第二章 全米手配犯/Enemy of United States(1)
意識のない大統領を背負ったのは、ボブだった。
撃たれた肩の痛みに歯を食いしばりながら、脂汗混じりの堪えた顔で、プレハブ小屋の扉を蹴り開ける。間髪入れず、ボブの前衛と後衛を守るように、ハンドガンを構えたカナタとゾーイが飛び出す。そうして周囲に敵の姿を探し、銃口を暗闇に向けた。
どうやら人の気配は、なくなっている――――。
カナタの脅しは効果絶大だったのだろう。小屋を取り囲んでいた
「……まったく。大統領の命令とは言え、秘密裏にホワイトハウスを抜け出して、ここまで単独行動で来たことが完全に仇になっちまった。増援を呼ぼうにも、奴等きっちりと無線封鎖で連絡手段を絶ってやがるし。ついてきた部下は、まさか俺を残して全滅とは……!」
道中、ボブが呟いていた。後悔の念が強いのだろう。愚痴は止むことがなかった。
「挙げ句の果てに、大統領を守るべきシークレットサービスの俺が、大統領を盾に脱出だ。良けりゃクビ。真っ当に考えれば、国家反逆罪で刑務所暮らし確定だ。クソッタレ。こんな生き恥、いっそ殺された方がマシってもんだぜ……!」
「あら。捨て鉢になって、貴方が死ぬのは勝手だけど、私を巻き込まないで欲しいわね」
「生意気な日本のガキ共め! 人の気持ちも知らないで! そもそも、そこの小僧は、元より殺す大統領を間違ってたんじゃねえだろうな!」
ボブは、ロベリアの辛辣な言葉に舌打ちする。
そんなボブの前衛を守っているゾーイが、先ほどから、鋭い敵意の視線を、カナタに送りつけてきていた。露骨な怒りと憎悪をまなざしに込めて、ゾーイはカナタに声をかけた。
「
「何を言わせたい」
「こんな状況、狂ってるなんて言葉じゃ言い足りません」
「……」
「自分が生き延びるために、我が国の大統領を撃っておいて、くれぐれもただで済むと思わないでくださいね。この報いは、必ず受けて貰いますよ」
「まずはこの状況を生き延びることが重要だ。罰を受けさせたいなら、それからにしろ」
「ブレイカー先輩の言う通りね。周囲に敵の姿が見えないからと言って、まだ危機は去っていないわ。この自動車修理場を狙える位置に、まだ狙撃手が潜んでいる可能性もあるわよ」
「ああ。倉庫からすぐに外へ出るのは、まだ危険だ」
ストリート側に面するシャッター前へたどり着いた。
ボブは、シャッター横の、従業員用の出入り扉前で、慎重に大統領を下ろす。
そうしてから、扉に付いている小窓を覗き込み、倉庫外の様子を観察してみた。
敷地を囲むフェンス。電灯がまばらに立ち、闇夜の中に、無数の自動車の姿を照らし出している。そこを通って、少し行った先にはもう、道路が見えていた。
一見して、外に敵の姿は見受けられない。ただ……シークレットサービスの男たちの射殺体が、音もなく静かに、暗闇の中に横たわっているのが見えた。
「……くっ!」
見知った部下たちの死体を目の当たりに、ボブはただ歯噛みする。
ゾーイはカナタに視線を送り、尋ねる。
「砂狼たちの部隊は、まだどこかから、私たちを狙っているのでしょうか」
「さあな。確かめようがない」
「では、このまま外には飛び出さず、様子見ですか」
「奴等は……自分たちが正義の側にいるのだと主張している。なら、第三者がこの場にいれば、その目がある中で、下手に大統領を運んでいるオレたちへ手出しをしてこないはずだ。だから、わざわざ救急車を呼べと要求した。救急隊員たちが目撃者として、この場に駆けつけたなら、奴等がオレたちを攻撃してくることはなくなるだろう」
「じゃあ、救急車が来るまで生きていられれば、オレたちの勝ちってわけだな」
「……。そんなことよりも、大きめの布を持っていないか? スカーフのようなものだ」
唐突にカナタは尋ねる。意図がわからず、ゾーイは不思議そうな顔で尋ね返した。
「なぜ今、そんなものを?」
「すぐに必要になるからだ。その辺を探って、全員、自分の分を用意しておけ」
