6-3 若い僧侶

「なにごとです?!」アルハティーヴ女官長は叫ぶ。向こうから、

「わかりません! なんだかバカでっかいものが入ってきました!」と、若い僧侶の声で返ってきた。


「なんだかバカでっかいもの、じゃ、なにがなんだかわかりません! もっと具体的に!」


「説明のしようがありません!」


 シャーリーリは入り口のほうをみた。教皇庁の建物は基本的にどこもガラスなので、よく見れば入り口でなにか起きているのがわかる。――エスカリオの魔法生物だ! 天球盤が不調なのによく呼び出せたものだ、とシャーリーリは感心した。


 シャーリーリは小さくガッツポーズをした。アルハティーヴ女官長はシャーリーリを一瞥して、「あとでまた」と呟き、廊下を走り去っていった。


 ザリク、いや名前を失ったオートマタは、静かにそこに佇んでいる。


「あなたは、もう、なにも知るべきでない」


 シャーリーリはそう言い、もはやザリクでなくなったオートマタの頭をそっと撫でた。なんとか手が届いて撫でられた感じだ。しかしザリクなしで行動しようとすると物理的に足がない。なかば這うようにして移動する。そこそこ高価な服、社長としての威儀を示すべく高級な仕立て屋に頼んで作らせた服が、どんどん汚れていく。


 兄たちが高級な仕立て屋に頼んでビジネスウェアを買うのは、ぱりっと着こなして、ビジネス相手にあなどられないようにするためだ、というのを知って、シャーリーリも女社長を始めるときに高級な服をひと揃え作った。しかし、この服は義足があるのが前提だった。


 母親に聞かれたら絶対怒られる「ちきしょう」というセリフをつぶやいて、シャーリーリは這って前進した。


「あ、あの。だいじょうぶですか?」

 誰かが話しかけてきた。振り返ると、若い僧侶――恐らくまだ助祭とかそれくらいの身分と思われる僧侶が、心配そうな顔でシャーリーリを見ていた。シャーリーリはすかさず名刺を取り出し、

「わたしはアリラヒソプ葡萄酒貿易社の社長、シャーリーリ・イレイマンと申します。ご覧の通り、生まれつき脚がありません。いま移動にてこずっているところです」と現状を述べた。


「そうだったんですか。早く逃げないと危ないですよ」


 そう言うと若い僧侶はシャーリーリをひょいと背負った。


「拙僧はマッテオ・ユートウと申します。セレメデクラム枢機卿さまのオフィスでコピーをとったりお茶くみをしたりしているものです」


「ということは、アルハティーヴ女官長さまの部下にあたるのですか?」


「いえ。アルハティーヴ女官長さまはどうしても人格が好きになれなくて、アルハティーヴ女官長さまの命令はひとつも守っていません。拙僧の主人は二柱の神だけです」

 マッテオはてへぺろの顔をした。その表情を見て、たぶん信頼してよさそうだ、とシャーリーリは判断した。こんなとき、ザリクがいてくれたら、本当に信頼できるかすぐわかったのに、とも思った。ここではだれを信頼していいのか、一瞬で自力で決めねばならないのだ。


「イレイマンさんのお名前はときおり枢機卿猊下から聞いております。若いのに野心的で、よいビジネスを展開しておられると。拙僧もよくアリラヒソプ葡萄酒貿易社の葡萄酒を飲みますが、ラベルに聖典の言葉が引用してあるのは素敵だなと思っております」


「そうですか。ありがとうございます。あの、――アルハティーヴ女官長さまが、戦争犯罪者だというのは、ご存知でしたか?」


「なんとなく感づいてはおりました。いま世界のあちこちで起きている分断を引き起こしているのは、すごく身近にいる人間だろうというのは察していました。教皇庁の権力がなければできないことですから」


「アルハティーヴ女官長さまは、枢機卿を名乗って暗殺者を集めたりしていたんです。そして、あそこで動かなくなっているオートマタの記憶チップに、戦闘記録を蓄積して、それを戦争につかうつもりだった。――戦闘記録のある記憶チップは壊しましたが」


「……ふむ。おおかたオートマタを量産して戦争に使うつもりだったんでしょう。宗教戦争ほど愚かなものはありません。宗教は人を守るものであってそれを理由に他者を攻撃してはいけない。それくらいのことも分からず尼僧の恰好をしていたんですか、あの人は」


