ザ・ブレイカー
兎月山羊/電撃文庫・電撃の新文芸
ザ・ブレイカー 英雄は堕ちて正義を願う(Web書き下ろし)
prologue
11月。
日に日に気温が下がっていくため、カンザス州レノール市の人々は、本格的な冬の訪れを感じ始めていた。農地の多いカンザス州は、ほんの数ヶ月前まで収穫のシーズンだった。広大な小麦畑に、大型のコンバインが入り乱れる。農村だけでなく市街地でも、収穫物を満載した、何台もの巨大トラックが行き来する様子が見られたものだが、最近はもう、そうしたこともない。街はすっかり年の暮れの雰囲気に移り変わっていた。気の早いことに、スーパーにはクリスマスのイルミネーションが飾りつけられていて、商店街は、年末商戦に備えているようだ。
市街の中心部に、市庁舎ビルがあった。
そのビルの前には、市の催し事で利用される、集会広場がある。
今日は、そこに大きな特設ステージが設けられていた。
……まだ昼前だと言うのに、空は薄暗い灰色。
天気はあいにくの曇り空であるにも関わらず、市民たちの多くが、広間に集まってきている。各テレビ局から、カメラマンやレポーターが派遣されており、人々の関心が、そのステージ上の催しに集まっていることは明白だった。市民たちの視線は、先ほどからステージの上。演台のそばに立つ、マイクを持ったレディスーツの黒人女性に注がれている。
彼女は、本日のイベントを取り仕切っている司会進行役だ。
新市長の就任演説――。
その開催の挨拶と、イベントの趣旨を説明し終えた司会者は、聴衆を見渡して言った。
『それでは皆さん、拍手で迎えましょう! この街の新市長、ハンス=サンダース氏です!』
司会者の宣言と共に、聴衆から大きな拍手が起こる。同時に風船が空へ飛び、軽快なバンド演奏が流れ出した。颯爽とステージに上ってきたのは、小太りの白人男性だ。高そうなスーツに身を包んだその男こそ、昨日までの選挙戦を勝ち抜いてきた、レノール市の新たな市長、ハンス=サンダース本人である。
『これはこれは。敬愛すべきレノール市民の皆さん、歓迎ありがとう』
市長は笑みを浮かべ、女性司会者から手渡されたマイクを手に、演台に立つ。
バンド演奏が止むのを待ってから、まずは冗談を口にしてみせた。
『連日にわたる選挙戦のテレビ報道で、私の顔ばかり見てウンザリされてる方々も多いでしょう。ですが、あともう少しだけ、お付き合いいただければ幸いです』
あちこちから微かな笑い声が聞こえてきた。演説の掴みは上々と言ったところだ。
『さて、私は今回の市長選において、大きく2つの公約を掲げてきました。これは私が立候補して以来、変わらずに主張し続けてきたことでもあります』
自信に満ちた笑みを浮かべながら、市長は聴衆を見渡した。
『1つは医療改革。市内病院に最先端の医療設備を積極的に導入し、大都市の病院でしか受けられないような、高度な治療も可能とします。他市や国外からも患者を受け入れ、このレノール史を、国際的な治療シティー化するのです』
まばらな口笛と、歓声の声が聞こえる。聴衆の反応に気を良くして、市長は続けた。
『そしてもう1つは警察改革。半年前に起きた、キム=シンジャー暴行殺害事件のような凶悪犯罪は、2度と起きて良いものではありません。市警の組織体制や装備を見直し、市民の皆さんの安全な生活を死守するのだと、ここにお約束いたしましょう。私は市長として、市民の皆さんから信任された。その信頼に対する責務を果たすため、不屈のリーダーシップと勇気を持って――」
ご機嫌な演説の途中で突如、スピーカーから、耳障りな不協和音が鳴り響く。
耳をつんざく、悲鳴のような高音ノイズはうるさく、人々は一様に顔をしかめた。その音と共に、市長の演説は途切れ、持っていたマイクの反応がなくなった。市長は何事かと、スタッフの方に視線を送る。ステージ裏では、青ざめた音響担当者たちが、慌てて機材の調整をしているところだった。トラブルが起きている様子なのは、見て明らかだ。
間が悪く、ついに小雨が降り始めてしまう。
『――――就任おめでとう、ハンス新市長』
「……?」
突如、スピーカーから聞こえた音声は、市長のものではなかった。
知らない男の声が、いきなり会場に響き渡ったのだ。台本にないことであり、イベントを段取ってきた市職員や市長は、思わず怪訝な顔をしてしまう。
異変はそれだけに留まらなかった。
「……何だ、あいつ等は?」
市長は、さらなる異変に気が付いた。
ステージ上から見下ろしていた、大勢の聴衆たち。その中から歩み出て、ステージに上がってこようとする、ならず者たちの姿があった。その数は1人や2人といった少人数ではない。これまで聴衆に紛れていたのだろう。どこからともなく歩み出てきて、見る見る間に、軽く10名を超える大人数に膨れていく。
見ればいずれも、私服姿の男たちだ。一般人だろうか。いや、どこか様子がおかしい。全員が一様に、奇妙な仮面をつけている。見開かれた鋭い目。鉤のように湾曲した、黄色のくちばし。米国合衆国の国章にもなっている、まるで白頭鷲を模した仮面に見える。
仮面で素顔を隠した男たちだ。
