7-4 義足
「社長がご無事だということは社長のご家族から教えていただきました。こちらはだいぶ片付いてきました。会社の財産を保存していた天球盤は無事です。戻っていただければいつでも会社の仕事が始められます」
……そうなのか。ではメダルマに戻る一択ではないか。シャーリーリは小さく頷いた。
しかし「では近いうちに戻ります」と返信しようとして、アルハティーヴ女官長の件がなにひとつ片付いていないことを思い出す。メッセージを送らず削除して、
「西方世界のほうでちょっとゴタゴタに巻き込まれて、すぐには帰れそうにありません。申し訳ありません」と返信した。
セレメデクラム枢機卿が自分のオフィスに戦争犯罪者がいたことを認めるか、しかるべき報道機関が報じてくれれば、すべて終了なのだろうか。しかし、そうしたらザリクはどうなるのだろう。よくても廃棄処分なのだろうな、と思う。
「かしこまりました。我々でできる仕事を進めておきます。天球盤からご指示いただければ、そのように働くこともできますので、どうぞよろしくお願い致します」
専務からの返信を眺めてメッセージ機能を終了しようとしたところで、家族からのメッセージの受信ボックスがぴろんと音を立てた。父親からだった。
「イェルレで騒動に巻き込まれたと聞いた。無事か?」
「無事です。しかしいますぐメダルマのビジネスに戻るのは難しそうです」
「私も所用があってイェルレに向かっている。お前の義足も職人に依頼して用意させた。ホテルを予約しているからそこで落ち合いたい」
義足。イーヤ国でお方さまに交渉材料として渡してしまってからずっと使っていなかったものだ。ふつうに歩けるのか。嬉しいはずなのに、奇妙な不安感がじりじり迫ってくる。
この奇妙な不安感、どこかで経験した覚えがある。そうだ、人間のザリクが、ほかの召使いたちに詰め寄られているのを見たときだ。あのあと数日でザリクは殺されてしまった。
そう思っているうちに、父親の滞在する予定のホテルの名前が送られてきた。グランドホテルという、格式高い高級なホテルだ。
「ザリク、お前はどうしたいですか? ――いえ、聞いても無駄ですね」
このザリクは、己の意志というものを持たない。
だから、人間のザリクと違って、一緒に旅をしたい、みたいなことを聞きだすことはできない。
そう思うと、シャーリーリはなんだか寂しい気分になった。手をぐーぱーして、それからザリクの背中にのせてもらい、仮眠室を出た。
マッテオが眠そうな顔で天球盤の通話とやりとりしていた。なんの話だろう、と思っていると、マッテオは小さな声で、
「御国の平安がありますよう」と言って通話を切った。
「おはようございます」シャーリーリはマッテオに声をかけた。
「ああ、おはようございます。悲しいお知らせですが、拙僧の兄は助からなかったようです」
「えっ」シャーリーリは言葉に詰まった。確かにルッソはズタボロにはなっていた、だがそれで助からないなんて。長い旅を一緒にしてきたルッソが、そんなことになるなんて。
「――兄は、十二分に働きました。神々はなにもせず生きるものより働いて生きるものを尊ばれます。兄はその誉れにあずかるにふさわしいと思います」
「そう、そうですね。亡骸はどこに葬られるのですか?」
「イウにあるユートウ家歴代の墓でしょう。悲しんでもらえて兄も幸せだと思います」
マッテオはさみしげに微笑んで、それから、
「参ったな、兄の写真は子供時代のものしかない。遺影に困る」と呟いた。
「マッテオさんは、現実をよく見てらっしゃるんですね」
「いえ。そんな上等なものではありませんよ。家族が亡くなった人間はまず遺影のことを考えて、それから弔辞はだれが読むのかとか、葬式代はいくらかかるのかとか、会葬御礼はどれくらい用意するのかとか、そういうことを考えるものです。拙僧も一応僧侶ですので、地方の教会所属のころはけっこう葬儀を見てきました」
