第156話 庶民の星
スプリに案内されて、通用門へ向かう。
ちゃんと並んでいた人々は、列から飛び出して兵士に誘導されていく俺たちを眺めつつ何かを囁いている。
その声は嫌でもこちらまで届く。
届くのは不満の声……と、思っていたが途中から声の色は変わる。
「おい、なんだあいつら? 列から離れていくぞ」
「チッ、特別扱いかよ。どうせ、兵士に袖の下でも通したんだろ」
「いや、待て? あの荷台に乗る女……まさかっ?」
「ん、あのガキがどうしたって?」
「おいよく見ろよ。あの女、いや、あの方はヤツハじゃないか?」
「ヤツハ? ええ!? あの黒騎士を渡り合ったというヤツハかよ!?」
声はどよめき揺らぎ、徐々に大きな波となって広がっていく。
「ヤツハだ。あのヤツハだ!」
「マジかよ。うおっ? 噂通り美少女じゃねぇか。黒騎士に勝つような女だから、そんなわけねぇと思ってたのにっ!」
俺は吹き荒れる声たちに怯えて身を屈める。
「な、なんすか、あの人たちは?」
スプリはおっかなびっくりな態度を取る俺と、何故か熱帯びる人々を見ながら、くすりと笑い声を立てる。
「クスッ、シュラク村の一件以降、黒騎士との戦いの話が周辺の村や町に届いてますからね」
「え、マジで?」
「はい。特にヤツハさんは何かしらの名を背負った方ではありません。今や、フォレ様を超える庶民の星ですよ」
「うっそ~。でも、サンシュメにいる間はそんな感じなかったよ~」
いきり立つ声たちに竦み上がる俺に、トルテさんが愉快そうな声を掛けてきた。
「あはは、今は復興のため色んなところから人が集まってるからね。あんたのことをよく知らない人たちが、ここにはいっぱいいるんだろ」
「それでか~、こりゃそのうち宿に押しかけてきそうだな」
「もう、来てたんだよなぁ~」
「え?」
サダさんがへらへら笑いながら俺に顔を向けてきた。
その彼をトルテさんはキッと睨む。
「サダッ」
「おっと、口が滑っちゃったねぇ」
俺は交互に二人を見て、ふと、今朝窓から見た光景を思い出す。
「トルテさん? サダさん? ……あっ」
(もしかして、今朝、宿屋の近くでウロチョロしてた人って)
「トルテさん。まさか、あの視線や歓声から守ってくれていたんですか?」
「ん~、まぁ、そうだね。あんたが療養してるのに、物見高い目で集まる連中がたくさんいてね。東地区の人たち総出で追っ払ってたのさ」
「そんな、ありがとうございます」
「いいよ、これくらい。まったく、サダは。ヤツハに余計な負担をかけさせたくなかったのに」
「いや~、ごめんね。でも、もう、ヤツハちゃんも元気なんだから、いいでしょ?」
「どういう理屈だい。とにかく、ヤツハ。私たちが勝手にやったことだから、気にしちゃダメだよ」
「はい、気にはしませんが、あとでみんなにはお礼を言いたいです」
「ふふ、この子ったら……」
トルテさんは微笑みを零して、俺の名を呼んでいる人々へ視線を投げる。
俺もこそりと荷馬車から顔を覗かせる。
みんなは並び疲れなど吹き飛ばして、こちらに手を振っている。その中には幼い子も混じっている。
俺は口元を緩め、隠していた顔を見せて、立ち上がる。
そして、声に応えるために手を振った。
すると、歓声は巨大なうねりとなって街に響き渡る。
びりびりと皮膚に刺激が
生まれて一度も味わったことのない衝撃。
大勢の人々からの熱い声援。
心と体を熱い何かが貫いていく。
(なにこれ……? 体中の血が、沸騰するような!)
