第44話 慣らされた生活で
家の中を見渡して、俺は両親に思いを馳せる。
最後に見たのは俺が侯爵家に向かう時で、母さんは泣きながらなかなか俺を離してくれずに抱き締めていて、父さんは何度も元気でなって、頑張るんだぞって言いながら頭をグシャグシャに撫で付けていた。
両親の痕跡と俺の少しの痕跡と、そして地下にいた子の僅かな痕跡があったこの家は、住む者を失ってから静かに佇んでいるだけだった。
辺りをキョロキョロ見渡して、まずは掃除をしないといけない事に考えがいきつく。
まだ玄関先で踞っている彼女の元へ行き、落ち着いたかどうかを確認する。
「どうだ? 落ち着いたか?」
「……泣いている女の子を放っておくなんて、貴方は紳士じゃないわ」
「そう、か……それはすまなかった」
「貴方は知らないと思うけど、私は聖女なの。こんな所にいる存在じゃないの」
「そうか……」
「何かの手違いでこうなってしまったけれど、少ししたらきっと迎えが来るわ。それまではここにいてあげる」
「そうなんだな……」
「だから! 私は聖女なの!」
「え? ……そうだな……そうなんだよな……」
「なんなの?! 私がこの国にいるから皆安心して暮らせていられるのよ! 全部私のお陰なのよ!」
「…………」
聖女だと言う彼女からは、魔力の存在が全く感じられなかった。村から助けだし、俺の馬に乗せた時は、密着すればする程にその魔力は感じられたし、そうでなくても近くにいればそれは感じたのだ。
なのに、今は何も感じない。
これは一体どうした事なのか……
「事の重大さが分かっていないようね。いいわ。そのうち分かると思うから。ねぇ、お腹が空いたの。何か食事を摂らせてちょうだい」
「え?」
「何ビックリした顔をしているの? もう昼過ぎなのよ? 昼食を摂りたいの。用意してと言ってるのよ」
これがあの聖女なのか? まるでどこぞのお姫様だとでも言いたいのか、その態度は幼い頃とは全くかけ離れているように感じた。
「食事よりもまずはここを綺麗に掃除しなくてはならない。見れば分かるだろ? 何ヵ月か放置されてあったから埃がかぶっている」
「そうね。なら掃除してちょうだい」
「……君が住むんだろ?」
「え?」
「ここに君が住むなら、それは君がする事だ」
「私に掃除をしろと言うの?! 私は聖女なのよ!」
「あぁ。分かってる。でも、それとこれとは別の問題だ。自分の住む所くらい、自分で掃除しなくてはな。ほら、俺も手伝ってやるから」
「嫌よ! 何故私がそんな事をしなくちゃならないの!」
「……話にならないな……」
村人だった彼女は、聖女と言われ敬われ持ち上げられ、こんな風になってしまったと言うことか。
しかし曲がりなりにもここは俺の実家なのだ。両親が慎ましく、日々一生懸命働きながら暮らしていた家なのだ。そこに住むと言うのであれば、掃除くらいは一人で出来るようになって貰わないと。
それに、食事も誰かが用意してくれていたのが普通になっていたらしいが、当然のように今も勝手に食事が運ばれてくると思っているようだ。
これはどうしてやれば良いのだろうか……
「今日から君は一人でここで暮らすことになる。と言うことは、全てを自分でしなければならないんだ。それは掃除もそうだし、食事の用意もだ。それに、渡されたお金もすぐに底をつくだろうから、働く事もしていかなければならない」
「何を言ってるの? 私は聖女なのよ? 皆から敬われる存在なのよ? なのに何故そんな事をしなければならないの?」
「けど……あの塔から連れ出されただろ? そしてここに捨て置かれた。もう聖女と言うのは通用しないんだよ」
「なんでよ! 意味が分からないわ!」
「分かろうとしないのなら勝手にしろ。俺は君を聖女にしてしまった責任がある。だから手を貸すことは出来るし、力になりたいと思っていた。しかし君がそんな態度であれば……」
「責任って……なによ?」
「え? だから……あの村に囚われていた君達を助け出し、この王都まで連れてきたのは俺達騎士団なんだ。その時に君に魔力があるのが分かって、俺はそれを上層部に伝えて……だから君はすぐに王城へ連れていかれて聖女とされたんだろう?」
「あの時の?! 貴方、あの時村から助けてくれた人だったの?!」
「そうだ。その時に君の魔力が……」
「魔力? 何の事かしら……」
「……とにかく、俺は君を聖女として囚われた状態にしてしまったと思っていて、だから力になりたいと思っているんだ!」
「よく分からないけど……じゃあ力になってよ。私の傍にいて、私に仕えなさい」
「……それは出来ない。俺には仕事があるからな」
「責任を感じているのならそうすべきじゃないの?! 勝手過ぎるわ!」
「君を一人でも生きていけるように教育する事は出来る。俺が色々教えるから、それを実践していこう」
「嫌よ! そんなの! あぁ、なんでこうも話が通じないのっ?!」
それは俺も感じている。彼女は分かろうとしない。と言うか、分かりたくないんだろう。
しかしこうなった以上、自分で生きていける術を培わなければならないのだ。それの手助けならいくらでもしてやる。
思わずため息が零れてしまう。その時、彼女は何やら俺にしなだれ掛かってきた。そして俺の背中に手を回し、潤んだ瞳で見上げてきた。
「寂しいの。怖いの。不安なの。貴方しか頼れる人はいないの。だからお願い。そんなに突き離そうとしないで……」
「突き離すとか……そう言う訳じゃない……」
「なら傍にいて……一人にしないで……」
「…………」
寂しいのは分かる。不安なのもそうだろう。これからの事を考えると怖くなるのも理解できる。一人が嫌なのも、知らない場所に連れてこられて知り合いもいないのに放置されたら、そう思うのは仕方のない事なんだろう。
だから力にならなければ、とも思う。
が……
俺は彼女の肩を掴んで自分から引き剥がす。こんな事をされても何も感じなかったし、何ならこんな事をされるのが不快と思ってしまったのだ。ハァって無意識にため息が出てしまう。
「力にはなる。だが、君の言うことを何でも聞くのとは違う。俺は君の従者でも何でもない。それは分かって欲しい」
「……分かったわ……」
腑に落ちない顔をしているが、仕方なく彼女は了承した。
何不自由ない生活だったのだろう。彼女を見ていたらそれは嫌でも分かってしまう。それでも、自分でやっていくしかないのだ。自分で生きていかなければいけないのだ。
ジルはこんな時、出来ずとも何とか自分でやろうと奮闘していた。手先は不器用だったけれど、諦めずに何度も挑戦して、少しずつ出来ることを増やしていってた。
その度に嬉しそうに俺に笑いかけてくれて、だから俺はもっと力になってやりたい、傍にいたいと思うようになったんだ。
……いや……他の誰かと比べてはいけないな。
彼女は彼女なりに頑張ってきたのかも知れない。だから彼女の意見も尊重してあげないと。
そうは分かっていても、受け入れがたく思ってしまう自分がいる。
今回の事で、焦がれた聖女は俺が勝手に作り上げた虚像だったと知ることになったのだった。
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