第二章 全米手配犯/Enemy of United States(2)


▼ Day3 02:30 EST ▼


 貧困街にある自動車修理工場。その敷地上空にはFBIのヘリが飛び交っている。

 立ち入り禁止の黄色テープが張り巡らされ、警察犬を引き連れた警官や刑事たちが、そこを慌ただしく出入りしている様子だった。

 普段なら、人々が寝静まる時間帯であるというのに、今夜は敷地周辺に、多くの野次馬が集まって騒ぎになっていた。異変を察知した近隣住民や、ホームレスたちが押しかけて来ている。それらを押し止めることに必死な警官たちは、住民たちからの「何があったんだ」という質問責めを誤魔化すことに苦労している様子だった。

 警官にバッジを見せ、黄色テープをくぐる男がいた。

 萎れた草のように垂れた黒髪。顎に無精髭を生やしている。痩けた頬の、ラテン男である。襟を立てたロングコートを着込んでいる、見るからに不健康そうな長身男だ。

「うー。寒い寒い。こんな冬の深夜に呼び出しされるなんて、迷惑な話だよねえ」

 野次馬たちを背に、男は敷地の奥へ進んだ。

 すれ違う警官たちに、気さくに挨拶をする。そうしながら現場を見渡すと、ところどころに、死体を入れた黒い袋が横たわっているのを見かけた。敷地の奥へ進むほど、その死体袋の数が尋常ではないことがわかってくる。

「……ふーん。周囲には銃痕もなく、大して争った形跡もないのに、死体はゴロゴロ転がっているわけか。こりゃ暗殺かな。あんまり見たことのない、異様な雰囲気の現場だねえ」

 白い吐息と共に感想を漏らし、警官たちが集まっている場所へ歩いて行く。厳つい男警官たちに紛れ、コートを羽織った金髪の女性捜査官がいた。男には見覚えのある顔だった。

「よぉ、ケイトちゃん。久しぶりだねー。そっちも同じく呼び出しかい?」

 ケイトと呼ばれた捜査官は、男の挨拶に反応すらしない。

 眼下の死体袋を凝視しながら、深く憤っている様子だった。

「――信じられない!」

 ケイトの口調は怒りに満ちていた。

「これだけ多くのシークレットサービスが殺され、その犯人グループを完全包囲していたのに、みすみす逃がしてしまったというの?! 大失態じゃない!」

 男への挨拶も忘れ、感情的になってしまっているケイト。

 無視された男は複雑な心境だったが、頬を掻きながら同意する。

「まあ~……。FBIの戦術担当者と、市警の責任者はクビになる案件だろうなあ」

「挙げ句に大統領が撃たれたんですよ! 救助が間に合ったから良かったものの、大統領が撃たれるなんて、あってはならないことだわ! そう思いませんか、クロード先生!」

「あ、なんだ。僕のこと忘れてなかったんだね。良かった~」

 男、クロードは、振り向き様に詰め寄ってくるケイトをなだめながら、苦笑する。

 ケイトの意見は最もだ。否定することはせず、クロードは改めて、周囲を見渡して言う。

「しっかし謎が多いよね。そもそも大統領はどうして、こんな自動車修理工場なんかを深夜に訪れてたんだろう? 公式記録を残さず、ホワイトハウスを抜け出して、お忍びで来訪だったわけだ。護衛も最低限の数しか連れて来てないし、人目を避けるように、施設内の監視カメラも無効にされてた。するっと……こりゃあ、誰かと密会してたと考えるべき?」

「誰とですか?」

「たとえば、愛人とか? ムードが乏しい場所でも、ほとばしるロマンス。良いよねえ」

「ええ。大統領が自動車修理工場で逢い引きですか? さすがにそれはないのでは……」

「冗談だよ。当てずっぽうで言ったことなんだから、真面目に受け取らないでってば」

「もぉ~。ふざけないでください! いったい、ここで何が起きたというんですか!」 

「はいはい、せっつかないでよ。それを調べるために、僕が呼ばれたんでしょうに。久しぶりに会ったけど、相変わらずケイトちゃんは真面目すぎるなあ」

「1ヶ月ぶりにお会いしますけど、先生は相変わらず、緩い感じの喋りですね」

「そりゃ、ついさっきまで休暇だったんだ。堅苦しいシアトルを離れ、“生徒”の研修名目でフィラデルフィア観光するつもりだったのに。まさかこんな事件に巻き込まれるなんてなあ」

