6-2 記憶チップ

 確信はしたものの、その戦争犯罪者が武器を持って目の前に立っている、という現状はのんびりできるものではない。そして、恐らく相手はザリクを手に入れて、戦争に使うのだ。


「このオートマタの本来の持ち主は、アルハティーヴ女官長、あなたですね?」


「よく分かりましたね。正解です。しかし、まさかここまであなたに懐いてしまうとは。……記憶チップは回収させてもらいます。そして、あなたには、そうですね――うん、身代金を取り立てる材料にちょうどよさそうですね」


 うわ、簡単に殺さないでイレイマン家や家族のグループ会社からたかる気だ。シャーリーリはおぞましいものを見た、と思った。なんでこんな人間が教皇庁で働いているのか。シャーリーリは素直に、

「そういうことをして稼ぎたいなら、尼僧でなく山賊になるべきだったのでは?」

 と訊ねた。アルハティーヴ女官長はふふふと笑うと、

「最高権力のもとでやるから意味があるんですよ。ただの山賊なんてくだらないものにはなりたくありません」と答えた。


 全く理解できない。シャーリーリはそう思った。


「さあ、大人しくそのオートマタを渡しなさい」


「いやです。やっちまいなさい、ザリク」


「それはできません」


 初めてザリクがシャーリーリの言葉に単純に逆らった。シャーリーリはあわてて、

「どうしてですか? あの人は戦争犯罪者です。いままでわたしたちの進路を、悪辣な方法で妨害してきた、最悪の人間です」


「メイン脳にプロテクトがかかっています。対象に攻撃することはできません」


「そんな――」


 アルハティーヴ女官長は賢かった。記憶チップを変更されることを見越して、そもそもザリク本体にプロテクトをかけておいたのだ。


「さあ、分かったでしょう。そのオートマタを置いて――ああ、脚が不自由なんでしたね。車椅子をお持ちしますから、あきらめて教皇庁の資金になりなさい」


「不自由なんじゃありません。生まれたときからそもそも両足がありません」


「そういう状態で生まれて、よく大人になれたものですね。やはり裕福な家だからできることです。もし貧しい家に生まれていたら、確実に養護院に放り込まれたことでしょう」


「――わたしの両親は、ルルベル教徒として当たり前だ、と言っていましたが」


「それは一部の金持ちだから言えることです。数多くの貧しいルルベル教徒が、老人が病気で死ぬのを治療できず、病気の子供が死んでいくのをただ見ているのです」


 シャーリーリは悔いた。自分の境遇が当たり前であると思っていたことを悔いた。


 しかし悔いている場合ではない。どうにか切り抜けなければ。


 アルハティーヴ女官長は天球盤を見ないまま片手で操作した。ザリクは静かにアルハティーヴ女官長に歩み寄り、膝を折ってかしずいた。


「いい子ですね。そうです……背中の上の人間を、おろしなさい」


 アルハティーヴ女官長は天球盤を操作したようだった。ザリクは腕をたくさん生やして、シャーリーリをおろそうとした。シャーリーリは素早く、ザリクの記憶チップを抜いた。


「なにをする気ですか。返しなさい!」


「これはわたしの私物の記憶チップです。教皇庁とはいえ他人の私物を奪う権利はないはず」


「……変に知恵がある。これだから商人相手のことはやりづらい……そして確かにもとの記憶チップではない。……そうですね、取引といきましょうか。お得意でしょう? 記憶チップを渡してくれたら、あなたを捕らえることはしません。あなたを人質にしてイレイマン家や傘下の企業に身代金を要求することはしない。それでどうですか?」


「……条件としては悪くないと思います。しかし、――しかし。あなたのやってきたことを思うと、その条件は飲めない。メダルマの豪雨災害も、難破船が出て死者の出る嵐も、ティラヘ侵攻も、ロータナの邪教騒ぎも、東西の通信遮断も、イェルレの病気のデマも――すべてあなたの仕業。その条件を飲むということは、それらの悪行を許す、ということです。それはできない。ひとりのルルベル教徒として、それを飲むことは道理に反している」


