7-5 サウの異能
「その話ですか。いやはや……私も問題であると理解はしているつもりなのですが」
「ならばなぜもみ消そうとなされたのですか?」
シャーリーリの父親が強い口調で訊ねる。セレメデクラム枢機卿は困った顔をして、
「私が政治の現場から消えたら、だれが西方世界の治安を守るのです?」
と、そう答えた。セレメデクラム枢機卿は続ける。
「現在の教皇庁の情勢は、エルセバルサム枢機卿のような過激な教化思想に染まっている。教化を推し進めるのはともかくそれで戦争を起こすのはいかがなものかと」
「いいえ。エルセバルサム枢機卿はおっしゃいました、教化を建前にしないとなにもできないと。ティラヘ侵攻は、内乱を制圧するだけだったと。つまり、さきほどの猊下のお言葉は、建前を建前にした、卑怯な言葉です」
「お、おいシャーリーリ。いくらなんでも失礼だ」
「……いや。その言葉は甘んじて受けるほかありません。そうです、そういう教皇庁を作ったのは私たち、古い世代の枢機卿です。教皇聖下は完全な傀儡ですし、そう言われてしまったらそうであるとしか言えない」
「そうでしたら、アルハティーヴ女官長のことを潔くお認めになり、謝罪して枢機卿の椅子を降りられるべきです」シャーリーリは鋭くそう言った。
「……イレイマンさん、あなたの会社の最大手のスポンサーはだれかお分かりですか?」
「ええ。猊下がわたしの会社のスポンサーであることは知っています。それも最大手でしょう。教皇庁には莫大な資産がある。信徒ひとりひとりからの少ない喜捨も、まとまれば大金になります。そして、そのお金を自由に扱えるのが、枢機卿という立場です」
しかし、とシャーリーリは続ける。
「これはビジネスでなく個人的な思いとして、戦争犯罪行為を闇に葬ってしまうようなスポンサーと組んでいるのは、なんだか不愉快です」
「し、しかしイレイマンさん。私がスポンサーを降りたら、西方世界全土のルルベル教寺院で飲まれる儀礼の葡萄酒が取り扱われなくなる。それは大損害なのでは?」
「それならば寺院と個々に契約すればいいだけの話です。弊社の葡萄酒は、公正に取引されたものというのが売りです。スポンサーが公正でないなら、そのラベルは嘘になる」
シャーリーリが強い口調で言うと、セレメデクラム枢機卿はひとつため息をついて、
「どこまでも正当だ。反論の余地がない」と呟いた。
「一刻も早く、部下に戦争犯罪者がおり、世界中の分断や戦争や災害を引き起こしたと、それを看破できずに仕事をさせていたと、そうお認めになるべきです。わたしは猊下が大好きです。幼いころ、家族で猊下の説教を聞いたのをいまでも楽しく覚えています。だからこそ、その引き際はきれいであるべきだと思います」
「――少し、考えさせてください」
セレメデクラム枢機卿はこめかみをぐいぐい押して、
「イレイマンさん。素晴らしく知的な娘さんをお持ちになりましたね」
と、シャーリーリの父親に言った。
「……確かに、我が娘は失礼なことを申しましたが。しかしそれが真実なら、私も娘と同意見です」
そこで、話すことは尽きてしまった。シャーリーリとその父親は、枢機卿の部屋を出た。
「お前は豪胆だなあ」
「そうでしょうか。人間として普通のことを言ったつもりです。……幸い、葡萄酒の卸売りは、競合他社も少ないですし、現在の規模から売上高が減っても商売は続けられます」
「そういう計算がすぐできるあたり、お前は本当によい商人だ」
シャーリーリはホテルを出た。天球盤で探知をかけると、仲間たちはまだ休憩所に溜まっているらしい。ザリクに指示してそこに向かう。
「――おかえり。お父様はお元気だったかい?」エスカリオが声をかけてきた。
「ええ。ついでにセレメデクラム枢機卿と話をしてきました」
「つ、ついでにって……ついでに話すものなのかい、枢機卿というのは」
「どうなんでしょう。とにかく話せることは話しました。あとはどうなるか、神々のみぞ知る……ですね」
