第一章 第四執行者/The force kind(4)

▼ Day1 21:00 JST ▼


 成田空港から飛び立つ旅客機は、ジェット音を轟かせながら、夜の空へ姿を消していく。

 乗客達の多くは、手荷物から自前のアイマスクなどを取り出し、寝具を自席にセットして、眠り支度を始めていた。日本時間は、すでに真夜中だ。普段の生活リズムからすれば眠くなる時間帯である。遠いアメリカの地へ到着するまでの時間、眠り過ごすつもりなのだ。

 一方、旅慣れた乗客たちは、逆にしばらく起きていようと、思い思いに読者や映画鑑賞を始めている。時差を考えると、現地に着いた時も夜なのだ。到着後の生活リズムに合わせておくために、眠気をこらえて起きていようとしている。

 同じ便に同乗しているカナタたちも、それは同じだった。 

 快適な客席エリアと、床を隔てて下にあるフロア。極寒状態の貨物室には、乗客たちの預けた荷物が積み込まれていた。その中に、木枠梱包された大きな荷物が並んで置かれていた。梱包されているのは、大型冷蔵庫くらいのサイズで、人が入れる保温カプセルが2つ。横置きされた、そのカプセルの中に潜み、カナタたちは密航していた。

『――低軌道衛生を使用した通信テストよ。あんたたち、ちゃんと私の声が聞こえてるわね』

 カプセル内に備え付けのスピーカーから、イーグルアイの声が聞こえた。 

『その旅客機は現在、3万5000フィート以上の高度を飛行してるわ。あんたたちのいる貨物室の外気温は、場所にもよるけどマイナス50度以下になる。南極並みに寒くなってるから、少しでも外気に曝されれば、凍傷は免れないし、目的地に着くまでに余裕で死ねるわよ。その保温カプセルの外は極寒だから、絶対に出たらダメだからね』

『ご親切にどうも。でも、出ようと思っても出られない構造だし、忠告の意味ないわね』

 皮肉っぽく応答したのは、カナタの隣のカプセルに入っている、ロベリアである。

『渡航記録を残さず、最速で渡米したいからって、まさか貨物室に紛れ込んで密航することになるなんて、せっかちな作戦よね。このカプセル、正直に言って乗り心地が良くないわ』

『はいはい。ファーストクラスの待遇じゃなくて悪かったわね』

『まあ、X線検査をパスできたわけだし、ファーストクラスよりは、お金がかかってそうね。ある意味では特等席と呼べるのかしら』

『X線検査を誤魔化せたのは、別にハイテクの力じゃなくて、賄賂の力だけどね。旅客機の貨物室に密航して密入国って、素人がやったら大抵は死ぬんだけど、組織的にやるなら、方法は意外と確立されてたりするの。今回、日本の通関は、内閣情報捜査局CIROのコネを使って誤魔化してるわ。米国に到着したら、今度は米国中央情報局CIAのコネを使って、あんたたちが現地通関を通れるにように手配してくれてるそうよ。簡単に言えば、領事館特権の乱用ってとこ』

『ふーん。私たちは、日米協力の下で密輸されてるわけなんだ』

『ちなみに帰りも同じように、密航フライトを予定してるから覚悟しておきなさい』

 スピーカーの向こうでコンコンと、ロベリアがカプセルの内壁を叩いている音が聞こえてきた。カプセルの硬質さを確認しているのだろうか。また、皮肉っぽく言った。

『まるで鋼鉄の棺桶みたい。安っぽい作りなのに、意外と高価なのかしら。だから保有数が多くなかったの? こうして、たったの2つしか用意してくれないなんて』

『値段の問題じゃなくて、大きさの問題だったのよ。ただでさえデカくて目立つカプセルだし。いくら通関にコネがあるからって、密輸する貨物は少ない方が良いでしょ』

『狭量ね。まあ、そのおかげでブレイカー先輩は、ボマーちゃんと2人で1つのカプセルに入ってるわけでしょ。可愛い女の子と密着状態なんて、役得で嬉しいんじゃない、先輩?』

