5-6 枢機卿との対話

 シャーリーリはザリクに背負われて、会談場所に指定された教皇庁の会議室に向かっていた。イェルレの高層建築の建ち並ぶ街に人はおらず、静まり返っている。


 ずっと奥に、教皇庁のきらびやかな建物が見えた。ステンドグラスをふんだんに用いた、見るからに優美な建物。この教皇庁に、西方世界を統一する政府機能が集中している。


 ステンドグラスの自動ドアが開き、中に入る。僧侶や尼僧の姿をした役人が、忙しそうに空中に渡された廊下を行き来している。だれもマスクをつけていないので、シャーリーリはマスクをとった。受付にいる若い尼僧に、

「アリラヒソプ葡萄酒貿易社の社長の、シャーリーリ・イレイマンと申します。セレメデクラム枢機卿とお話をさせていただく約束があるはずですが」

 と、声をかける。若い尼僧は化粧っけのない、少女のような顔で微笑むと、

「少々お待ちくださいませ」と、天球盤を操作した。しばらく画面を確認して、

「2階の第5会議室へどうぞ。枢機卿猊下はまだお仕事の途中なので、少ししてからいらっしゃると思います。第5会議室は2階に上がって右です」と、尼僧ははきはきと答えた。


 なんだ、アルハティーヴ女官長に妨害されるかと思ったらそんなことはなかった。第5会議室は小ぢんまりとしたガラス張りの会議室で、中に人が入るとガラスが曇るようになっている。


 ザリクから降りて、シャーリーリはおもわず、太ももの付け根からついていない脚をみた。生まれたのが裕福な商人の家だったから、そして生きることを尊ぶルルベル教徒の家だったから、こうして生きている。異教徒のところだったら捨てられて死んでいただろう。


「ザリク、ついにここまで来たんですね」

 ザリクに声をかける。ザリクは静かに、

「まだ目的は達成されていません」と答えた。目的。そんなに明確に存在しただろうか。


「目的っていうと……戦争犯罪者をやっつけることですか?」


「いいえ。戦争犯罪者が誰なのか明確に把握し、その戦争犯罪者を討ち倒すことです」


「ではザリクは、アルハティーヴ女官長は戦争犯罪者ではないと?」


「まだわからない、ということです」


 ザリクの直感、いや機械だから直感もなにも答えはいつも一つなわけだが、それがアルハティーヴ女官長を戦争犯罪者と認めていない、ということは、やはり違うのだろうか。


 かつ、かつ、と、かかとの高い靴の足音が聞こえた。ドアをあけて、位の高い尼僧のいでたちの、シャーリーリとさほど年ごろの変わらない女が入ってきた。尼僧なのでほぼ化粧はしていないが、しかしわずかに唇に赤い色を乗せたような顔だ。


「お初にお目にかかります、アルハティーヴと申します」


「シャーリーリ・イレイマンです」


 シャーリーリは素早く名刺入れから名刺を取り出した。ロータナで地元の印刷屋に作ってもらったものだ。アルハティーヴ女官長も、名刺を差し出す。


 久しぶりに名刺交換をして、シャーリーリはまじまじとアルハティーヴ女官長の名刺を見た。天球盤の呼び出し番号と名前と所属、それからルルベル教のシンボルである盃の模様だけが描かれている。実にシンプルな、ごくごくありがちな聖職者の名刺だ。


 怪しまれずに話を進めたい。いや、すでに相手はザリクがなんなのか、シャーリーリがどういう経緯でここにいるのか知っている。少なくとも自分が相手を疑っていることを悟らせないように話を進めよう。シャーリーリはそう思って話を切り出した。


「今回お邪魔したのは、メダルマ復興のことなんですが」


「メダルマ、豪雨災害でたくさんの人が亡くなっているそうですね」


「ええ――わたしは運よく、というか当時は運悪くと思ったんですが、船で聖登録祭のためにエルテラに帰ろうとしていて、途中船が難破して、イーヤ国に流れ着いて――そのときから、一緒に難破したこのオートマタを足がわりに使っているのですが、あとからメダルマの災害のことを聞いて」


