第172話 クラプフェンの窮愁

――メプル到着より三日前・琥珀城・牢屋


 

 薄暗く、淀む空気。蝋燭の小さなあかりだけが頼りとなる牢屋。

 壁や床や天井は隙間のない石のパズルでできており、唯一の出口である正面には鉄格子。

 さらには、魔法による強力な結界が張ってある。

 

 その牢に、サシオンはブラウニー暗殺未遂の嫌疑とプラリネ女王殺害の容疑で捕えられていた。

 牢の前にはクラプフェンが立ち、サシオンへ話しかける。



「あなたが我らに危害を加えることができないことは知っていますが、ここまで抵抗らしい抵抗もなく捕まるとは思っていませんでした。念のために東西を護っていた六龍、パスティスとバスクを呼び戻したというのに」

「ノアゼットはくみしていないのか?」


「はい、彼女はこのこと自体を知りません。協力を求めても、彼女はこのような策を許さないでしょうから。正直言えば、あなたを抑えるためにノアゼットの力は欲しかったのですが……全ては杞憂と終わったようですね」


「そうだな。君の言うとおり、私は君たちに危害を加えるわけにはいかないのでな」

「それはコトア様のめいですか? それとも、あなたご自身の規律ですか?」


 声大人しくも、クラプフェンは険しい顔つきでサシオンを睨む。

 瞳に宿るのは怒り……。

 たける怒りの炎を受けるサシオンは、それとは対照的に冷たく言い放つ。


「双方だ」

「っ、そうですか……」

「それで、私の処刑はいつになる? これは如何な理由でも避けられぬのだろう?」

「はい、二日後に」

「随分とくな」

「時が経てば経つほど、あなたへの擁護の声が高まる。それはあなたが一番わかっているでしょう? わざわざ近衛このえ騎士団を王都より遠ざけたあなたがっ」



 クラプフェンの声が跳ねる。

 それは怒りなのか、寂しさなのか、彼自身にもよくわからぬ感情……。

 

 さらに彼はサシオンに向かい、言葉をぶつける。

 荒ぶる心を隠そうとする静かな言葉で……。


「彼らがいれば、必ず抗議の声を上げた。それにより、混乱が生じる。やがてそれは大きな騒動となる。そうなれば、彼らを処断しなくてはならない。さらには、彼らがあなたに与していたという嫌疑をかけられる可能性もあった」


 クラプフェンは慎重に周囲の気配を探る。

 誰もいないことを確認した彼は、言葉を続けた。


「サシオンさん。あなたは初めからこうなることを予測して、近衛騎士団を遠ざけた。そうですね?」

「そのとおりだ。それはお前も初めから気づいていたことだろう」

「ふ、ふふ、ふふふふ、そうですね。おかげさまで何の滞りもなく、あなたを捕らえることができた」


 自嘲するかのような笑いを漏らすクラプフェン。

 彼は大きなため息を吐く。


「はぁ、ブラウニー陛下の命とは言え、かなり無理のある計画。捕らえられるサシオンさんの協力がないと成功しなかったでしょう……何とも馬鹿馬鹿しい茶番っ!」


 鉄格子を叩きつけて、クラプフェンは叫ぶ。

 それはサシオンへの抗議の声。


「茶番……全てが茶番に過ぎない。あなたがアクタここに居る限り、我々は茶番を演じ続けているのと同じ!」


 クワリと瞳を大きく開けて、サシオンを睨む。

 浮かぶ色は憎しみの色。

 その色をサシオンはよく知っている。

 彼もまた……いや、彼らもまた同じ目を神に向けたことがある。


 

 サシオンは無色の感情を籠めて、声を落とす。

「己を超える存在に覗き見られるのは不快だからな」

「ええ、その通りです。問題に対し、我々が議論を重ね、道を探す。だが、あなたは常に正しい道を知っている。我々が誤った道を歩んでも、あなたは声を出さず、ただ見ている。これがどれだけ屈辱的か」 


 アクタに生きる者たちが知恵を出し合い、そして尽くし、答えを得たとしても、サシオンはその先を歩んでいる。

 彼らの議論をサシオンはどう見ているのだろうか?