「その通りです。で、さっき現れたバカでっかい魔法生物は、わたしの味方が呼び出したものです。その味方は魔法生物の研究者で、枢機卿を名乗って暗殺者を集めていたアルハティーヴ女官長に、研究費目当てで暗殺者として従っていて、アルハティーヴ女官長がニセ枢機卿だと気付いてその任務を離れわたしの味方になった人なんです」


「へえー! あんなでっかい魔法生物作れるんですか! 拙僧も神学校で簡単な魔法生物、聖典を守る猫型魔法生物の作り方を学びましたが、しかしあそこまででっかいのはどう作ればいいやら」


 ずいぶんのんきだな、このマッテオという僧侶は。


「あの、どこに向かってらっしゃるんです?」


「裏口です! 魔法生物に真正面から立ち向かうのは危険なので!」


 シャーリーリはそうですか、と答え、天球盤を取り出しエスカリオに連絡をいれた。

「いま教皇庁の裏口に向かっています」

 そう送ると、エスカリオから、

「りょうかいー」と返事がきた。ゆるい。


 とりあえずこれでエスカリオたちと合流できそうだ。シャーリーリはそう思ったが、教皇庁の一階はパニック状態になっていた。


 若い尼僧が泣きながら逃げ道を探し、歳のいった僧侶が怒鳴り散らす。


 エスカリオの作った魔法生物はとりあえず攻撃の手をゆるめたようだった。それでも、教皇庁の一階はひどい混乱をきたしていた。


「あ、エルセバルサム枢機卿猊下」と、マッテオが小さく声を発した。


「マッテオ君! 無事だったのかね。その背中の人は?」


「シャーリーリ・イレイマンさんです。ほら、アリラヒソプ葡萄酒貿易社社長の」


「……セレメデクラムお気に入りの商人か。なんの用で教皇庁に? メダルマは大災害で大変だと聞いたのに」


 シャーリーリはざっくりと、アルハティーヴ女官長がやったもろもろの事件のあらすじを説明し、エルセバルサム枢機卿は目をぱちぱちして、

「それは戦争犯罪者というやつじゃないか。なんのために」と言ってきた。


「ルルベル教を広めて愚かな異教徒を減らすためだそうです」


「それはおかしな話だ。聖典の『助けてくれない高僧と助けてくれる異教徒』のたとえを知らないのか」と、大真面目に言った。


「私もティラヘ侵攻を命令したが、東方世界の教化という目標は、あくまで建前で――もともとティラヘで起きていた内乱を鎮圧するためのものだ。ティラヘはもともとルルベル教の土地だし」


「エルセバルサム枢機卿猊下のお考え、それなら東方世界の教化を掲げる必要はなかったのでは? ただ内乱の鎮圧と言えばよかったではないですか」シャーリーリが訊ねると、

「教皇さまの御前会議を通過しないと我々の政治活動は行えないのだ。そして、我々枢機卿の行動は教化の建前がないと通らない」と、エルセバルサム枢機卿は苦笑した。


「つまり教皇庁は聖典に矛盾しているということですか」マッテオがいきなり言う。しかも声が大きい。みんなざわざわとマッテオに視線を集中させる。


「あ、や。えっと――教化、の建前が入らないとどんな施策も通らないということは、『助けてくれない高僧と助けてくれる異教徒』の教えに反するなあ、と思って」


「マッテオ君、きみは優秀だね……」エルセバルサム枢機卿がしみじみと言う。


「信じない人に同調圧力をかけて宗教を信じさせるのは、ロータナの邪教騒ぎで見たとおり、宗教を邪教に変えてしまう。まあロータナの邪教は本物の邪教でしたが。どんなに正しい教えでも、不本意に信じるのでは意味がないのではないでしょうか」


 シャーリーリが言うと、裏口にいた僧侶や尼僧はみな頷いた。


「あの」ふいに、若い尼僧が口を開いた。

「セレメデクラム枢機卿猊下は、どこにお逃げになられたのですか? いらっしゃらないなと思いまして」


 そのとき、大きな叫び声が聞こえた。セレメデクラム枢機卿の声だった。


 入り口のほうを振り返ると、魔法生物がセレメデクラム枢機卿に襲い掛かっていた。

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