5-2 ニンジャ
聖都イェルレへは、ロータナから駅馬車を乗り継いで向かう。天球盤の決済を有効にしたので、いまでは特級席に座ることもできるが、さすがにこの顔ぶれで特級席に座るのは周りの乗客から見てどうかと思ったので、とりあえずいちばん安い3級客車に乗ることにした。3級客車の乗客はシャーリーリ一行だけだ。
ロータナ発メイル行きの駅馬車は、からんからん――という軽快な鐘の音と共に走りだした。メイルは通称「大女神のおひざ元メイル」と呼ばれる都市で、ルルベル教の女神ルル神を祭った巨大な神殿がある。西方ルルベル教徒なら一度訪れたい街、とも呼ばれる。
イェルレにはメイルでさらに西方行きに乗り換えて向かう。イェルレ行きの駅馬車にそのまま乗っていればシャーリーリの故郷、エルテラに着くわけだが、シャーリーリはエルテラに向かう気はなかった。この大惨事を引き起こした人間を洗いだして、叩きのめさねばならないと、シャーリーリは決意していた。
メイルまでおよそ一日。3等客車には車内販売はこないので、あらかじめ食べられるドライフラワーとハムがたっぷり乗ったパンを結構な量買っておいた。
駅馬車の旅はなかなか気分のいいもので、外に広がる平野や森、大陸最大の湖であるエデサレ湖に映る大陸最高峰のシーズ山などが見える。エデサレ湖に映るシーズ山にはしゃぐサウをほほえましく眺めながら、シャーリーリはお昼ご飯に、ドライフラワーとハムのパンを食べていた。ドライフラワーのサクサクした歯ごたえと、ハムのもっちりした歯ごたえがやはりおいしい。食べ物がおいしいというのは都市のために大事なことだ。イーヤ国の屋台のふわふわがおいしかったように、栄えている街の食べ物はおいしいと決まっている。
「うわあーすっごいなー。海みたいだー」サウは笑顔でエデサレ湖を見ている。この様子だけでは、ヤバい異能を使うヤバい人間には見えない。シャーリーリはふと気になって、
「サウさんは、どこのご出身ですか? 海の近くですか?」と、サウに訊ねた。
「えーっとね、ファトから海沿いに少し行ったあたりにある、ネウトスって村だよ。特にさんぎょーもなくてね、びんぼーなぎょみんしかすんでない村だよ」
サウは笑顔で答えると、パンをとってモグモグしはじめた。
「どうやって、アルハティーヴ女官長……いえ。まだ確定ではないので、ニセ枢機卿に見出されたのですか?」
「なんかね、小さいころに、友達と線引き鬼をしていて、友達を吹っ飛ばしちゃったんだ」
線引き鬼というのがどんな遊びか分からないが、おそらく棒で線を引く遊びなのだろう。サウはちょっと寂しそうに言った。
「それでね、村長さんがぼくをきょーかいにつれてって――ネウトスはユラ教の土地なんだけど、神官さまにしらべてもらって、異能持ちだってわかったんだ」
ユラ教。世界でも比較的メジャーな宗教で、ルルベル教と違って異能の存在を認めている宗教だ。神官になるには異能が必要である。
村々にひとつ教会のある宗教の、その神官がみな異能持ちなら、異能持ちというのは思いのほか多いのかもしれない。ルルベル教は異能を否定しているが、否定されているものを含めると世界というのは思いのほか広いのだな、とシャーリーリは思った。
「でね、ぼくも神官になるはずだったんだけど、異能が人のびょうきをなおすとか、なにかをきれいにするとかじゃなくて、ものをけしてしまう異能だったから、神官にはなれなかったんだ。それで、しんがっこうをやめたところを、ニセ枢機卿のししゃにつかまえられて、狩人になった」
異教徒まで使うのか、ニセ枢機卿は。シャーリーリはめらめらと怒りが湧きたってきた。怒りでパンを食べる勢いが増す。うまい。
「お嬢ちゃん、太るぞ」ルッソのするどい指摘。シャーリーリはパンを適当なところでちぎり、パンを食べるのをいったん中止した。
そうやって移動するうちに日が暮れて、駅馬車はその日最後の駅、トクルにいったん停車した。エスカリオがふたのできる瓶の飲み物と駅弁を調達してくれた。
トクルは森の街と呼ばれる街で、シーズ山のふもとに位置している。弁当の中身はナッツをふんだんに使った米の料理と、ドングリ豚の肉料理、それから野菜の和え物だった。飲み物は、緑色の濃い、かすかに苦いが甘味のあるお茶だ。甘いが砂糖は入っていないらしい。
「トクルのお茶は研究の合間に飲むと最高なんだよ。疲れがとれるよ。大学で研究者してたころ、よくお取り寄せの茶葉を買ってたんだ」
