7-2 情状酌量の余地

「正義というのはかようにあやふやなものです。戦争は正義と悪の戦いでなく、正義とまた違う正義のぶつかり合いです。戦争はかぎりなく愚か。それに、感情を持たないオートマタを用いることによって、こちらを絶対の正義とするのが、私の考えたことです」


「オートマタが戦っていたとしても、正義は絶対の正義ではありませんよ」


「そうでしょうか? オートマタには心がない、すなわち罪がない」


 シャーリーリは聖典の言葉を思い出していた。「心はいつも罪にすり寄る」という言葉だ。人間の愚かさを指摘する言葉で、シャーリーリはこの言葉を思い出すたび、心が痛いと思っていた。


「とにかく、罪を伴わない絶対の正義なんてものはありえない。それはあなたが勝手に考えた聖典の拡大解釈です」


「なんとでも。私は死んでも、戦争を辞めませんよ。そこでしか生きられないのですから。……そろそろ私は、命が完全に尽きるようです。あなたを巻き込んで、思ったことを伝えられて、よかった」


 暗闇はだんだんと、まるで夜明けのように明るくなって――

「社長さん! 社長さん! しっかり!」


 と、エスカリオの声で、シャーリーリは目を覚ました。目を覚ますと、人間のザリクでなくオートマタのザリクの背中にいて、なんだかシャーリーリは残念な気分になった。


 でも、このザリクも、シャーリーリに忠実な、大好きなザリクであることに変わりはない。そう思って、顔をあげる。


 目の前でルッソの手当てが進んでいた。かなり深いところまでダメージを受けていて、ちょっとやそっとの治療では治らないようだ。石弓の矢は内臓まで届いているらしい。


 マッテオがただひたすら祈るのを見て、シャーリーリは(ちゃんとした僧侶だなあ)と思った。マッテオの黒い僧服には、あちこち血の染みがついている。ルッソを運んだせいだろう。


「どういう状況ですか」


「教皇庁は崩壊した。アルハティーヴ女官長をその中に残したまま。枢機卿は全員無事だし、ほかは僕のおもちゃにやられたのが何人かいる程度。漫画だったら大団円、ってなるところ」