マッテオがそう、自分を納得させるように言う。シャーリーリは、
「今回の、アルハティーヴ女官長の件が片付いたら、わたしはビジネスのためにメダルマに戻ろうと思います」と、そう言った。それから、近くのホテルに父親がくることも、義足のことも、ぜんぶ話した。
「――そうなったら、ザリクはどうしましょうか。端的に言って兵器なわけですよね、ふつうにどこかに仕えさせることができるとは考え難い」
「壊してしまいましょう。ザリクがこの世の中にいるかぎり、そこには不幸しか生まれない」
「……本当に、それでいいのですか?」
「どうしてそんなことを仰るんです?」
マッテオはひとつため息をつくと、
「ザリクは、イレイマンさんのお供としてずっと一緒だったわけですよね。その旅は不幸でしたか?」と、訊ねてきた。
シャーリーリはよく考えて思い出す。確かにおっかない目にも遭ったけれど、ザリクと旅した日々は、確かに楽しいものだった。
「……それは」
「なら、壊さないほうがいいと思いますよ。思い出の詰まったものを捨てて後悔するのはもったいないことです」
マッテオのいう通りだ、とシャーリーリは思った。
「なんだいもう朝かい?」
エスカリオが大きなあくびをした。マッテオがルッソのことを伝える。
「……そうかい。人間、どうなるか分からないものだ」
エスカリオはそうぼやくと、天球盤を操作して軽く情報を収集してから、
「教皇庁の件は単純に魔法生物によるテロってことになってるね」と、顔をしかめた。
「アルハティーヴ女官長のことを、メディアに伝えるべきでしょうか?」
「それも考えるべきだが、アルハティーヴ女官長の上にはセレメデクラム枢機卿がいる。彼が言わないことにはただの噂話ってことになるね」
「――そうですか。……あ、父から連絡がきました」シャーリーリは天球盤を叩いた。シャーリーリの父親は、無事にイェルレのホテルに到着したらしい。
「ちょっと父に会ってきます」
「わかった。僕らの場所は探知できるね?」
「はい。それではまた」
シャーリーリはザリクに、指定の場所に移動するよう命令した。ザリクはシャーリーリを背負って移動する。いつのまにか日常になっていたことが、過去になるのか。
指定された高級ホテルの受付で、シャーリーリは父親、トーレオ・イレイマンを呼んでもらえないかとお願いした。フロント係はすぐシャーリーリの父親を呼んでくれた。
シャーリーリの父親は、シャーリーリの真新しい義足を持って現れた。シャーリーリはとりあえずそれをザリクにあずけて、コーヒーを飲みながら現状を報告した。
「ふむ。セレメデクラム枢機卿猊下に、部下の戦争犯罪行為を認めさせたら、お前はメダルマに戻れるのだね?」
「そうです。猊下はもみ消したい、と仰せでした。このままでは、重大な戦争犯罪行為が、露見することなく消えてしまう」
シャーリーリの父親は、天球盤をかたかた操作した。通話で誰かを呼び出している。映し出されたのはセレメデクラム枢機卿だった。
「やあイレイマンさん。なんのご用ですか?」
「私の娘も含めて、相談したいことがあるのですが。現在どこにご滞在ですか? 伺います」
「それならイェルレの大通りにある、グランドホテルにおりますよ」
なんと現在シャーリーリたちのいるホテルだった。
シャーリーリの父親は、そのままセレメデクラム枢機卿の滞在している部屋に向かうことになった。エレベーターでたどり着いた最上階の部屋のひとつに入ると、セレメデクラム枢機卿がガウンを着て椅子にかけていた。
「やあ。なんのご用ですか?」
「戦争犯罪行為をした教皇庁内部の人間についてです」
シャーリーリの父親がそう切り出すと、セレメデクラム枢機卿は目をぎゅっとつぶった。
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