第38話 アプフェルの依頼

 ――二日後


 

 今日は早朝訓練がないため、朝から賭博場の一件と街で集めた人々の声を報告書にまとめている。

 報告書は明日か午後ぐらいに、サシオンへ提出するつもりだ。

 本当ならさっさと報告した方がいいんだろうけど、かされてもいない仕事をあまり急いで終えると、別の仕事を与えられかねないからね。

 

 報告書をまとめ終え、グ~っと背伸びをする。今日は丸一日仕事がないので、のんびりできる。

 鏡に映るネグリジェ姿のだらしない自分を見ながら、今日は何をしようかと考える。


(う~ん、あんまりお金ないし、今日は安いお菓子を大量購入して、適当な冒険小説を見ながら一日ゴロゴロするか。その前に朝食かなぁ)



 報告書を机の引き出しに仕舞い、欠伸をしながら部屋を出る。

 早朝練習の習慣で朝早く起きるようになったけど、眠気がなくなるわけじゃない。

「ふぁ~あ、やっぱり今日は一日寝て過ごそうかなぁ」


 欠伸を交えながら、今日という休みをいかに充実したものにしようかと考えつつ、一階へ向かった。


 

 

 一階に近づくにつれ、美味しそうな朝食の香りに混じり、それを楽しむ宿泊客の声が聞こえてきた。

 すっかり当たり前になった朝の雰囲気。

 俺は眠そうに目をこすり、頭をぼりぼり掻きながら階段を降りていく。

 一階まで来たところで……ピケから怒られた。


「あ~、またちゃんと手入れしてない。髪の毛ぼさぼさだよっ。服も着替えてないし!」

「いいじゃん、いいじゃん、面倒だし」

「ダメだって。はい、ここに座って」


 促されるままに、空いている席に座る。

 ピケは櫛を取り出して、俺の後ろへ周り、椅子の上に立って髪の毛を梳かしていく。

 俺は長い髪の手入れが面倒で、いつもテキトーな扱いだった。

 しかし、ピケにはそれが我慢ならないみたいで、こうして髪の手入れをしてもらっている。

 もはや、これは朝の習慣と化していた。



「もう~、せっかくまっすぐできれいな黒髪なんだから、ちゃんとお手入れしないと」

「う~ん、そうねぇ。でも、面倒でねぇ~」

「おねえちゃん可愛いのに、なんでちゃんとしないかなぁ。はい、終わったよ」

「お、ありがとさん」


 寝ている間に絡んでいた髪はすっかりほどけて、手を通すと上質な絹のような肌触りを指先に伝えてくる。


「うん、ピケのお手入れは世界一だ」

「まったく、お世辞を言ってもダメだよ。ほんと、私がいないとダメなんだから」



 ピンクのほっぺをぷくっと膨らませて、ピケはちょっぴり怒ったような態度をとっている。


「はは、ピケさんにはいつも感謝してますよ。ありがたや、ありがたや」

「もう~、調子いいんだから。それで、ヤツハおねえちゃん。今日の朝ご飯はどうする? いつもみたいにお肉?」

「うん、肉」

「……朝は軽いものがいいと思うけどなぁ。太るよ」


「別に太っても構わん。好きなものを食べられないくらいなら、俺は大いに太る!」

「はぁ~、おねえちゃんってアプフェルちゃんの言うとおり、ざんねんびじんだね」

「なんだとっ? あいつの言っていることなんか真に受けるな。アプフェルは俺の美しさに嫉妬しているだけだからな」



「誰があんたに嫉妬するか!」



 急に聞こえてきたアプフェルの声に、体はびくりと跳ね上げた。

 慌てて声の飛んできた方向へ体を向ける。

 彼女はお店の奥で、肩からカバンを下げて立っていた。

 いつも手にしている、翠石すいせきをクラウンの金属で封じた杖は見当たらない。


「ア、アプフェル、なんでいるの? いつもお昼か夕方くらいにしか来ないくせに」

「ちょっと、トルテさんに仕事を頼みに来てたのよ。丁度いいわ。あんたが受けなさい」

「ええ~、俺、今日は丸一日休みなんだけど~」

「あ、トルテさん、さっきの依頼の話、ヤツハ受けてくれるって」

「おい、待てって!」


「そうかい、良かったね。指定通りヤツハが受けてくれて」

「な、指定通り!? こ、この~」


 俺の意思を無視して、仕事の話が決定してしまった。

 しかも、会話の流れから見て、初めから俺に受けさせる気だったようだ。

 歯ぎしりを立てながらアプフェルを睨むが、彼女はどこ吹く風といった態度をとっている。

 

