4-6 目指すべきところ
ロータナの街は、一同が活躍した三日後には、元通りになった。
人を祭壇で焼く邪教は、完全に滅びた。寺院がなくなり、生贄を捧げる場所がなくなったのもあるし、みなぼつぼつと正気に戻って、渦巻き模様の紙をかがり火で燃やし始めたのも理由だろう。燃やす場所はかつて寺院のあったところで、そこは広々とした空き地になっていた。
あっという間に市場が再開し、寄生虫に騙されて腹が減らなくなっていた人たちも、腹が空いて食べ物を買い求めるようになった。
完全なる一件落着、である。
ダウラスの両親も正気になって、なにをしていたのか思い出してダウラスとレダに謝り、レダを助けたシャーリーリやルッソ、サウやエスカリオに頭を下げた。
みんなが正気になった日の新聞には、「邪教 謎の消滅」の文字が踊った。まともな頭になって考えれば、どう考えたって真ルルベル教は邪教だったのだ。
一同はダウラスの部屋に居候して事態を見守っていたが、オルトが「寮の部屋は狭いんで、自分の部屋にもどうぞ」と、サウとエスカリオを預かってくれた。
オルトは、街じゅうが同じ宗教を拝んでいる、という同調圧力に負け、そして自分は狂わないでいられるという無根拠な自信で、入信儀礼を受けてしまったのだ、と説明した。
「しょうがありません。周りと一緒でないと人間は怖く思うものです」
シャーリーリはそう言ってオルトをなぐさめた。オルトは、ぺこぺこしていた。自分のやったことの重さを恐れているように見えたので、シャーリーリは、
「大丈夫です。本当に悪い人間は、――ここでなく、よそにいます。わたしたちは、その人間を倒さないことには、納得しません。この『人優しきロータナ』を、ボロボロにした犯人を――なんとかやっつけてみせます」と、笑顔で答えた。
ロータナには駅馬車が通っていた。あいにくエルテラに直行する路線ではなかったが、それを使って西方世界から「イレイマン・トイズ」の社員がやってきた。ロータナで起きたことを確認しようにも、未知の邪教がはびこっているとなると来るわけにいかなかったし、そもそも邪教に乗っ取られている間は駅の業務が停まっていたようだ。
イレイマン・トイズの社員を捕まえて、シャーリーリは、
「あの。あなたがたはサリオッツ・イレイマンの会社の社員ですよね」
と、声をかけた。エルテラにある本社の社員ではなかったが、何度か自宅に招いて宴会をした記憶がある。
「――もしかして、シャーリーリさまですか? 船の事故で亡くなったとばかり」中年の社員がシャーリーリの顔を見て驚いた。シャーリーリは頷くと、生き延びた経緯について説明した。中年の社員は天球盤を起動し、シャーリーリの兄に報告しようとしたが、しかし相変わらず「通信が途絶しています」と表示されている。
「おっかしいなあ、駅馬車のなかではふつうに動いたんだが」
「おそらく、駅馬車の中では有線の回線が動いてたんだろうね」エスカリオがそう言う。
いまどき、たいていの駅馬車の車内で有線通信ができるようになっている。一見するとコードなどはないので有線であることに気付かないが、天球盤から発される魔力を車内の配線が認識し、それで万全の通信ができるのである。
「じゃあ、帰りの駅馬車に同乗すれば、父や兄に連絡をとれるということですか?」
「しかし……駅馬車の料金は私一人分しかいただいていません。帰りの駅馬車に乗ったら、忘れずに社長に連絡して、助けてもらえるようお願いします」
「ありがとうございます。わたしはしばらくロータナに逗留しようと思います。どうぞよろしく伝えてください」
イレイマン・トイズの社員は、大きく頷いて、工場の視察に向かった。シャーリーリたちもそれについていく。社員は、すすを吸わないようにハンカチで口を覆いながら、
「これはひどい」と呟いた。
「ロータナの人はなにより火事を恐れると聞いていたのに。こんなむごたらしいことを」
「邪教に乗っ取られて、異教徒死すべしになっていたんです。仕方がないです。それより再建策を考えないと。工場を再建しないことにはなにも始まりません」
「……お嬢ちゃんよお。あんたバリバリの商売人だな」ルッソが呆れる。シャーリーリは苦笑すると、
「仕方がありません。イレイマンの家に生まれてしまったんですから」
と、答えて、焼け落ちた建物から空に目線をうつした。
空には大きな雲がモクモクと浮いている。エルテラでは聖登録祭のころ見るような雲だ。天気は西から順番に変わっていく。もう聖登録祭は終わってしまっている。
「――そうだ。メダルマには連絡できないでしょうか。メダルマの、アリラヒソプ葡萄酒貿易社!」シャーリーリはそう言い、メダルマの自分の会社に連絡するために社員から天球盤を借りて、カタカタと操作した。
メダルマの会社は東だ。西方世界と分断されていても、東方世界のメダルマとは連絡がつくはず。そう期待して、会社の副社長の天球盤に通信してみる。
「その呼び出し番号は消滅しています」
そう表示された。どういうことだ? 天球盤が壊れている、ということか?