カナタは、手近にあったツールチェストや、作業机の引き出しを開けて、中身を漁り始めていた。カナタの行動の意味は、まるでよくわからなかった。だが何か考えがあるのだろう。今は言われるがまま、一同、周囲のロッカーなどを開けて、その中身を調べ始める。
それぞれが、それぞれの分の布きれを見つけ出した頃だった。
『――――この声が聞こえているかな。日本の情報機関の諸君と、生き残りの諸君』
ボブの肩に取り付けられていた無線機から、突然、聞き覚えのある男の声が聞こえた。
『砂狼から連絡を受けて驚いたよ。大統領を撃ったそうだな。とんでもない奇策だ』
「
カナタの声が聞こえたのだろう。無線機の男、
『砂狼が私に助力を求めてくるなんて、これまでになかったことだ。何でも自分の力だけで解決したがる男だからな。だから正直、耳を疑ったものさ。我が友から、事前に君の話しは聞いていたよ。間違いない。君がブレイカーなんだな、少年』
「……お前の友とは“エリス”のことを言っているのか」
『ああ、そうだとも。君にとっても旧い友人だろう。さしずめ共通の友人と言ったところか。君のことは、エリスからよく聞かされているとも』
「オレと奴を、友人呼ばわりするな」
『君がどうかは知らないが、少なくともエリスは君のことをずいぶん高く評価していたよ」
「評価だと?」
『そうさ。我々を追跡し、阻害するあらゆる捜査機関よりも、君1人の方が遙かに驚異で恐ろしいのだと、再三に亘って警告されたものだ。だが、とてもじゃないが、信じられなかった。国家権力よりも恐ろしい個人が存在するだなんて。ずいぶん大仰しい話だと思いはしたが、今は認識を改めている。なるほど。確かに君は、危険極まりない存在だったようだ。絶体絶命の窮地を、およそ常人では考えつきもしない狂気でひっくり返してくるじゃないか』
軽妙な口調で、
『君の要求通りに、砂狼たちの部隊はその倉庫の敷地から完全に撤退させたよ。約束通りに、救急車も呼んでやった。あと数分の内にそこへ到着し、救急隊員たちが押しかけてくるだろう。おめでとう。君の非常識な策は、間違いなく君たちの命を救った』
賞賛の言葉など無視して、カナタは
「いったい何が目的で、大統領の誘拐なんてことを実行した。大衆に対して、正義の味方を名乗っている連中がやることにしては、ずいぶんと人聞きの悪い行動だ」
『それは、君のような些末な人間が、知る必要のないことだよ』
「なら聞き方を変える。襲撃の理由に“米国の秘密”は関係あるのか?」
『ほう。どうやら君たちは、ベイリル大統領から面白い話を聞かされたようだ』
『そうだな。君たちから見て、私はどんな人間に見えているだろう』
苛立った様子のゾーイが、会話に割り込んできた。
「わかりきったことを……! 国家に反逆し、治安を乱している犯罪者に決まっています!」
『その声はゾーイか。相変わらず、手厳しいことだ』
『なるほど、犯罪者か。では、私の犯した罪とは何だね』
「国家反逆罪です」
『国家への反逆とは、具体的に私のどの行動のことかな。無垢な少女たちを金で買い、傷つけた軍将校を罰したことか。職権を乱用し、人々から搾取して私腹を肥やす政治家を断罪したことか。それとも、犯罪グループを陰で操る政治家を失脚させたことか。君は何を罪と呼ぶ?』
「それは……あなたがそうやって国の要人たちを殺してまわり、国家の秩序を脅かしていることです。卑劣な悪人だからと言って、法治国家においては、あなたにそれを裁く権利はないんです。私刑は違法。悪徳です。敗戦革命でもやっているつもりなんですか」
『まさか、CIA職員の君から、そんな遵法精神を説かれるとは思わなかったよ』
「偉大な合衆国大統領であった、あなたは、合衆国憲法の守り手だったはずです……!」
ゾーイは
「いったい何をお考えになっているのですか。かつてのあなたの政権を支え、知る者として、理解できません。あなた個人が、法を超越した存在になったとでも言いたいのですか?」
