5-5 ニセ枢機卿の正体

「このイェルレの町は、だれも家から出てこない事態が長く続いておるのだと思う。ほれ、そちらに市が見えておるが、どこにおいても人の集まるはずの市にすら人の気配はないし、そも市でなにか売られている気配もない」


 確かに、イェルレの市場には人通りがなく、かつては香辛料や葡萄酒の売買でにぎやかだった店先にはなんの品物も並んでいない。おかしい。なにがあったんだろう、とシャーリーリは考える。考えてもなにも思いつかなくて、シャーリーリは自分の考えの弱さにがっかりした。


 結局シャーリーリは、

「とりあえず宿を探しましょう。それでなにか名物料理でも食べましょうか」

 と、無難というか、どちらかというとのんきなアイディアを出した。


「なるほど。宿の人にこの町の情勢を聞くってことか。それはいいね」エスカリオが賛同した。というわけで、一同大きなホテルの前についた。シャーリーリが子どものころ聖地巡礼で家族と泊まったホテルだ。


 ホテルのドアには、「マスクをつけていない方の入館はお断りしております」という貼り紙がしてあった。一同だれもマスクなんかつけていないし持っていない……と思ったらエスカリオが実験のとき安全のためにつけているという紙マスクを配ってくれた。


 とりあえずそれで中に入る。入ると消毒液が用意されていた。それで手をきれいにして中に進む。


 ホテルのスタッフもみなマスクをつけていた。なにか病気でも流行っているのだろうか。そう思ってシャーリーリは受付の若い女性にそれを訊ねた。若い女性は、

「いま魔法性病原菌っていうのが流行っていて……病気にかかるとほぼ助からないと教皇庁からお達しがあって、防ぐにはマスクと手洗いぐらいしか手段がないらしくて」と答えた。


 おかしい。教皇庁がお達しを出すような病気が流行っているのに、ほかの土地でその噂を聞くことはなかったし、新聞や天球盤のニュースで見ることもなかった。


「ほかの土地では噂すら聞かなかったんですが」


「そうなんですか? 我々イェルレの人間は、世界中で流行っていると思っていました」


 とにかく部屋をふたつとった。部屋に据えてある新聞――イェルレのローカル紙――をとり、開いてみると、毎日魔法性病原菌のせいですさまじい数の死者が出ている、とあった。


 こんなペースで死者が出たら、いかに大都市イェルレといえど都市機能が壊滅するのではなかろうか、とシャーリーリは思う。


 とりあえずその魔法性病原菌が噓か本当か分からないので、安全策としてホテルのルームサービスで「季節の郷土料理ご膳・時価」というのを発注した。出てきたのは羊肉のローストと、ゴツゴツした瓜と葉物野菜を油で和えた料理、ふわふわで焦げ目のない白いパンと、それに塗る川に住む生き物――淡水生のウニみたいなやつ――のハラワタとバターを合わせた調味料、手で皮のむける柑橘類、葡萄酒、というすごく豪華な食事だった。


 葡萄酒のボトルを見ると、アリラヒソプ葡萄酒貿易社のラベルが貼られている。シャーリーリは嬉しくなって、いやいや嬉しくなってる場合じゃない、と自制する。現状アリラヒソプ葡萄酒貿易社のメダルマ本社は壊滅しているのである!


 ハラワタ入りバターをパンにのせてかじると、いかにも大人の味、というほろ苦さとバターの芳醇な香りが感じられたが、ヒナはおいしくない顔をしている。シャーリーリがためしに羊肉のローストにハラワタ入りバターをのせてみると、それはそれはおいしかった。


 しかしホテルの時価のご馳走にしてはずいぶんあっさりしてるな。シャーリーリはそう思った。食事のあと天球盤を起動し、セレメデクラム枢機卿に連絡してみる。


「やあ。最近ずいぶん連絡をくれるね」


「あの。聖都イェルレに到着したのですが、街のほうが静まり返っていて、なにごとかと思ったら命にかかわる病気が流行っていると聞いたのですが、教皇庁は無事ですか?」


「病気? そんなの流行ってたかい? アルハティーヴくん」


 天球盤の向こうで、セレメデクラム枢機卿がアルハティーヴ女官長に声をかけた。アルハティーヴ女官長は、

「さあ……街に変な噂が流行るのは往々にしてよくあることですから」

 と、シンプルに答えたが、シャーリーリは追撃する。


「いま滞在しているホテルの従業員のかたが、教皇庁からマスクと手洗いをしろとお達しがあったと言っていたのですが」そう切り返すとセレメデクラム枢機卿はうーんと悩んで、

