第一章 第四執行者/The force kind(3)


▼ Day1 15:33 JST ▼


 店のカウンターを勝手に使い、ドクターはコーヒーを淹れていた。熱した黒色の液体をカップへ注ぎ、それを啜って味見しながら、テーブル席の3人へ言った。

「事の経緯は、ここまでに説明した通りだ。秘密裏に接触を図ってきた、米国中央情報局CIA長官からの協力要請に、内閣情報捜査局CIROは応じることにした。今回の任務はCIA主導による極秘作戦。第四執行者フォース・カインド――つまり、ジェイク=カーター元大統領の暗殺。あるいは無力化だ」

 出来上がったコーヒーの味に満足すると、カップを持ってテーブル席へ戻ってくる。

 持ってきたのは、自分の分だけである。

「ブレイカーとボマーは現地工作員として、今夜早速、米国に渡ってもらう。そしてイーグルアイは日本国内に残り、秘密裏に彼等を情報支援する。日本と現地との時差は、14時間ほどあるから、イーグルアイは夜勤有りの変則勤務になるな」

 ドクターから一通りの説明を聞いた3人は、思い思いに黙り込んでしまった。

 カナタは考え込み、ボマーは呆けている。

 一方、イーグルアイは視線を空に泳がせながら、頭を抱えてぼやいた。

「…………来るんじゃなかった」

 半ばヤケクソ気味な心境で、イーグルアイは愚痴る。

「女子会に来たと思ったら、いつの間にか元大統領暗殺作戦に抜擢されていたでござるの巻。ギャグ漫画だって、こんなわけのわからない展開ないわよ。だいたい運動神経ゼロで、休日は引きこもり系ゲーマー女子の私が、スパイ映画の脚本家だってドン引きするような計画に、なんで抜擢されてるのかしら。はっ! まさかこれは夢! 夢なのねそうなのね……!」

「何をブツブツ言っているんだ、イーグルアイ」

 やや心配そうなドクターの視線も気にせず、イーグルアイは現実逃避しようとしている。

 最初にドクターへ尋ねたのは、カナタだった。

「なぜ、CIAがわざわざ、オレたち内閣情報捜査局CIROを頼る必要がある」

「……」

「米国は、様々な面で日本を上回る超大国だ。諜報活動においても、CIAと言えば、名実共に世界最強の諜報機関なんじゃないのか。元大統領暗殺作戦だって、そもそもオレたちの手助けがなくても、単独で成し遂げられそうなものだろう。なのにCIAはわざわざ、遠い島国のオレたちに協力を求めている。オレたちに期待されている役割とは何だ」

 カナタの質問はもっともだった。それを聞いて、ドクターは苦笑する。

「フッ。聞かれると思っていたよ。順を追って説明しよう」

 ドクターは再び、卓上のタブレットを操作し始める。

第四執行者フォース・カインドには、彼に付き従っている有志の一般市民たちがいる。正義執行という理念に共感して感銘を受けたと思わしき連中だよ。ここが実に米国という国らしい事情なわけだが、CIAから提供された情報によれば、第四執行者フォース・カインドに協力しているのは一般市民だけじゃない。どうやら“危険な経歴の連中”も味方に付いているそうだ。判明している限り、注意すべきは3人だと考えている」

 タブレットに表示されたのは、長銃を担いでいる兵装の男である。

 ウェーブした黒髪をボサボサと垂らした、無精ひげの白人だ。気怠そうな顔をした、不健康そうな男で、冷たい目つきをしている。写真を見ただけで、男が放つ不穏な雰囲気は十分に伝わってくる。背景は砂漠だろうか。中東と思われる。

「1人目。アール・レイバース。元海軍特殊部隊、ネイビーシールズ所属だった中尉。中東で数々の秘密作戦に参加し、ビンラディン暗殺部隊にも編成された、選りすぐりの最強戦士だそうだ。偵察、監視、不正規戦。何でもこなす完全兵で、中東では、命を狙われたなら最後、必ず殺されると恐れられていた。通り名は“砂狼”。3年前に素行不良で除隊処分を受けている。今は第四執行者フォース・カインドに従い、過激派市民たちを訓練しているようだ。厄介な敵だよ」

 言いながらドクターは、次の人物の写真も、タブレットに表示する。

 見た目は、まだ少女だった。中東系だろう。長い茶髪に、褐色の肌。覗いた耳には、無数のピアスをしている。タンクトップにジーンズ姿の、ボーイッシュな格好だが、色香がある。

「2人目。ルナ・ドレイク。弱冠19歳にして、米国国家安全保障局NSAの特別外部顧問をしていた天才ハッカーだ。環境活動家でもあり、4年前、得意のハッキングによって、カンザス州の発電所を制御不能状態にして大停電を引き起こした。環境保全活動に協力しなかった電力会社への制裁だったそうだ。第四執行者フォース・カインドへの協力が判明してから、お払い箱になったようだがな」

