第九章 駆け抜ける日常

第63話 服の準備

――宿屋『サンシュメ』



 サシオンの屋敷でブラン王女との約束を思い出し、彼女のために服の準備をすることにした。

 子ども服を買う余裕は今の俺にはないので、服のあてとなるのはピケ。

 背格好の近いピケなら、ブランの体にちょうど合うだろう。

 

 宿屋に戻り、早速ピケに話しかける。



「ピケ。実はさ、仕事の依頼でピケくらいの女の子の服が必要なんだよ。一着貸してくんない?」

「いいけど、どんなお仕事なの?」

「えっと、守秘義務があって言えない」

「しゅひ、ぎむ?」


「依頼主が秘密にしてほしい仕事だから、誰にも言わないでってこと」

「あ、そういうこと。うん、服くらいなら別にいいよ~。と~っておきのおめかし用の貸すからね」

「お、それはあんがと。助かるわ~」


 ピケの小さな両手を握って感謝を述べる。

 そこに、聞き慣れた二人の女性の声が届く。


「さてさて、本当に助かったと言えるかな~」

「たしかに、ヤツハさんはピケさんのとっておきの服を知りませんからね」


 近くのテーブル席でお茶を楽しんでいたアプフェルとパティが会話に割り込んできた。

 二人はテーブルの上にノートを広げている。勉強会か?



「なんだよ、お前ら。随分と仲良さげじゃん」

「不本意ながらね。私って、流体魔導学は不得意分野なのよ」

「ええ、アプフェルさんに泣きつかれましてね」

「泣きついてないっ」

「あら、よろしいんですの? そのレポート、明後日が提出日でしょう、ふふふ」

「うぐぐ」


 アプフェルはペンを握りしめながら、しっぽでベチベチ床を叩いている。 

 パティは扇子を広げて、優雅に笑う。

 この二人は喧嘩をするほど仲が良いという言葉をそっくりそのまま体現しているかのような関係だ。



 二人の関係はさておき、国立学士館で有能な成績を修めるアプフェルがパティに勉強を教わるなんて、その勉強はよっぽど難しい内容なんだろうか?


(さっき、流体魔導学は不得意とか言ってたけど、どんな学問だろ?)


 俺は彼女たちが広げているノートを覗き込む……わけのわからない数式塗れ。完全に宇宙人の言語。

 二人はこう見えても天才みたいだ。



「なんか、難しいことやってんなぁ。アプフェル、どんな勉強やってんの?」

「魔力の静止状態や運動状態。また流体中の魔力の運動の研究」


「ん? もっと、噛み砕いて」

「う~ん、単純に言うと、魔力には流れってあるでしょ。それがどう動き、力を加えると、どう変化するのかって話」

「ふむぅ~、よくわからんけど、火球を飛ばしたときに別の火球を……要は別の流れを当てた時の変化か?」


「それだけじゃないけど、う~ん、まぁ、そんな感じ」

「ふ~ん、それっぽいこと、エクレル先生に実戦でやらされてる気がする」

「ああ、そっか。空間魔法は何よりも魔力の操作が大事だからね」


「そうそう。精密操作の練習で先生の魔力の流れを読み取ったり、一呼吸で無数の蝋燭に火をつけたりして練習してるよ。まぁ、おかげさまで低位の魔法くらいなら、緩和して消失できるようになったけど」


「えっ!?」

「今、なんとおっしゃいました!?」

 二人は突然、テーブルから身を半分乗り出してくる。


「えっと、魔法を緩和して消失できるようになったって、言ったんだけど……」


「うそでしょっ。魔法の緩和ってむちゃくちゃ難しいのよ。私でも結構大変なのに」

「わたくしは緩和などできませんが……ヤツハさんは緩和の上、消失を行えるなんて。それは高レベルの魔導師でもできるかどうか」


「そうなんだ……でも、先生はお前たちほど驚いてなかったけどなぁ」

「性格に難はあるけど、エクレル先生は天才中の天才だもんね。だから、あんまり驚かなかったのかも」

「驚かないどころか、いい感じね~って言いながらお尻触ってきたぞ」

「ああ~するする、あの人……はぁ~、なんであんな人が私の……」



 アプフェルは何かを諦めた様子を見せて、両手で顔を覆う。

 彼女の口調から、結構身近な関係っぽい感じが伝わってくる。

 たまに、エクレル先生は学校で指導を行っているらしいから、そのときに個人指導でもされているのだろうか? 

