第七章 絶対の正義
7-1 番号で呼ばれた少女
「ここは、どこですか?」
シャーリーリは目の前の尼僧見習いの少女にそう訊ねた。尼僧見習いの少女は、
「私の夢のなかです。私は異能持ちであることを隠して、ルルベル教の尼僧見習いをしています。『死の間際に意識を他人と共有する』とか、『他の異能をキャンセルする』とか、他にもいろいろ……いわば兵器ですから」と答えた。
「兵器……」シャーリーリは言葉が出てこず、尼僧見習いの少女の言うことを反復するしかできなかった。義足もザリクもないことに気づいて、シャーリーリは「ザリク」と声を発した。
「お嬢様、わたくしはここにおります」
「ザリク……? ザリクではありませんか、なんでこんなところに」
「わたくしはお嬢様に呼ばれればどこにでも駆けつけますよ」
目の前に現れたのは、昔シャーリーリの実家に仕えていて、シャーリーリのお気に入りだったせいでほかの召使いに殺された召使い、ザリクだった。そう、荒れ狂う海の上で、シャーリーリがあのオートマタに与えた名前のおおもとである。
人間のザリクはシャーリーリを抱き上げると、人のよさそうな笑みを浮かべて、
「あの方についていけばよいのですね?」と尼僧見習いの少女を見た。
「そうです。頼みますね」
尼僧見習いの少女は、なんだか面白くない顔をしてから、シャーリーリに言った。
「召使いを雇える家の人間……実に不愉快」
なんでだろう。シャーリーリがそう考えていると、暗闇のなかにぼんやりと、ボロボロの建物が浮かんできた。「ルルベル教こどものいえ」という看板が取り付けられていて、小さな子供がきゃあきゃあと騒いでいる。
「ここが、私の育った救貧院です。ここに来る前は、実験施設にいました」
「実験施設、ですか」
「私は兵器だ、と言ったではありませんか。実験施設で、苦痛の伴うたくさんの身体的改造をされて、そのうえで使い物にならないと判断され、この救貧院に放り込まれたのです。それが7つのとき」
尼僧見習いの少女はそう言うと、シャーリーリをちらりと見て、
「栄養の薄い食事、劣悪な衛生環境、子供同士のいさかい――そういうものに振り回されながら、私は育ちました。そして、その環境から逃げだすために、尼僧になると言ったのです。そこに信仰心はなく、ただただまともな環境を求めていました」
尼僧見習いの少女は、上空――夜闇のように暗いのに、はっきりとモノが見える不思議な闇だ――を見上げて、小さな声で、
「尼僧見習いとして救貧院を出たのが15のときです」
と、寂しげに言った。
「女社長さん、あなたは考えられますか? 劣悪な環境から逃げだすために、別の劣悪な環境に逃げ込む人間の気持ちというものを。そうして、召使いに抱えられて、歩く必要もない人間には、私の気持ちなど理解できないでしょうね」
「――理解は、できません。でも、理解しようと努力することは、できるかもしれません」
「ご立派ですね」
尼僧見習いの少女はシャーリーリの言葉を突っぱねると、また歩き出した。
次に見えてきたのは尼僧院だ。大理石の柱飾りのつけられた、古くて大きな建物。
「尼僧院で、私は天球盤の簡単な操作を覚えました。教皇庁の事務作業員になるのが、そのときの目標でした。そのときは、まさかこんなことになるとはつゆほども思っていませんでしたよ」
「ということは、やはりあなたはアルハティーヴ女官長ですか?」
「そうです。アルハティーヴという名前は、尼僧院でつけてもらったものです。その前の名前は忘れました。実験施設や救貧院では番号で呼ばれていましたから」
「番号で、呼ばれる……」
シャーリーリは怒りを覚えた。人間を番号で呼ぶなんて、いったいどれほどの傲慢なのか。
「――私のために、怒ってくれるのですか?」
「そうです。人間が番号で呼ばれるなんて、ぜったいにおかしい……」
「ふふ。私のために怒ってくれる人がいるなんて。生きているうちに知りたかった」
尼僧見習いの少女は嬉しそうに微笑んだ。どう見ても、普通の女の子の笑顔だった。