「ああ、シャーリーリさんは足が不自由なのですよね。先日仕事を引き継いだ前の女官長が、こういう女傑がビジネス相手だ、と言っておりました」


 女傑。ずいぶん派手な評価だ。


「前の女官長さまはどうなされたのですか?」


「お金を扱う仕事が嫌になったらしくて、いまはユスフで農業修道女をしています」

 おそらくアルハティーヴ女官長の策にハメられて左遷させられたのだろう。ユスフというのは、イェルレ近郊の農村だ。


「枢機卿猊下、遅くなられるんですか?」


「いまちょっとハンコを押してサインしなくてはならない書類がたくさんあるみたいで。簡単に言えば雑務ってところですね……ハンコを押すまではわたくしでもいいのですが、サインまでやってしまったら偽造文書になってしまいます」


 アルハティーヴ女官長は困った顔でちょっとおどけてそう言う。シャーリーリは、

「教皇庁はまだ天球盤処理に切り替えていないんですか」と訊ねた。


「そうなんです。いまだに紙でないと処理できない仕事が山のようにあって、さすがに時代錯誤なのでなんとかしたいと考えているのですが――ああ、お茶を用意いたしますね」


 アルハティーヴ女官長はいすから立ち上がると、会議室の隅にある魔法瓶からお湯を汲んでお茶を淹れはじめた。ユスフで作っている果実茶の、あまい果物の香りが部屋に満ちる。


「このお茶、教皇庁が作っているんです。売り上げは貧しい方への施しとして使われます。売店で買えるので、気に入られましたらぜひどうぞ」


「ありがとうございます――」


 シャーリーリがお茶を受け取ろうとした瞬間、ザリクの目から光がちゅんっと出た。光はお茶を淹れたカップを割り、お茶はテーブルにぶちまけられた。


 まあこうなるだろう。シャーリーリとしては想定の範囲内だ。しかしわからないふりをして、

「ザリク、なにをするんですか」

 と、少し強めの口調でザリクをいさめた。


「あのお茶には毒が含まれています」

 アルハティーヴ女官長は青ざめていた。ここまでの性能を発揮するのは想定外ということか。


「どういうことなんでしょうか」


「いえ、わたくしはなにも――あ、ああ、テーブルクロスが。いま片付けます」

 アルハティーヴ女官長はテーブルクロスを片付け逃げだすように第5会議室を飛び出していった。シャーリーリは天球盤を取り出し、エスカリオに一言、

「アルハティーヴ女官長に毒を盛られそうになりました」と送信した。数秒後、

「やはりクロか」とだけ帰ってきた。


 アルハティーヴ女官長が出ていってから数分後、セレメデクラム枢機卿が会議室に入ってきた。本当に復興計画の話をする顔だ、とシャーリーリは思った。


「髪につけているのはイーヤ国の織物かな?」と、枢機卿は切り出した。


「ええ。難破してたどり着いたイーヤ国で、とある高い地位の方にいただいたものです」


「イーヤ国にも布教活動を広げていかねばならないねえ……ああ、メダルマのこと、本当に心を痛めているんだ。街の8割が流されてしまったとか。イレイマンさんの会社もそうなのかな?」


「なにぶん現場にいたわけではないので明確には分かりませんが、社員と連絡がつかないのを見るとおそらくそうなのでしょう。それで、ひとつ猊下のお耳にいれたいことがあって」


「なにかな? なんだか顔が怖いよ、イレイマンさん」


「メダルマの豪雨災害は、雲爆弾で引き起こされたものだ、と知り合いの学者が言っていました。穀倉地帯に打ち込んで作物を押し流すあれです」


「雲爆弾……? そんなものを、なんのために。どこの軍隊かね、エルセバルサム枢機卿の私設軍隊かね」


「いえ。それよりもっとたちの悪い、いわゆる戦争犯罪者が、教皇庁に潜り込んでいる可能性があります。だとすれば、大規模な通信網の遮断やロータナでの邪教騒ぎも、聖都イェルレの病気の噂も、わたしがここまでくる間に進路を妨害されたことも、すべて納得がいくのですが」


「戦争犯罪者が、教皇庁に。そんなことが……いや。ここ数か月、随分と仕事が少なかった。仕事はアルハティーヴ女官長が持ってくる決まりなんだが、いくつか私の目につかないところで処理した可能性がある――それから、そのオートマタは、なんだい?」


「その戦争犯罪者が、オートマタによる戦闘を記録させて、より強い兵器用オートマタを作るために、メダルマからイェルレまで移動するように作ったものです。つまり、わたしは策にハマって、戦わせながら移動させてしまったのです」


 セレメデクラム枢機卿が、シャーリーリの言葉に、静かに息を吐いた。


『第五章 聖都イェルレ』完

『第六章 決戦』に続く

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