「そんな命令を出した記憶はないなあ。どうなんだい、アルハティーヴくん」と、またアルハティーヴ女官長に訊ねた。


「それも誤解じゃないですか? なにか『ニセ教皇庁』みたいなものがあるとか。よくあることです。権力の偽物なんて」


「じゃあ、ホテルの部屋にあった新聞にも、病気ですごい数の使者が出ているとあるのですが、これもガセ、ということでいいんですね? なぜそれを取り締まらないのですか、アルハティーヴ女官長」


「それは我々が後手後手に回っているということですよね。その通りです。なるべく早急に取り下げさせます。申し訳ありません」


 アルハティーヴ女官長がぺこりと頭をさげたのが映り込んだ。実に白々しい謝罪だとシャーリーリは思った。


「そうですか、……あの、猊下。近いうちに、メダルマ復興支援策について話し合いたいと思うのですが、いつなら都合がよろしいでしょうか?」


「明日でもあさってでも、私ならいつでもヒマだよ」


「わかりました、それでは明日うかがいます」

 シャーリーリが通話を切ったその瞬間、窓をぶち破ってニンジャが飛び込んできた。割れたガラスがシャーリーリの頬をひっかいていく。


「ザリク! やっちまいなさい!」


「了解しました」ザリクはそう答えると、腕をびゅん! と伸ばして、ニンジャの首を壁に思いきり押し付けた。ニンジャは脱出しようともがいているが、しかし次第に力が奪われて、動かなくなっていく。死なないギリギリで手を放すと、気絶した忍者はぐったりと床に倒れ込んだ。


「紋を見る限り、これは拙者と同じ流派のニンジャ。大至急でエスカリオ殿を呼んでまいる」


 ヒナは部屋を飛び出していった。エスカリオとサウをつれてヒナはすぐ戻ってきた。


 エスカリオはニンジャの体を調べて、

「とりあえず寄生虫を飲まされているとかではなさそうだ。しかし、ニンジャをこれだけ集めるってどういうことなんだろうか。ガリヤ国にだってそうウジャウジャいるわけじゃないでしょ? ニンジャって」


「うむ。隠れ里にわずかにおり、殿様の命をうけて働くのが我々の――あっごめんなちゃい。ちゅいいちゅものこおばでしゃべっちゃったでしゅ」


 ザリクが腕を伸ばす。字幕が表示された。ヒナはガリヤ国の言葉で話し始めた。


「ニンジャは基本的に、隠れ里に住んでおる。さまざまな国の殿様の命をうけて、ビジネスとして暗殺や諜報をするのがニンジャの仕事でござる。――しかしこのニンジャ、拙者とおなじ流派なれど顔に見覚えがない……というか、ガリヤ国の人間ですらない。正統なニンジャでなく、術をコピーした、要するに偽物ニンジャであると思われる」


「偽物ニンジャ……あっ、気がつきました」シャーリーリは偽物ニンジャが舌を噛まないよう、適当なところにあったタオルをその口にがっと突っ込んだ。ザリクがまた腕を生やして、偽物ニンジャの手首足首を抑え込む。


「じゃあ尋問装置を使ってみよう。社長さん、ちょっと天球盤を借りるよ」


 エスカリオは自分の天球盤にシャーリーリの天球盤を接続し、何かのコードをニンジャのこめかみにぷすっと刺した。


「きみはどこからきて、誰に雇われたんだい? どうやって、ニンジャの技を手に入れた?」


 シャーリーリの天球盤に、「傭兵部隊から選抜された アルハティーヴ女官長に雇われた 高速ラーニングでニンジャの技を会得した」と表示された。


 なるほど、とエスカリオが呟き、ヒナは「高速ラーニングで会得できるほどニンジャの技は簡単ではないぞ」と不機嫌顔。


「これですべてが明らかになりました。明日、わたしはセレメデクラム枢機卿猊下とお会いします。それがどうなるか、ですかね」


「とりあえずホテルの人を呼んで、ニンジャを公権力に引き渡そう。そこからニセ枢機卿の企みを暴ける可能性だってある」エスカリオが真面目な顔でそう言って、備え付けの呼び出しボタンを押した。まもなくホテルの従業員がきて、騎士団を呼んでくれた。

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