俺はその熱に背中を押されて、声を送ってくれるみんなに思いを返した。
「みんな、大変な時だけど頑張ろう! みんなで力を合わせれば必ず乗り越えられるからっ!」
俺は拳を前に突き出す。
みんなもそれに応え、拳を前に突き出し、山のように大きな声で街を埋め尽くす。
「「「おお~!!」」」
通用門に入るまで俺は手を振り続けて、街のみんなの声に応えた。
そして、門の内部に入ったところで…………荷台の上で転がり悶え打つ。
「ぎゃ~、恥ずかしい。めっちゃ恥ずかしい~!」
突然転がり始める俺を見て、ピケが驚いた様子で声を掛けてくる。
「お、おねえちゃん、どうしたの急に?」
「いや、なに言ってんだろと思って。あまりにも熱い声を掛けられるんで、思わず調子に乗ってしまった~!」
俺は真っ赤な顔を両手で隠して、ひたすら荷台を転がり続ける。
そんな恥ずかしさに悶える小心者に、トルテさんは少し大きめの笑いを漏らす。
「あっはっは、いいじゃないか。みんなの声に応えたって。それだけのことをやってのけたんだから」
「で、でも、みんな頑張ろうって言った奴がちゃんと並びもせずに、優先的に通用門から出られるって、どうなんでしょ?」
「それはみんなが納得済みだからいいだろ。むしろ、それを計算ずくでスプリに声を掛けたエクレルの方が……」
トルテさんがジトっとした視線を向けると、先生は明後日の方向を向く。
俺も転がるのをやめて、先生を睨みつける。
「そういうことですか、せんせ~い!」
「ふふふ、有名は利用しないと」
「ろくでもねぇ。あんた、ろくでもねぇ」
先生を指さして非難する。
だけど、先生はわざとらしく口笛を鳴らして誤魔化す。
荷馬車の傍に立つスプリは、俺たちのじゃれ合いのようなやり取りを見て笑い声を上げる。
「あはは、お変わりないようで安心しました」
「ん、何が?」
「いえ、あの黒騎士と刃を交え打ち勝ち、名声を得たヤツハさんは以前よりも遠い場所に行ってしまわれたと感じていたので」
「そんな場所行かないよ。俺は俺だっての」
「ですが、貴族の間ではあなたを抱えたいという方が多くいます。中には褒美に、爵位付き領地を。と、訴えた方もいらっしゃるとか」
「なにそれ、初耳なんだけど? てか、爵位付き領地って何?」
「領地の中には爵位が付随していることがあり、そこを拝領することで自動的に爵位を得られるんですよ」
「うわ、面倒。いらねっ」
「はは、ご安心ください。サシオン様が代わりにお断りしておりますから。うまく謙遜を交え、なんとか。それでも、かなり無理を押したようですが」
「あ、そうなんだ? 全く、勝手なことを。と、言いたいけど、まぁ、領地とか肩書とか責任が乗っかるのは面倒だから、ありがたいな」
「ヤツハさんらしい。個人的はもったいない話だと思いますが……なので、あまり面倒だなんて口に出さない方がいいですよ。いらぬ妬みを買いますから」
「そっか。たしかにこんなうまい話を蹴ると妬まれるよな。ただでさえ、庶民出の小娘なのに」
黒騎士の一件で有名になり、街のみんなからはあれだけの声援を送られるようになった。
同時に同じくらい面白くなく感じる連中もいるだろう。
それなのに、せっかくの出世話を面倒なんて言ってるのが知れたら、嫉妬の波で死の滝まで流される……。
「あ~、ややこしいことになってるな」
自分の立場が意図しない場所に運ばれしまい、荷台の上でへたり込み、肩から力が抜ける。
その両肩にピケが両手を乗せてきた。
「そうだよ。おねえちゃんに貴族なんて合わないよ」
「ピケ、ありがとう。ピケは俺の一番の理解者だよ」
「うん。だって、お肉を手掴みでムシャムシャ食べてるおねえちゃんが貴族のお嬢さんなんて、ぜったい変だもん」
「え、そ、そこ?」
理解されている場所が妙な場所で戸惑う。
そんな俺を見て、トルテさんやエクレル先生やサダさんやスプリは一様に笑いを漏らす。
スプリは笑いを押さえ、何とか声を出す。
「ぷふ、それでは良い旅を、ぷふふ」
「笑い過ぎだよっ。それじゃ、また後日」
「いえ、しばらくは顔を合わせられないかもしれません」
「え、どうして?」
「サシオン様が東
「そうなの? じゃあ、その間、東地区の治安は?」
「それは各地区の騎士団の協力を得てますので」
「そうなんだ。それにしてもなんでまた、サシオンはみんなに休暇を?」
「それはわかりませんが、噂ではフォレ様が団長になるのではないかと。そのために一度、サシオン様の配下である我々を遠ざけておられるとか」
「フォレが団長に?」
たしかにフォレはサシオンから『アクタ』の秘密を聞いた。
つまり、『アクタ』と『ジョウハク国』に置いて、彼は責任ある立場に座ることを許されたことになる。
いや、それ以上だろうか。
フォレはクラプフェン以外知らぬ、サシオンの秘密を教えられている。
ゆくゆくはさらに上の役職か、コトアに仕えることもあり得るかもしれない。
だけど……。
「フォレは旅に出てるけど、大丈夫なの?」
「お戻りになったら、ということではないでしょうか?」
「もどったらねぇ……だけどさ、スプリ。フォレが団長になる準備で、なんでみんなを遠ざける必要があるの? ないよね?」
「う~ん、それはないとは言えませんね。たしかにまだ、フォレ様の団長の話も噂程度ですが、もし本当だとしたら、我々の中で不満に思い反対する者がいるかもしれません。だから、円滑に席を渡せるように場を整えるため、という可能性も」
「反対者なんているんだ。実はフォレ、団員の中で人気ないの? それとも出自の問題?」
「いえ、どちらでもありません。ただ、我々は『サシオン様』に仕えていたいのですよ」
「ああ、そういうこと。サシオン好かれすぎだろ。因みにスプリは、どうなの?」
「僕ですか? そうですね。フォレ様の方が良いかと」
「サシオンよりも?」
「サシオン様は勘定に厳しいんですよ。フォレ様の方はそこのところ融通が利きますから」
「そこかよっ。経費で何を落とそうとしてんだよ?」
「調査の際の飲み
「せこっ」
「はは、これは半分冗談ですが、下々の痛みを知るフォレ様なら、立派に団長を務めることが可能だと思っています。僕はそんな方を支えてあげたいと願ってます」
「そっか。いつ、あいつが戻ってくるか知らないけど、その時は支えになってやってくれよ」
「もちろんです」
「頼んだよ。それじゃ、またね」
俺たちはスプリに手を振って、通用門からコナサの森へと向かった。
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