 話を聞いていたイーグルアイは、苛立って言った。

「ふん。せっかく優れた技術があるくせに、それを使って身勝手に周りへ迷惑かけるような奴を、外部顧問にするなんてね。米国国家安全保障局NSAって、ずいぶんと人材不足なのかしら」

「辛辣だな、イーグルアイ。似た仕事をしている者としては、思うところもあるのか?」

「冗談。私を、こんな奴と一緒にしないでくださいよ」

 イーグルアイのまなざしには、露骨な怒りが潜んでいる。

 そこまで話して、ドクターはタブレットの操作をやめた。

「そして問題となるのが、最後の3人目だ。残念ながら、こいつの写真はない」

 ドクターは告げた。

「国際指名手配犯――エリス」

「!?」

 イーグルアイとボマーは、目を見開き驚く。カナタは逆に、まなざしを鋭く細めた。

「知っての通り、生物兵器テロによって、神奈川県を壊滅させたテロの主犯だ。通称“殺戮の三日”と呼ばれる、日本犯罪史に残る大事件だな。ブレイカーだけでなく、こいつは我々にとって因縁の宿敵と呼べる相手だよ。情報によれば、最近は第四執行者フォース・カインドの陰のブレイン役として、事件の背後で暗躍しているようだ。いまだ、その姿は確認されておらず正体不明だ。だが、CIAが総力で調査した情報だ。まず間違いなく、奴は“いる”だろう」

「……」

「CIAが我々に協力を要請してきた理由は、敵側に、エリスがいると見られるからだ。CIAよりも我々が優れている点。それはエリスに関する情報量の多さだよ。米国側は、エリスという犯罪者について、長年の捜査を続けてきた我々ほどには情報を持っていない。彼等が我々に期待している役割は、“エリスへの対処”だ」

 カナタは嘆息を漏らした。

「……オレたちの役割は、第四執行者フォース・カインドの無力化よりも、その背後にいる、エリスの正体を暴き、捕まえに行くことだな。エリスを無力化できれば、第四執行者フォース・カインドはブレインを失う。そうすれば、CIAは仕事がやりやすくなる。そんなところか」

「そんなところだよ。米国には米国の目的が。我々には我々の目的がある。お互いの利益が一致しているから、ひとまずながら協力しようという話さ。いずれにせよ、今やるべきことは“第四執行者フォース・カインドのテロ攻撃を阻止する”こと。それが、エリスに近づくことにもなる」

「よくわかった」

 カナタは納得した。そこでドクターは嘆息し、付け足す。

「本来、他機関の要請で、国外要人の暗殺に携わるということはしない。そんなことが世間に知られたなら、良くて外交紛争。下手をすれば開戦の火種になりかねないからだ。しかも今回は、元とは言え、米国の大統領暗殺だ。世界最強の軍を有する国の元トップを亡き者にして、それに日本政府機関の関係者が関与したと知られれば、ただでは済まないだろう。だから今件は、僅かの情報漏れも許されない極秘作戦だ。こんな作戦の実行を決断できる政治家や法執行機関は、現在のこの国にはない」

「まあ、そうですよね……。でも、私たちがこうして呼ばれたってことは、結局、この作戦の許可は出たってことなんですよね?」 

「いいや」

「え?」

「この極秘作戦は、日本政府の許可を得ず、秘密裏に遂行される。つまり表向きには“存在しない作戦”であり、内閣情報捜査局CIROの局長も、関知していないことになる」

 妙に回りくどく言うドクター。カナタは、その言わんとすることをハッキリ口にした。

「作戦遂行中、オレたちがどうなっても、内閣情報捜査局CIROは“関知しない”ということだな」

「さすが、ブレイカーは察しが良いな。ようするに君たちは、ジェームス・ボンドだ」

「マジ!? ちょ、ちょっとちょっと! ブレイカーとボマーは、それで良いわけ!?」

 イーグルアイは青ざめた顔で、カナタとボマーの2人を見る。

「どうなっても関知しないってことは、つまりブレイカーたちが米国で捕まったり、殺されたりしても、助けないってことでしょ!」

「ああ、その通りだよ。この作戦が公式に存在しない以上、当然のことながら、彼等は米国に存在しないということになる。はじめから存在しない者を助けることなどできない」

「いくらエリスを捕まえるチャンスだからって、そんなの酷すぎるんじゃないの?!」

 非合法で、非人道的な作戦であっても、内閣情報捜査局CIROという組織は、それを遂行する。法で裁けぬ悪と対決し、倫理や常識に囚われていては敵わない敵を、撃滅するためだ。