ステージに迫ってくる異様な男たちの気配に圧され、市長は助けを求めるよう、周囲に警官たちの姿を探した。だがどういうことなのか。なぜか、警備にあたっていたはずの警官たちの姿が、忽然と消えている。警察を恐れる必要がない仮面の男たちは、市職員の静止の声など聞く耳持たず、堂々とステージに上がって来る。そうして、演台の市長を取り囲んでいく。
「いったい何のつもりだ! おまえたちは誰なんだ! 警察は何をしている!?」
逃げ道がないその場で、市長は追い詰められたことに気づく。たまらず青ざめた。
焦る市長の言葉に応えたのは、仮面の男たちの1人だ。
代表者らしき風格。ダークロングコート姿の、白髪の男である。
『――――その質問は間違っているよ、市長。彼等が誰かというのは、もはや重要ではない。貴方が尋ねるべきは、ここに集まった彼等が“何を求めているか”だ』
白髪の男の声は、会場のスピーカーから聞こえた。仮面の下にマイクを付けているのだろう。市長の演説に割り込み、自分の声を大衆へ聞かせたかったようだ。
白髪の男は、聴衆からよく見えるよう、市長と対峙する位置で立ち止まった。
『それは金でも名誉でもない。彼等が欲っするのは“公正”、たったそれだけのことだよ』
仮面の男たちは、不気味に黙っていた。
その沈黙が、白髪の男の言葉を、無言で肯定していた。
市長は冷や汗を額に浮かべ、絶句している。それを冷ややかに見つめ、白髪の男は言った。
『今の時代、貧富の差は増していくばかりだ。ほんの一握りの権力者によって、大多数の市民は搾取され、日々の苦しい生活を余儀なくされている。情報化社会の恩恵で、今や、その不公平さは大衆の誰もが知っている。だからこそ、彼等は求めるようになった。不公平の是正。持ちすぎる者と、持たなすぎる者がいなくなる、極めて公平な社会だ』
「お前は、いったい何の話をしているんだ……!」
『市民とは夢想家なのだ。この廃れた社会が、いつか理想の世界になることを夢見ている。そのために希望を託して、この市長選挙に票を投じた。その結果――大企業から汚い金を献金として受け取り、私腹を肥やす、あなたのようなリーダーが生まれたのだとしたら、夢想家たちはどう思うのだろうか』
不正にまみれた男。そのレッテルを貼られた市長は、憤慨する。
「ば、馬鹿なことを! 言いがかりも甚だしいぞ! わ、わ、私を愚弄するのかね!」
市長の口調は、怒りを露わにしながらも、どこか慌てている態度だった。
白髪の男は淡々と、罪状を読み上げるように市長へ告げた。
『公約の治療シティ化とは、市民のための施策ではない。医療機器メーカーと癒着し、彼等から設備を買うことで、あなたが見返りを得る。さらに各地から集まってきた重篤患者の家族から、莫大な治療費を毟り取り、そこからも分け前をかすめ取る。警察改革は、自身の不正をもみ消すために、手なずけた警官たちに権力を持たせるためだ。それが真の全貌だろう?』
「そ、そんなのは君の妄想だろう!! 何を根拠に、公衆の面前で私を侮辱しているのか!」
『残念ながら。我々の正当性を示す根拠なら、さっき動画サイトへアップロードしたよ』
「せ、正当性だと?!」
『これから我々が成すことの正当性さ。罪には罰を。悪には正義を。誰もが知っている』
「き、君はまさか、私に暴力を振るうつもりなのか!?」
白髪の男は曇天を仰ぎ、絶望するように、肩を落として名乗った。
『我が名は――“
仮面の頬が雨に濡れ、泣いているようにも見える。
「貴方のような公然の悪が存在し、闊歩している。国の今の腐敗状況を憂いている。だからこそ私は立ち上がった。ただの愛国者の1人だよ。愚直に正義を追求し、実行するだけのな』
市長を取り囲んでいた仮面の男たちが動き出す。無言で、市長の両腕を拘束し、そのままステージの裏方へ連行して行こうとする。市長は身をよじらせ、必死に反抗した。だが人数と腕力にかなわず、引きずられるように連れ去られていく。
「おい、やめろ! 放せ! 私に近づくな! 私に触るな!」
市長はわめく。それでも仮面の男たちはやめない。
聴衆たちは、唖然と立ち尽くしていたが、その大半は自分のスマホを取り出し、
その場の誰もが、連れ去られていく市長を助けようとしない。
助けを求める有力者を、誰1人として守ろうとしない。
異様な光景ができあがっている。
「どうして! 何で誰も私を助けてくれない! どうしてそんな目で私を見るんだ!」
市民たちの冷め切った視線を恐れ、叫ぶ市長。白髪の男は憐れんでいた。
「やめろ! やめろおおお!」
市長はステージ裏に連れていかれ、その姿は見えなくなる。わめき声は遠くなり、やがて、1発の銃声が轟いた。その銃声が響き渡り、雨音の中に消えていくまでの間、市民たちが言葉を発することはなかった。その銃声が何を意味しているのか、誰もが察していた。
静まり返った市庁舎前広場は、ただ雨音に支配された。
静寂の中、白髪の男はコートの裾をはためかせている。
憤り。あるいは怒りや恐怖。市民たちは、自身の中に渦巻く気持ちを消化しきれず、半ば放心して、白髪の男へ奇異の目を向け続けていた。その異様な注目の中、男は応えた。
『さあ諸君、私と共に戦おう。この国に“真の正義”をもたらすために』
予報外の雨は、その勢力を増して、米国全土へ広がっていこうとしていた。
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