第一章 第四執行者/The force kind(2)


 ▼ Day1 15:00 JST ▼


 東京都某所。繁華街から離れた閑静な小路を、1人の少女が歩いていた。

 ボブショート。吊り目。高校生くらいの年齢で、少し気の強そうな外見をしている。ジャケットにスカート、スニーカーといった服装は、彼女の性格が、洒落っ気よりも実用性を重視していることを表している。ヘッドホンで、お気に入りのアニソンを聴きながら、少女は、自分のスマートフォンの画面を覗きながら歩いていた。

 何度となく地図画面を確認しながら、入り組んだ細い道を進んでいく。車が通れないような細い道に、古びたアパートが建ち並んでいた。道幅が少しだけ広くなると、床屋や駄菓子屋など、小さな個人経営の店が建ち並ぶ通りに出る。そして、前方に目的の店を見つけた。

「うーん……。どうやら、ここっぽいわね」

 純喫茶ムーンライト。

 インターネットの評価サイトに掲載すらされてないような、小さな小さな店である。

「雰囲気は良いけど、ずいぶんと薄暗い店内ね。ちゃんと営業してるのかしら……?」

 覗き込んだ洋風の扉の向こうは、明かりが灯っているように見えない。小さな看板が軒先に出ているのだから、営業はしていると思うのだが、人の気配を感じない。

 恐る恐る、少女は入店してみることにした。

 扉に取り付けられたベルが、涼やかに来客のしらべを響かせる。予想通り、店内は狭い。カウンター席が数席と、テーブル席が2つあるだけだ。店員の姿は見当たらない。

 無人なのかと思いそうになった時、ふとテーブル席に、見覚えのある顔を見つけた。

「あれ? もしかして、アリスちゃん?」

 腰掛けていた幼い少女は、微笑み返してくれた。

 たしか年齢は、まだ11歳くらいだったはずである。スカイブルーの眼差しに、金髪のツインテール。一目瞭然で、外国人の少女だとわかる容姿をしていた。まるで動く西洋人形のように小さくて、愛くるしくて、白のニットカーディガン姿が、よく似合っていた。

「イーグルアイのお姉さん。こんにちは、です」

 アリスから、イーグルアイという厳つい名で呼ばれ、少女は苦笑いする。

 それは、コードネームでの呼び方だ。

 少女の属する内閣情報捜査局CIROとは――日本初の巨大な情報捜査機関である。国内外の反社会的勢力や、他国政権の動向に関する情報を、合法あるいは非合法な手段で集める。そうした諜報活動を主な任務としながらも、警察同様に捜査権も持ち合わせていることが特徴だ。諜報活動と捜査活動の両機能を持っているため、違法行為による犯罪抑止を行うことも可能にしている。言うなれば、日本の闇の警察機関とも呼べるだろう。そのため各方面から恨みを買うことも多く、敵対者に本名を知られれば、個人情報を調べられて、報復を受ける危険性もある。そのため職員たちは、お互いのことをコードネームで呼び合うのが常となっていた。

 職員同士が、お互いのことをよく知らない。

 それが互いの身を守ることに繋がっている。あまり親しくない職員同士になると、本名や経歴も知らないということがよくあるくらい、人間関係が希薄な組織である。だからこそ、互いに本名を知っている関係というのは、ある程度の信頼関係があるということなのだ。

 少女は、顔の前でパタパタと手を振って言った。

「あー。いーいー。仕事中じゃない時は、あの厨二病みたいなコードネーム呼びはいいわよ。アリスちゃんのことボマーって呼ぶのも変な感じだし。本名の、ノエで呼んでちょうだい」

「わかったです、ノエお姉さん!」

 素直なアリスの返事を聞き、ほっこりする。ノエは、アリスの向かい席に座って尋ねた。

「もしかして、アリスちゃんも副局長に呼び出されたの?」

「はいです!」

 アリスは瞳をキラキラさせながら、嬉しそうに言う。

「副局長さんから誘われたです。明日のお休みは、一緒にデザート食べに行こうって。パンケーキの美味しい、可愛い喫茶店を知ってるから、ごちそうしてくれるって言ってたです」