「そうかい。運を天にまかせる、ってことか。で、それが新しい義足? 最新鋭のやつだ」
エスカリオはしばらくシャーリーリの義足を確認して、
「とんでもない性能じゃないか。歩行パターンを検知して使用者に心地いい移動を実現するやつ。つけてみなよ」と、そう言った。
シャーリーリは、かつて毎日そうしていたように、義足をとりつけた。
問題なく、普通に歩ける。
「靴が必要ですね」
「靴かあ。べつになくてもいいんじゃないの?」
「いえいえ。ハイヒールは女の戦闘服ですよ」と、シャーリーリは笑った。
――その日の夕方、緊急ニュースの情報が、みなの天球盤に着信した。
セレメデクラム枢機卿が、部下の戦争犯罪を認めたのだ。
それを、エスカリオの天球盤――スクリーンが大きいので画質がいい――で、一同黙って見つめた。記者会見で、セレメデクラム枢機卿は責任逃れをせず、部下であるアルハティーヴ女官長の戦争犯罪を認めたのである。
……それだけですべて終わりなのか、シャーリーリは少し考えて――正義というものの本質を、見極めるべきではないだろうか、と思った。
アルハティーヴ女官長は自分の行動が正義だと思っていた。
そしてそれを罪と認めた。シャーリーリの行動も、一方的な正義であるとも言った。
絶対の正義が存在しないというのは間違いのないことだ。シャーリーリも正義ではないし、アルハティーヴ女官長も正義ではない。
そんなことを、涙目で受け応えするセレメデクラム枢機卿を見て思った。
緊急ニュースの放送のあと、一同はこれからどうするか話し合うことになった。
ヒナは故郷に戻るつもりらしい。エスカリオは研究資金を出してくれるところを探すという。サウはユラ教の神学校に戻りたいが戻れるかはわからない。マッテオはまだ教皇庁に仕えるつもりだそうだ。
「で、社長さんはどうするの?」
「そうですね、メダルマに戻ってビジネスをします。ついでに途中、出来たらイーヤ国に立ち寄って、お方さまにかんざしを返さないと」
そう言ってシャーリーリはかんざしを灯りに透かした。べっこうの半透明な輝きが美しい。
「ここから東方世界に向かうとなるととんでもない手間だね」
「大丈夫ですよ。ここまでなんとか来られたんですから。それに、往路よりもいい移動手段を選ぶことだってできますよ」
「そうだった。イレイマン家は資本オバケだからね」
「あの、イレイマンさん。拙僧は、これからも教皇庁とアリラヒソプ葡萄酒貿易社の関係をつなぎ留めたく考えます。瓶のラベルに、聖典の言葉が入っているのを、いつも嬉しく見ておりました。拙僧になにかできることがあったら言ってください。これが拙僧の名刺です」
「ありがとうございます。これ、わたしの名刺です。必用があれば呼び出し番号までご連絡ください」
「わかりました! で、もう一つ問題があります」
「問題? もうめでたしめでたしでいいんじゃないの?」エスカリオが面倒そうに言った。マッテオが、くせっ毛の髪をいじってから、
「そのオートマタは、どうします?」と訊ねてきた。
――ザリクは兵器だ。どこかの国に渡ったら戦争の火種になるし、かといって個人で所有するには危険すぎる。しかし、すでに完全に情の移ったオートマタを壊してしまうのは、やはりだれでも気の引けることなのだろう。
「……壊すしかないでしょうね。あれだけアルハティーヴ女官長が欲しがったのですから」
「でも戦闘のデータは消えてるんでしょ? メダルマに連れてってあげたら?」
シャーリーリがエスカリオの思いのほか優しい言葉に驚いていると、唐突にサウが口を開いた。サウは真面目な顔で、
「ドカンすれば、壊さないでほかの世界に移動させられるよ」と、そう言った。
「壊さないで、移動……できる?」
「うん。ぼくの異能は、『移動』だ」サウは真剣な口調でそう言った。
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