第20話 調子のいいアプフェル

 日が沈む前に宿屋サンシュメへ戻ってきて、トルテさんに仕事の報告をする。

 報告を済まし、お腹がペコペコだったのでカウンター席に座り、昼食と夕食を兼ねた食事を注文。

 するとトルテさんは、初仕事の祝いにお代はタダでいいよと言ってくれた。

 お言葉に甘えて、夕食をご馳走してもらう。

 

 

 テーブルの上には、暖かなタダ飯。

 おかげさまで今日の給料はまるまる残る。

(ん、まるまる? あっ!?)

 そこで、風呂代を払ってないことに気づいた。


(どうしよう、風呂代……あれはノアゼットのおごりだ。そういうことにしておこう)

 

 細かな問題はさておき、俺は給料の入った麻袋を開いて、今日の上がりを勘定していく。

 四角の銀貨が一枚。それよりも小さい丸い銀貨が三枚。大きな銅貨が一枚に、二回りくらい小さい銅貨が四枚。

 

 貨幣の価値がわからないので、これがいくらなのかさっぱりだ。

 でも、おばさんは色を付けとくと言ってたから、そこそこのものだろう。

 少なくとも、パンツくらいは買えるだろうから問題ない。



「何してるの?」

 背後から女の子の声が聞こえる。この声はアプフェルのものだ。

 顔だけ後ろに向けて言葉を返す。


「アプフェルか。何、ご飯?」

「まぁね。それで、何してたの?」

「今日の給料を数えてんの。これでパンツ買えるかな?」

「ん? えっと……値段によるけど、やっす~いのなら二十枚くらい買えると思う」


「よかった。明日買いに行くか」

「なんで、下着を?」

「持ってないからだよ」

「あ、それで。着るものは早くそろえた方がいいからね。毎日同じ服着てたら、匂いが……ん? クンクン」


 アプフェルは鼻を鳴らしながら、俺の頭に近づいてくる。


「ネスカのケイパーの香りがする。しかも、この香り。私の使ってるやつよりも、全然香りがいい」

「ネスカのケイパー?」

「コスメショップネスカの洗髪料ケイパー。超有名で人気があって、すんごい高いの」

「マジか、いいもん貰ったなぁ」

 


 と、言いながら、ノアゼットから戴いたシャンプーとコンディショナーの瓶をアプフェルに見せた。

 彼女はそれを見た途端、瓶の一本を強奪する。


「ちょっと、これっ!? ハクソウの森でしか育たない時雨草しぐれそうの花の蜜できた最高級品じゃないっ。どこで手に入れたのっ!?」

「ノアゼットからもらった」

「……はい?」

「六龍将軍ノアゼット=シュー=ヘーゼルからもらったって言ってんだよ」

「なんで、ノアゼット様があんたに……?」


「今日ドブさらいしてさ、めっちゃ汚れたから、ノアゼットの銭湯に行ったんよ。ちょうどそこでノアゼットと出くわして、風呂に誘われたんで、一緒に入ったら、これをくれた」

「え、意味わかんない。なんで、あんたが風呂に誘われるの?」


「風呂に入れなくて、愚痴って諦めたらノアゼットにぶつかってさ、そこで事情話したら、一緒に入るか、的な」

「で、入ったの? 普通、断るでしょ」

「断ったよ、一度は。そしたら兵士の人がノアゼット様の誘いを断るのかって脅すから、じゃあ入るって言ったら、お前マジかよって言われるし、もうわけわかんね」


「はぁ~あ……あんったってぇ~」



 アプフェルは片手で頭を押さえて、天を仰ぎ見、吐くように声を出す。

 そしてそこから、言葉を一気に振り下ろした。


「馬鹿なんだ、すっごい馬鹿なんだ」

「はぁっ!? なんでいきなり馬鹿扱い?」

「馬鹿も馬鹿、大馬鹿じゃないの。何、兵士の言葉を鵜呑みにしてんのっ?」

「は、どういう意味だよ?」


「ノアゼット様が誘うでしょ。ヤツハが断るでしょ。兵士が失礼だぞ、って言うよね。そしたら、地にひれ伏しながら、必死に断るところでしょう! 私ごときがご一緒できません。お許しくださいってっ」