「へえ。じゃあ、この店ってパンケーキ美味しいのかしら。ネットにも情報なかったけど」

「昨日の夜は、楽しみで寝れなかったです!」

「はぁ~~ん、可愛い。このモードのアリスちゃんは、持ち帰って妹にしたいわ」

「ふぇ?」

 うっとりした様子のノエの顔を、アリスは不思議そうに見つめ返した。

「私もアリスちゃんみたいに、昨日の帰りがけに、副局長から前触れなく呼び止められたのよね。いつものぶっきらぼうな口調で、女子会やるぞ~って誘われて来たんだけど……女子って、私とアリスちゃんと副局長? なんかメンバーの年齢が、結構に離れてる気がするわね」

「女子会って、何です?」

「女同士で集まって喋くる会よ」

「それは何か楽しそう、です!」

「にしても、言い出した副局長はまだ来てないみたいだし。この店、営業中なのに店員の1人もいないみたいだし。個人経営店だからって、やる気なさすぎで、どうなってるのかしら」

「ですです」

 2人が不思議そうな顔をしていると、また扉の入店ベルが鳴り、新たな客が来店した。

 現れたのは、少年である。

「……え?」

 その少年をよく知っていたノエは、唖然とした。

 荒々しくカットされた不揃いな黒髪。冷ややかな眼差し。表情に年相応の子供らしさはなく、研ぎたてのナイフのように、ただ鋭く危険なだけの気配を漂わせている。黒のモッズコートを着込んだ、見るからに悪そうな様相の少年である。

 ノエは、胸から頭部に向かい、一気に熱がこみ上げてくるのを感じた。

「なな、なななっ! カナタ君!?」

 途端に呂律が回らない。どういうわけか、自然に頬と耳が熱くなったのだ。

 少年の名は、黒木カナタ。コードネーム、ブレイカー。内閣情報捜査局CIROの同僚である。

「……イーグルアイと、それにボマーか?」

 テーブル席の2人に気付き、カナタは歩み寄ってきた。ノエは慌てて、思わずその場で起立してしまった。その行動の意味がわからず、カナタは怪訝な顔をする。ノエはカナタの目を見ることができず、視線を頭上に泳がせながら、上擦った声で世間話を始めた。

「こ、こんなところで会うなんて、ぐぐ、偶然ね。撃たれた肩の調子は良くなったのかしら」

 カナタは、さらに怪訝な顔で応える。

「かれこれ3ヵ月も前の話だろう。とっくに退院している。それに先週、内閣情報捜査局CIROのオフィスで、お互いに顔を見かけたはずだ。話はしなかったが……気付いてると思っていたが」

「うぐ! と、当然、情報分析官だもの知ってたわ! あはは! そうだったわ! 知ってたのに、私ったら何聞いてるのかしらね!」

「何だか様子が変だぞ。顔も熱っぽく見えるし、体調が悪いのか?」

「そ、そりゃあの、えっとその…………ホントどうしちゃったんだろ」

 それは、ノエ自身でもわからなかった。額の脂汗を拭い、再び腰掛ける。

 夏に起きた、カルト教団のテロ事件。あの事件で、カナタと一悶着があった。不可抗力だったのだろうが、カナタにいきなり抱きしめられたことや、カナタに胸を見られたりしたことが、今も忘れられない。事件以来、職場でカナタを見かける度に、羞恥心と、得たいの知れない感情がこみ上げてきて、まともに面と向かって話すことができなくなってしまっていた。

 いつもは意図的に避けてきたのに、どうして休日に、こんな場所で遭遇してしまうのか。

「よくわからないが、とりあえずオレも座らせてもらうぞ。相席で良いな?」

 顔見知りなのに、わざわざ別席に座るのも変かと思い、カナタも同じテーブル席に腰掛けることにした。様子がおかしいノエの隣を避け、何となくアリスの隣に座る。すると今度は、アリスまでノエ同様に、なんだか気恥ずかしそうに頬を赤らめている。