 これまでも、警察や司法では太刀打ちできない敵と戦い、成果を上げてきた。

 イーグルアイにとって、それは誇りであり、間違っていることだとは思っていない。

 それでも今は、心底からカナタたちが心配だった。イーグルアイの目は賢明に「断った方が良い」と、カナタに訴えかける。それでもカナタは、表情1つ変えずに答えるのだ。

「だからこそ、オレのような人間を選ぶんだろう」

 淡々と続けた。

「忘れたのか。オレはかつてエリスに踊らされ、神奈川のテロに加担し、100万人を死なせた凶悪犯罪者だ。本来なら死刑囚として処刑されていたはずだ。オレの命に価値がないことは、最高裁判所のお墨付きだろう。今はただ、こういう仕事をするために生かされている」

 カナタは、太平洋上の特殊刑務所に収監されていた、超凶悪犯罪者の1人だ。

 知能指数192。類い希な頭脳を持ちながら、日本犯罪史に残るテロ事件に加担した、犯人の1人として収監されていた。与えられた罰は死刑。だが、その才能を失うことが日本の国益に反すると考えた狩月局長によってスカウトされた。今は内閣情報捜査局CIROの捜査に協力することと引き換えに、一定の自由を与えられる身分である。

 イーグルアイは苦しい思いで、自分の胸元を固く掴む。

 自分のことでもないのに泣き出しそうである。

「た、確かにそういう経緯だったんだけど! あんたの命に価値がないなんて……!」

「オレの命を惜しむ必要はない。平然と切り捨ててくれて構わない」

 そこまで断言するものの、カナタはボマーを横目にしながら、ドクターへ尋ねた。

「オレは個人的にも、エリスに貸しがある。奴にその貸しを返してもらうためなら、危険な目に遭うのも構わない。だが……こんな子供を、オレと同じ危険の中へ送り込むのか?」

「フッ。ボマーの心配か。前々から思っていたが、意外と優しいよな、君は」

 ドクターは苦笑して言った。だが答えたのは、ドクターではなくボマーの方だった。

「大丈夫ですよ、ブレイカーのお兄さん。私もお兄さんと同じで全然“普通じゃない”です」

 ボマーは、いつもの愛くるしい仕草で、カナタを見上げて微笑んだ。

 だがその微笑みの隅に、何か得体の知れない、不気味な気配を潜めている。

「だ、そうだぞ」

 ドクターは肩をすくめた。

「そう言えば、ブレイカーは、あまりボマーと仕事をしたことがなかったな。知らないのも無理はないかもしれないが、こう見えて、彼女は“君たちの護衛”なんだ」

「護衛?」

「ああ。ルークと同じく、彼女はうちの荒事担当の1人だよ。本当なら、こういった作戦には、隠密行動が得意なルークの方を任命したいところだが、知っての通り、彼女は今、米国留学中の緋上リセの警護についている。向こうで彼女たちに会うことはないと思うが、くれぐれも接触するなよ。君たちが渡米していることは、同じ組織の仲間であろうとも秘密だ」

 イーグルアイは、決意した。

「……わかったわ。万が一のことが起きた時、私たちは知らぬ存ぜぬで、あんたたちを助けることはできない。だけどそもそも、その万が一のことが起きなければ良いわけでしょ。そのために私が、あんたたちを日本から情報支援する。任せておきなさい」

イーグルアイは、力強いまなざしをカナタに送る。

 カナタは、ドクターが口にした言葉が気になっていた。

「米国へ行くのは、オレとボマーの2人だけだろう。なら、ボマーはオレ1人の護衛ということになる。それなのに“君たちの護衛役”という言い方は、どういうことだ」

「言い間違いじゃない。今回、渡米してもらうメンバーだが、実は3人目がいる」

「他にもう1人、誰か同行するのか?」

「ああ。最近、局長が新たにスカウトした新メンバーだよ。そろそろ約束の時間かな」

 ドクターは手首の腕時計を見下ろし、言った。

 程良いタイミングで、店の入り口の扉が開いた。涼やかなベルの音と共に、その人物は店内に歩み入る。ハイヒールの足音からして、女だった。

「!?」

 カナタとイーグルアイは驚愕する。

「…………うそ、死んだはずでしょ!?」

「彼女と我々は、因縁があった仲だ。新人だが、今更、紹介する必要はないと思うね」

 吊り目がちで妖美な眼差し。きめ細かい白い肌の頬。以前に会った時とは異なり、長かった黒髪は、ショートに切った様子だった。身体のラインが出にくい、黒のロングコートを着込んでいるが、スタイルの良さは見てわかる。類い希な美貌に恵まれた少女である。

 忘れるはずもない。空港の駐車場で、エリスに撃ち殺されたはずの少女だ。

「彼女は新メンバーの沙耶白ホムラ。コードネームは“宣教者ロベリア”だ」

「よろしく頼むわね」

 カルト教団、黒陽宗の元教祖たる少女は、不敵な微笑を含んで挨拶した。

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