 ロベリアはカナタをからかう。イーグルアイが、途端に狼狽した口ぶりで言った。

『そ、そもそも、あんたが駄々こねて、ボマーと2人で入るのは狭いからヤダって言うから、仕方なくブレイカーとボマーの2人で入ることになったんでしょ! それに、ぶ、ブレイカーは、小さい女の子相手に変な気持ちにならないわよ! そうでしょ!?』

『どうかしら。貴方、先輩に女性の好みを聞いたことがあるの?』

『ぐぬぬぬ。言わせておけば、この悪徳教祖。実際のところはどうなのよ、ブレイカー!』

 話しを聞いていたカナタは、なんだか頭が痛くなってきた。

「…………今回のメンバーは、やりづらいな」

『はあ? 何!? 何って言ったのか、呟かれると声が遠くて聞き取りづらいんだけど!」

 たしかに、カナタの入っている保温カプセルには、ボマーも一緒に入っている。先ほどから密着状態で、ボマーがカナタの左半身に、ピタリと貼り付く格好になっていた。ボマーの心臓の鼓動も、吐息も、体温も、全てが直に伝わってくるようだった。小ぶりな胸はカナタの半身に押し当てられ、脈打つ鼓動が、とても早くなっているのがよくわかる。

 ボマーは先ほどから、耳まで真っ赤になって、カナタと視線を合わせようとしない。カナタに下心などなくても、ボマーからすれば、異性と密着しているのは恥ずかしいのだろう。

 カナタが答えずに黙っていると、イーグルアイとロベリアの不毛なやり取りが無線で続いた。やがて、言い合いに疲れたらしいイーグルアイが、咳払いをして話題を変えてくる。

『そうそう。現地に着いたら、ほとんどの会話が英語になるわよ。留学経験者の私や、イギリス生まれのボマーはともかく、そもそも、ブレイカーとロベリアは英語を喋れるわけ?』

『あら。貴方、情報分析官のくせに、私の学歴について知らなかったの?』

 ロベリアは優雅な口ぶりで自慢する。

『私は幼少の頃から、あらゆる一流の英才教育を受けている。もちろん、外部から講師を呼び込んで語学教育も受けたわ。英語はもちろん、他7カ国語くらいは話せるわね』

『あんた、謎に包まれたカルト教団の村出身でしょ! 学歴なんて調べようがないじゃない! 村から出ない引きこもり教祖だったくせに、無駄にスペック高くしてんじゃないわよ!』

『フフ。内閣情報捜査局CIROの情報収集能力って、たかが知れてるのね。よく考えたら、私みたいな小娘1人に出し抜かれて、壊滅の危機に陥るような組織だし。仕方ないのかしら』

『くぅ~! わかってたけど、ムカつく女ね! そのせいで私、前に死にかけたし!』

『私の心配よりも、ブレイカー先輩はどうなの? 今年の年初までは刑務所暮らしだったわけでしょ? まともに義務教育すら受けてきてないわよね。黒陽宗の調査によれば、高校でのテスト成績は下の下。赤点の補習対象者に、英語なんて話せるのかしら』

「……」

『ええぇ……ダンマリなんて、不安ね』 

 ひとしきり話し終えた後、イーグルアイは、あくびを漏らした。

『ふぁぁ。そろそろ私も仮眠を取っておくわ。あんたたちが現地に着く頃までには、CIAのシステムを使えるようにしておくけど、しばらくは通信が途絶えるわ。ちょっと不安なのは、CIA側が私にアクセス権を寄越すの渋ってることなのよね……まあ情報機関同士だし、信頼ないから仕方ないかもだけど。準備に少し時間がかかるかもね』

「おやすみなさいです、イーグルアイのお姉さん」

『おやすみね、ボマーちゃん』

 日本との通信が途絶えた。イーグルアイが話をしなくなると、途端に静かになってしまった。貨物室内の機械音や振動音だけが、カプセルの外から微かに聞こえてくる。

「……今は、ロベリアと呼べば良いんだったな」

 カプセルの内壁に埋め込まれたマイクに向かい、カナタは尋ねた。

 唐突に話しかけられたロベリアだったが、そんなに間を置くことなく応えた。

『美しいコードネームでしょ。狩月局長だっけ? なかなかネーミングセンスが良いのね』

「空港で撃たれたお前を見た。まさか、まだお前が生きているとは思ってなかった」

『たしかに死にかけたわよ。でも治療が間に合ったから生き残った。何か特別なことがあるわけでもなく、シンプルな理由よ。……いつもね。私は、こうして生かされる運命なの』

