第52話 それだけ


 部屋に唯一ある窓から外を眺めるのが好きだ。


 窓を開けていると冷たい空気が入ってくるけれど、風は自然の香りを運んでくれるから、その冷たさでさえ愛しく感じてしまう。


 ここに来てから陛下が来ない時は、こうやって窓辺に椅子を置いて外の様子を伺いながら本を見ているのが殆どだ。


 それ以外では、時間のある時にエルマに字を教えて貰っている。エルマは余計なことは言わないし、あまり表情を変えないけれど、とても優しい人なんだ。

 きっと、侍女と言う仕事にプライドと責任感を持っていて、だから私につく事になってもそれが仕事だから、職務を全うしようとしているんだと思う。

 

 エルマがいてくれて良かった。私はいつもエルマに助けて貰っている。だからエルマにとって不利になる事は起こさないようにしなくちゃ。



「あ、痛っ!」


「どうしたの?」


「いえ……何でもありません」


「指を切ったの? 血が出てる」


「茶葉の缶に指を引っ掻けてしまっただけです。これくらい何ともありません」



 私の為にお茶の用意をしてくれる時に指を切ったエルマの手をそっと掴む。エルマはそれにビクッとしたけれど、何も言わずに手を避けることもしなかった。


 淡い緑の光をエルマの手に発現させると、その傷はあっという間になくなった。



「え……これは……」


「ふふ、内緒だよ」


「あ、はい……しかしこんな事が……」


「ほら私、特異体質だから。ね?」


「……ありがとうございます」


「これくらい、どうって事ないよ。エルマにはいつも助けて貰っているし」


「それが私の仕事ですので」


「うん。分かってる。それでも私はエルマに救われてるから」


「…………」



 ニッコリ笑って、それからまた外に目をやる。木々が生い茂っている場所を見ると、そこに人がいるのが見えた。

 あれは……



「リーン?!」



 顔までハッキリは分からない。けど、背格好はリーンに似ていて、そのリーンらしき人が私の方を見ている。


 その姿をもっとしっかり確認したくて、窓から身を乗り出すようにしてしまう。


 あれはリーンだ。きっとリーンだ。私を見て、少し前に歩み寄ってくれている。


 あぁ、会いたかった……会いたかった会いたかった会いたかった!


 

「ジル様! それ以上乗り出すと落ちてしまいます!」



 そう言ってエルマは私の腰をガツッと抱き止めた。そうされて初めて私は落ちそうな程となっていたことに気づいた。

 このまま落ちてしまっても良かったのかも知れないな、なんて考えながら、少し冷静になってきた。


 それでもリーンがいる事が信じられなくて、またリーンの姿を確認する。やっぱりあれはリーンだ。私がリーンを見間違える筈なんかない。

 両手を大きく振ると、リーンも私に気づいたのか、大きく手を振ってくれた!


 嬉しい! リーンだ! リーンだ! リーンだ!


 良かった、リーンは無事だった!


 そう思ってから、段々と冷静になってくる。そうだ。リーンと私はもう会っちゃいけないんだ。この事が分かると、またリーンが罰を受けるかも知れない。


 こんなふうに手を振ったりしちゃダメだって思って、すぐにそれを止めた。

 リーンは私の事、分かったの? なんでここにいる事が分かったの? どうして来てくれたの?


 聞きたくて、そばに行きたくてどうしようもないけれど、それが出来る訳がない。ううん、行こうと思えば行ける。私はこの搭から簡単に抜け出す事が出来る。


 窓から飛び降りても、風魔法を使えば怪我とかせずにフンワリ降りる事が出来るから。でもダメなんだ。私がここから逃げ出したら、陛下はここにいる人に罰を与えるかも知れないから。


 カーテンの影に隠れるようにして、でもリーンの姿を見ていたくて、チラリと覗くようにして様子を伺う。


 あぁ、やっぱりリーンだ。光に透けると紫に見える、黒髪に近いあの髪色はリーンだ。着ている外套も知ってる。元気なんだね。元気そうだね。良かった。それが知れただけでも充分だよ。


 

「あの方はご存じの方ですか?」


「うん……一緒に旅をしててね。何度も助けて貰ってね、色んな事を教えて貰ったの。でも……」


「でも、どうされたんですか?」


「ここに来た事が知られると、リーンに被害が及んじゃうかも知れない。私は……リーンから奪う事しか出来ない……」


「ジル様……」


「だから会っちゃいけないの。……会っちゃいけない……」



 リーンの姿が見たい。でもそれはしちゃダメだ。そんな気持ちでカーテンにしがみついて、隙間から僅かにだけ目にリーンの姿を映らせる。

 

 リーンはその場から動かずに、じっとこちらを見ている。その姿に胸が締め付けられてしまう。傍に行きたい。自分の声でちゃんと話したい。また一緒に旅がしたい。


 姿を見てるとそんな事ばかり考えてしまって、その衝動が抑えられそうにない。だけど目を逸らす事が出来ない。

 

 暫くそのままでいて、でも何とか振り切るように後ろを向いた。ギュッて目を閉じて下を向いて、会いたい想いを必死で断ち切ろうとする。


 リーン、もしかして私に会いに来てくれたの?

 それとも身代わりの聖女にまだ会えてなくて、彼女を求めるように来てしまったの?

 

 それならここじゃないよ。もうここにはいないんだよ。違う所に行っちゃったんだよ。


 私をあの聖女だと思ったのかな? 遠目だから分からなかった? 

 そうだよね、私がここにいる事分かる訳ないよね。


 あぁ、でも、リーンの姿が見られて良かった。存在を感じられて良かった。無事と分かっただけで良かった。


 貴方の無事が、今の私の生きる意味だよ。


 私にはそれだけなんだよ……




 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る