「そう、なの? そっか。ああ、だからあの時……」


 アプフェルの言うとおりなら、誘いに乗った時の兵士の反応がおかしかった理由がわかる。

 兵士はポーズとして誘いを断ってはいけないぞと言ったのに、俺はそれを真に受けてしまった。

 だからあの時、妙な反応を……。『正気か?』と、思われたのか……。



「でも、ま、何もなかったし、めでたしということで」

「何がめでたしよ。話を聞いたこっちが寿命縮んじゃうって。でも、なんであんたなんかを誘ったんだろう? しかも、ケイパーまであげるなんて」

「なんかとはひでぇな。たぶん、何かの気まぐれじゃないのか。ケイパーの方は一度使ったら要らない派っぽかったし」


「なにそれ?」


「開封済みで用なしだ、やる。って、渋い声で言われた。ほら、金持ちでさ、新品を一度使ったら要らないなんて贅沢なやつがいるだろ。それじゃないか?」

「そんなわけないじゃない。あんたが貰ったケイパーはセットで、サン金貨1枚の価値があるんだよ。そんなものを軽々しくあげられないって」


「……サン金貨一枚? ちなみに、いま俺が持ってる給料の何倍くらい?」

「だいたい、四十五倍くらいかな」

「たっかっ。そんなもんをポンと渡すなんて。さっすが将軍さま、お金持ちぃ」

「ノアゼット様は別にお金持ちじゃないよ」

「え、そうなの?」


「もちろん、大貴族で六龍将軍の役目を担っているだけあって、そこらの人たちよりかはお金持ちだけど、貴族の中では慎ましやかの方だし」

「へぇ~」

「あんたが行ってきた浴場だって、結構な無理をして建てたって話だし。その返済のために庶民に開放して、料金を取っているって噂もあるくらいだから」


「苦労してんのかな? でも、それじゃなんで、俺にこんな高級なシャンプーを?」

「知らないよ。私が聞きたいくらい。あんた、何してきたの?」

「普通に風呂に入っただけなんだけどなぁ。しかしまぁ、理由はともかく、この洗髪料はお高いわけだ」


 瓶を見ながら、頬が緩む。中古品だが、中身はまだたっぷり残っていて、あと三十回くらいは使えそうだ。

 どこかに売り払ったら、必要品を購入してもしばらくは働かずに済みそう。

 そう考え、瓶を片手にニヤニヤしていたら、アプフェルのため息が聞こえてきた。



「はぁ~、ヤツハ。もしかして、それ売ろうと考えてないでしょうね」

「え、なんで、わかった?」

「その卑しい顔見れば誰でもわかるよ」

「卑しい言うなっ」

「忠告しとくけど、貴族からの賜りもの。しかも、緋霧ひぎりのノアゼット様からの……売ったら、あんたの血肉は霧になって霧散するよ」

「こっわっ……うう~、そうだね。命あっての物種だし。くそっ、諦めるか」


 

 せっかく、しばらくの間はゴロゴロできると思ったのにがっかりだ。

 しかも、価値を知ってしまった今、もったいなくて使いにくいし、このまま宝の持ち腐れになりそう。


 賜り品の転売は諦めて、食事に戻る。

 アプフェルは隣に座り、トルテさんに食事を注文する。

 それが終えると、俺の方を向いて猫耳をピンっと張り、妙に真面目な顔を見せてきた。



「ヤツハ」

「なんだ、どうした?」

「私とあなたは昨日今日あったばかり。でも、私はあなたのことを大切な友達だと思ってる。ヤツハはどう?」

「え? まぁ、友達なら友達で構わないけど……」

「そう、私とあなたは友達」



 アプフェルは視線を俺の顔から外して、瓶を見る。スレンダーな桃色しっぽはパタパタと揺れている。

 

