6-5 二回目の個体登録

「る、ルッソさん? なんでここに?」シャーリーリの口から素っ頓狂な声が出た。


「挨拶はあとだ。お人形さん、助けたいんだろ?」


「……はい。もう記憶チップを壊したので、ザリクは戻ってきませんが」


「そうか。でもお人形は俺に任せろ。で、この建物は幸いガラスとコンクリでできてっから、火事になってもぜんぶ燃えちまうことはない。ガラスが熱でぐんにゃりになる前に、くだんの戦争犯罪者をとっ捕まえてこい。おそらく中にいる。俺と同じことを考えてな」


「……ルッソ、兄さん?」マッテオがポチ目になってルッソを見ている。


「おーマッテオ! 何年ぶりだ? 相変わらず坊さんやってんのか。お嬢ちゃんを頼む。マッテオ、敵の居場所はそこの銀縁眼鏡に訊けばわかるはずだ」


「いやルッソ、それが相手は探知を切っていて」


「なんかしら使ってない手段があるんだろ? 俺ぁ天球盤のことはよく分からんが、エスカリオが手詰まりになるバカだとは思えんし、もし仮にエスカリオが手詰まりになったらヒナがなにか策を持ってるだろうし、どうしてもだめなら最終手段としてサウの異能でドカンができる」


「えへへー。ぼく、さいごのきりふだ!」サウが無意味に胸を張る。


「諦めるな。人間は強欲なくらいがちょうどいいんだよ」

 ルッソはそう言い、笑顔になった。清々しい笑顔だ。


「あの。ど、どうしてザリクを、いえ、あのオートマタを、助けてくださるんですか?」


「そりゃあよ、お嬢ちゃんとお人形さんを、引き離しちゃいけないと思ったからだ。そんで、いつまでも弟を足代わりに使われても困るからだ。じゃあな!」


 ルッソはシャーリーリたちにサムズアップを向けて、燃え盛る教皇庁に飛び込んでいった。


「あの、マッテオさんとルッソさんって、ご兄弟なんですか?」


「ええ。拙僧ばかり勉強ができて褒められるせいで、兄は十五になるかならないかくらいで家を飛び出していきました。拙僧が僧侶になってからいっぺんだけ会いましたが、そのときはもうあの感じで。しかし兄にあんなやさしさがあるとは思いもしなかった。いきましょう」


 マッテオははっきり言葉を発して、教皇庁の建物に踏み込んだ。中はまるで、髪を乾かす魔法機械の熱風を正面から浴びているように熱されている。エスカリオが天球盤を叩いた。ぼわ、と泡のようなものが一行を守る。


「バリアの魔法。これで少しは安全になったはず」

 確かに熱さはさほど感じなくなったな、とシャーリーリは思った。


「とりあえず、相手はザリクの回収をしようとするはずです。戦闘記録が消滅していても、あるいは本体の記憶領域を調べるとか、分解整備すればどんな技を使ったか分かるかもしれない。それに関してはルッソさんが動いた。我々はアルハティーヴ女官長が選びそうな戦略を割り出さなければ」シャーリーリは冷静にそう言った。エスカリオが頷く。


「最初から作戦の立て直しということだね。まずザリクがどこにいるか確認だ」


 エスカリオが天球盤を叩いた。さきほどシャーリーリとアルハティーヴ女官長がザリクを挟んで対峙していた廊下が地図の上に示された。


「まだ相手はザリクを奪えていない。おそらく同じことをしてザリクを取り戻そうとするだろう。結局合流か」エスカリオは再び天球盤を叩く。小さな羽虫のようなものが飛んで、画面に映像が映った。


「お、ルッソだ。ザリクを見つけて担ぎ上げた。――あれ? 向こうからなんか来るぞ」


 画面に映ったのは、黒い僧衣の上から甲冑を身につけた僧兵たちだった。


「マッテオくん、彼らは?」


「アルハティーヴ女官長さまの直属部隊です。それも軍属でなく教皇庁所属の戦力です。手練ればかりで、兄ひとりで突破できるとは思えませんが」


「――しょうがない。なんとかなるかな」エスカリオははなはだ頼りないセリフののち、天球盤を操作した。教皇庁の天井に大きな穴が開き、そこから大きな魔法生物が現れた。いつぞやファトの村で見たやつの小型版、といった印象の魔法生物。


 その魔法生物は僧兵たちに襲い掛かった。僧兵たちは棍棒――なんとも原始的だが、なんだかんだ人間は叩かれたらダメージを負うので、とても有効な武器――を構えて、魔法生物を殴りにかかった。その隙にルッソがザリクを背負って走り出す。


