7-3 怒り上戸
「枢機卿猊下は、もみ消したい、と仰せでした」
シャーリーリが一言そう言うと、マッテオは目を大きく見開いた。
「もみ消したい。……そんな。セレメデクラム枢機卿猊下が、そんなことを仰るとは」
「まあ政治家ならそう思うのが順当だろうね。でももうもみ消しようがない。アルハティーヴ女官長のやったことはあの崩壊した教皇庁ビルが物語っている」
そうなのだ、アルハティーヴ女官長の大暴れは完全に露呈している。もみ消しようがない。いや、報道のやり方次第でなんとかなるのだろうか。シャーリーリ自身、報道にはさんざんお世話になっているので、そこはもみ消してほしくない。
その旨を、とつとつと話す。
「うーん。まあ、僕のオモチャに責任転嫁するという手はあるね。事実死人も出してしまったわけだし。やっぱりアルハティーヴ女官長は生け捕りにするべきだったかなあ」
「そうですね……でも生け捕りにしたら確実に拷問路線になってましたよね」
「そうでしょうね。教皇庁は拷問が得意ですから。地動説や世界球体説を唱える人間をさんざん拷問して、後から『教皇庁の見解が間違ってました』ってやった組織ですし」
「まあ現状アルハティーヴ女官長は生きてないんだからそこを話しても意味はない。枢機卿さまが事実をもみ消したい、アルハティーヴ女官長が自分に仕えていたことをもみ消したい、と言っている、というのがいまの議題だよ」
「もみ消したとして、そこに平和はあるのでしょうか?」
マッテオがそう言った。平和。深い言葉だとシャーリーリは思った。
「平和ではないなあ。仮に僕のオモチャの暴走で教皇庁が焼けたことにして、オモチャの出どころを伏せて――教皇庁は未知の怪物に襲われたことになっちゃう」
「いや出どころは明かしましょうよ」と、マッテオ。
「そしたら僕教皇庁への反逆者ってことになるじゃないか。いやだよ。研究資金欲しさに頑張っただけでこんなことになるなんて。それにあれはやらざるを得ない突破だった」
「まあエスカリオさんの言うことも一理あります。あそこで突破してくださらなかったら、アルハティーヴ女官長は止まらなかった。もし彼女が生きて暴走しているとしたら、それこそ悲劇です。……疲れましたね、なにか飲み物を持ってきますね」
シャーリーリがザリクに乗ろうとしたところで、マッテオが立ち上がった。
「拙僧が飲み物を調達してまいります。なにを飲まれますか?」
「赤葡萄酒」と、エスカリオ。
「じゃあわたしもそれで。チーズがあれば」
「了解です。サウさんとヒナさんは……疲れて寝ていますね。そっとしましょう」
「ぼく牛乳~」
「せっしゃもぎうにう~」
「……起きてた」マッテオは小さい声で言うと、会議室を出ていった。
「いいのかい社長さん。ワインなんか飲んだら寝ちゃうよ」
「いいんです。ちょっと疲れすぎました。いろいろ心配なこともありますし、こういうときはお酒の力に頼る。それで考えるのをいったん停止する。それが一番です」
まもなくマッテオが飲み物を持って現れた。チーズは乾かした魚肉に挟んだごくごく一般的なお酒のつまみだ。それよりも葡萄酒のボトルをみて、シャーリーリはハッとした。
葡萄酒は、アリラヒソプ葡萄酒貿易社の葡萄酒だった。
アリラヒソプ葡萄酒貿易社は葡萄酒を作る会社でなく、葡萄酒を買い付けて売る会社だ。買い付けた葡萄酒を、アリラヒソプ葡萄酒貿易社のボトルに入れて、アリラヒソプ葡萄酒貿易社のラベルを貼り、市場に出す。その販売網は西方世界東方世界ともにかなりの規模。
だからここで出てくることに驚く必要はない。だが、シャーリーリははっきりと、目的を思い出した。
最初シャーリーリは聖登録祭のためにメダルマを出た。聖登録祭は、年に一度、世界中のルルベル教徒が、実家に戻り盛大にパーティをし子供たちにプレゼントをする祭りだ。そのために実家に帰り、聖登録祭当日には実家に到着して、みんなでシャーリーリの会社で扱う葡萄酒を飲むつもりだった。
だがそれはおそらく、アルハティーヴ女官長の企みによってカイリオン号が難破したところで、アルハティーヴ女官長の企みに組み込まれてしまった。
