第235話 終焉

 空に浮かぶ、数え切れないマヨマヨたち……。

 その一人一人がアクタ人の能力を超え、中には六龍に次ぐ者、匹敵する者も混じってるだろう。

 

 誰の心にも絶望が広がる。

 地上にいる俺たちは茫然自失と空を見つめ続ける。

 


 その中で唯一、ティラだけは己を失っていなかった。

「全軍、迎撃態勢を取れ! マヨマヨ相手に密集陣は無意味! 散開し、魔導士を中心とした攻撃陣を組め。他の者は魔導士を守れ!」 


 次に六龍へ気勢を上げる。


「クラプフェン! 何を惚けておる!? 貴様は六龍! その筆頭であろう! 今こそ六龍の誉れを見せよっ!」

「は、はっ!!」

「ノアゼット、バスク! 六龍将軍の名を背負うならば、皆にその矜持を見せよ!」

「はっ!」

「わ、わかりましたっ!」


 ティラは次々と皆にめいを走らせる。

 皆はそれが無意味だということをよくわかっている。

 黒騎士との戦いで傷つき、両手には武器を取る力も残っていない。

 だけど、彼女の声は、失いかけている勇気に火を灯す。


 皆は絶望を相手に歯を食いしばり、抵抗を見せようと大地に踏みとどまる。

 空からは、それらを嘲笑う声が降り注ぐ。


 俺は……嘲笑の雨に打たれながら、ゆっくりと瞳を閉ざした。



 閉ざした先に在るのは、知識が眠る世界。

 箪笥の傍に立つ、彼女の名を呼ぶ。

「ウード……」

「なぁ~に~?」


 彼女はねっとりとした言葉を吐き出す。

 今、彼女の顔はどのような顔を見せているのか?

 俺はそれを見る勇気がなくて、顔を伏せ続ける。


(くそ、くそ、くそっ。これしかないのかよっ!)

 戦争を乗り越え、クラプフェンとの戦いを乗り越え、黒騎士との戦いを乗り越えた。

 あと少しだけ、みんなと一緒に居られるはずだった。

 だけど……。


 

 俺は透明な床を見つめながら声を絞り出す。

「ウード……お前なら切り抜けられるのか?」

「もちろんよぉ~。フフ、戦場をうまく乗り越えられて、ここでは私の出番はないかと思った。だけど、予想通り、マヨマヨたちが現れた」


「え?」

「うふふ、私はね、柳からの情報や現状を鑑みて、彼らがこのいくさにちょっかいを掛けてくる可能性が高いと踏んでいたのよ。それがどういう形なのかまではわからなかったけど……まさか、ここまで都合の良い状況で現れるとは、マヨマヨたちには感謝しないと」


「っ!」

 一瞬、怒りが胸を埋め尽くす。

 しかし、すぐにそれを静め、仲間たちを救うための言葉を漏らす。


「ウード。本当に、本当に……お前の力で、あのたくさんのマヨマヨたちを退けることができるのかっ?」

「馬鹿ねぇ~。その答えを聞いてどうするの? あなたにはもう、選択肢が残っていないんだからぁ」

「いいから答えろ、ウード!」


 俺は涙に濡れた顔を上げて、ウードを睨みつけた。

 そこには俺を嗤笑ししょうする、さぞかし醜い笑顔があるだろうと思っていた。

 しかし、あったのは……感情の籠らぬ、淡白なウードの姿。



笠鷺燎かささぎりょう。あなたには私を頼る以外、選択肢はない……でも、私は優しいから、最後にサービスで教えてあげるわ。私ならば、あいつらに勝てる。どう、これで満足?」

「そう。なら、ウード……た……た、」


 俺は右手を前に伸ばしてく。

 その手は震えと涙の架かる景色のせいで、何重にも見える。



――渡したくない……これはいずれ訪れることだった。

 それに対し、これまでもちろん怖さはあった。それについて、割り切っていたつもりでもあった。

 だけど、それをいざ前にすると、悔しさと怖さが身体を震えさせる。


(でも……迷っていたら、みんなが死んじゃう。近藤の時のように……もう、あんな思いはしたくない!)



「ウード。頼む、みんなを助けてくれっ! 俺の、俺のっ、俺の全てをお前に差し出すからっ!!」

「ええっ、助けてあげるわっ!」

「がはっ!?」


 ウードが俺の声に応えた途端、身体全体に巨大な重石が乗っかるような感覚を覚えた。

 重力が何倍にもなったかのように、俺は透明な地面にへばりつく。


「あ、が、うぐぐぐ」 

「ふ~ん、今まで記憶を覗いてきて知っているけど、あなたって本当に凡庸な姿よね。私の生まれ変わりのくせに」

「な、何……これはっ?」

 

 瞳に自身の手が映り込む。

 それはヤツハの手よりも大きい。


「お、おれは、今の俺は、ヤツハじゃなくて、本当の自分の、がはぁっ!」

「苦しい? フフ、苦しいでしょうね。力を失うということは、そういうことよ。でも、大丈夫。すぐに痛みも苦しみも感じなくなるから」


 ウードは俺に小さな笑みを見せて、次に自分の右手を見つめる。

 そして、指先を滑らかに何度も折りながら、何かに納得したような息を漏らした。

「ふむ、想像以上に力を出せそう。だけど、やっぱり雑音が邪魔ね」


 そう言って、こちらへ視線を向けた。

 その視線は冷たくも暖かくもない、何もない視線。



「もはや、塵のような存在のあなたであっても、そこには違和感がある。これは邪魔……ヤツハの心も邪魔だけど、あれは不完全な意思。時を掛ければ、私の中に取り込み溶かすことが可能。でも、完全な意思を持つあなたは違う」