「あの僧兵を倒すことができれば、容易にアルハティーヴ女官長さまの居所を吐かせることができると思います。アルハティーヴ女官長さまは部下に好かれていないので」


 マッテオの言葉に思わず吹き出しそうになりつつも、そんな場合じゃない、とシャーリーリは覚悟し直して、面々はさきほどの廊下に向かった。


「おうお嬢ちゃん! お人形は無事だぞ!」


 ルッソは担いでいたザリクを降ろした――刹那、ルッソの背中に無数の石弓の矢が突き刺さった。ルッソは目を見開き、ぐっと息を飲み込んでから、膝をついた。


「兄さん!」


「ルッソさん!」


「俺なら平気だ。これくらいのダメージ、なんてことない。しかし、いまどきの僧兵は飛び道具を使うんだな。抜いたら流血するだろうに」ルッソは苦笑した。


 ――どう見ても平気ではなかった。おそらく、内臓にまで矢じりは届いているだろう。ヒナが素早く手当てをする。


「きじゅがふかいれちゅ……」


「社長さん、早くザリクを起動して。これ、余ってる記憶チップ」


 エスカリオがシャーリーリに記憶チップを渡した。白紙化済みの真新しい記憶チップだ。刻まれている用量はシャーリーリの天球盤に使っている記憶チップのおよそ八倍。


 かちり、とザリクに記憶チップを差し込む。ザリクはあの嵐の夜のように、「記憶チップを認識しました これよりマスターの登録を開始します」とやっぱり悠長に言った。


 シャーリーリはザリクの顔を覗き込んで、

「わたしはシャーリーリ・イレイマン。アリラヒソプ葡萄酒貿易社の社長です」

 と、あの時と全く同じく、名前と肩書きを登録した。


「マスターの登録を完了しました。続いてオートマタの個体登録を開始します。八音以内で、本体の名前を登録してください」


「ザリク」シャーリーリは一瞬も躊躇せずに、そう登録した。ザリクは宝石の瞳を光らせて、

「個体登録を完了しました」と答えた。


「わたしを背負って移動することはできますか」


「了解しました」ザリクが無感情にそう言う。マッテオがシャーリーリをザリクに渡し、シャーリーリはザリクに背負われて、ほっと安堵した。


「向こうからくる僧兵を死なない程度にやっつけてください」シャーリーリはそう命令する。


「了解しました」ザリクは目からちゅんっと光を何発も放ち、僧兵の肩や膝を射抜いた。一生腕が動かなくなったり歩けなくなったりするかもしれないが、まあ自業自得というやつだろう。


 エスカリオが魔法生物を撤収し、一行は僧兵たちに近寄った。


「あなたがたの上官、アルハティーヴ女官長はどこですか」


「う――ぐう――」僧兵の一人の腹が、びくんびくんと動いた。寄生虫型魔法生物か。つくづく下品なやり方だな、とシャーリーリは思った。その僧兵に、いきなりヒナが口づけをした。なかなかショッキングな絵面で、僧兵の口から寄生虫を引きずり出す。


 ――物理的に、寄生虫が巨大すぎて、その僧兵は喉が裂けてしまった。むなしく喉をひゅうひゅうと鳴らす僧兵を、ヒナが軽く手当てして、別の僧兵に声をかける。


「アルハティーヴ女官長さまは……すぐ後ろにおられる」

「どういう――」シャーリーリが疑問を発しようとしたとき、

「こういうことです」と、冷たい女の声が響いた。尼僧服ではなくいわゆるボンテージのようなものを着ていて、これではとても聖職者には見えない。手にはモーニング・スターが握られ、背中には石弓を担いでいる。


「多勢に無勢だ。こっちの量的勝利は確実。大人しく戦争犯罪者として縛につけ」

 エスカリオがそう言うも、アルハティーヴ女官長はほほほと笑ってから、

「それは戦ってみてからの話でしょう」と言った。そのとき、アルハティーヴ女官長の体のいたるところから、たくさんの兵器が展開された。機関銃やレーザービーム、自動で動く鎖。こちらのほうが勢力が大きいといっても、これでは同じくらいの総合力になるのではないか。


「これが私の正体です。人間兵器と化した私に、倒せない相手はいない。最強のオートマタとはいえ、しょせん人モドキの機械。私には勝てません。では、始めましょうか」


 アルハティーヴ女官長の太ももから現れた機関銃が火を噴いた。それでも、シャーリーリは自分たちの勝利を信じていた。たまたま逸れた機関銃の弾丸が、ガラスの通路の壁に穴を開けた。

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