第141話 近藤――3-1

――近藤の記憶――


 

 小学三年生の終わりごろ、笠鷺燎かささぎりょうが僕のクラスに転入してきた。

 彼はぶっきらぼうな態度を取りながらも、周囲の人たちと溶け込んでいく。

 影の薄い僕にも声を掛けてくれる、とても優しくて良い人。


 

 同じクラスのまま小学四年生になったある日のこと、僕は一人の女子から掃除をさぼっていたと、責め立てられることになる。

 僕はそれが勘違いであることを説明したかった。

 でも、彼女のあまりの剣幕に押され、何も言い返せなかった。


 そこへ、笠鷺くんが現れた。彼は僕がちゃんと掃除をしていたことを女子に教えてくれた。


――嬉しかった。

 

 女子に怯える僕を周りの人たちがニヤニヤ見つめる中で、彼だけは僕を助けてくれたことが。

 

 僕は勇気を出して、笠鷺くんに『ありがとう』と言葉を出した。

 それはとても小さな声だったけど、彼の耳には届いてくれたようで、コクリと頷いてくれた。


 笠鷺くんは女子へ説明する。

 でも、途中から口論になって、その声は大きく広がっていく。

 やがて、クラスの中心人物だった男子が現れて、彼が笠鷺くんを殴ったところで事態は収束を向かえた。



 でも、その後、クラスの中心人物である男子と女子が揃って、僕にこう話しかけてきた。


『笠鷺が興奮して暴れたってことでいいよな。近藤、お前そう言えよ』


 そんなこと言いたくなかった。

 だけど、僕には勇気がなくて、彼らに従うしかなかった。


 帰りのホームルームで笠鷺くんが吊し上げられる。

 男子は僕に話を振る。


「近藤も迷惑だったんだろ?」

 

 その声を受けて、先生は僕を指名した。 

 僕は席を立ち、笠鷺くんを見た。

 彼は軽くため息をつく。それは安心だったんだろうか?

 だけどぼくは、


「笠鷺くんが勝手に興奮して、迷惑だったのに……」


 僕は彼から目を逸らしつつ、そう発言した。

 笠鷺くんから罵倒される。そう思い、身体を震わせる。

 でも、そんな声は響いてこない。

 ちらりと笠鷺くんを見た。


 彼は感情の一切籠らない淡白な表情で僕を見つめていた……。




 それ以後、僕は笠鷺くんを避けるように学校生活を送るようになる。

 彼はあのホームルーム以降、しばらくはクラスのみんなから仲間外れにされていた。

 だけど、持ち前の性格のおかげで、ひと月ほどで以前と変わらないような雰囲気でみんなと接するようになっていた。


 でも、それは表面だけ。

 笠鷺くんは変わってしまった。


 彼は友達の誘いに全く乗らなくなっていたのだ。

 適当な理由をつけて、誘いを交わす。

 それだけじゃない。

 以前の彼は、誰かが困っていたら、それとなく手を貸していたのに、素知らぬ振りをするようになっていた。


 僕のせいだ。

 僕が裏切ったから……。



 笠鷺くんに謝ろう。

 そう、思った。でも、そんな勇気は僕にはない。

 学年が代わり、笠鷺くんとはクラスが離れてしまった。

 そのため、彼と顔を合わせる機会が少なくなった。

 僕は、それに……安堵した。


 笠鷺くんを見るたびに、心は激しく動揺し、苦しく痛みが走っていた。

 もう、そんな思いをせずに済むことに、安堵してしまったんだ。

 最低な僕……。




 中学に上がり、再び笠鷺くんと同じクラスになった。

 僕はこのままでは駄目だと思い、およそ三年ぶりに彼へ話しかけた。

「あ、あの」

「ん? ごめん、誰?」

「え?」


 笠鷺くんは僕のことを覚えていなかった。

 それは彼にとってちっぽけなことだったから?