 

 アクタで誰よりも知を識り、先を見ることのできる彼にとって、クラプフェンたちの行う議論など、幼き者たちのままごと程度にしか見えまい……。


 クラプフェンは右手で左胸を押さえ、心を握り締める。


「それだけではありませんっ。我々が王としてブラウニー陛下、プラリネ女王陛下を崇める姿を、あなたは遥か高みから見下ろしている。あなたが王に見せる立ち振る舞いもまた、心の宿らぬもの!」



 

 サシオンの言葉も行動も、全ては虚像。

 それを知る唯一の者、クラプフェン。

 

 クラプフェンは一歩だけとはいえ、サシオンの場所に立っていた。

 そんな彼は、自分たちが行う全てを、高みの存在から覗き見られていることを知っている。

 

 どんなに知恵を振り絞ろうとも、それはサシオンの知の内。

 もし、誤った答えを出せば、サシオンは少し眉を顰めるだけで口は噤んだまま。

 

 そのような存在を身近に置き続けることに、クラプフェンは心を擦り減らし続けていた。


 さらには……。


「私はあなたとアクタの間に立つ存在。皆が苦しみ、涙を流し、答えを探している。そして、その答えを知る者が私の隣にいる。だが、尋ねることもできずに、あなたと同じように口を噤むこと以外できない!!」


 多くの問題を解決できる。多くを助けることができる。

 そうだというのに、クラプフェンは何も語れない。

 彼と同じアクタに生きる民を救えるのに!



 

 クラプフェンは掴んでいた心を放し、仰ぎ見る。

 そして、無言のまま、無機質な石の天井を見続ける。

 サシオンはできるだけ感情を排し、彼に話しかけた。


「君はブラウニー陛下を選んだというわけか」

「治世であれば、プラリネ女王陛下を支持したでしょう。しかし、時は乱世を迎えようとしています。ブラウニー陛下に懸念あれど、時世を乗り越えられる力があるのは……」


「そうか……ブラン殿下は?」

「琥珀城の礼拝所に眠るプラリネ様のそばで涙しておられます」

「そうではない」

「ええ、わかっています……」


 クラプフェンは視線を天井から床に下ろす。

 そして、小さく一呼吸挟み、サシオンを真っ直ぐと見つめた。


「ブラウニー陛下はご子息方に王位を譲る気はありません。ご自身が唯一無二の王として、ジョウハクに君臨するおつもりです。双子の制度は崩れます」


「では、ブラウニー陛下の御子。オランジェット様とレーチェ様もまた……」

「陛下にとって、自分の身を脅かす危険な存在でしかありません。現状では、プラリネ女王の遺児であられるブラン殿下を最も危険視しております……」



 ブラウニーが二つとない王となる。

 だが、これに反発する者は必ずいる。

 

 その中で最も大きな力を持つプラリネ派は、座して黙することはないだろう。

 黙すれば、場を失う。

 彼らにとってこれは、絶対に受け入れることのできない話。

 

 ならば、彼らはどうするか?

 

