第36話 月夜の思い出


 鞭で打たれた。


 何度も切りつけられ、それがどう回復していくのかを笑いながら観察された。


 武器も与えられずに恐ろしい魔物と無理矢理に対峙させられた。


 炎に全身燃やされても、誰も助けてくれなかった。


 脚を、腕を奪われた。


 罵られ、汚いと蔑まれ、汚物を見るような目を向けられた。


 殴られ蹴られ虐げられた……


 

 それが走馬灯のように脳裏に巡る。


 怖い……怖い怖い怖いっ! 

 また捕まったら同じ様にいたぶられ、なじられる! 薄暗くて陽の光の届かない場所で、誰の手も届かない場所で、今度は私から何を奪うって言うの?!


 リーンの腕を掴んだまま、早くこの場を離れたくて、何とか足早に進んでいく。

 だけどあまりに急いだせいか、足に足をぶつけて転んでしまった。


 両手両膝を地面につけたまま、私は恐ろしい記憶に支配されていく。

 

 誰も助けてなんかくれない。痛くても怖くても、ただそこで耐えるしかない。涙を拭う事も動く事も出来なくなって、ただ絶望の中に身を置く事しかできなくなっていく……


 

「どうした? 何処か打ったのか?」


「大、丈夫……」



 リーンの声を聞いてハッとして、だけど恐怖心はまだ全身を覆っているようで、私はそこから動けずにいた。

 

 私を気遣うようにして様子を伺っていたリーンだけど、いつまでも動かない私を見て脇を支えて立ち上がらせてくれた。

 そうして貰っても、脚に力が入らなくて歩く事すら忘れてしまったように動けなくなってしまった。


 あ、れ……魔力って、どうやって脚に這わせるんだっけ? どうやって歩くんだっけ?


 気持ちが焦れば焦る程に体が動かなくなってしまって、その場で佇むしかできない。早く帰りたいのに。自分の身を隠したいのに……!


 そんな私の様子を見て、リーンは肩を支えてくれた。そうして貰ってやっと落ち着きを取り戻していって、ゆっくりだけど歩くことができたんだ。


 宿屋に戻ってきて、暫く一人にしてもらう。さっきまで気づかなかったけれど、装着部分がかなり擦れていて出血が酷かった。こんな状態になっても気づかない位、私は気が動転していたのか……だから余計に歩き辛かったのかな……


 義足を外してから脚が治るように念じると、負傷した部分に淡く緑の光が包んでいき、傷はみるみるうちに治っていく。義足を着けなおすと、問題なく歩くことができた。良かった。

 服も浄化させて綺麗にしておいた。


 それでもさっきの事が頭にあって、まだ恐怖心は拭えなくて、でもそれをリーンに言うわけにもいかなくて、ベッドで一人、布団を掴んで身を丸くして震えるしか出来ずにいた。

 

 涙が知らずに溢れてくる。


 さっきまで楽しかったのに。さっきまで幸せを感じていられたのに。


 私と一緒にいたらリーンも追われる身となってしまう。いや、もうなっているのかも知れない。ならやっぱり離れた方が良いんだ。その方が良いに決まってる。


 分かっているけれど、まだ離れたくない。自分からリーンと離れるなんて出来ない。


 なんて我儘で自分勝手なんだろう。


 ごめんなさい、リーン。まだ離れられない。この旅が終わるまで。せめてリーンが王都に帰るまでは一緒にいさせて欲しいの。


 心の中で何度も謝って、だけど離れる事が出来ない自分に情けなくて苛立ちしかおきなくて……


 そんなふうに一人自責の念にとらわれていると、扉がノックされた。リーンが様子を見にきたんだ。

 涙を布団で拭って、大きく息を吸ってからゆっくりと吐いて、心を落ち着かせるようにしてから扉を開ける。だけど申し訳なくてリーンの顔を見る事が出来なかった。


 リーンは街を出ようって言ってくれた。私の様子を見て、気遣ってくれたようだ。どこまでも優しい。そんなリーンに甘えるしか出来ないのが本当に申し訳ない。


 乗り合い馬車に乗らずに、歩いて街を出ようって事になった。リーンは、

「ギルドで依頼を受けようと思っていたから、歩いて行く方が良かったよな」

って言ってくれる。

 乗り合い馬車だと、誰かに顔を見られて通報されたり捕まったりしてしまうかも知れない。そんな事を考えてくれたんだろうな。本当にリーンの気遣いが有り難かった。


 それからの旅は、歩いて進むようにした。


 それでも食料を調達したり、討伐した魔物の素材を売ったりするには街や村に立ち寄らなくてはいけない。

 そんな時はフードをしっかり被って、下を向きながらリーンの影に隠れるようにして歩くしか出来なくなった。

 

 そんな状態の私にリーンは何も言わずに、街や村に立ち寄っても用事が終わるとすぐに出て野宿をするようにしてくれた。本当は宿屋でゆっくり休んだ方が体が休まるだろうに、リーンは嫌事一つ言わずに笑いかけてくれる。

 

 そうやって二人で北へ向かいながら歩いて旅をして、瘴気の濃い場所には真夜中に、リーンに知られないようにして髪を切り、木の窪みを見つけて中に入れて結界を張った。

 

 リーンの言う聖女の首飾りと腕輪と行方不明の子の情報は得られないまま日が過ぎていき、暑かった陽射しは和らいで涼しくなり、段々と気温が低くなってきた頃、リーンの生まれ育った故郷の村がある山の麓に辿り着いた。


 終わってしまう……


 リーンとの旅が終わってしまう……


 そう思うと足が進まなくて、その場から動けなくなってしまう。


 そんな私の様子を見て、リーンは頭をグシャグシャって撫で付けてから、腰を屈めて私の顔を覗き込んできた。それには思わずドキッとして戸惑ってしまった。



「ハハハ、やっと俺と目を合わせてくれたな。今日はまだ早いがここで野宿でもするか?」


「ん……」



 ニコッて笑ったリーンの顔は、悪戯が成功した男の子みたいな顔で、呆気なさがあって可愛らしく感じた。リーンは年上の男の人で凄く格好良いのに、可愛いとか思ってしまうのって何だか不思議だなって思った。


 そこで野宿の用意をした。

 リーンが

「何か食べたい物はあるか?」

って聞いてくれたから、私は思わず

「赤スープ!」

って答えた。

 リーンは嬉しそうにニッコリ笑って頷いてくれた。


 料理をする時に私も傍にいてリーンのしている事を眺めてると、リーンは私に今何をしているのか、なぜこうしているのかを教えてくれた。

 それを聞き逃さないように、リーンの言うことは一つも聞き溢したくなくて、じっと顔を見ながらしっかり聞く。


 時々私と目を合わせ、リーンは優しく笑う。その度に嬉しくなって、頭をコツンってリーンの肩に寄せてしまう。

 このひとときが幸せ。堪らなく幸せ。


 出来上がった赤スープとパンを一緒に食べる。


 この赤スープは、お母さんに何度か作って貰った事がある。初めて食べた時は温かさに、その美味しさに感動して涙が出たのを覚えている。

 このスープはあの暖かかったお父さんとお母さんを思い出せて、食べると身も心も暖かくなっていくんだ。


 食事が終わった頃には陽も落ちていて、綺麗な虫の声が聴こえてきたから、それを聴きに川縁まで二人で行った。空には銀に輝く月と星があって、それが流れる川の水面に映ってキラキラ揺れてとても綺麗。


 夜は気温が下がるから寒くなってきていて、でもその場から離れられずに二人寄り添うようにいて……


 隣に座っているリーンの肩に頭を寄せると、リーンも私の頭に顔を寄せてきた。

 片側だけ暖かくなって、でも心はポカポカしていて、このまま時が止まれば良いのにって何度も思った。


 ゆっくり顔を上げると、リーンと目が合った。


 なんて綺麗な顔をしてるんだろう。瞳も紫で澄んでいて、私の濁った瞳の色とは違ってキラキラして見える。

 

 もうこうやって傍でリーンを見られないのかな……


 そう思うと涙が滲んでくる……


 リーンは私の目から涙が零れないように、頬を包み込んで親指で涙を拭ってくれて、それから私の目に唇を寄せた。


 唇で涙を拭ってくれたのかなって思って、でも顔が近くにあるからドキドキしていると、また顔を頭にコツンって寄せてきて、リーンは私の頭を引き寄せ優しく撫でた。

 

 さっきより体が密着して、リーンの暖かさに包まれているような感覚になって、暫く私達はそのままでいたんだ。


 美しく奏でる虫の声と、空に輝く月と満天の星。水面に映った光の粒と川のせせらぎ。

 それと共にあったリーンの暖かさ。きっと私はこの夜を一生忘れる事はないだろうって、その時そう思ったんだ……





 

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