第六章 決戦

6-1 戦って死ぬことが誉れ

 セレメデクラム枢機卿は、しばらく難しい顔をしてから、

「それはもみ消すわけにはいかないだろうか」と呟いた。彼らしからぬセリフだ、とシャーリーリは思った。


「なぜです? その戦争犯罪者はメダルマの町を破壊し、ロータナの町を邪教で飲み込み、東西の通信網を遮断し、イェルレの町に病気が流行っているという嘘を流した人間ですよ。許されることではありません。それに、このオートマタを、戦争のためにメダルマから遠い経路でここに向かわせたんです。それだけじゃありません、意志を操る寄生虫をひとに飲ませて自害させたり、見たものを天球盤に送信するチップを人に埋め込んだりしたんですよ」


「ま、まあまあ。落ち着いて。――アルハティーヴくんがさっき出ていったのは、なんだったんだい? 廊下ですれ違ったのだけれど――テーブルクロスを持っていたっけ」


「さきほど、アルハティーヴ女官長がお茶を淹れてくださったんです。そのお茶のカップを、このオートマタが割ってしまって。毒が入っている、とオートマタは言っていました」


「ふむ。アルハティーヴくんが、イレイマンさんを謀殺しようとした、と言いたいのかい?」


「そう考えるのが妥当だと思うのですが、しかし――単純に、アルハティーヴ女官長がこの一連の戦争犯罪の犯人だと考えるのは無理がある気もするのです。というのはこのオートマタの直感――ヒントが足りなかっただけかもしれないですけど、このオートマタはアルハティーヴ女官長が戦争犯罪者だとは言い切りませんでした」


「ほう。……私は時々考えるんだが、アルハティーヴくんは戦って死ぬことを誉れとしているんじゃなかろうか、と思うことがある」


「戦って死ぬことが、誉れ、ですか」


「そう。ルルベル教において生きることは神に喜ばれることだ。だから戦って死ぬことを誉れとする異教の考えを取り入れてはいけない。しかし、アルハティーヴくんは――皇立軍隊が戦地に赴くとき、生きて帰ってこいと言うことはめったにない。皇立軍隊はルルベル教の教えを守るために戦う軍隊だ。それに、いちばんの教義である『生きることは神に喜ばれること』という教えを押し出さないのに、ずっと違和感を覚えていた」


「――では、猊下も、やはり――」


「だからこそもみ消したいんだ。私の直属の部下がそういう思想を持っていたことがおおやけになったら、私もろとも失脚する。アルハティーヴくんを左遷させるだけで済むなら、そうしたい」


「……そんな」


 シャーリーリは言葉を失った。このセレメデクラム枢機卿が権力に支配されているなんて考えたくなかったのだ。


 シャーリーリはしばらく考え込んでから、

「本当にそれでいいのですか?」と訊ねた。


「なぜ?」


「仮に、農業修道女としてどこかへんぴな農村に送り込んだとして、彼女の天球盤の知識なら、猊下の天球盤を遠隔で操ることもできるはずです。それで、いま起きていること以上の騒ぎを、彼女に起こされたら、どうされます? 例えば――猊下の天球盤から、教皇聖下への反逆の意志を示すメッセージを出される、とか、そういうことだってありえます」


「――ふむ。見た覚えのない既読メッセージはそういうことか……しかし――天球盤を渡さなければいいだけでは?」


「農村にもときどき行商人が来て、安価な天球盤を売っていると聞いたことがあります。それ以外にも入手経路はあるはずです。完全に天球盤に触れさせないことは不可能です」


「もみ消すことも難しい、か。どうしたものだろう」


 セレメデクラム枢機卿は窓の外をちらりと見た。つられてシャーリーリも窓の外を見る。


 ――町が、燃えていた。

「な、なんだいこれは」セレメデクラム枢機卿の声が裏返る。シャーリーリはザリクに、

「なにごとですか」と訊ねた。ザリクはしばらく黙ってから、

「わかりません」と自信のない顔で答えた。ザリクがこんな顔をするのは初めてだ。そのときカバンのなかの、シャーリーリの天球盤に着信があった。取り出す。ヒナからメッセージがきていた。


