6-4 再会

(いけない――!)シャーリーリは思わずザリクにそっちに行くように命令しそうになって、いまはザリクでなくマッテオという若い僧侶の背中にいることを思い出す。


 天球盤にメッセージが届いた。


「オモチャが制御不能になった。このままじゃ無差別に人を殺しまくる」


 いやそんな重大なことをさらっと書かないでくださいエスカリオさん、とシャーリーリはぎり、と歯を鳴らす。


 素早く僧兵が飛び出し、セレメデクラム枢機卿を救い出した。しかし逃げ遅れた僧兵のひとりが、巨大なうねうねの魔法生物にのまれていく。


 シャーリーリは天球盤に、

「なんでですか」と打ち込む。数秒後、

「原因は僕じゃない。何らかの手段でオモチャの脳がハッキングされたのかも」と返ってきた。それを見て、これはアルハティーヴ女官長がやったな、と判断する。


「早く逃げてください、順番に」


 マッテオは混乱していた人たちにそう声をかけた。どうにか、脱出作業が始まった。


「教皇聖下はいらっしゃらないのですか?」


「幸いなことにメイルの神殿のお祭りにお出かけになられています。記念礼拝とかそういう」


 マッテオは妙に落ち着いた口調でそう言うと、

「我々も逃げましょう。――アルハティーヴ女官長がどこにいるか気になりますが、いまどうにかできることじゃない」と、そう言ってシャーリーリを背負いなおした。


「そうですね、安全第一」


「そう。安全第一。逃げれば安全。そして、逃げて時間を稼げれば、その時間で考えることもできる」


 思ったより、このマッテオという若者はずいぶんと賢いようだ。


「で、あの魔法生物を操っているのはイレイマンさんのお知り合いなんですよね」


「はい。でも誰かにハッキングされて操作不能になったとかで」


「ふーむ。それならおそらく、というかやはりアルハティーヴ女官長さまでしょうね。彼女はずば抜けた天球盤の知識と技術を持っている。他人の天球盤に侵入してメッセージを盗み読むなんておちゃのこさいさいですからね。魔法生物を操るなんて専門的すぎる知識があるか、そこは分からないですが、あれが天球盤で動いているならかなりありえる話です」


「アルハティーヴ女官長さまってそんなすごい人なんですか」


「すっごいですよ、軍の天球盤ネットワーク局にいた人で、っていうか現在進行形で軍の天球盤システムやネットワーク、それで動く無人兵器を開発するのを管轄されています。エンジニア、とも違う立場ですが、それをできる知識と技術はあるはず。よくいる無能な天球盤のことを知らない上司、というやつでないので、部下はごまかしが利かないそうです」


 マッテオの、くせっ毛の後頭部を眺めながら、シャーリーリはどうにか教皇庁のビルを脱出した。裏口にはエスカリオとヒナとサウがいた。


「よかった、みなさんご無事で」


「ぜんぜん無事じゃない。僕の大事にしてたひぞっこのオモチャがあの通りだ。責任をもって始末しなきゃいけないとはいえ――あれじゃ手に負えない」


 そんな、責任を持って始末するって犬のフンじゃないんだから……とシャーリーリは思った。


「あれえー? ザリクがお坊さんになってる!」サウののどかなセリフ。


「あ、この人はマッテオさんといいます。ザリクの記憶チップを壊して動けないところを助けてくださいました。セレメデクラム枢機卿猊下の部下だそうです」


「記憶チップを壊した? なんでまた」


「――アルハティーヴ女官長に、戦いの記憶を奪われて、戦争に使われたらいけないと思って、握って壊しました」シャーリーリはポケットから粉々になった記憶チップを取り出した。


「これじゃカスタマーサービスに送っても直してもらえないね」と、エスカリオ。


「あの、イレイマンさん。この人たちは?」マッテオにそう訊ねられて、シャーリーリは三人を紹介した。マッテオは笑顔で、「よろしくお願いしますね」と言った。


「――教皇庁がぶっ壊れるくらいならまだしも、市街地に被害が出たら大変だ。なんとかアルハティーヴ女官長さまを探しましょう」マッテオがそう提案する。


「え、教皇庁がぶっ壊れたらまずいんじゃないですか」とエスカリオが訊ねる。


「だって建物にはなんの威厳もありませんよ、人間が作ったものなので。我々聖職者の働くべき場所は、元来人々の間、人々の集まるところです。初代教会は荒野に建てられた天幕でした」