「そうですか」


 シャーリーリは短くそう言うと、手当てされるルッソをちらりと見た。


「ルッソさんはどんな感じですか」


「正直に言ってかなり危ないと、人間は専門じゃない僕でもわかる」


「――そうですか」

 シャーリーリは目線を落とした。


「心臓! 電気ショック!」

 そこにいた医師がそう言うのが聞こえた。そこまでやばいのか、ルッソの容態。


 電気ショックの機械が出てきて、ルッソの心臓に一撃を見舞う。

 それでもルッソは無反応だ。


「で、社長さん。どんな夢見てたの?」


「……アルハティーヴ女官長には、情状酌量の余地はいっさいない、という夢です。異能で、死の間際に意識を他人と共有する力があったようです」


「へえ。異能……ねえ。ルルベル教の尼僧なのに」


「あと異能をキャンセルする異能もあって、そっちはおそらくサウさんの異能を打ち消すのに使ったんでしょうね」


「なるほど。で、なんで泣いてるの?」


「え?」

 シャーリーリは、頬を涙が伝っていることに気づいた。


「アルハティーヴ女官長の過去は、確かに涙を流すに値するものでしたが、しかしそこに情状酌量の余地はいっさいないのは間違いありません」


「なるほどね。命乞いでもされたわけか」


「いえ――アルハティーヴ女官長は、もう死んでしまうことを知っていたんでしょう。それで、わたしにあんな、トラウマになる映像を見せてきた。救貧院だの尼僧院だの」


「アルハティーヴ女官長は、救貧院育ちなのかい?」


「だそうです。その劣悪な環境から逃げだすために、なんの信仰もないのに尼僧になったそうです」


「へえ。なかなかヘビーな過去だ。胃もたれする悲しさの押し売りだね」


「兄さん!」

 マッテオが叫んだ。見ると、ルッソが指をぴくぴくと動かしている。


「息を吹き返した――か?」と、エスカリオが呟く。


「どのみち入院治療が必要でしょう」医師が天球盤を操作し、入院の手配をしている。


「入院費は拙僧が払います。幸い教皇庁勤めはブラックな代わりに給料だけはいいので」


「いえ。わたしにも払わせてください」


 シャーリーリはそう言い、マッテオを制した。


「身内でもない方に支払ってもらうのは気が引けます。イレイマンさん、気持ちはとても嬉しいのですが――」


「いままでずっと旅を支えてくれたのがルッソさんです。わたしはアルハティーヴ女官長の狩人だったルッソさんを、賃金を払う約束で雇用したんです」


「……じゃあ、折半といきましょうか」


「それで構いません。――ルッソさんは、なぜ賞金稼ぎになったのですか?」

 シャーリーリがマッテオに訊ねると、マッテオは口角をすこし上げた。


「もともと武術が得意だったんです、兄は。でも手習い場での学業の成績が悪くて、ずっと拙僧と比較され続けたのが嫌だったんでしょうね。武器を担いで家出していきました。そのあとはよく知らないのですが、兄は腕の立つ賞金稼ぎとして暴れ回って、それでアルハティーヴ女官長の目に留まったのでしょうね」


「ご実家はどこですか?」


「エルテラの近くにあるイウという農村です。ときおりエルテラの百貨店に連れていってもらうのが拙僧と兄の子供時代の楽しみでしたが、兄は試験で悪い成績をとると家に残されて、拙僧ばかりアイスクリームやチキンライスを食べてくるので拙僧を恨んでおりましたよ」


「イウ……小さいころピクニックに行ったことがあります。エルテラで飲まれる牛乳はぜんぶイウで採れるものだと聞きました。しぼりたての牛乳がすごくおいしかった」


「――ああ! イレイマンさんのご出身はエルテラでしたね。奇遇ですね」

 妙にのんきなマッテオの会話にのせられて、のんきなことを話していることに気付いたシャーリーリは、

「いえ、でも――そんなことよりルッソさんは助かるんでしょうか」と、会話を打ち消した。


「さあ。そればかりは二柱の神々のみぞ知る、ですよ」


 ルッソが救急馬車で運ばれていき、教皇庁で働いていた人たちはみなばらばらと散っていった。マッテオとシャーリーリ一行だけが残った。


「ねー、ぼくまだ膝ががくがくするんだけど、これってお医者にかかれば治るの?」

 サウがそう言う。まだ膝が震えている。


「落ち着きましょうか。無事だった人間で、これからについて話しましょう」


「その前に浴びた血のりをどうにかしたいでござる。いかに暗殺者とはいえ、血まみれでいるのには耐えがたい」


「僕も天球盤の叩きすぎで指が痛い。うわ、爪が割れてる」


 とりあえず街の中の、シャワールームのある休憩所に向かうことにした。そこはすでに、たくさんの教皇庁関係者でごった返していたが、まあ贅沢は言えない。


 全員さっぱりしたところで、休憩所のなかの貸し会議室を借りることにした。そこで、シャーリーリは、夢のなかで見てきたものの話をすることにした。


「うむ。確かにそれはさっき調べたアルハティーヴ女官長の経歴と一致する。しかし改造人間か……ヒーローものの漫画なら悪者を成敗する側に回るタイプだな……」エスカリオは理知的な口調でそう言い、銀縁眼鏡をくいと上げた。


「あいにくヒーローものの漫画じゃないんです、エスカリオさん。話だけ聞けば情状酌量の余地を考えてしまいますが、相手は最悪の戦争犯罪者なわけです。それがセレメデクラム枢機卿猊下のオフィスに紛れ込んで犯罪をしていた、というのは恐ろしい事実。……イレイマンさん?」


 マッテオがシャーリーリを見た。シャーリーリは、枢機卿と話したことを、話すことにした。

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