第140話 アマン・パティ・アプフェル
――クイニー=アマン
アマンはシュラク村の一件以降、一度ヤツハの見舞いに顔を出し、別れを告げていた。
サシオンから紹介された人物に会うために。
彼女は人間の子ども用の小さな机に向かい、手紙を
「一応、トルタ司令官に手紙を送っておかないと。適当な理由をつけて長期に席を開けてますから、逆毛を立てているでしょうし。本当はさっさと退役して、知を修める魔導の使い手として歩みたいのですが……だからこそ」
ペンを走らせながら、これから会うべき人物に思い馳せる。
(人身売買に関する資料を情報局で集めているときに偶然見つけたファイル。まさかと思いつつも期待を込めてサシオン様に尋ねましたが……伝説のあの方が今もまだご存命とは……)
手紙の途中、彼女はペンを止めて、自分の手を見つめた
真っ黒な毛で覆われた手。そこにはピンクの肉球がちらりと顔を見せている。
「今の私では黒騎士には届きません。もっと、強くならなくては……」
――パティスリー=ピール=フィナンシェ
パティは絢爛な自室で椅子に腰を掛けて、目を閉じている。
そこへ、ノックの音が響いた。
「お嬢様、社交界へのお誘いでザイツ様からお話が」
「お兄様にはしばらく社交界へ、いえ、社交界だけではなく、全ての行事に参加できないとお伝えなさい」
「え? ですが……」
「わたくしが強く、そう申していたと。お兄様もお父様も、無理強いはしないはずです」
「……かしこまりました」
「あ、それと、しばらく我儘をお許しくださいと」
「お嬢様…………しっかりとお伝えしておきます」
使用人の足音が離れていく。
パティは席を立ち、愛用の扇子を広げた。
黒騎士との戦いの傷跡が羽の穂先にある血の染みとして残る。
扇の要となる部分には、魔力を増幅する蒼い魔石が光り揺らめく。
「もっと、真面目に魔導を学ばなくては。武器の向上も視野に。もう、二度と、あのような絶望を味わうことのないように!」
――アプフェル=シュトゥルーデル
アプフェルは学士館の一角にある教員室で、一枚の封筒を教授へ差し出していた。
封筒に記された文字は、休学届。
牛乳瓶の底のような眼鏡をした教授はその文字を目にして、アプフェルへ尋ねる。
「本気ですか?」
「はい」
アプフェルは短い一言で言葉を返した。
しかし、短くとも覚悟の籠る言葉。教授を見つめる瞳にも覚悟の光が宿っている。
理由はどうあれ、教授は彼女を引き留めるべきだろう。
だが、光はそれを無駄だと悟らせるに足るもの……。
「そうですか……あなたが何を考えているかわかりませんが、大切なことなのでしょうね」
「すみません、急にこんなことを」
「いえ、構いませんよ。あなたの歩む道は、あなた自身で切り開くべきですから」
「先生……」
「それで、学士館を離れ、どこへ?」
「故郷のミラへ」
「東にあるライカンスロープの国。その首都、ミラですか?」
「はい。そこで人狼としての私を見つめ直そうと」
アプフェルは己の手をそっと覗き見る。
自分の魔法は黒騎士には届かなかった。
そこで彼女は、魔導以外の道を見出そうと考えた。
人狼族は本来、戦士の一族。
アプフェルは戦士の血の流れる魔法使い。
そこに新たな力のヒントがあると考えたのだ。
教授は眼鏡を軽く上げて、アプフェルへ問いかける。
「まさかと思いますが、魔導の道を諦めるわけではありませんよね?」
「それは……はい、もちろんです」
「そう……それを聞いて安心しました。あなたは私を遥かに超える才能を秘めています。ここで歩みを止めてしまうのはもったいないですからね」
「過分な言葉です。でも、ありがとうございます、先生」
「アプフェルさん、必ず戻ってくるのですよ」
「……はい!」
アプフェルは後ろを振り返り、前へと足を踏み出す。
(ヤツハ。もう、あなたが傷つくような真似はさせないからね!)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます