第四章 思春期は心と体がバーラバラ
学園ドラマにあこがれていた10代真っ只中、勉強に部活に~♪ なんてルンルンなハイテンションは入学早々、打ち砕かれる。まず第一関門、勉強が小学生と全く違うので授業に遅れる。塾には通っていなかったので英語がチンプンカンプン。チンプンカンプンという言葉って実際にあるのねと感じました。
なんせ英語の先生がむちゃくちゃなんですよ。
先生のbe動詞の説明はこうです。
「be動詞はIの次にはam、youの次にare、theyの次にare+名詞となります」
どうでしょう、初めて英語に触れる私にとっては「?」でした。
こんな感じで授業が進むのですが、先に進んでも、一人称単数にはamという、聞き慣れない単語ばかりを並べる先生。「塾で習っているかわ分かるわよね」的なノリで、普通の町立中学校なのに、塾に行っていることが前提で進む授業。ここでまた私の理不尽アンテナが発動! 前章でご覧のとおり、私は母子家庭。塾に行くお金、時間がもったいない。小学生の時、そろばんとピアノを習わせてくれていて、そろばんは塾の経営が難しく、辞めることになりましたが、ピアノだけはやっていました。先輩の母から小学校のバレーボールのクラブチームに誘われるがまま入ったのですが、持久力がない私はしんどかったこともあったし、結構なスパルタだったけど、それを乗り越えて部活はバレー部に入ることになりました。
お金持ちの子は習い事をたくさんやっていて、将来の不安がなくていいなって格差社会の現実を突きつけられました。
学校生活ははっきり言って楽しいものではなかったですね。周りの女の子たちが恋バナや、好きなアイドルについて話していることにまったく興味も共感も持てずに、というかついていけなかった。だからどうでもよかったですね。皆が浮かれた話をしている間、私は刑事ドラマとアニメに夢中でした。少しだけ時代劇もね、見ていました。周りとずれていたこともあり、オタク文化はダサいと思われていた時代で、誰一人、友達には本当のことを話せなかったです。なので、つるんでいたけどボッチになったという事実。夢の学園生活とはほど遠かったです(笑)。仲良くなりたい、輪に入りたいと思っても、何の不安もなしに生きている友達がうらやましくて、自分で線引きをしてしまっていたことは否めません。
でも、部活ではレギュラーからはずれることはなかったです。それが唯一の救いでしたね。自分たちの代になって試合に出れたのは嬉しかったし、人になんて思われるかより、結果を出し認めさせるという自分なりのアピールを追求し始めます。
これがね、簡単ではないんですよ。中学2年生まではすごく楽しいんですよ。家に帰っても好きな事していられるし、体力のない私はほとんど食べて寝てましたけどね。勉強というハードルは高くなっていくし、夏休みになると同級生は塾の合宿の話でもちきり、私は勉強をどうやってすればいいのか分からない状態でした。頭が悪いから覚えられない。頭が悪い=覚えられない だから楽しくない。負のループに陥り、さすがに心配した母が家庭教師をお願いして、勉強する習慣がつきました。めでたし、めでたし……。そんな訳あるかい!
私が何故、塾に行かなかったのか。それは、学校で勉強したことを塾でわからないから教わるというシステムが嫌だったからです。だって、二重の勉強って無駄だと思いませんか? 進学校に進みたいから学校よりも先に進むために勉強するのはありだと思います。家で勉強しないから、塾で勉強する…… これって、勉強する環境を自分で作り出せないから塾に頼っている。ということは、自分の意思で勉強しないからお金を払って勉強する場所を与えてもらっている。だから、安心という立派なビジネスですよね。塾を否定しているのではないのですよ。何故、塾に行くのかという目的。学校の勉強じゃついていけなくて、塾に行ったら勉強が楽しくなったのなら、すごく大成功ですよね。長い目で見たら、自分で学ぼうとする意志が生まれた訳ですから、これから先、学び続ける姿勢を持ち続けることができる。
しかし、受験に合格するためだけに親に言われるがまま、自分の意思に関係なく、塾に行っても勉強をしているが身にはなっていないのではないかと思うのです。だから、学校の勉強で十分なはずなのに、受験をするために塾に行かなくてはいけない、では、学校教育とは何なのか、何のための授業なのか? 授業外の集団行動、いわゆる、生活指導の部分は世の中を渡っていくために必要だとは思います。でも、受験と勉強と学校生活を完全に切り離していることにいら立ちを隠せませんでした。意地でも塾にはいかなかったです。
結局、家庭教師の先生の話も半分くらいしか理解できなかったです。一番は、終わった後のおやつタイム。でもね、ここでも母子家庭という現実を突きつけられるのです。
母から、「おやつ代がきつい」と言われた時は、結構ショックでした。高校受験を控えてようやく、動き出します。出来るところまでやろうと決心して、参考書を買ってもらいました。その時は母も応援してくれましたしね。
滑り止めの受験をしたいと思っていた高校からスポーツ推薦のお話があったのですが、部活もやりたいが、バイトもしたいし、いろいろ揺れ動いていて、お金もきついだろうから断りました。部活だけをやる為に高校に行くわけではなかったので……。でも、私立に行ってみたい気持ちは4割くらいありました。
そして、月日は過ぎて、受験当日。
見事に撃沈。数学が難しすぎて、社会も得意分野は出ずに、絶対に合格は無いだろうと、合格発表までドギマギしてました。努力不足や後悔がどんどん溢れて来るんですよ。こういう時に結果を出せないと、自信がなくなりますよね。何をやってもダメなんだと。胸にグサグサいろんなものが刺さりました。
何かをしいても、何もしなくても、時間だけは過ぎて行く。地球の仕組みって残酷だなって思います。時間は巻き戻せません。私は記憶が不確かなのですが名言と出会います。「後悔しているならその後悔を塗り潰すだけの努力をすればいい」
なんて素晴らしいんでしょう。そんなこんなで時間はすぎさり、運命の分かれ道の時間がやってきます。合・格・発・表!
当日、母の車に私立に振り込むお金を持ち、どうせ受かってないのだから人混みのピークを過ぎたら行こうと決めていました。
下を向きながら合格発表の看板まであるき、恐る恐る顔を上げる。
「……?」もう一度、ほっぺを叩いて看板を見る「……!」なんと! 自分の番号があるではありませんか。間違っているんじゃないかと何回も何回も見直し、合格者の受付で書類を貰うと、鞄の中にしまいました。
母を驚かせるため、下を向きノロノロと歩き、車に乗り込みます。
母「だめだった?」と聞いてくるので
私「ジャジャーン!」バッグの中から合格書類を出しました。この時の母はかなり驚いていて、「心臓に悪いからやめて」なんて言ってました。
無事、公立高校に合格し一つのプレッシャーから解放されました。
そうです、公立高校に不合格で私立に行くようなことがあれば、母は高校以上の学校には行かせられないという条件があったのです。つまり、公立高校に合格しなければ、大学はおろか専門学校にも行けないという、将来の選択肢が限られてしまう! 何はともあれ合格できほっとしました。
少し、話を前に戻すと、中学生時代はなりたい職業がなく、将来も漠然としていて、興味はあるけれど一つには絞れなかった。進路相談はつらかったです。どうしていいのか分からなかったから。少し遅れてやって来た反抗期は心を閉ざし、音楽とアニメしか私の心を理解してくれない。先生や親よりも本の世界の方がより勉強になる。私を救ってくれたのは音楽と本とアニメだけ。好きな曲をリビングで聞いて歌っていると「うるさい、下手だからやめて」と言われ、好きな事を出来ない否定されるので自信喪失です。丁度その頃、私に夢を与えてくれるきっかけがやってきます。これから生きていく中で唯一の心の柱となります。学生というのは守られている一方で動ける範囲が狭く、窮屈でした。理想の学校生活を送れるよう、高校生活に妄想を抱く、日々が始まります。
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