 アリスはカナタの顔を見ず、コソコソと、テーブル席の隅の方へ移動してしまった。

「…………何なんだ、いったい」

 2人に避けられているようで居心地が悪かったが、カナタはとりあえず、言った。

「それにしても、どうやら副局長に声をかけられたのは、オレだけじゃなかったようだ」

「はあ? ええ! 何それ! じゃあ、カナタ君も女子会に参加するわけ!?」

 素っ頓狂な声を上げて驚くノエに、カナタは首をかしげた。

「何の話だ?」

「何の話って、副局長は、女子会をやろうって、私を誘ってきたのよ?」

「オレは……コーヒー豆を並べてドミノ倒しのコースを作れる奇才の店主がいると聞いたから、それを見せてもらいに来たんだが」

「はあ?! なんじゃそれ! あんた何しに来てんの、純真か!?」

 息を巻いてツッコミを入れてくるノエに気圧され、カナタは黙り込んでしまう。

 またもや扉の入店ベルが鳴り響き、次なる客が来店した。

 理知的な眼差しをメガネの奥に潜めた、大人の女性である。スーツに身を包んだ、キャリアウーマン然とした格好だが、変なガラのマフラーを首に巻いている。スーツの上に羽織っている、いつもの白衣がない分はマシだが、服装のセンスは、相変わらず世間とずれている。

「おお。もう全員、揃っているようだな」

「遅いですよ、副局長! って、休みの日にまでスーツ着てるんですか!」

 彼女こそが、内閣情報捜査局CIRO副局長。コードネームは、ドクターである。

 ヘラヘラと微笑んでいるドクターを力いっぱいに指さし、ノエは尋ねた。

「今日って、女子会なんですよね?!」

「違うです! パンケーキの日、です!」

「コーヒー豆のドミノじゃないのか?」

 アリスとカナタも、思い思いの発言をする。

 3人の話を聞いて思い出したように、ドクターは手を打ってから、悪びれもせず言った。

「おお。そう言えば、昨日の私は、お前たちを呼び出すために、そんな適当なことを言っていたな。我ながら呆れるほどに、胡散臭い誘い文句だ。まあ、どれも嘘だから気にするな」

「う、嘘!?」

 状況からして察しは付いていたが、3人共、絶句してしまう。

「呼び出したのは、もちろん仕事の用件があってのことだ」

 言いながらドクターは、ノエの隣席に腰掛ける。手に提げていたアタッシュケースの中から、タブレットPCを取り出した。それを起動させながら、話を続ける。

「今回の仕事は、かなりのワケありだ。内閣情報捜査局CIROオフィスでは話せない内容でな。ブレイカー、ボマー、イーグルアイの君たち3名。こちらで厳選したメンバーにのみ声をかけ、この店に集まってもらったわけだよ。秘密の話をするためだ」

「秘密の話、です?」

「ああ。本来なら狩月局長から説明すべきことなんだが、さっきも言った通りにワケありだ。局長には、今回の作戦について“関与していない”というアリバイが必要なんだ。だから私たちが今ここでこうしている間、局長は防衛省の会合に参加しているところだよ」

 ドクターの話を聞いていたノエは、力なく肩を落として、嫌そうにぼやいた。

「何だか、聞く前から、聞きたくなくなる感じの前置きですね。しかも仕事の話って……今日は休日なんですけど……」

「まあ、そう固いことを言うなよ。特別手当は出すからさ」

「特別手当!」

「ボマーにも今度、本当に美味いパンケーキを奢るよ」

「パンケーキ!」

 ノエとアリスは、急に機嫌を取り直して目を輝かせる。

 誤魔化されなかったカナタが、口を開いた。

「この店は何なんだ?」

 改めて店内を見渡し、疑問を口にする。

「見たところ、店員もいないし、他に客もいない。普通の店じゃないだろう?」

「察しの通り。表向きは繁盛していない純喫茶。しかして実態は、内閣情報捜査局CIROの工作員が、様々な秘密工作に利用している場所だ。店員がいない店なんだ。うっかり客が入ってきたとしても、呆れて帰って行くさ。情報アクセス権がないブレイカーとボマーには、この場所の詳しいことは話せない。まあ、上級分析官であるイーグルアイなら知ってたんじゃないか?」

 全員の視線が、何となくノエに集まる。ノエは焦った様子で、だが居直る。

「な、何よ、あんたたちのその目は! こんな場所、知らなかったわよ! 上級分析官だからって、日本全国に無数ある拠点の1つ1つを、いちいち憶えてるわけじゃないんだからね!」

「……本題に入ろう。ここから先は、いつも通り、お互いのことはコードネーム呼びだ」

 ドクターは、タブレットPCの中から、目当ての情報を見つけ出す。それを表示させて、テーブル席の真ん中に置いた。そこには、奇妙な格好をした男の写真が表示されていた。

 白頭鷲の仮面をかぶった、白髪の男。

「まずは最初に言っておこう。ブレイカーとボマーには――米国へ渡ってもらう」

 ドクターは不敵に笑んで宣告した。

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