6-6 悪夢の始まり

 ザリクはアルハティーヴ女官長に大して無力だ。本体のプロテクトのせいである。――しかしアルハティーヴ女官長はザリクを敵とみなしたようなことを言った。どういうことだろう――と考えて、エスカリオがアルハティーヴ女官長の天球盤を破壊したことを思い出す。ザリクの本体とアルハティーヴ女官長の天球盤が紐づけされていて、プロテクトが解けているのかもしれない。


「ザリク。あの人を攻撃できますか」

 シャーリーリがそう言うと、ザリクは「了解しました」と、目からビームを放った。

 プロテクトが解けているのだ。きっと勝てる。シャーリーリはそう思った。

 

 しかし、目からの光線はボンテージに跳ね返された。腕を伸ばして物理的に抑え込もうとしたが、それもボンテージの背中から生える機械の腕に弾かれ、鎖で断ち切られた。


 シャーリーリはザリクと行動していて初めて、(死ぬかもしれない)と思った。さっききっと勝てると思ったのは、大間違いだったのである。


 そんなに簡単には死なないのは分かっている。しかしアルハティーヴ女官長の火力は尋常でなかった。戦う相手を間違えた。そんな思いでいっぱいだ。


 現状、シャーリーリ一行は防戦一方となっていた。全員ひどく消耗していた。アルハティーヴ女官長にはさしたるダメージを与えられていない。


(消耗させて押し切るつもりだ)シャーリーリはアルハティーヴ女官長の戦略をそう推理した。しかしそれにしたって機関銃なんかは弾薬が足りなくなるのではあるまいか。シャーリーリはそれをエスカリオに問う。


「あれは恐らく空気に含まれる微細な塵から弾薬を錬成できるタイプの機関銃だ。そう簡単に弾薬は尽きない」エスカリオはそう答えながら、必死で天球盤を操作している。魔法生物を次々と召喚しても、あっという間に倒されてしまう……。


 全員が、絶望しかけていた。アルハティーヴ女官長には、勝てないのではないか、と。


 この、世界を混乱に陥れた戦争犯罪者に、勝てないのではないか、と。


 正義が悪に勝つのはどんなところでも正しいことだとされている。ただ、正義の基準は、当然人それぞれで、アルハティーヴ女官長は己を絶対の正義と定義しているのだろうとシャーリーリは考えた。己を絶対の正義と定義できる人間がこの世にいる。それはおかしいことでは?


 人間はだれしも過ちを犯す。人間はだれしも失敗する。それがシャーリーリの思う「人間」である。アルハティーヴ女官長は、自分が間違っていると考えたことがないのだ。


 もはや勝ち目はないのではないか。そう思ったとき、後ろに隠れていたサウが、すっくと立ち上がった。


「ザリク。ぼくがあのひとをぐるーっと囲うまで、ぼくをまもって」


「――ザリク。できますね?」


「了解しました」


「どうしました? 線引き鬼でも始めるつもりですか?」


「そうだね、ぼくは線引き鬼が好きだよ。小さいころ一番好きな遊びだった」


 サウは硬い口調でそう答えた。アルハティーヴ女官長はよく分からない顔をしている。サウは、どこかの会議室から拾ってきたらしいチョークで、アルハティーヴ女官長の周りに線を引き始めた。


「まさか本当に線引き鬼を始めるとは……、――?!」

 ようやくサウの目的に気付いたアルハティーヴ女官長は、機関銃をサウに向けた。その弾丸の嵐を、ザリクの伸ばされた手が防ぐ。


「おーう尼さん、俺と楽しいことしようぜ」ルッソが立ち上がった。背中から血が流れている。


「や、やめなさい――来るな! 汚らわしい賞金稼ぎめ!」


「おうおう、それが自分で雇った人間への言葉かね。どのみちあんたはもう、シャバには戻れない。ここでのことはみんなが見ている」


 そう言われたアルハティーヴ女官長は、一瞬だけ目線を外に向けた。その隙にザリクが新しい腕を伸ばしてアルハティーヴ女官長を抑え込む。


 建物の、ガラスの向こうでは、教皇庁で働くひとすべてが、アルハティーヴ女官長の暴虐を見つめていた。アルハティーヴ女官長を完全に恐れていて、もう信じない、という顔。


「アルハティーヴ女官長さま。あちらをご覧ください。もはやだれも、あなたを信じる人はおりませなんだ。拙僧なら、ここで潔く罪を認め、投降いたします。そのまま抵抗を続ければ、そのオートマタの手はアルハティーヴ女官長さまの首を絞めあげるでしょう」


