5-4 天球盤
「ヒナさんも、相手はニセ枢機卿だとご存知でしたか」
「うむ。拙者はロータナでエスカリオ殿が申されたことを聞いて、ことの次第を悟ってござるが、されどすぐ信じられるものではありませなんだ。しかしながら、ロータナのエスカリオ殿の話を聞いた直後、司令が届いてござる――そこから、もうニセ枢機卿には従わぬと決めたのでござるよ」
ヒナが、ロータナでシャーリーリとエスカリオの話したことを聞いていたことにまずはびっくりしたが、しかしヒナの実力であれば可能だろうとシャーリーリは思いなおした。
「司令ですか」
「うむ。今すぐエスカリオ殿を仕留めよ、という。あきらかに真実が漏れることを恐れて口を封じる手であったゆえ、これはおかしいと思ったのでござる」
「ヒナさんはどうやって司令を受けていたのですか?」
「ガリヤ国の最新鋭小型天球盤でござる」
ヒナは手首を見せてきた。腕時計のようなものをつけている。ぱちりと竜頭を押すと、小型の天球盤が展開された。すごい発明だ。これは売れるぞ。シャーリーリはそう思った。
「ほかのみなさんはどうされていたんでしょう」
「鳩の手紙だとか、使者を通じてだとか、それぞれ違うようでござるが――とにかく。もう拙者はニセ枢機卿に従う気はないのでござる。不必要な苦しみを生み出すのは、一撃必殺の忍者のやることではないゆえ」
なるほど合理的だ。シャーリーリはそう思った。
「シャーリーリ、それ何語?」
サウがのどかに訊ねてくる。シャーリーリは、
「ガリヤ国の言葉です。こちらの方に見覚えは?」
と、ヒナをサウに紹介する。サウは首をかしげて、
「どこかで見たことあるんだけどな~」と考え込む。
「……ヒナじゃないか」と、エスカリオが声を上げた。エスカリオはさっきから、セレメデクラム枢機卿の身辺の洗い出しをしていた。
「わー! ヒナ! 元気そうでよかった!」サウが嬉しい笑顔になる。ヒナはよほど赤ちゃん言葉になるのが嫌なのか、小さく頭を下げるガリヤ国の挨拶で返した。
「ヒナもニセ枢機卿退治にいくのかい?」
エスカリオの言葉にヒナは頷いた。頑として西方語を話す気はないらしい。
「エスカリオさん、洗い出しはどんな感じですか?」
「うーん……ここ半年でアルハティーヴ女官長を通じて出したメッセージがほとんどになってはいるんだけど、でも特に戦争犯罪者っぽいことは言っていない。そこはセレメデクラム枢機卿の口から出た言葉ってことにしてるわけだから当然なんだろうけど」
「アルハティーヴ女官長についてはなにか分かりましたか?」
「――いや。めぼしい情報はほとんどない。ただ、女官のなかではずば抜けた学歴と、ずば抜けた軍人としての経歴が目立つね」
学歴。軍人としての経歴。いかにも怪しい感じである。
「軍人だったころはなにをした人なんですか?」
「軍人だったころ、というか、現在進行形で軍属でもあるようだね。ルグで起きた内乱を鎮圧したときは戦略家として活躍したみたいだ。前線には出ていない。つまり後ろから軍隊を支援したり作戦を考えたりしていたわけだね」
ルグの内乱とは随分最近のことだ、とシャーリーリは思った。ルグはエルテラの北にある都市で、そこで市民が蜂起し騎士団とぶつかり合ったことは記憶に新しい。確かシャーリーリがメダルマを出る支度をしていたころ、とかそんな感じの時期の出来事ではないだろうか。
「やれやれ、正規ルートで調べてみようと思うとなんにも分からないな。ちょいとずるい手を使うしかない」
「ずるい手があるならそっちを先に使えばよかったじゃないですか」
「いや、ずるい手を使っちゃうと天球盤にかかる負荷が大きくなって処理落ちとかマシントラブルにつながるから温存しておいたのさ」
エスカリオはすごいスピードで天球盤を操作した。エスカリオの天球盤はしばらくフリーズしたのち、動き出した。
「ずるい手ってなにをするの?」と、サウ。