『CIAに勤めている君にならわかるだろう。本当に、君の言う“国の要人”という連中を生かしておきさえすれば、国家の秩序は永遠に守られていると考えているのかね?』
「……!」
『社会の上層にいる者たちが、どれほどの特権を与えられ、それを良いことに、どれほど傍若無人に振る舞うのか。彼等の強欲から、罪のない人々を守れない。そんな無力な法を後生大事に守り、従っていることは、果たして正義と呼べるのか? 平和と呼べるのか?』
「……」
『法治国家における法律が選別できるのは、法に従う者と、そうでない者だけ。決して法は、正義か悪かを決める基準ではないのだ。ルールに従ってさえいれば、正義の側にいるわけではない。むしろ現代の法は、社会を陰で牛耳る者たちが、自分たちに都合良く作り替えてしまったものだ。なら疑問に思わないか。いったい我々は“何のために”法律を守っているんだ?』
ゾーイは二の句が出てこず、黙り込んでしまう。
『質問を変えよう。君たちから見て私は――“正義”か“悪”か。どちらの側に見えている』
嘆息を漏らし、次に応えたのはカナタだった。
「くだらない。そんなことを決めることに、何の意味がある」
『そのくだらないことが、私にとっては、命を賭すほどに重要なことなのだ』
『君が言うように、今の時代、正義とは“そんなこと”と軽んじられる概念になった。正しいことを成そうとすることを、いつしか人々は嘲笑うようになった。勧善懲悪に期待しても、汚い世の中は何も変わらなかったからだ。不条理を誰しもが思い知っているからだ。私は1人の人間として、改めて人々に問いかけようとしているのだ――“正義”とは何だったか、とね』
正義の追求に狂ったテロリスト。
ふと、通りの向こうから、緊急車両のサイレンの音が聞こえてきた。
音を聞いてすぐに、ボブの目が輝く。
「おいおい、やっと来たぜ、救急隊だ! もう少しですからね、大統領!」
意識のない背中の大統領に、ボブは賢明に訴えかけた。
歓喜しているボブとは裏腹に、カナタは面倒そうに呟いた。
「……なるほど。やはり、そうくるんだな」
『ほう。気が付いていたとは、素晴らしい』
聞こえてきたのは、救急車のサイレンだけではない。警察車両のサイレン。それに上空からは、ヘリのローター音も聞こえてきている。近づいてくる音が多すぎた。
上空から接近してきた無数のヘリが、大型照明を灯す。カナタたちの潜む、自動車修理工場の敷地内あちこちを、空から探るよう、スポットライトで照らし始める。
『――こちらは
拡声器の音声が、無慈悲に宣告してきた。
『建物は完全に包囲している! 中にいるテロリスト共、全員武器を捨てて投降しろ!』
シャッターの向こう、通りに展開して建物を包囲し始めるパトカーの数々を覗き見て、ボブとゾーイは完全に青ざめてしまう。防弾着で武装した、重武装の捜査官たちを見やりながら、カナタは状況を推察して言った。
「ただ救急車を呼んだんじゃない。オレたちのことを“通報”したんだろう」
『我々の共通の友人たる“彼”から、今件についてアドバイスを受けたんだよ。シークレットサービスが襲われ、大統領がテロリストに撃たれて重体なんだ。捜査当局に通報するのは、善良な市民なら当たり前の行動だろう。私は、君たちが“大統領暗殺未遂犯”だと通報しただけだ。捜査当局は血眼で大統領を救おうとするだろう。君たちを射殺してでもね』
「なんて汚い奴だ! テロリストはお前たちだろうが! 俺たちを嵌めやがったな!」
自分たちの襲撃を、カナタたちの仕業であるということにして通報した。
敷地内にはシークレットサービスたちの死体の山。撃たれた大統領。そして、その実行犯と思われるカナタたちしか存在していない状況だ。後からやって来た捜査官たちが、先ほどまで、この場に
疑いは当然、カナタたちに向けられるだろう。