「偶然でも、こんな時にクロード先生がいてくれたのは心強いですよ。あ、遅ればせながら、お久しぶりです。先生の犯罪心理学講演は、いつも現場で役に立っています」

「そりゃどうも」

 クロードはキョロキョロと辺りを見回しながら、ケイトに尋ねた。

「ところで、僕の“生徒”もここに来てるはずだろう? 彼女はどこだい?」

 思い当たることがあり、ケイトは怪訝そうに応えた。

「それって……アジア系の女の子たちのことですか?」

「日本人だよ。そう、その子たち。自称ボディガードの子の方は、彼女のオマケだけどね」

「先生の弟子だと名乗って現れて、パーカー姿の女の子と一緒に、現場にやってきましたよ。……一応、ゲストバッジ持ってましたから、通しましたけど」

「良かったー。いきなり先走って、僕より先にホテル出ちゃうんだもん。焦ったよ。でもまあ、無事に辿り着けてたようで何より。預かってる子たちだし、何かあったら大変だからね」

「失礼ですけど、あの子たち、まだ十代の子供ですよね。それがFBI特別捜査顧問のクロード先生に弟子入りしていて、事件捜査に協力してるって言うんですか? 冗談とかじゃなく」

「あの若さで、すごいことだよねえ。色々と事情があって、日本の捜査機関から預かってる子なんだけど、かなり筋が良い。ありゃあおそらく、天才ってやつだろうねえ」

「先生がそこまで言いますか……。彼女たちは10分前くらいに、敷地内の事務所の方へ行きました。事務所は、あそこに見える倉庫の中です」

「どうも」

 クロードは、ケイトの指さす方向へ歩き出した。

 倉庫まで大した距離はなく、歩いて1分もしない。化学捜査官たちの証拠採集の邪魔にならないよう、隅を歩きながら、従業員用の扉をくぐった。程なくして、倉庫内にプレハブで作られた事務所小屋が見えてきた。割れた窓ガラスの向こうに、少女2人がいるのを見つける。

 クロードは彼女たちに合流すべく、事務所へ足を踏み入れた。

「――――あ。クロードだー」

 最初にクロードに気が付いたのは、自称ボディガートの少女の方である。

 目深にかぶったフードパーカー。黒のハイニーソックスを穿いている。肌は異様に色白く、眼差しが、どこか眠たそうな、半眼の表情である。美少女だ。

「やあ、ルーク君。君はいつも眠たそうな顔をしているね」

「いつもやる気がなさそうなクロードにだけは、言われたくないかなー」

「おんなじようにダラけた口調の君にだけは、僕も言われたくないなあ」

「おーい、リセー。クロードが来たよー」

 ルークは、しゃがみ込んで死体を覗き込んでいる、護衛対象の少女に声をかけた。

 呼ばれて振り返った少女は、いつも通りの優しい微笑みを浮かべた。

「あ。こんばんは、クロード先生」

 長い黒髪。整った顔立ちは、街を歩けば人目を惹く程に可憐である。やや小柄な体付きであるため、同年代からはいつも年下に思われてしまうのが玉に瑕だ。特に、身長が低いアジア系人種は、米国においては小中学生に見間違えられることも多い。クロードから見ても、リセはまるで小学生のようだ。だが、あどけない面影をしているが、瞳の奥には、凜とした強い意志を宿している。そうした、どこか不思議な雰囲気の少女である。

 緋上リセ。それが彼女の名前だった。

 クロードは、コートの両ポケットに手を突っ込み、リセと並んで、事務所内の様子を観察し始める。散乱した書類やガラス片。血の跡も見受けられる。クロードは、隣のリセに尋ねた。

「さて。僕より先に現場を見ていたわけだが、何がわかったかな。聞かせてくれ」

 尋ねられたリセは真顔になり、白い吐息と共に、自身の考えを吐き出し始める。

「大統領を撃った人物には、大統領を殺す気がなかったと思います」

 奇妙な意見だった。

「ふむ。ずいぶんと矛盾した見解だ。どうしてそう思った?」

「まず、敷地内で殺されたシークレットサービスの人たちの表情です。完全に油断した表情のまま、精確に頭部を撃たれた死体がほとんど。しかも周囲には硝煙反応が少なく、現場の壁面には弾痕が見られません。彼等が殺された場所には遮蔽物も少なく、襲われて、咄嗟に身を隠そうとした形跡も見られません。交戦した痕跡がなくて、つまり全員が油断しているうちに殺されてるんです。このことから考えられる殺傷手段は、消音器サプレツサーを付けた銃による一斉暗殺」

「一斉暗殺という表現を使うということは、犯人は単独ではなく、複数と考えてるわけだ」

「はい。暗殺に消音器サプレツサーを用い、訓練された精鋭であるシークレットサービスを、一斉に殺害してみせたんです。素人の犯行じゃありませんし、単独犯では不可能です。敵側も、訓練を受けた集団だったはず。部隊だったんだと思います」

「現場把握能力は、合格点だ。その予想は当たっていると思うよ。シークレットサービス殺害に使われた銃弾が、すでに現場から見つかってる。223口径。亜音速弾サブソニツク消音器サプレツサー付きの銃から撃ち出されてたそうだ。とてもじゃないが、そんじょそこらの素人が扱う銃種じゃない」