「お前……わかりやすいなぁ~」

「あのさ、少しでいいから使わせて。お願い!」

「でもなぁ、ノアゼット様からの賜りものだからなぁ。おいそれと人に貸すのもなぁ」

「親友同士じゃない。苦楽を共にしてきた仲。そんな間柄なんだから、ノアゼット様も怒ったりしないはず」


「昨日今日あったばかりと言った口で、苦楽を共にって、調子よすぎるだろ」

「いいじゃん、いいじゃん。お願いっ。本当にちょっとだけでいいから!」

「まぁ、これくらい別にいいけど」

「ほんと!? ありがとう! ヤツハ、大好き!」


 アプフェルは感情の赴くままに、俺をがばりと抱きしめてくる。

 彼女の柔らかさと温かさが伝わり、ちょっとドキリとする。

 

 今、俺は……女になって良かったなと感じている。

 


 しかしっ、俺はこの程度の欲情に流される男ではないし、甘い奴でもないぞ! アプフェル!

 俺は親指と人差し指で丸を作り、アプフェルの目元に持ってくる。


「アプフェル~」

「何?」

「マニー」

「マニ?」

「いくら出す?」


「……はっ? 何よそれ!?」

「何って、こんな貴重な品をタダで貸すわけにいかないだろ。しかも、使えば減るわけだし」

「ちょ、ちょっと、せこい。私たち、親友じゃん」

「親しき中にも礼儀ありってやつだよ。ほら、出すもんだせ」


「く~、汚い汚い。最低っ!」

「そりゃ、お前も同じだよ。シャンプー使いたさに、友達認定したくせに」

「うっ……わかった、いくら?」

「お、本気で出す気か。そうだなぁ」


 

 さて、提示額だけど、お金の種類がわからんので、言いようがない。

 同じ種類の硬貨でも、大きさや形が違うものがある。それらには名称があるだろうけど、俺はまだよく把握していない。

 なので、ここはわかりやすいものを基準にして、あまり欲張らずにしておくか。

 今後の関係を考えるとがめつい真似はできないし。



「一回の使用につき、俺の今日の給料の五分の一」

「え、そんなのでいいの? もうちょっと張り込むかと思ったけど」

「友達価格ってことにしといてやるよ」

「ウソ、ヤツハってお人良し、じゃなかった、良い人ね」

「本音はうまく隠せよ。ほら、預けとくから」

「預けとくって、いいの? 一緒にお風呂に行ったときに貸してくれればいいんだけど」


「別にいいよ。ついでに言うなら、全部使ってくれてもいい」

「ええ~っ? 全部使っちゃったら、めちゃくちゃ安く買ったのと同じなんだけどっ」

「いいよいいよ、俺が持ってても、もったいなくて使えないから。これなら建前上、売ったわけじゃないから、別にいいよな?」

「問題があっても、問題ないことにするから大丈夫!」



 元気よく声を飛ばし、親指を立てて、俺に突きつけてくる。

 こちらでも良い意味で親指を立てる文化があるみたいだ。

 アプフェルはガラスの瓶を両手に抱きしめて、体をソワソワさせながら、半端な歌を歌う。


「ふふん、今日のお風呂は~楽しみ~♪ これは~、友達から借りたもの~♪ だから問題な~い♪」


 上機嫌のアプフェルを見ながら、洗髪料を譲って良かったと感じる。

 俺が持っていても、使わないもの。だったら、誰かに使ってもらった方がいい。

 しかも、こっちは臨時収入のおまけ付き。


 

 今日は朝からドブさらいで鼻の曲がるような思いをしたり、喧嘩を諫めてサシオンと出会ったり、ノアゼットにビビったりと、濃厚な一日だったけど、最終的に気持ちよく終えられて何よりだった。

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