アルハティーヴ女官長は、人の運命をなんだと思っているのか。
シャーリーリは腹が立ってきた。とりあえずマッテオに勧められた葡萄酒を、ごくごくとまるで水みたいに飲んだ。渋みが口の中にのこり、シャーリーリは手首で口をぬぐうと、
「そもそも! なんでわたしがこんな目に遭わなきゃないんですか!」
と、怒鳴り気味に言った。そこでシャーリーリは、自分が酔っぱらうと怒り出すタイプの人間であることを思い出した。
「ど、どうしたどうした社長さん。落ち着こう。深呼吸深呼吸」
「どうせめんどくさい酔っぱらいですよ! 自分が飲むと怒りだす人間だということを忘れていました! 考えるのは停止しているので結果オーライですが!」
「――考えるのは止まってるのね。それならOK」エスカリオが深いため息をついた。
「とにかくなんにせよ、不愉快なことばっかりです! もう寝ます!」
シャーリーリはがっと立ち上がろうとした。会議室で寝るわけにいかないからだ。しかし久方ぶりに酔っぱらったシャーリーリは、義足をつけていないことを忘れていて、椅子から見事に転げ落ちそうになって――
ザリクが抱き留めた。
「あう?!」
シャーリーリはびっくり声を上げた。
「脚がないのを忘れないでください、シャーリーリさん」
マッテオが笑顔で言う。シャーリーリは恥ずかしいのと酔っているのとで、ひどく赤面した。
ザリクに抱えられたまま移動し、仮眠室を借りてそこに寝転がる。
もうとっくに聖登録祭は終わったし、ロータナで家族にも――母には会っていないが――会えた。メダルマに帰らねば。復路だ。いや陸上競技じゃないんだから、とシャーリーリは小さく拳を握りしめる。
もうぜんぶ放り出して、メダルマに戻りたい、とシャーリーリは思った。会社のみんなと連絡がつかないのは、災害で通信網が麻痺しているからだろうか。それともみんな、死んでしまったからだろうか。
この一件が片付いたら、メダルマに戻ろう。まあこの一件が片付くまでがどれだけ長いかはちょっと分からないが、しかしいずれメダルマに戻って会社の復旧をしなくてはならない。
これ以上考えるのはやめよう、とシャーリーリは目を閉じた。
とろとろと眠りに転げ落ちていくなか、シャーリーリは夢を見ていた。シャーリーリは子供になっていて、兄たちが棒きれで戦って遊んでいるのを眺めながら、語学の本を読んでいる。本の内容はメダルマの言葉だ。
「シャーリーリお嬢様は勉強熱心ですねえ」
人間のザリクがそう話しかけてきた。シャーリーリは、
「だって、お兄様たちと戦いごっこがしたくても、脚がないもの」
と、小さく答えた。
「もし脚があったら、坊ちゃんたちと戦いごっこがしたいのですか?」
「ううん。脚があったら、旅をしたい」
「旅……でございますか。それは素敵なことです。このザリクも、ぜひお供に加えてください」
「うん。もちろんそうする。脚はないけど」
そこではっと目が覚めた。腕時計を見ようとして壊れて捨てたのだと思い出す。天球盤を叩く。まだ朝早い時間だ。気が付くと隣でヒナが大王型の寝相でぐーすか寝ていた。
体を起こして頭をぽりぽりかく。シャーリーリは二日酔いこそしていなかったが、喉が渇いていた。ザリクに運んでもらって、タダで飲める水のピッチャーのところに向かう。グラスに水をついでゴキュゴキュと飲む。広間の椅子にかけたまま、エスカリオとマッテオとサウが寝ていた。
その横で、天球盤を操作してメダルマの様子を確認する。まだ災害からの復興は終わっていないが、天球盤の通信は復旧していた。それに従って消滅した呼び出し番号も復活したという。シャーリーリは、アリラヒソプ葡萄酒貿易社の副社長に連絡を取ってみた。
「イレイマンです。災害があったと聞きましたが、そちらはどうですか」
返事がこないことを覚悟していた。しかし数分後、天球盤は着信音を鳴らした。
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