 いや、たぶん違う。

 笠鷺くんにとって、忘れたい出来事だったからだ。

 だって、中学生になった彼はより一層、友達と付き合うことを避けるようになっていたから……。



 息が詰まる。

 あの出来事が彼をそこまで追いつめていたなんて。

 僕は今すぐにでも土下座でも何でもすべきっ。

 だけど、漏れ出た言葉は……。


「ひどいな、笠鷺・・は。同じクラスなのに」

「え? ああ、悪い悪い。中学になってまだふた月ちょっとだからな、みんなのこと覚えてないんだわ。ごめんな」


 彼は済まなそうに誤魔化し笑いを漏らす。僕も愛想笑いを浮かべて応えた。

 

 僕は……本当に卑怯だ。

 とっさに、『笠鷺くん』ではなく『笠鷺』と呼び捨てにした。

 僕は『笠鷺くん』と呼んでいた。

 

 笠鷺――これは名前をくん付けで呼ぶことで、彼に僕のことを思い出して欲しくないために出た、最悪の言葉。



 その後、中学の三年間、彼と同じクラスであり続ける。

 その間も彼に謝ろうと試みた。だけど、足を踏み出せずにいた。

 時が経つに連れて、勇気が失われる。いや、始めから勇気なんてなかった。

 謝りたい思いは、罪悪感から逃れたい思いから生まれ出たもの。 

 僕はただただ、卑怯な人間……。


 何もできず、傍で彼を見続ける。

 笠鷺くんは三年間、友達関係を学校内だけで完結させていた。

 あんなにも人付き合いの良かった笠鷺くんが、こんなにも変わってしまうなんてっ。

 僕の行った卑怯な行為が、彼の心をどれだけ傷つけたのだろうか。


 

 中学三年――高校は彼と別々になる。

 もう、時間が残されていない。

 僕はついに、笠鷺くんに話しかけた。あの日のことを謝るために。

 映画を一緒に見に行こうという嘘の口実で、彼を呼び出すことにした。

 そして、人気ひとけのない場所で謝るつもりだった。

 彼が怒って僕を殴ったとしても、彼に迷惑が掛からないように。


 笠鷺くんは誘いを受けたがらず、のらりくらりと交わしていく。でも、これは僕が彼の心を傷つけたせい。

 だから、必死に懇願して、何とか笠鷺くんと一緒に映画に行く約束を取りつけた。


 だけどこれが、僕の最大の過ちだった……。



 深夜のベッド。

 明日、笠鷺くんと出会うことを考えると、緊張して眠れない。

 ようやく眠りについた時には午前四時を回っていた。

 そして、目覚めたのは九時。約束の時間は十時。

 急がないと彼を待たせてしまう。

 慌てて準備をして家を出る。

 

 途中で連絡を取ろうと思い、スマホを取り出した。

 でも、充電をし忘れていて、連絡が取れない。近くに公衆電話もない。

 それ以前に連絡手段は全てスマホの中で、彼の電話番号などわからなかった。


 

 夏の日差しなど跳ね除けて走り続け、ようやく駅前に到着。

 そこで悲鳴が響き渡る。


 僕は驚き、悲鳴が届いた場所へ顔を向ける。

 そこには、笠鷺くんが血だまりの上で倒れている姿があった。

 僕は急いで彼の傍に駆け寄る。

 

「笠鷺!」

 

 名前を呼んでも、目を閉じたままで返事をしてくれない。


「笠鷺! 笠鷺! 笠鷺! 笠鷺くんっ!」

 体を揺らし、何度も何度も名を呼んでも、彼は一向に目を覚まさない。

 ずっとずっと、彼に呼びかけ体を揺らす。

 だけど、返事は何もない。


「ウソ……こんなのって……」


 彼の半身を抱え、呆然と何もない場所を見つめる。

 

 しばらくして、僕は駆けつけた警官に保護される。

 事情を聞かれても、何も答えることができず、細かく息をするのが精一杯だった。



 笠鷺くんは死んだ――これは僕のせいだっ!


 僕が呼び出したから、彼は殺された。僕が殺したも同然だ。

 でも、周囲の人々は違うと言ってくれる。

 悪いのは犯人で、近藤君は悪くないよって。

 笠鷺くんのご両親も、僕にそう言ってくれた。

 

 だから僕は……そう思うことにした……。


 思い込み、自分の罪から逃れる。

 時が経てば、罪の色も薄れるはず。だからその日まで、思い込む。

 僕は悪くない。悪いの犯人。悪いのはあの時の男子と女子……。

 だけど、時が経つに連れて、罪悪感は薄まるどころか深まっていく。

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