「尼僧院に、軍隊がやってきた日のことでも話しましょうか」
「軍隊、ですか」
「そうです。軍隊は、かつての実験施設の生き残りである私が尼僧院にいると知って、私を引き取りにきました。だから私は尼僧かつ軍属の人間という矛盾した二足のわらじということになったわけです」
場面が切り替わった。軍の施設のようだ。若者から年寄りから、軍服姿の人たちが一心不乱に天球盤を叩いている。
「私は天球盤の操作に高い適性を示したので、この任に当たることになりました。ここで私はハッキングの技術を学び、それを戦争に役立てることにしました。そのころが確か17歳」
「戦争……17歳の女の子が、戦争……」
「またしても哀れんでくださるんですね。あなたは本当に優しい。でも、そうやって生きていくしかなかったのです。なんとか生きていける方法を探した結果なのです」
「それは……」シャーリーリは言葉に詰まった。いままで、シャーリーリはほとんどなに不自由なく生きてきた。生きていける方法を探す、なんて考えもしなかったことだ。やりたいことをやらせてくれる家族がいたから、シャーリーリは女社長になることができた。
アルハティーヴ女官長の人生は、情状酌量の余地があるのではないだろうか? と思いかけて、いやいや、とシャーリーリは首を振った。許されることではない。アルハティーヴ女官長は、戦争犯罪者だ。世界中をたった一人で混乱させた、最悪の戦争犯罪者だ……。
「あなたがどれだけ可哀想でも、あなたが戦争犯罪者であることは変わりません」
「ええ、分かっていますとも。軍から教皇庁に勤め先が変わって、私にはやりたいことがあった。もう戦争に人間がいかなくて済むように、オートマタを作ることです。最新鋭の、オートクルスと呼ばれるタイプのものを。その戦闘記録を作ってよりよいオートマタにしていくことが、わたしの喜びでした」
尼僧見習いの少女は手を鳴らした。薄闇から、無数のオートマタが現れた。あきらかにオートマタのザリクの原形になったらしいものもいる。これらのオートマタを使って、人間が戦争にいかないで済むようにしたかった、という、確かに一見正義からの行動に思えることを、アルハティーヴ女官長はやろうとしていたのだ。
「これから先の時代、ぜったいに宗教戦争が起こる。そうなったら、教皇庁直属の軍隊は凄まじい数の兵士を戦場に送り込むことになる。そうなってしまったら、また私のような、実験施設で育つ子供が生まれてくるはず」
また情状酌量の余地を思わせることをアルハティーヴ女官長は、いや尼僧見習いの少女は言う。ぜったいに許していいことではない。シャーリーリは尼僧見習いの少女に、
「だとしても、あなたが世界を混乱と分断に巻き込んだことは、曲げようのない事実です」
と、静かに答えた。尼僧見習いの少女はアハハハと、下品な笑い声をたてる。
「それが悪だと、どうして言い切れます? 自分が正義の立場にいると、どうして言い切れます? あなたは絶対の正義なのですか?」
尼僧見習いの少女が言うことも、ある意味真実である、と、シャーリーリは思った。確かに自分が絶対の正義とは思えない。アレゴ強制収容所で騎士相手に暴れたことを思うと、じゅうぶん悪であるとも言える。
シャーリーリは考えた。なんとかして、この少女を論破しなくてはいけないと思った。顔をしかめていると、人間のほうのザリクが、
「お嬢様。顔がくちゃくちゃです。お嬢様は笑っておられる顔がいちばんいい」
と、そう言っておどけた顔をした。シャーリーリはううむ、と、とりあえず顔に力をいれるのはやめて、
「でもそれは逆に、あなたが正義とは限らない、ということでもありませんか」
と、いささか弱い意見であると想像できることを言った。尼僧見習いの少女はまた、アハハハと笑うと、
「そうです。この世界に絶対の正義はない。私とあなたの罪は、自分の行動が正義であると思ったことです」と、鋭い言葉をぶつけてきた。
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