 マッテオはどこまでも聖典と二柱の神々に忠実な、僧侶かくあるべし、と言った印象の僧侶だな、とシャーリーリは思った。栗色のくせっ毛ばかり目に入るが、僧衣はどこも着崩したりしていないし、「美しいものは隠せ」の教えに従い、祈祷珠は僧衣のなかに隠してある。


「つまり教皇庁の建物が壊されても天幕なりなんなりで我々は働ける、ということです。さて、アルハティーヴ女官長さまはどこかな、と」


「探知が利くかもしれない。以前この天球盤から侵入しようとしたときのデータが残ってる」


「侵入ですか。侵入したとき壊されたんですよね」


「そう。不正侵入して相手を見ようとして破壊されたときはやられたと思っていたけど、よくよく考えたら相手の防壁にはじかれて壊れたら相手のデータを保存する、っていう機能をつけてたんだ。思ったより派手に壊れたから負けたと思ってた」


「で、その壊された天球盤を、ご自分で修理なされたんですか? すごいですねえ」


「天球盤なんて工場でおばちゃんがぱちぱち組み立ててるものだよ。作ろうと思えばいくらでも高性能なものが作れる。それはさておき――ううん、用意周到だ。現在地が検索できない」


「それじゃ詰みゃあないでちゅか」ヒナが頑張って言うが、やっぱりカタコトである。


「まだ詰みじゃない。どうにかして相手の天球盤を停止できれば、オモチャも停まるはずだ。命令系統を停めてやればなんとかなるはず。戦争犯罪者本人を探すのはそのあとでいい」


「でもまたあのときみたいに防壁にはじかれたら」シャーリーリが心配すると、

「ふふふ、二回も同じ手にかかるわけないじゃないか。もし前の、僕が侵入しようとしたときの防壁と同じなら、その防壁を破壊できる侵入方法を用意してある」エスカリオは自慢げに言う。シャーリーリは疑問を口にした。


「あの、エスカリオさんの天球盤ってすっごい貧相なパーツで修理してたじゃないですか。どこからそんなことができるパーツを?」


「ふつうにイェルレの街で買ってきたけど。決済は生きてたから、研究費の一部を回したんだ」


 なるほど行動が迅速だ。それをこの数時間で組み立てるなんて、天球盤はふつうの使い道しか知らないシャーリーリには気の遠くなる話である。


「よおしやってみよう。ぽちっとな」


 エスカリオはエンターキーを叩いた。ぶーん……と画面になにか表示される。


『対象の天球盤の破壊に成功しました』

 やった。これで勝ちだ。


 見るとエスカリオの作った魔法生物は動かなくなっていた。エスカリオは嬉しそうな顔で、

「この方法で壊されたら、エラーコードすら出ずにすべての作業が停止する。相手はいまごろ、うんともすんとも言わなくなった天球盤を必死でつついているだろうね」


「……すごいですね……天球盤ってそんなこともできるんですね」マッテオがしみじみと言う。


「セキュリティは大事、って話さ。マッテオ君、君も天球盤の仕組みを学ぶといいよ」


「考えておきます。ふだん雑務で忙殺されているので、そういうのでキャリアを積まないと」


 マッテオがそう答えた数秒後、耳をつんざくような轟音が響いた。


「な、なんだ?」エスカリオが振り返る。シャーリーリもそちらを見る。魔法生物が爆発して燃えていた。


「おかしい、あのオモチャは爆発しないはずだ。爆薬でやられたんだ」


 教皇庁の、美しいステンドグラスの建物が、めらめらと炎に包まれていく。


「――ザリク」


 シャーリーリは小さくそう呟いた。誰かに利用されるまえに燃えてしまえばいい、という気持ちと、愛おしくて、なくなってしまうのが悲しいという気持ちが、いっぺんにシャーリーリの心の中で渦を巻いた。シャーリーリは頬に涙がつたうのを感じた。


 もう記憶チップは木っ端みじんなんだ、助けたところでザリクは戻ってこない。


 それなら、こんな悲しい思い出を作らせた相手を、やっつけるしかない。


「――おう、そろそろ俺の出番かな?」

 聞きなれた声が聞こえて、シャーリーリは振り返った。


 ルッソが、大剣を背負って、そこに立っていた。

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