「猊下、失礼します」


 天球盤を操作すると、短いメッセージが送られていた。


「ホテルが燃えている 脱出はできたがサウがいない」


 サウがいない。なんでこんなときに。


「どうしたのかね?」


「燃えているホテルから、仲間が脱出しそびれたかもしれない、という連絡です」


「それは大変だ。助けに行かなくては――」


 どっかん。


 すごく大きな音がした。何ごとかと窓を見ると、燃えていたホテルがなくなっていた。セレメデクラム枢機卿は驚いた顔をして、窓の外に釘付けである。


「いまのは、いったい」


「旅の途中で出会った、ユラ教の元神学生のしわざでしょう。なんでもものを消してしまう異能を持っているんです」


「なるほど……壊すより簡単な鎮火方法だ。イェルレの建物は基本的に壊しにくいからね……」


 シャーリーリは天球盤を操作して、

「サウさんは無事ですね」とヒナに送った。ヒナは、

「そのようだ いま逃げだしてエスカリオと中央公園にいる」と送ってきた。


 ――シャーリーリは一瞬の違和感を覚えた。ヒナからのメッセージを開くほんの一瞬前に、既読がついたような気がしたのだ。嫌な予感がした。


「あの、わたしは仲間を助けに行こうと思います。せっかくお会いできたのに、なんの生産性もない話しかできなかったのをお許しください」


「気にしていないよ。一人でずっと頑張ってきたイレイマンさんが、仲間を得ていると知れただけでもよかった。――アルハティーヴ女官長についてはまだ確信ではないから、ちょっと教皇庁の中を確かめてみる。その上で戦争犯罪者がいるとしたら、私はそれを許さない」


 セレメデクラム枢機卿は笑顔で答えた。柔和なひとだ、とシャーリーリは思う。


「ザリク、行きましょう。急いだほうがよさそうです」


「了解しました」ザリクはちょっと間延びした調子でそう答えた。


 ザリクの背中に乗り、教皇庁の建物を出ようと移動する。一本道の廊下のむこうに、アルハティーヴ女官長が立っていた。手には、いわゆるモーニング・スターが握られている。


「あの、どうなされたのですか?」


 シャーリーリの言葉に、アルハティーヴ女官長は、

「町が異教徒に襲われたようです」と答えた。少し間を開けてから、

「ユラ教の異能者のようですね。ホテルを消してしまった。異教徒を許すわけにはいかない。ここはルルベル教の聖都イェルレですから」と、付け加えた。


「あの。それはその異能者に聞いて考えることでは?」


「異教徒は殲滅する。皇立軍隊で学んだことです。異教徒はすべて悪を生じさせるものです」


「それはおかしいと思います」


「なぜです? 私は聖職者で、それに軍隊を動かす力がある。悪は滅ぼさねばなりません。だとしたら、これ以上合理的な答えは存在しないでしょう」


「わたしはビジネスをするものです。メダルマは基本的に西方ルルベル教半分、ユラ教半分の町でしたが、そこでわたしはよいビジネスができた。ユラ教の人も、葡萄酒を飲むのです」


「意見の食い違いのようですね……皇立軍隊で、私はすべての異教徒を殲滅せよと教わった。だから戦う。それだけです。あなたのように、異教徒とずぶずぶのビジネスをする商人のせいで、この西方世界に異教の考え方が流れ込む」


「そうかもしれません。しかし、異教徒も人であるという前提は変わりません。異教からルルベル教に改宗する可能性だってあるはずです。それを促すことこそ、教皇庁の仕事ではありませんか?」


「やはり、意見が食い違う。あなたはそれでもルルベル教徒ですか。聖職者の言葉には従えと教わりませんでしたか」


 シャーリーリは、アルハティーヴ女官長が戦争犯罪者だと、そう確信した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る