 彼らはプラリネの遺児、ブラン=ティラ=トライフルを掲げブラウニーに抵抗を試みるだろう。

 だからこそ、ブラウニーは最も危険なブランを亡き者とする。

 そして、本来、次代の王となるべき実の息子と娘である、オランジェットとレーチェを遠ざけるだろう。



 サシオンは察する。そして……。

「残念だ」

 短い言葉で全てを断ち切った。


 非情なる態度……クラプフェンは拳を握り、それを胸に置く。


「女神コトアだけを見ているあなたは人間をっ――」

 彼は途中で言葉を閉じ、代わりに別の言葉を産む。



「決断を下した私に、サシオンさんを責める資格はありませんね」

「仕方あるまい。これは決断を下す者の原罪」

「原罪? 愚か、というべき行いでしょう」

「かもしれん」


「……最後に、ブラウニー陛下の策をあなたは見抜いていた。しかし、それに抵抗することなく、処刑の道を選んだ……これらはコトア様から何かの指示が?」

「ああ、彼女から撤収命令が降りた。いずれ来るだろうと思っていたが、こうも早くとは思ってもみなかった」


「だから、処刑の名を借り、コトア様の下へお戻りになると」

「そうなるな」

「我らの為すことは、どこまでも茶番というわけですね……」


 冷めきった表情に力の籠らぬ笑顔を乗せる。

 そして、踵を返して、背をサシオンに向けた。


 袂を分かつ背に、アステル近衛騎士団団長としてのサシオンは語りかける。



「団員の処遇はどうなる?」

「彼らを全て処分せよ、という声はありますが、それは私が抑え込みます。ただし、あなたの部下がそれに納得するかまでは責任を持てません」


「そこは仕方あるまい」

「ふふ、あなたが聞きたいのはそこですか?」

 クラプフェンは寂しげな笑みを見せ、振り返る。

 彼の態度にサシオンは疑問の言葉を返した。


「なんだ?」

「本当に聞きたいのはフォレのことでは?」


 フォレの名を聞いて、サシオンの眉がにわかに跳ねた。

 その態度に対して、クラプフェンの笑みはさらに寂しさが増すものの、同時に柔らかな笑みも垣間見れる。


「ふふ、フォレの話をしている時だけは、人間としてのあなたを見ることができますね」

「フッ、最近、近しいことを言われた」


「以前、あなたはフォレの面倒を見てくれと私に頼んだことがありました。それはあなた亡き後、私に彼を宥めさせ、後ろ盾に置き、近衛騎士団の跡を継がせてくれという話でしょう」

「そんな話もしたな。だが、それは忘れてくれ」

「……話したのですね、あなたのことを」

「ああ」


「そうですか。世界の真実を知った彼はどのような反応を?」

「非常に驚いていた。だが、フォレは別のことで頭がいっぱいだったようだ」

「それは?」

「己自身の不甲斐なさと……ふふ、いろいろだ」


 フォレとヤツハの影が横切り、笑いを零す。

 笑いの意味はクラプフェンにはわからなかったが、サシオン亡き後、フォレがブラウニーに仕えることはないということだけは感じ取ることができた。



「フォレはあなたの決別を知っていて?」

「いや、話しておらぬ。話せば、食い止めようとするからな。まだ、そこまで割り切れるほどではないであろう」

「でしょうね」


「フォレはこれについて驚き、怒るかもしれん。だが、あの子は己の歩む道を真っ直ぐ見ている。私がおらずとも、誤ることはないだろう」

「大した信頼です」

「信頼か……ふふふ、そうか。私はフォレを信頼しているのだな」


 まるで初めて気づかされたように、言葉を噛みしめる。

 瞳は優しく、我が子を見つめる目。

 クラプフェンはその目に、嫉妬を覚える。


「そんな目を一度くらい……」

「なんだ?」

「いえ、下らぬ感情です。では、失礼します」

「ああ、達者でな」



 クラプフェンの背中が小さくなっていく。

 遠ざかる足音を耳にしながら、サシオンは思う。


(プラリネ女王はたしかに王としては優しすぎる。だが、愚かな方ではない。万一の備えに、お前たちのシナリオを覆す手をいくつか打ってあるぞ。たとえそれが、か細き道であってもな)


 彼はクラプフェンより瞳を動かし、遥か南を見つめる。

 瞳に映るのはかつての友であり仲間……。


「お前の身は朽ち果てようとしているに、どうやら、もうお前の思いに応えることはできないようだ。黒騎士……いや、ノルマンドよ」

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