エスカリオがちょっと不気味な笑顔でそう言う。でも確かに飲むと気持ちがしゃきっとする。
ナッツと米を蒸したものは、ほんのりしょっぱい味付けで、ナッツのコリコリした食感と米の柔らかい歯ごたえがベストマッチである。ドングリ豚は独特な香りのある葉っぱで包み焼きされていて、脂気が強いが美味である。しかし野菜の和え物だけはひたすら苦くて、シャーリーリはおいしいと思えなかった。エスカリオ曰く「これは苦菜だね」とのこと。こんな極端に苦いものを堂々と料理に使うセンスが理解できないとシャーリーリは思った。
さて、夕食を終えてそろそろ寝る時間だ。本当は風呂に入りたかったが特級席の個室しか風呂はない。しょうがないので3級客車の床で雑魚寝することになった。その間も、駅馬車はどんどん西に向かっていく。そのうちに灯りが落ちた。
――夜更け、だいぶ遅い時間に、シャーリーリは目を覚ました。なにか嫌な予感がする。ザリクの背中に乗せてもらわないと行動できないので、省力モードのザリクをつついて起こす。
「ザリク、なんだか変な気配がします。この周りになにか危険なものはいませんか」
「……ただいま探知中です。ただいま探知中です」
寝ぼけたような口調でザリクが言う。ザリクは本当に人間みたいだな、とのどかに考えて、シャーリーリはそれよりいま変な気配や嫌な予感がしたほうが問題なんだ、と思い直す。
「2級客車のほうから接近する人物がいるのを探知しました」
――2級客車の乗客が3級客車になんの用だろうか。そう思ったとき、ザリクが無数の腕を伸ばしてシャーリーリを抱きしめた。守る、死守する、という印象の行動だった。
「みなさん、起きてください! なにか危険です!」
「なんだぁこんな夜中に……おわっと!」
ルッソが驚きの声を上げる。ルッソの脇腹をかすめて、ナイフのような投擲武器が飛んできた。――ヒナだろうか。投擲武器をザリクがとり、シャーリーリはそれをまじ、と見る。矢じりのような形に丸い持ち手。ヒナの投擲武器にそっくりだが、ヒナのものはもうちょっと手入れされていたように感じる。
「なに~? ぼくねむいよ~」サウが起きてきた。エスカリオも、起きるなり飲みさしのお茶をぐいっとあおって飲んだ。
「ヒナかぁ? ドアの陰にでも隠れてるのか?」
ルッソは大剣を抜いてドアの陰を覗き込み、「ぐわっ」と悲鳴を上げた。とても精確に、みぞおちを突かれたのだ。至近距離で繰り出される体術の精密さは、やはりニンジャだろう。
ザリクが目からちゅんっと光線を放つも、ニンジャはそれを鏡で撃ち返してきた。光は窓ガラスをぶち抜き、窓ガラスには丸い穴がぼつっとできた。
相手は狭いところで戦うプロだ。しかしこちらは外で戦うのに向いた顔ぶれしかいない。これがニセ枢機卿の策だとしたらなんて的確な策だろう、とシャーリーリは敵の策ながら感嘆した。ロータナからイェルレに向かうルートが駅馬車であることも読んでいるのだ。
ザリクが腕を伸ばし、客車をつなぐ通路から相手を引きずりだそうとする。しかし相手は逆にザリクの腕を掴み、引きずりこもうとしてくる。それなら両手がふさがっているはずだ。シャーリーリはザリクに、「ビームです!」と命令した。ザリクはまた目から光線をちゅんと放ったが、それは手ではなく腕につけられた鏡で撃ち返された。撃ち返された光線は、ザリクの頬をかすめて天井に突き刺さった。ザリクの頬から循環液が染み出す。
「これはえらいことだ」冷静にエスカリオが呟き、天球盤をッターンと叩く。天球盤から、タコのような魔法生物がぬるぬると三匹ばかり飛び出してくる。こいつら、そんなに役に立つんだろうか、とシャーリーリは思ったものの、いまこうして魔法生物がはっきりと見えるのは西方人の水色の目だからだ、と気付く。相手がニンジャであれば当然ガリヤ国の人間で、であれば夜闇にあまり強くない黒い目をしているはずだ。
ニンジャがエスカリオの魔法生物に攻撃されているうちに、ルッソが体勢を立て直し、ニンジャを引きずり出す。男性のニンジャだ。ヒナとは体格がぜんぜん違う。ルッソはそのままニンジャの腕を極めて、ザリクの腕がニンジャに伸びる。指が網のようになってニンジャを拘束すると、ニンジャは抵抗しなくなった。
「あなたは、だれに雇われたのですか――」
シャーリーリがガリヤ語で訊ねた瞬間、ニンジャは舌を噛んで自害した。
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