 まるで、生きることが罰であるかのような言い方である。続けてカナタは尋ねた。

「なぜ、敵対していたはずの、オレたち内閣情報捜査局CIROの一員になろうと思った」

『それ。あなたに話す必要あるかしら』

「ないかもしれないな。だがほんの3ヵ月前に、オレたちは命の取り合いをしていた間柄だ。しかも、お前はエリスと通じていた。信頼関係としては最悪の出だしと言えないか。エリスと結託して、今もまだ、何かを企んでいる可能性だってあるだろう」

『……私はアイツに撃たれたのよ。殺されかけたのに、まだ協力関係が続いてるとでも?』

「さあな。殺されかけることすら、計画の一部だったのかもしれない。わかっているのは、お前が賢くて、他人を操ることに長けているということだけだ。宣教者の呼び名通りにな」

『よく言うわ。貴方は、そんな私を打ち破った。狩月局長の言う“史上最悪の天才”でしょうに。でもまあ、そんな貴方に、そう言われるのは悪い気分じゃないけれどね』

「お前ほどの才覚を持った奴なら、容易くオレの寝首をかけるだろう。行動を共にする以上は、信用して良いのか、それだけは見極めておきたい」

『……』

 しばらく、ロベリアからの返事はなかった。だがやがて、明朗な口調で答えた。

『信用して良いわ』

「わかった」

 カナタは、呆気なくそう言った。ロベリアは、それを意外に思う。

『口だけのことを、ずいぶん簡単に信じるじゃない。それとも信じたフリをしてるだけ?』

「お前に話す必要はないな」

『知ってたけど、嫌な奴ね。貴方だけは、いつも私の思い通りにならない』

 ロベリアの声色は、なぜか少し嬉しそうだった。

『フィラデルフィア到着まで、まだ10時間以上あるんでしょ。私と貴方は、仲良く世間話をするような間柄でもないでしょうし。私もしばらく眠ることにするわ。通信を切るわね』

 そう言うと、ロベリアの声は聞こえなくなった。カプセル間の通信がオフラインになったことを示す、赤いランプが点灯している。お互いの姿は見えないため、ロベリアが言葉通りに寝ているのかはわからない。カナタも一眠りしようかと思い、傍らのボマーに尋ねた。

「少し寝ようと思う。明かりを消しても良いか?」

「は、はいです!」

 ボマーはカナタを見ず、赤面したまま肯定した。カナタが照明スイッチを押すと、保温カプセル内の明かりは消え、お互いの姿が見えなくなる。

「あ、あの、ブレイカーのお兄さん」

 唐突に話しかけられ、カナタは傍らのボマーの方を見やる。

 暗闇で顔が見えなくなったおかげで、話しかける勇気が湧いたのだろう。ボマーは続けた。

「今まで、あんまりお話しする機会なかったですけど、高校の人質立てこもり事件の時とか、ロベリアさんが起こした事件の時も、私は裏方で、お兄さんと一緒にお仕事してたですよ」

「そうだったのか」

「は、はいです。お兄さんのこと……ずっと見てきたです」

 ボマーは頬を紅潮させ、カナタの肩に一層、身を寄せる

「お兄さんは、いつもすごかったです。救いなんて見当たらなくても、絶体絶命の状況でも、1人だけ諦めなくて。私たちが考えつきもしない方法で、いつも必ず逆転してきたです」

「ただ運が良かっただけだ」

「そんなことないです。私、頼りにしてるですよ」

「……」

 ボマーは甘えるように、カナタの腕を強く抱きしめてきた。

 何となく、カナタは妹のことを思い出してしまう。

 まだ幼い頃。雷の鳴り響く暗闇の夜に、怖がる妹と身を寄せ合い、ベッドで眠った。その妹は今、向かっている先の国にいる。今よりも「強くなりたい」のだと言っていた。本格的な犯罪心理分析プロファイルを学び、カナタの役に立ちたいのだと告げ、カナタから去って行った。

 今頃どうしているのか。知るよしもないが、ただ、うまくやっていることを願っていた。

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