まんまとテロリストに仕立て上げられたのだ。
『さて、君たちの要求に応じるのはここまでだ。せいぜい諸君の健闘を祈っているよ』
その言葉を最後に、
外の様子を覗き見るボブが、額に冷や汗を流して毒づいていた。
「……まずい、まずい! FBIの連中、完全に俺たちのことを大統領暗殺未遂犯だと勘違いしてやがるのかよ! あ、いや、間違っちゃいないが……ええい違う、クソったれ!」
ボブは血走ったまなざしで、必死に全員へ訴えかけた。
「俺たちが
装備、人数、全てにおいて不利な状況である。強行突破など、試みてもまず不可能だろう。そもそも、本来なら味方であるはずの捜査機関と敵対する選択肢はない。問題は、味方がこちらのことを敵だと勘違いしていることである。カナタの奇策で、窮地を脱することができたはずだったのに……どうやら
ゾーイは、考え得る微かな希望を口にするしかなかった。
「……大統領から状況をご説明いただければ、我々の容疑は解けるでしょう。ですが、今の大統領は意識不明の重体です。いつ回復なされるかわかりませんし……我々が拘留されることになれば、その期間中、
「そうは言っても、もう投降する以外に道はねえ! この際、
絶望のどん底で言葉を失い、黙り込むボブとゾーイ。
それを横目に、ロベリアは妖しく笑んでカナタに問う。その態度には余裕があった。
「さて、先輩。この建物はFBIが完全包囲しているそうよ。おそらく衛星で上空から監視されてるでしょうし、どこに逃げても追跡される。脱出不可能よね。この場に存在してはいけない私たちが、大統領暗殺未遂犯として捕まって、全世界に報道されでもしたら、日本政府にとっては致命的。私たちの命の保証もないわね。この窮地をどう脱するつもりかしら。この事態を予測していたみたいだし、もちろん策は考えているんでしょうね?」
「大丈夫なんですよね、お兄さん? いったいどうする、ですか?」
ロベリアの後に続いて、好奇心旺盛にボマーも尋ねる。ボマーの態度にも、焦りは見受けられない。絶望している大人たちとは対照的に、未成年組は、異様に場慣れした態度だった。
「FBI捜査官たちも、オレたちと変わらない人間だ。その目は全てを見通せるわけじゃない。この自動車修理場の敷地内の全てを、1人の人間が調べて回ることは不可能だ。だから、これからオレたちを見つけるために、集団で捜索するだろう。捜索範囲を“分担”してな」
「まあ、そうでしょうね。それがどうしたと言うの?」
「付け入る隙は、そこに生まれる」
カナタの言わんとすることを察しきれず、ロベリアは怪訝な顔をする。
そんな時だった。カナタたち、未成年組が耳に付けた小型無線機から、声が聞こえた。
『――――ちょっと! これはいったい、どうなってるわけよ!』
久しぶりに聞く少女の声は、怒り心頭の様子で、いきなり罵声を浴びせかけてくる。
『やっとCIAの衛星システム経由で通信が開通したと思ったら、誰かにずっと無線妨害されてて連絡がつかないし! 妨害が解けたと思ったら、何であんたたち、いきなりFBIに包囲されて死にかけてんの! 馬鹿なの!? 本気で死にたいの!?』
少女の声を聞き、カナタはその登場を予想していたように、不敵に笑んだ。
そこでようやくロベリアは、カナタの考えを理解する。
「あー……なるほど。そういうことなのね。そう言えばいたわ。このやかましい味方が」
「オレたちには米国政府機関のネットワークを使う味方がいる。そうだな、イーグルアイ?」
『え? ああ、うん。そうだけど……?』
地球の裏側。日本から遠隔で話しかけてくる、頼もしい味方の登場。
機が熟したことを悟り、カナタは全員を見渡して警告した。
「全員、覆面をしておけ。万が一にでも顔を見られて、身元を特定されるのはまずい。今からオレたちは――“全米手配犯”だ」
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