「なるほど。さすがに取引慣れしている。商人というのは本当に賢い。ルルベル教徒を盾にされたらこちらは教皇庁ですからどうしようもない――んん?」


 ガラス張りの通路のずっと向こう、受付で誰かが足止めされていた。


「もう仲間が来ました。あなたの命運も尽きた」

 シャーリーリはそう言って、全力で笑顔を作った。


 正直なところ、シャーリーリは泣きながら逃げだしたい気持ちでいっぱいだった。こんな相手にならない相手と取引をするなんて怖くて仕方がなかった。


 でも物理的に逃げられない。シャーリーリはザリクに背負ってもらわないと移動できない。だから覚悟を決めるしかない。シャーリーリは毅然とした自分を頑張って演じながら、アルハティーヴ女官長に立ち向かうことに決めたのだ。


「受付からすら入れないようですが、それでどうして私の命運が尽きると?」


 その通りであった。いつものメンバーはさっくりと追い返されてしまったようだ。


「――少なくとも、わたしには味方がいて、その味方はわたしと同じくあなたは正しくない、と思っているということです。あなたには味方はいますか? そのオートマタは記憶チップを抜かれているので作動しない。あなたが戦争犯罪者だということが知れたら、あなたは教皇庁を追い出される。どうですか?」


「残念ながら、私に味方はいませんね。ですがあなたはいま、身動きすら取れないということをお忘れなく」


 アルハティーヴ女官長は手を伸ばして、シャーリーリの握りしめているザリクの記憶チップを奪おうとした。シャーリーリは躊躇せずに、アルハティーヴ女官長の、尼僧服に包まれた腕に噛みついた。


「?!」


 アルハティーヴ女官長は驚きの声を上げた。まさかこんな手段で反撃してくると思わなかったのだろう。アルハティーヴ女官長がのけぞった隙に、シャーリーリは手のなかで記憶チップをへし折った。


 これで、ザリクとの思い出は、ぜんぶ消えてしまった。


 でもこれでよかったのだ。ザリクが戦争犯罪に利用されるよりなら、ここまでの旅のことなんて、忘れてしまったほうがよかったのだ。


「――記憶チップが!」


「もう遅いです。……ご覧の通り、粉々です。カスタマーサービスに送っても直してもらえないと思いますよ」


 記憶チップは魔法のかかった小さな素焼きの陶片と金属を合わせたもので、手で壊してしまおうと思えば簡単に壊せるし、水に落としても壊れる。よく、こんなもろいものに、たくさんのことを記憶させようと思ったものだ。シャーリーリは少し寂しくそう思った。


「そのオートマタの記憶さえあれば、もっと強力なオートマタを生み出して、戦線拡大に伴う兵力不足を補えたのに。そうすればルルベル教は世界中に広まり、ユラ教やその他の異教を信じる愚かな人々も減るのに」


「異教徒は愚かと決めつける発想が愚かです。聖典にあるではないですか、『助けてくれない高僧と助けてくれる異教徒、どちらが友か?』と」


「……つくづく。つくづく、あなたは――純粋にルルベル教徒なのですね。『和であれ、人と人をつなげば和は環となり宝となる』を実践して生きている。しかし、あなたが思うより、人間はずっと残酷なのです。聖典に載っているようなきれいごとでは済まされない。あなたはきれいごとにしか生きていない」


 そうだろうか。シャーリーリはいままで、ビジネスでそうとう悪いことをしてきたと思っている。ビジネスだけじゃない、アレゴでは騎士を倒しまくった。


「さあ、そのオートマタはあなたのものです。新しい記憶チップを用意して、小間使いにでもしたらどうですか」


 シャーリーリはそう言ってあおった。アルハティーヴ女官長は無表情だ。


「諦めろ、と、いうことですか。そうですね、なんの罪もないと思って正義の味方ごっこをしている人間からしたら、そういう結論になるのも分かります。しかしながら、私には戦争を終結させて世界を統一するという任務がある。邪魔者は排除しなければ」


 アルハティーヴ女官長はモーニング・スターを構えた。しかし、そのとき爆音がした。

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