 マッテオが冷静に言う。アルハティーヴ女官長は一言、

「それならば討ち死にするのみです」と、そう答えた。


 その間にサウがぐるりと線を引いた。


「ねー、アルハティーヴ女官長さん、アルハティーヴ女官長さんは死にたい?」


「あなたがたを討ち滅ぼしたうえで、なら」


「じゃあ、死んでるのか生きてるのかわかんないとこに行かせてあげるよ。ぼくは、アルハティーヴ女官長さんを、許せないんだ。なんでだろうね? わかんないけど」


 サウの引いた線からみな遠ざかる。ザリクの腕は切り離し、そのまま抑え込んで、サウが異能を放った――しかし、アルハティーヴ女官長は、どこにも消えなかった。その代わり、切り離されたザリクの腕だけが消えた。


「異能で私を倒せると思うのですか? 異能なんて存在しないもので、私は消えない」


「うーんざんねん」サウが首をかしげる。おそらく、異能を使う敵に対する防備があるのだ。


「サウのドカンも使えねえのか――なあ、アルハティーヴ女官長さん、」

 ルッソが大剣を大きく振るった。アルハティーヴ女官長はそれをかわし、体勢を立て直した。


「あんたは、いささかやりすぎたんじゃねえのかい? あんたはあんたの信じる正義に従ったんだろうが、それはやりすぎだったんじゃねえのかい? あんたの正義は、みんなの正義じゃあなかった、ってことじゃねーかい?」


「賞金稼ぎ、お前に言われるほど私は落ちぶれていないし、私の正義は揺るがない」


「なかなかに強い人だ。そういう気の強い女、わりと好みだよ」


「ふふ。男の方にそんなことを言われるのは初めてですね」


 ルッソの剣がアルハティーヴ女官長を追い詰めていく。廊下のどん詰まりまで、アルハティーヴ女官長は体勢を整えつつもろくに反撃できず、ついに討ち取る寸前まできた。


「――ジ・エンド、ってやつだ――ッ」


 唐突にルッソが膝をついた。ダメージを受けているのに動きすぎたのだ。



「ルッソ殿!」

 ヒナがルッソに駆け寄りつつ、矢じりのような投擲武器「クナイ」を、素早く放る。鋭いクナイはびゅん、と飛んで、アルハティーヴ女官長の顔面に命中した。


「俺ぁもうお迎えがくる。ヒナ、あとは任せた」ルッソはそう言って笑うと、ばたりと倒れた。


「……ただ単純に殺すだけでは許せない。あまたの人を混乱、恐怖、痛みに放り込んだ貴様を、拙者はぜったい許さない――苦しませて、誅殺する」


 ヒナはガリヤ国の言葉でそう言うと、腰に下げていた剣を抜いた。する……と抜かれた剣は、恐ろしく精巧にできていて、ヒナはその剣をアルハティーヴ女官長の右太ももの付け根に振り下ろした。アルハティーヴ女官長は、声にならない悲鳴を上げた。顔面が粉砕されたせいで、まともに声が出ないのだ。


 そうやって、ヒナはアルハティーヴ女官長の四肢をバラバラにして、それから、

「ここは、いちばんの被害者のシャーリーリ殿がトドメを刺されよ」と言ってきた。


「行きましょう、ザリク」


「了解しました」二人はアルハティーヴ女官長に近寄って、シャーリーリはヒナから剣を受け取り、アルハティーヴ女官長にトドメを刺した。とてつもなく重たい剣だった。


 これで、これでぜんぶ、終わったのだ。シャーリーリはため息をついた。


「――いけない。教皇庁のビルが壊れる。脱出しましょう――兄さん!」


 マッテオがルッソを助け起こし、一同教皇庁から脱出した。


 ルッソは意識がないようだった。エスカリオは天球盤の叩きすぎで手の爪がかけていた。ヒナは返り血をひどく浴びていた。サウは残酷シーンの見過ぎで震えていた。シャーリーリは、それを見て、ただ事でなかった、という思いを強くした。でも、これでぜんぶ終わったのだ。もう、戦う必要はないのだ。


 教皇庁を出て、シャーリーリは大きく息をした。


 それとほぼ同時に、教皇庁の建物はバリバリと音を立てて崩壊した。


「アルハティーヴ女官長さまは、戦争犯罪者でした。二度と、教皇庁に戦争犯罪者が入り込まないように、徹底的に対策をする必要がありますね」


 マッテオが冷静に言う。そのマッテオに背負われたルッソは鎧を血に染めている。


「だれかお医者を呼んでください。兄が死にそうです」マッテオはルッソを降ろしてそう言った。教皇庁所属の医師が現れ、ルッソを診て、

「いますぐ輸血が必要ですね」と言い、天球盤から輸血装置を取り出した。てきぱきとルッソの治療が進められていく。シャーリーリは安堵した。


 安堵した瞬間、シャーリーリは急に眠たくなってしまった。


 そして、そのまま眠ってしまった。頭の中でなにかがスパークして、夢に誰かが現れた。幼い少女だ。尼僧見習いの服装をして、髪を短く切りそろえている。


「さあ、話をしましょう」尼僧見習いの少女はそう言い、不気味に微笑んだ。


『第六章 決戦』完

『第七章 絶対の正義』に続く

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