第十六章 一人一人の思い

第139話 フォレ

 あの日からしばらく時が経ち――



――サシオン執務室


 フォレはサシオンと机を挟み、シュラク村での報告を上げている最中であった。


「シュラク村の被害は甚大。エヌエン関所より物資を送っておりますが、状況は芳しくなく、村の放棄さえ視野に入っています」

「そうか。村の放棄となれば、プラリネ女王陛下への抗議の声は一段と大きくなろうな」


「申し訳ありません。私の力が及ばずにっ」

「何を言う。の黒騎士を追い払い、村の壊滅を救ったのだ。お前は立派に役目をやり遂げた」

「黒騎士を撃退したのは…………ヤツハさんですっ!」


 フォレは両拳を握り締めて、涙を浮かべる。

 口は固く閉じ、漏れ出しそうな嗚咽を無理やり飲み込む。

 しかし、拳は声の代わりにキシキシとむせび泣いている。



 彼は浅い呼吸を繰り返し、震える声を辛うじて形にする。


「私は、情けない。私は、守ることができなかった……」

「フォレ。相手は黒騎士。あまり自分を追い詰めるな」

「そうであってもっ、私は守れなかったっ! 自分が一番、護りたかった人をっ!」


 フォレは大粒の涙を流しながら、サシオンを見つめる。

 そして、彼は心の秘めていた思いの丈を激しく吐露した。


「私はヤツハさんを護りたかったっ。騎士としてではなく、一人の男として! 愛する女性を護りたかった! だけど、私はっ……俺は彼女に護られてしまったっ!!」


 フォレはその場に崩れ落ち、床に何度も拳をぶつける。

 愛する人を守れなかった悔しさ……。

 愛する人から守られてしまった情けなさ……。

 


 彼の心中は嵐のように搔き乱され、嗚咽を漏らし、床を殴る。


「俺は何のために剣を手にしたんだっ! 正義を示すため。弱き人々を助けるため。そして、大切なものを守るためだったはず! だけど…………この手は、何も役に立たなかった……」


 フォレは二つの手の甲をサシオンに向ける。

 厳しい鍛錬によって生まれた厳つい両手。

 血の滲む様な努力の末、生まれたごつごつとした両手。

 しかし、この両手では、彼が掴みたかったものは何一つ掴めなかった……。


 フォレは両手を胸に持っていき、激しく掻き毟る。


「俺はもっと強くなりたいっ。みんなを、ヤツハさんを守れるように!」


 彼は両手を握り、拳で顔を覆う。

 自らの手で愛する者を守れなかった己の悔しさに、肩は震え泣く。

 そんな彼の姿は、サシオンにある日の光景を思い出させる。


(私もユフとニアを守れなった。しかし、悲しみに明け暮れる暇も無く……フォレよ、苦しいだろう。辛いだろう。だが、少しだけお前に物羨ものうらみを感ずる。なぜならば、お前にはまだ守る機会が残されているからだ)



「フォレよ、強くなりたいか?」


 サシオンの語りに、フォレは拳の面を解き、彼を見上げた。

「……はい」

「そうか……しばし、お前にいとまを与える」

「え、それはいったい?」

「ジョウハクより遥か東にある村に、私の知人で剣と魔法の極みに立つお方がいる。その方へお前を預けよう」

「サシオン様?」



「実を言えば、前々からアマン殿に紹介を願いされていたお方なのだが、彼女と共に学ぶといい」

「アマンさんが?」

「フフ、どこで知ったのか。さすがは全てを見る人狼と対なす、全てを聞く人猫じんびょう族といったところか……侮れぬ」


 彼は称賛の声を交えつつも、終わりに警戒を籠める。

 フォレは冷たき刃を秘める声に戦慄走る。

 その様子に気づいたサシオンは深い息と共に、腰を重く椅子に預け、言葉柔らかに話を続けた。

 

 

「人身売買の取り締まりが終えた今も、彼女が王都に残っている理由の一つは、あの方に会いたいがため。本来ならば紹介などするつもりなく、のらりと躱すつもりだったが……事態が急を要してきてな」

「事態?」

 

 問いの言葉に、サシオンは唇を静かに引き締める。

 フォレは聞き出しは及び難いと察し、質問を変える。


「サシオン様。あの方とは……?」


 この問いの言葉に締まった唇はほころんだが、出た言葉はフォレの待つ答えとは遠きもの。


「会えばわかる。さぞ、驚くだろうな、ふふ」


 サシオンは似合わぬ悪戯っぽい笑い声を漏らす。それは普段決して見ることのない彼の姿。

 笑いは明確な答えではなかったが、フォレは一端を感じ取る。


「あの方とは、私が知る人物ですか?」

「そうだ。お前はあの方と直接会ったことはないが……だが、あちらとは会っている」

「ん?」



 奇妙な答えに、フォレは眉を顰めた。

 だが、サシオンは気づかぬ振りを見せて、背後にある窓へチラリと視線を向けた。

 

 表情は曇り、誰の目にも不安を抱えていることがわかる。

 たまらずフォレは口を開き尋ねようとしたが、先んじてサシオンは言葉を被せる。


「そのお方ならば、必ずお前を強くして見せる。不満か?」

「……いえ」

「色々と尋ねたきことはあるだろう。だが、しばし待て。話の終わりに、話せることはしっかりと伝えるつもりだ」

「わかりました。今は首を縦に振っておきます」

 


 フォレは不満を表情にも声にも乗せず、言葉だけに乗せる。

 その嫌味にサシオンは軽い笑いで応える。

「ふ、言うようになったな」

「あなたの下で鍛えられましたから」

「ふふ、本当に……」


 サシオンは瞳の奥に慈しみの光を宿す。

 だが、その光はすぐに消え、代わりに鋭い眼光とともに言葉を生んだ。


「あの方の下で鍛錬を積めば、お前は今よりも強くなる。だが、それだけでは全身に女神の装具を身に纏う黒騎士と剣を交えるのは難しかろう……」


 サシオンは一間置き、言葉を繋げた。


「であるからして、紹介とは別に、女神の黒き装具と対抗できるよう武器を授けよう」

「武器?」


 言葉を終え、サシオンは右手を左へ差し出し、ゆっくりと右へ動かしていく。

 すると、右手に沿って真っ黒な鞘に納まった、緩やかに湾曲する剣が生まれた。

 この不可思議な事象に、フォレは言葉を詰まらせる。



「こ、これはっ?」

「この剣はヤツハ殿に渡すつもりであった、女神の黒き装具を超える武器……いや、兵器。形状は彼女の故郷からとって、太刀……日本刀の形をとっている」

「え、はい? どうして、女神様の装具を? ヤツハさんの故郷? ど、どういうことですっ?」


 理解を超える事象。理解を超える情報。

 二つに事柄にあてられたフォレは混乱を露わとする。

 そんな彼を諭すように、サシオンはこれまでにない優しげな声で彼を包む。


「フォレよ。全てとは言えないが、伝えられることのできる情報は伝えておこう……」



―――――――――――――


 世界の真実の一端に触れたフォレは、身体をふらつかせながら執務室から出ていった。

 一人執務室に残るサシオンは、次に起こるであろう出来事のために、近衛このえ騎士団員のことを考える。


「フォレはこれで良し。あとは念には念を入れ、東近衛騎士団『アステル』に所属する全団員及び家族へ、順次休暇旅行を与えなければ。その間の治安維持は他の近衛騎士団に願いでないとな。ふっ、かなり無理を通すことになるか」


 サシオンは席を立ち、窓の先にある王城を見つめる。


「クラプフェンよ。見逃してくれるな」

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