 クロードの肯定を聞きながら、リセは次に、足下の血溜まりを指さす。

「そして、大統領はここで撃たれました」

 床の上で、冷えて固まりつつある黒ずんだ赤。それを見つめながら、自身の考察を続ける。

「シークレットサービスの人たちと違って、大統領だけは、遮蔽物に身を隠した状態で撃たれました。つまり敵部隊の襲撃に気が付いて、身を隠していたんです。おそらく敵部隊は、このプレハブ小屋の外側から、大統領を包囲していました。割れた窓ガラスが、室内側に散らばっていることと、壁に残っている弾痕を見るに、敵部隊の銃弾は外から撃ち込まれてます」

 クロードは、割れた窓の向こうを見やった。

「大統領は、外の敵から身を隠していた。なのに撃たれた。なぜだろう? 隠れていた位置は、小屋を取り囲む敵の死角だ。流れ弾や、跳弾の可能性も低いよね」

「おそらくですけど。大統領を撃った弾は、事務所の外側から撃ち込まれたものじゃない。至近距離で、事務所の内側から撃たれたものだと思います」

「ふむ。じゃあ、敵部隊がこの事務所内に押し入ってきて、至近距離で撃ったのかな」

「状況証拠からすると、可能性はありますね」

 クロードは仕切り直すべく、手を叩いてみせた。

「よし。この場で起きたことのあらましは見えてきた。では、ここで視点を変えようか」

「はい」

「敵が大統領を撃たなければならなかった、その理由は何だろうか。たとえば、敵部隊の目的が大統領の暗殺だったとしよう。すると、大統領を撃った時点で大手だったはずだ。それなのに、実際には大統領が撃たれたという“通報”があった」

 クロードはリセを試すよう、問題提起する。リセは語調を濁らせて続けた。

「そこが……解釈の難しい部分です。通報のおかげで、大統領は一命を取り留めました。誰が通報をしたのか。なぜ、撃った大統領を救うのか。通報者の目的がわからないんです」

「シンプルに考えたら、この場には大統領の味方もいたんじゃないのかな。撃たれた大統領を助けるために通報したのさ。まあ、その通報者は、なぜか姿を見せてないわけだけど」

「あるいはここに、裏切り者がいたか……ですよね。大統領は至近距離で撃たれてます。敵に撃たれたのではなく、味方だと思っていた人物に、予期せず撃たれたとか。どうでしょう」

「まあ、わからないことは他にも色々残ってる。少人数とは言え、どうして敵部隊はシークレットサービスの奇襲に成功できたのかとか。そもそも大統領は、ここへ何をしに来たのか。あるいは誘き出されたのか、とかさ。証拠を見ながら、少しずつ解き明かしていこうか」

「はい!」

 リセはやる気に満ちた目で、意気込んでいた。

「あと、ちょっとした感想なんですけど……」

「構わないよ。言ってみて」

「たくさんの人が死んだのに、この現場からは、あまり“殺意”の感情が読み取れないです」

「ほう」

「何となくなんですが、ここにいた人たちは、誰も大統領を殺すつもりがなかったような気がするんです。もちろん、実際には撃たれたから、矛盾しているのはわかってるんですけど」

「リセちゃん……。僕たち犯罪心理分析官プロファイラーは、統計と分析によって、犯人像や犯行予測を行う、科学捜査が基本だよ? 個人の勘で、事実を誤認することがないように気をつけないと」

「あ……そうですよね。気をつけます」

 落ち込むリセを見て、クロードはにやりと笑んだ。

「ただ、建前上はそう言ってもね。現場から、そこに漂う人の感情や気配を読み取る才能というのは、一流の犯罪心理分析官プロファイラーが備えている能力でもある。直感に頼りすぎるのはダメだけど、その直感は、大事に育て方が良いと思うよ」

「そう言っていただけるのは光栄です。頑張ります!」

 ふと、クロードのセルフォンが鳴り始める。発信者はケイトだった。

「はいはい。もしもーし」

 クロードが電話を受けると、ケイトは、新たにわかった事実について報告してくれた。

 一通り話を聞いたクロードは、感慨深そうに黙り、通話を切る。 

「敷地内の監視カメラには、何の映像も映ってなかったらしい。けれど、どうやら犯人グループはミスを犯したようだよ」

「ミス、ですか?」

「2つ向こうのストリート。バーガー屋の監視カメラに、自動車修理場の方角から逃げてくる覆面姿の5人組が映っていたらしい。FBIが現場に駆けつけた後、少し経ってからのタイミングで録画された映像だそうだ。逃げた容疑者たちと考えるべきだろう。追跡できそうだ」

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