルトのロックを外し、それに手を伸ばした。

 ふと、ボマーの動きが止まる。

 まるで動画の一時停止のように、ボマーはカナタのベルトを手にかけたまま、動かなくなってしまった。小さな肩を、小刻みに震わせ始めている。

「……め……す」

「?」

「……だめ……です……」

 ボマーは苦しそうだった。

 カナタの上から飛び退き、ベッドの上でうずくまって頭を抱えた。

「――――こんなのダメええええええ!」

 ボマーは目を見開き、叫びを上げた。

 すぐさま、隣の部屋からドタドタと足音が聞こえてくる。ボマーの叫びを聞きつけ、別室にいたボブとゾーイが、ハンドガンを構えて部屋に飛び込んできたのだ。

「どうした、嬢ちゃん!」

「何事です!」

 飛び込んできた2人は、ベッドの上で縛り付けられ、口を塞がれているカナタを見つけた。

 その傍らでは、頭を抱えている、裸同然の少女がうずくまって震えている。

「な、何してんだ、お前ら?」

 喋れないカナタに代わり、ボマーが言った。 

「ごご、ごめんなさいです……! クリスが勝手に出てきて! 私……私……!」

 ボブとゾーイは、言い訳している様子のボマーを見て唖然としていた。遅れて部屋に入ってきたロベリアが、興味深そうにカナタの姿を眺める。初めて見る、カナタの無様な失態を面白がり、ロベリアは自身のセルフォンで、その様子を撮影した。そうしてから、カナタの「さっさと解放しろ」と訴えてくる視線に応える。ロベリアは口のテープを剥がしてやった。

「無敗の天才様が、こんな小さな女の子に、してやられるなんて。朝からずいぶん面白いことが起きたみたいね。これはどういう状況かしら、先輩。ぜひ私にも教えてくださる?」

「……解離性同一障害。多重人格だったのか」

 傍らで申し訳なさそうに泣きじゃくっているボマーを見やり、カナタは断定した。

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