「まあ言ってしまえば、アルハティーヴ女官長の天球盤に侵入して、内部を見るわけだ」
「そえはやめたほうがいいでちゅ!」ヒナは慌てた声を上げた。エスカリオはいったん天球盤に触れる手をとめて、
「どうしてだい?」と訊ねた。
「そえはあたちもためちたでちゅ。そしたあてんきゅうばんがこあれて、しゅうりにだしたでちゅ。おそやくアルハティーヴにょかんちょおのてんきゅうばんは、こーどなぼーごシステムにまもらえているとおもわれまちゅ」
「なるほど……じゃあやめておこうか。それに司令を出していた天球盤が、戦争犯罪に使っていた天球盤とは限らないし……おや?」
エスカリオは天球盤を操作して、
「指令だ。もうこないものとばかり――なになに。女社長を足止めせよ。聖都イェルレに入れるな。さすがにこれに僕らが従うとは思ってないんだろうけど、いちおう返信してみようか……ニセ枢機卿さま、その命令には従えません、と」
エスカリオがメッセージを送って数秒後、エスカリオの天球盤が「ぼん」と大きな音を立てて壊れた。
「あっ……しまった。相手はこっちの天球盤を壊すって策を使ってきたか」
エスカリオはため息をつくと、荷物から工具を取り出して、天球盤を分解し始めた。シャーリーリは天球盤を分解して直せるものだと思ったことはないが、しかしエスカリオみたいな学者ならそれもできるのかもしれない。
「だめだね。メイン脳をやられた」
「メイン脳って、天球盤のいちばんの要のパーツじゃないですか!」シャーリーリがそう言う。エスカリオの天球盤が壊れてしまったら、もう魔法生物を召喚する手は使えない。
「まあそうなんだけど――待ってて、替えのパーツがないか探してみる」
エスカリオは妙に大きな荷物をゴソゴソして、
「メイン脳に据えるにははなはだ頼りないけど、これを使うしかない」と、脳カードを取り出した。それをかちりと天球盤にはめ込み再起動すると、かなりのろい速度でエスカリオの天球盤は起動した。
「やっぱりメイン脳に使うには容量不足だなあ……でもまあ、基本的にできることは同じだし。これでよし」エスカリオが天球盤を終了した。
駅馬車はミュエレの駅を通過した。この二駅先が聖都イェルレだ。
シャーリーリは聖都イェルレを訪れるのは初めてではない。小さいころに、家族で巡礼旅行に来たことがある。美しい白い石で組まれた街並みを覚えているが、いまはどうなのだろう。
シャーリーリは自分の天球盤を取り出して操作した。ニュースを確認するのだ。特に気になる見出しはなく、スルーしそうになったとき、メッセージが届いた。セレメデクラム枢機卿からだ。
開いてみると、セレメデクラム枢機卿の代理のものが送ってきたメッセージで、セレメデクラム枢機卿は体調が思わしくないので面会はできない、帰ってくれ、というものだった。
シャーリーリはもう一度ニュースを開く。枢機卿が病気になればそれこそ大ニュースになるだろう。だが、セレメデクラム枢機卿についてのニュースはない。
シャーリーリはメッセージを送り返した。なぜ枢機卿の病気という大きなニュースがおおやけに報じられないのか、と。メッセージは少し時間をあけて、おおやけにすると人民の心に不安を引き起こすため発表していない、と返ってきた。
おかしい。絶対になにかおかしい。
聖都イェルレの駅が近づいてきた。シャーリーリはザリクに命じて、背中に負ってもらった。駅馬車は間もなく聖都イェルレに到着した。
降りてみると、大都市であるはずの聖都イェルレは、妙に人通りの少ない、閑散とした雰囲気になっていた。ヒナはすっと目を走らせて、ぱっと表情をゆがめた。
「――これは、おそらく――もう人がふつうの日常生活を送る場所ではなくなってござるな」
「どういうこと、です?」
シャーリーリはヒナに訊ねた。ヒナはふるふると首を振る。
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