 だとしたら、あのセクハラ地獄を……そうか。成仏しろよ、アプフェル。

 

 

 一方、パティはというと、交互にアプフェルと俺に視線を送り、扇子を閉じて、ため息のような言葉を零していた。


「はぁ、サシオン様に目をかけられるはずですね。ヤツハさんは魔導の天才というわけですか。まったく、アプフェルさんといい、わたくし、自信を無くしますわ」


 どうやら、パティは自分の魔法の腕前には自信を持っていたようだ。

 その自信をアプフェルと俺が砕いてしまった。

 そこにアプフェルが追い打ちをかける。


「パティ、びっくりな情報あげようか」

「なんですか、もったいぶって?」

「ヤツハってさ、魔導を学び始めて、まだ、一か月とちょっとくらいなんだよね」

「……ふふ、いくらなんでもそんな冗談は真に受けられませんわ。僅かひと月程度で、流れの制御のいただきに到達するなんて」



 この言葉に対して、アプフェルは無言でパティを見つめる。

 パティは視線を受けて、俺に顔を向けた。


「本当なんですの?」

「うん、まぁ」

「はぁ~、眩暈がしてきました。こんな馬鹿げた話があるなんて……」

「でしょう、私も何なのこいつって感じするもん。今のところ総合力だと私たちの方が勝ってるけど、一年、下手すれば半年くらいには追い越されそうで、気が気じゃないよね」


「いやいやいや、二人とも。そっちだって、そんときは成長してるだろうし。それに、消失できるのは簡単な流れの魔法だけで、複雑なのはできないし」


「普通は簡単な魔法でも消失は超難易度なの!」

 

 二人はじっとりと睨みつけてくる。

 これ以上、ここにいても居たたまれない。

 すぐ隣ではピケが話の輪に加われず、ピンクのほっぺを膨らませてつまらなそうに立っている。

 よし、ピケをだしに……ではなく、ピケのためにも早くここから離れよう。



「ピケ、服のほう見せてくれ」

「うん、いいよ~。こっちこっち」


 ピケは一階の奥にある自分の部屋へ案内しようと、片手で大きくおいでおいでと誘っている。

 俺は足早にピケの部屋へ向かおうとした。

 するとなぜか、アプフェルとパティが椅子から立ち上がる。


「あれ、二人とも、なにか?」

「服選びに協力してあげる」

「ピケさんのお洒落は、少々過激ですから……」


「過激って……」


 ピケに目を向ける。

 ピケはいつも何の変哲もない町の女の子の格好をしている。いや、どちらかというとそれよりも地味な方。赤毛の髪形だって、二本の三つ編みと普通

 いくらとっておきの服とはいえ、そこまで派手なものじゃないと思うんだけど……。

 なのに、二人はいったい何を心配しているのか?



「お前たち、勉強さぼりたいだけじゃ……?」

「違う!」

「アプフェルさんと一緒にしないでください」

「ちょっと、今のどういう意味?」

「あら、言わなくてはわからないのかしら?」


 二人の間にバチバチと火花が散る。まったく、この二人ときたら。

 二人のやり取りをよそに、ピケが待ちくたびれた様子で声を出す。


「ねぇ~、来ないのぉ?」

「ああ、悪い。ほら、二人とも。来るなら来い」


 二人は互いにフンっと顔を逆方向に向けあう。

 いがみ合うほど仲が悪いわけじゃないけど、面倒くさい関係だ。



 俺はため息を一つ漏らして、ピケのところへ歩いていく。

 後ろから二人も口喧嘩を交えながらついてきた。

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