第二十七章 女神コトア

第236話 孤独なお茶会

 少女は王都サンオンの地下深くでお茶を楽しんでいた。

 そこは無機質な石室。命などない。


 完全なる無音の世界……少女の息遣いもお茶の揺れる音もない。

 少女は無の支配者であり体現者。

 その名は、コトア。


 

 コトアはサバランの洋服店で作られた黒と紫が溶け合うゴスロリ服を纏い、洒落たカフェに置いてありそうな丸いウッドテーブルに腰を掛けている。

 そして、羽のついたバームクーヘンを口いっぱいに頬張りながら、ティーカップの水面みなもに映る戦場を瞳に入れた。

 

「もふもふ、笠鷺燎かささぎりょうは無の世界に落ちた。まぁ、おおむね予定通り……でもないか。よし、少し場面を移動しようかな。ど・こ・に・い・こ・う・か・な?」



 コトアの周囲に無数の画面が浮かぶ。

 これは彼女の記憶であり、知識である。


 これらの画面を人の力で称すれば、回想。

 だが、コトアは神である。

 

 神は回想などしない。必要としない。

 なぜならば、神は自由に記憶の場面を覗くことができるからだ。

 

 この事象を人の世の道具で例えるならば、ストリーミング動画のようなものだろうか?

 神は現実世界で起きた場面を任意で簡単に見ることができる。

 さらには、先の世界も……。


 神には過去も未来も現在もなく、同時に存在し、繋がっている。


 そして、神の御業はこれだけでは留まらない。

 そこへ訪れることも可能だ。




 コトアは自分を囲む画面たちを手で回し切り替える。

 その中で、ある場面に目が止まった。


「あ、サシオンがアクタに訪れたときの場面だ。最初に出会った時は高位存在とケンカしてたから、敵対心剥き出しで大変だったっけ。彼は私とドリアードの説得で仲間になった……でもっ」


 少女はぷく~っと、頬をモチのように膨らませる。


「結局、戦艦インフィニティの情報はくれなかったし。あ~あ、あの情報は非常に有用なのに。神を消し去ることのできる兵器。せっかく、誰にも気づかれずにすっごいのが来たのに……でも、惜しいけど、あまり騒ぎ立てると気づかれるしね」


 視線を場面から外し、ちらりと天井を見上げる。


「有の世界の連中が私を監視している。君たちストーカーかよっ……はぁ~あ、やになるなぁ。でも、我慢我慢」


 

 有の世界――つまりは、笠鷺や柳たちが存在する宇宙たち。

 

 それらの宇宙に存在する超越者たちは、無の世界の動向を常に覗いている監視者である。

 その監視者たちは、無の存在である神が有を産むことに一定の警戒を抱いていた。


 無とは、多くの世界がぶつかり合わないための緩衝壁。

 もし、無がければ、有の世界は互いにぶつかり合い、連鎖的ビッグバンを引き起こしてしまう。

 そして、先に在るのは無。

 

 それを防ぐための無の世界。

 そうだというのに、いま、無の世界を管理する神々は無に世界を産もうとしている。


 これは大変危険な行為。

 もちろん、無の神々もそれを理解している。

 だが、一度、有を産む喜びを知った彼らは止まらない。

 

 その先が無であっても……。


 

 有の世界の存在は彼らの行いを良しとしない。

 しかし、無の世界で生まれた世界など、彼らから見ればちっぽけなもの。


 だから彼らは考えた。

 いらない情報を捨てるゴミ捨て場には丁度いいと。

 そこには無の神に対する好奇心も存在していた。

 

 

 それらを理由に、監視だけに留めていた。

 もちろん、無の神々の世界創造が危険領域に達したとなれば、彼らは全力を挙げて無に生まれた世界を破壊するだろう。


 しかし、今までそのようなことは起きたことがない。

 所詮、無で生まれた世界。

 脆く、弱く、まばたきする間もなく消えてなくなる……。



 だが、その中でコトアの世界は非常に強固な世界だった。

 だからこそ、監視の目は集まる。

 もっとも、その目は興味本位。

 他の無の世界と比べ強固とはいえ、有の世界から見れば、やはり脆弱な世界に過ぎない。

 彼らは神であるコトアが子どもの積み木遊びをしている姿を笑っている。


 しかし、その下卑た興味のおかげで、彼女の世界には情報が集まりやすかった。

 時折、有の世界から意図的に情報を投棄してくることがある。

 コトアの反応を見るために……。



 少女はそれを平身低頭で受け入れる。

 そのような憐れな姿を晒しながらも、少女はアクタに大きな興味がないと振る舞う。

 これはあくまでも、有を産む楽しさを知った児戯の延長と見せかけるため。


 あまり世界の構築に力を注ぎすぎると、さすがの有の存在たちも見過ごせなくなるはず。

 肥大化した世界が有に接触する可能性は避けなければならないから……。



 だが、コトアの本音は……。


「マヨマヨ。情報の塊と同時に危険な存在。私を殺して、世界を壊そうとしてる。本当なら放って置けないんだけど、あんまり世界に干渉して思い入れがあると見られるのはまずいしなぁ」