 ピケに助けを求めようと視線を送る。

 しかし、「お仕事、頑張ってね」と満面の笑みを返された。

 そうだった。この子は働き者で、仕事をさぼろうとする俺の味方になるはずがなかった。



「ああ~、もう最悪。今日は休みだからゴロゴロする予定だったのに~」

「休みの日にゴロゴロって、あんたねぇ~。休みの日こそ自分を磨く時間なのに。ま、臨時収入と思えばいいんじゃない。簡単な仕事だけど、依頼料はなかなかよ。例の件で懐が寂しいんだから、丁度いいでしょ」


「それに触れるなよ、忘れることにしたのに……お前が頼みに来た仕事ってことは、そのなかなかの依頼料とやらはお前持ち?」

「ううん、学士館持ち」

「じゃあ、学士館からの仕事か。どんな仕事?」


「学士館が管理している時計塔の掃除。ま、時計塔と言っても壊れて使われてないんだけど」

「時計塔のね。だけど、なんでアプフェルが依頼に?」

「時計塔は古代の技術とか未知の技術とかが使われてて、限られた人間しか入られないの。私のようなエリートみたいな」

「まぁ、お前のホラはいいとして」


「ホラじゃない! こう見えても、私は学士館でトップの魔導生なんだからっ。ともかく、私以外で他に入れる人って限られてるの」

「で、エリート様であるお前がひとりで掃除?」

「……本当なら、もう一人いたの。だけど、あの女っ『お~ほっほっ、わたくしにはそのような雑用は向いておりませんわ』とか、言ってぇぇ~」



 アプフェルはお嬢様風の物まねをしたかと思ったら、一気に顔を真っ赤にして目を血走らせる。

 どうやら、相棒だった相手は気位が高く、掃除なんかできるかと逃げ出したようだ。


「なんとなく事情はわかったけどさ。でも、俺が入っていいの? 限られた人間しか入られないんだろ?」

「あんたはエクレル先生の弟子だから大丈夫よ」

「弟子なのか、俺は……言われてみれば、弟子みたいなものか。つまり、エクレル先生の下にいる人間だから、それが保証になっているんだ」


「うん。エクレル先生は稀代の魔導師で、その弟子となれば、魔導生と比べても遜色のない存在だもの」

「え、そんな立ち位置になるの俺は?」

「ええ、魔導生以外でも著名な魔導師の弟子ともなれば、同等かそれ以上の扱いなるよ。それになにより、エクレル先生は学士館に対する貢献度が高く信頼の厚い方だからね。変わり者だけど」


 

 そう言いながら、アプフェルは自分の尻に手をやり、うんざりした表情を見せる。

 あの様子から見て、エクレル先生の洗礼を受けたことがあるみたいだ。


「ふむぅ~、ゴロゴロしたかったんだけど、この前の調査では世話になったし、依頼受けるよ。でも、二人だけで時計塔の掃除って大丈夫か?」

「普段は封印されていて誰も入れないから、中はそんなに汚くないはずだし、大丈夫でしょ。積もった埃をはらう程度だから」

「封印? 魔法的な?」

「うん」

「それでも埃って積もるんだ」


「封印は出入り口だけだから、たぶん他の隙間から埃は入り込むんだと思う」

「ああ、あんまり重要ってわけじゃないのね」

「まぁね。でも、さっきも話したけど、壊れているとはいえ、一応、古代の技術や未知の技術が使われてるからね」

「ふぅ~ん、古代技術かぁ」



 ロマン響く音色、古代技術。

 一体、どんなものだろうか?

 期待に胸膨らむが、アプフェルの様子からして大したものではない感じ。

 それでも、ちょっとワクワクする。


「大体わかった。何時なんじくらいからやる?」

「あんたが朝食終えたらすぐに」

「へ、簡単な仕事なんだろ? そんなに急がなくても」

「仕事は簡単だけど、時計塔はそれなりに広いから時間はかかるし」

「……簡単って言葉は、時間の分も含めて言えよ」



 この調子だと、今日の休みは消えてなくなりそう……最悪だ。

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