 ウードは少しだけ口角を上げた。

 そして、闇に彩られた絶望を口にする……。


「だから、あなたには消えてもらうことにした」

「な、なにを、言って?」

「笠鷺、あなたはこう考えていたでしょ。たとえ、意識が端に追いやられても、そこに自分がいる限り、乗っ取り返す機会があるはずだって」


「そ、それは」

「フフ、馬鹿ねぇ。そんなこと私が許すと思って? 私はあなたのように甘くない。そして、完璧を追い求める。だから、雑音を消し去り、完全な存在となる」

「消す? 俺を? そ、そんなことどうやって?」


「あら、忘れたの? あなたという魂がどこに捨てられたのかを」


 ウードは翡翠の瞳に紫の光を溶かし込んだ。

 すると、俺の背後に黒い渦が生まれる。



「こ、これは?」

「無へと繋がる亜空間魔法……今は神々のゴミ捨て場、と表現した方がわかりやすいかしら?」 

「ゴ、ゴミ?」

「ウフッ、無は不要なモノを投棄する場所。あの場所ならば、如何なるモノでも捨て去ることが可能のはず」

「それって……お前、まさかっ?」


「そう、そのまさか。私はあなたの魂を切り離し、亜空間へ捨てることにしたの。そうすれば、雑音は無くなる。乗っ取り返されることに怯えなくて済む」

「そ、そんな方法がっ?」


 俺は透明な地面に爪を立て掻き毟る。

 その惨めな様を見つめ、ウードは悦楽の笑い織り交ぜた言葉を吐いた。


「ふふふ、悔しそうね。でも、正直を言えば、あなたがこれに気がつき、私を捨てるんじゃないかとずっと恐れていたのよ。だけど、あなたは私をそれほど脅威と感じていなかった。まぁ、そう思わせていたんだけど……だからこそ、この残酷な考えに至れなかった」

「くそっ」

「うふふ、甘いわね、僕ちゃん」


 ウードはにっこりと柔らかな笑顔を浮かべた。

 しかし、そこには俺に対する思いは微塵もない。

 


 ……俺は後悔する。

 どうして、もっとウードを警戒しなかったのかと。


 俺は顔を捻じ曲げ、彼女の名を呼ぶ。

「ウード、ウード……」

 

「ふふん、安心して。あなたが積み上げてきた信頼。名声。友。仲間。家族……すべて私が貰ってあげるから」

「ウード、ウード、うーどぉぉぉ」

 何故、親し気に会話なんかしてしまったのかと。


「でも、あなたと別れるのは、ちょっとだけ心残りがあるのよ。それはね……」


 ウードは身を屈ませて、目線を俺に合わせ、言った。


「それは、あなたの大切なものが壊れていく様を見せられないこと」

「うぅぅぅどぉぉぉ!」

 俺はこんな奴に心を許したことを激しく後悔する!



「それじゃ、そろそろさよならね。笠鷺燎」

 彼女は俺の右手首を掴み、無理やり引っ張り立ち上がらせる。

 そして、手首を掴んでいる手の平に熱を集め小さな炎を産み、俺の手首を微かに焦がした。


「あつっ」

「熱いでしょ。その熱さ、よ~く覚えておきなさい。そして……」


 ウードは目を見開き、瞳をドス黒く濁らせ、口角を高く醜く捻じ曲げる。

「無の世界で、火達磨ひだるまになった自分を想像しなさいっ」

「え? やめ――」



 トンっと、無造作に体を押された。

 身体は背後にある黒い渦に触れ、あっという間に視界からウードの姿は消えた。




――戦場


 

 空には勝ち誇る、無数のマヨマヨ。

 地上には怯えを纏う、多くの人々。



 その中で、少女は閉じていた瞳をゆっくりと開けた。

 少女の名は、ヤツハ。

 

 しかし、瞳の色には純粋であった黒真珠の輝きはなく、美しくも淀んだ翡翠の色が浮かぶ。


 少女は身の内より、魔力を解き放つ。

 それはかつてあった、黄金に染まる色ではない。

 赤と黒とが混じり合う、穢れた色。


 穢れは炎を形づくり、舞い踊る龍のように少女を包む。


 その力は、師であったエクレルを超え、ジョウハクの誉れたる六龍を超え、地上を這う者を嘲笑していた黒きマヨマヨを超え、たくましき姿となり帰ってきたフォレやアマンを超え、絶対なる存在であった黒騎士をも超える。


 誰もがその姿に驚き、息を止めた。

 少女は……空を見上げ、いつものヤツハのように言葉を産む。


「なぁ、黒いマヨマヨさんよ。俺にはアクタの結界を安全に穿つ、ちょっとした魔法が使える。そこにあんたらの技術が合わされば、故郷へ帰してやれる。だから、全ての者は、俺に…………従え!!」


 



――――誰にも届き得ない力を手に入れた少女の前で、アプフェルは心に声を震わせていた。


(こんなことが起きるなんて……これからどうなるの? 私はいつまで待っていればいいの? フォレ様はあのヤツハの前に立てるの? 愛する女性に剣を向けることができるの? それで本当にみんなを救えるの? そして……ヤツハを救えるの? ねぇ、笠鷺燎かささぎりょう!)

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