第一章 第四執行者/The force kind(1)
外を出歩くのに、マフラーが必要になる季節だった。
12月の東京。街の景色は、クリスマスのイルミネーションで飾り付けられている。サンタ姿でケーキ予約を呼びかける菓子屋の店員や、年末セールの宣伝を、あちこちで見かけるようになった。人々の気分は、すっかり年の暮れである。
――――歓楽街から、少し外れた立地の洋食レストラン。
名店というわけではないため、客入りは多すぎず、少なすぎずといった具合の店である。
客たちの談笑と、食器の音で賑わう店内。その奥のテーブル席に、1人の老人が腰掛けていた。スーツ姿の老紳士。温和そうな顔をしてはいるが、片目を覆っている眼帯が、見る者に無骨な印象を与えている。
老人は食事を楽しむわけでもなく、席で1人、読みかけの小説を読み耽っているだけだ。冷やかし同然の失礼な行為だったが、店内に、それを気にする者はいない。老人は完全に雰囲気の中に溶け込んで、目立つこともなかった。
ふと、入り口の扉に付いた来客ベルが鳴る。
男客が1人、入店してきたようだ。
新たな客人が訪れたというのに、なぜか店員のもてなしはない。
金髪の外国人だった。長身。痩けた頬。隈のできた下まぶたに、不健康そうな顔つき。分厚いメガネをかけた高齢の男である。男は入り口のコートかけに上着を掛けると、さっさと奥のテーブル席へ向かった。声をかけることもなく、ただ黙って眼帯の老人の向かいに腰掛けた。
「……」
「……」
老人は本を閉じ、読書をやめる。そうして外国人の男へ、微笑みかけて言った。
「――運命は人を幸福にも不幸にもしない。ただその材料と種子とを与えるだけである。はてさて、この出会いはまた、どういった運命なのですかね」
「モンテーニュの引用か。日本人にしては、凝った挨拶だ」
「古今東西のアート集めが趣味だと、お聞きしてはいましたが、ルネサンス期のフランスにも造詣が深いようですねえ。グルーバー長官」
「素晴らしい。私の趣味についての情報まで持つとは、日本の情報機関も成長したものだ」
「天下の
見下された物言いを気にせず、老人は温和に微笑み続けた。
「しかし珍しいこともあるものです。夕食に立ち寄った先で、
「白々しい。ここが
外国人の男、グルーバーは、顔に刻んだシワを険しくさせ、少し不快そうにした。
「いわゆる“業界”と呼ばれる、裏社会と政府との密会に使われている店だろう。よくある秘密の情報交換場所だよ。店員を含め、客の全員が
眼帯の老人、狩月ケイゾウは不敵な笑みを頬の隅に浮かべた。
「さすがは世界最高峰の情報機関です。日本の内情にも、だいぶお詳しいようで。ご推察の通りです。ここでなら、いくらでも秘密の話をしていただいて構いませんよ」
表面上では友好的な会話を交わす2人。だがその実態は、互いに自国の情報機関を率いる者同士なのだ。つけ込まれず、逆につけ入る隙を探る。当然のように探り合いである。
狩月は椅子の背にもたれ、腕組みをして言った。
「さて、率直な感想は“回りくどい”と言ったところですかね」
グルーバーの表情の変化を観察しながら、狩月は説明した。
「表立った外交ルートを通じず、長官が秘密裏に来日する。そんな噂を聞きましたので、情報を集めました。ですが不思議なことに、来日するあなたの目的も、誰に会う予定なのかも不明確でした。最初、あなたの来日というのは、ガセ情報なのかと思ったくらいです」
「……」
「他国の情報機関に米国の動きを掴まれないよう、徹底して隠密行動をしている。しかし例外的に、日本の我々だけが察知できるよう、わざと情報を漏らした。この情報を得られる、限定された立場。日本国内にいる、その誰かにだけ、来日することを伝えたがっていた。つまりあなたは、こっそり私に会いたがっていたわけです。それがわかるのに、少し苦労しました」
「君が賢いことならわかっている。必ず、こちらの意図に気付いてくれると思っていた」
「てっとり早く、直接会いたいのだと、ご連絡いただければ良かったのですが?」
「どんな組織にも他国の内通者がいて、どんな通信方法であっても、聞いている他者が介在している。今の時代とは、そういうものだ。君の組織の、君以外の人間を信じられなかったというだけの話しさ。言いたくはないが、私は旧い人間でね。本当に内密にしたい話しなら、直接会って話す以外に、安全な方法を知らないのさ」
狩月は顎髭をさすった。
「なるほど。外交ルートを使わない。公式な公務記録も残さない。さらには、この島国へ直々に、ご自分から出向いてまで、私に話さなければならない秘密の事情があるわけですか。よほど追い詰められている窮状ですかね?」
「相変わらず、嫌みなくらいに洞察力のある人だな」
「私たちは政治家じゃありません。お互い、社会の暗部を渡り歩く者。聞き心地の良い綺麗事に、何の力もないことを知っているじゃありませんか。単刀直入にいきましょう」