 これは英雄祭襲撃後のサシオンとヤツハの会話だ。


『コトアは基本放任主義。私はアクタの状況が落ち着くまで、ある程度の監視が必要と考えている。でなければ、今回のような襲撃が原因でアクタが滅ぶ可能性がある』


『ああ、なるほど、たしかに……女神様はアクタが滅んでもいいやって思ってんの?』

『そういうわけではないが、彼女にとって迷い人もアクタ人。アクタに生きる者たちが選んだ選択を尊重している、といったところだ』


『それで滅んだら、他の人たちいい迷惑じゃん……』

『全くだ。神とは本質的に、自分たちの世界に固執する傾向にあるが、彼女はかなりの変わり種でほとほと手を焼いている』



 これらは全てサシオンの思い違い。

 いや、コトアが上手くサシオンを騙していると言える。

 そしてそれはサシオンだけではなく、数多の監視者たちも……。


 コトアはアクタを愛している。

 本当ならば放任などしたくはない。

 アクタを滅ぼそうとしている強硬派を放っておくことなどできない。



 だが、あえて放置することで、多くの目たちに自分が世界に大きな興味を抱いていないとアピールしているのだ。

 

 実のところ、彼女は強硬派について、監視者たちの目を誤魔化しつつ押さえようと考えていた。

 その役目を担うのはずだったのが、サダという存在。

 しかし、彼はあまりにも強力な存在のため目立ちすぎる。


 すると、頭を悩ますコトアの前に、サシオンがマヨマヨたちを押さえる役目を買って出た。

 コトアのめいなく自由意思で……。

 幸いのことに彼の知識はずば抜けているが、力はマヨマヨのリーダーと差はあまりない。


 つまり、監視者たちから見れば取るに足らぬ存在というわけだ。

 これらの幸運のおかげで監視者たちの興味を惹くことなく、アクタの力関係は均衡を保てた。


 

「おかげで、私が世界に固執しすぎていないと見られた。だけど、六龍の装備は危なかったなぁ。サシオンったら、馬鹿みたいに威力を上げるんだもん。何とか軽減させたからいいものの、もう少しであの宇宙・・・・の生き残りがいることがバレるところだったし」


 監視者たちは、サシオンが神を殺せる兵器を携えた船ごとアクタに訪れたことを知らない。

 それには大きな理由があった。

 

 サシオンの世界は全存在にとって禁忌である、『運命の力』に触れて無にした。

 それにより、監視者たちはサシオンの世界の全てが無に帰したと判断した。

 だが、サシオンと戦艦インフィニティはアクタへ訪れたことで生き延びていた。

 

 これは偶然。

 監視者たちの目をすり抜けて、彼らに対抗できる情報を持つ船が訪れたのは……。

 コトアはこれらを全力で秘匿とした。

 

 彼女はサシオンと六龍の装備について口論したことがある。

 それは上記の理由。

 サシオンが『運命の力』に触れた宇宙の生き残りと知られたくないためである。



「何とか誤魔化せたのは良いけど……結局、サシオンは情報くれないし。なんだかんだで警戒されてるんだよねぇ」


 椅子に座る少女は不満を表すように床まで届かない足をぶらぶらと揺らし、言葉を続ける。


「ま、私は今の世界で満足している女神コトア。ってことになってるからいいかな。それに結界を修復しているという『嘘』で眠ってるわけだし。にひひっ。そ、今の私は、何もできない神様ってわけ。誰の目からもねっ」



 かつてサシオンはこう言った。

『この世界は情報の断片を積み上げて作った歪な世界。それゆえに非常にもろい。そのためコトアはアクタを結界で覆い守っている』


『アクタに情報が蓄積するにつれて、あちらこちらに綻びが出てきた。現在、コトアは綻びの修復のため、王都の地下で情報の安定に注力している。非常に無防備な状態だ』


 

――これらは女神の『嘘』



「綻びがあるのはたしかだけど、全力で当たるほどじゃないし。でも、注力をしているのは事実だよ、サシオン。もし、予測通り笠鷺が……その時のあの子に対抗するために、私は力を蓄えてるんだもん」


 コトアは場面の中にいるサシオンに微笑む。


「ふふん。神の私が誰かを出し抜くために頭を悩ますなんて。それに予測だって。まるで人間みたい。有の世界の神は私を不完全な神って呼ぶけど、それでよかったのかもしれないな。だって!」


 コトアは両手を広げる。

 すると、石室には無数の光が生まれた。

 これらは全て、情報という名の知識の光。

 彼女は光たちを愛おしそうに見つめる。


「私は学べるんだもの。学習する神。成長する神。見てろよ~、有の連中め。ビックリさせてやるんだから!」



 コトアは椅子からぴょんと飛び降りて、指をパチリと跳ねた。

 すると、暖かなお茶も美味しそうなお菓子も、それらを乗せていたテーブルも消えた。

 これは有を生み、無にかえしたわけではない。

 コトアは有を生めない、虚無の女神。

 

 お茶もお菓子も情報。ただ、その情報を取り出し、片づけただけだ。


 少女を自分の周りを漂う場面を見回す。


「さ~って、場面を移動しようっと。あえて人間風に言うなら、回想かな? 全てはあの少年との出会いから始まった。にひひ、始まりがあるなんて、私、人間っぽいっ」


 コトアは言葉をウサギのように跳ねさせて、場面を移動した。

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