狩月の意見に賛同したのか、グルーバー長官は、黙って懐から、1枚の写真を取り出した。
それをテーブルの上に置き、狩月の目の前へ差し出してくる。
グルーバーは愛想笑いも見せず、重々しい口調で告げた。
「この仮面の男は……自らを“
写真に目を落とす狩月。そこに写っていたのは、奇妙な仮面をかぶった、白髪の男である。
武装した兵士たちに守られ、車に乗り込もうとしている場面を撮影したもののようだ。周りの兵士は、白髪の男の護衛だろう。いずれの護衛も、男同様に、鳥の顔の仮面を付けている。
「……拝見するに、これは
「その通り。我が国の国章にもなっている鳥だよ」
グルーバーは続けた。
「
「仮面のテロリスト、ですか」
狩月は興味深そうに呟くと、写真を懐にしまいこんだ。
「米国を狙う過激な人物とは、昨今の世の中では珍しくないように思いますが?」
「ずいぶんと皮肉な意見だ。しかし残念ながら、その通りではある」
「では、この男は他とは違う、何か特別な相手だということなんですね?」
「……」
誘導尋問されたことに気付き、グルーバーは苦虫を噛む。顔をしかめて応えた。
「この男は、生粋の米国人だ。国外からやって来たテロ分子ではなく、他国の過激派勢力に洗脳され、狂わされたわけでもない。ある日、自らの意思で思い立ち、テロを始めたと言える」
「ふむ。それがわかるということは、この男の経歴について、調べはついているようです」
「……ああ」
グルーバーは肯定し、僅かの間、なぜか口を噤んだ。だが、気を取り直して話を続けた。
「
「悪い金持ちをやっつける。いわゆる義賊的な犯行ということですか」
「人殺しは、人殺しさ。厄介なのは、米国内各地で、彼の行いに共感し、信奉する者が増えているという現実だ。いつしか彼と同じ仮面をかぶり、彼に付き従う一般市民まで現れている」
「ふむ。ではそれが、この写真の男を取り巻く、仮面集団といったところですかね」
グルーバーはスーツの懐からスマートフォンを取り出し、片手でロックを解除する。そうして狩月に差し出して見せた。表示されている画面は、何かの投資サイトのようである。
「……これは?」
「最近、ダークウェブに現れた。言うなれば“犯罪クラウドファンディング”だ」
――クラウドファンディング。
インターネット上に存在する、資金調達場所のことである。個人や企業が、新しい事業や商品のアイディアを投稿すると、それに賛同した人々から、投資や寄付を募ることができるのである。ネット上の人々から、資金集めができるという仕組みになっているサービスだ。
「簡単に言えば、
「米国の国民たちに支援されているテロリストですか。すごい時代ですねえ」
「まったくだ。こうしたこともあって、国民たちの間では“
「なるほど……。たった1人の男によって、大衆が煽動されているわけですか」
狩月は興味深そうに、顎をさすって言った。
「しかし、さっきから聞いていると、とても奇妙なお話です。最近、それだけ派手な事件を立て続けに起こしている凶悪犯罪者だと言うのに、その存在について、
「
大統領令。議会の承認を得なくても行使できる、大統領からの強制的な行政命令のことである。主に、法律で定めることができない困難な事情に対して、発動されることが多い。
ようするに、面倒な手続き無しで発動できる、大統領の強制命令だ。
「国内メディアやSNS運営各社にも、相当な検閲を促している。インターネットの締め上げは完璧でないが、少なくとも国外への情報流出には、細心の注意を払って事に当たっているんだ。
「大統領令の発動とは穏やかではありません。まるで戦時並みの情報統制です」
「我々はすでに、この状況を“米国内戦の危機”と捉えている。これ以上、国内外に彼の信奉者が増えていくようなことがあれば、内戦は現実味を帯びるだろう。我が国は銃社会だ。国民の誰もが銃を持っている。彼等が一斉に暴力的な蜂起に出たのなら、米国政府は壊滅する」
それを聞いた狩月は、懐疑的だった。
「いくら大衆ウケが良いテロリストだからと言って、大げさな反応という気もしますね。たった1人の仮面の男によって、世界最強の政府が壊滅させられるものでしょうか」
「十分にあり得るさ。
グルーバーは、懐からもう1枚の写真を撮りだした。それをテーブルの上に放る。
写っていたのは、白頭鷲の仮面を外した、
「……!?」
狩月は、その顔に見覚えがある。
白髪。老練の顔つき。微かに哀愁を湛えたまなざし。その人物が誰だったのかを思い出す。
さすがの狩月も、驚愕のあまり言葉を失ってしまった。グルーバーは話の核心を告げる。
「
グルーバーは苦々しい表情に冷や汗を浮かべ、狩月へ訴えた。
「我が国は存続の危機にある。だから、この“大統領暗殺”に協力して欲しい」
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