ほかの社員にも連絡を試みる。みんなかたっぱしから呼び出し番号が消滅している。シャーリーリは目をむいて天球盤を睨んだ。
「東方世界でなにかあったんでしょうか」
「分かりません……調べてみましょう」
親切な社員はニュース検索を起動し、メダルマ、と打ち込んだ。
「メダルマで洪水 市民8000人が行方不明」
メダルマの市民8000人が行方不明。
シャーリーリは頭が爆発しそうだった。8000人というとメダルマの人口のおよそ3分の2。社員たちや、近所のよくしてくれた人たち、街の商工会議所の人たちを思い出して、シャーリーリは歯を食いしばって泣くのを我慢した。
なんでこんな大事なことを知らなかったんだろう。
「あの、エスカリオさん。メダルマの洪水は、天災でしょうか、はたまた誰かの悪事でしょうか」
「さーすがに洪水を人力で起こすのは難しいと思うけど――でもこの雨雲は不自然かもしれない。なんで東から近寄ってるんだ? 天気はふつう西から変わるものだ――これは」
エスカリオは天球盤をカタカタと操作すると、
「雲爆弾だ」と呟いた。雲爆弾。昔戦争時代に用いられたもので、敵の穀倉地帯に打ち込んで、ひどい曇り空と豪雨を引き起こし、作物を育たないようにする爆弾だ。
「……!」シャーリーリは、怒りで言葉が出なくなった。
拳を震わせて、まだ見ぬ敵を、なんとかして粉々にしなくてはならない、と、古典小説の、王に反逆する若者のように思った。大事なシャーリーリの会社や、兄の会社の工場を奪い、ティラヘの街を戦争でめためたにし、「人優しきロータナ」と呼ばれる街に寄生虫を放って邪教を流行らせ、そしてそれはすべてザリクに戦闘データを蓄積させるため、だなんて。許せないとシャーリーリは思った。そして、ザリクが可哀想だ、とも、思った。
「シャーリーリ、なにけついした顔してるの?」サウがのどかぁにそう訊ねてきた。
「枢機卿もどきを倒さないことには、わたしはエルテラには帰れません。しばらくこの街で、兄の工場の復興を手伝ってから、聖都イェルレに向かおうと思います」
「面白くなってきたじゃねえか。その分のお給金はちゃんと出るんだよな?」
「へぇー、イレイマン家がスポンサーになるならついていこうかな。魔法生物の研究資金、なんとか手に入れないことには」
「ぼくもついてくよ~」
「ありがとうございます、みんな……でもまずは兄の会社の工場をどうにかするところから始めないと。それも手伝ってくれますか?」
「もちろんだ。見た目通り大工仕事は得意なんでな」と、ルッソは明るい口調で言う。
「システムの開発だったら自信があるよ」エスカリオは銀縁眼鏡をくいっと上げる。
「ぼくなんの役にたつかな~」はなはだ心もとないサウのつぶやき。
「これから、工場再建にむけて社員が来ます。それとともに、シャーリーリさまのことも、社長に連絡しておきます」
「よろしくお願いします。……敵は、イェルレにいる」
シャーリーリは空を見上げた。大きな雲が、ぼんやりと浮かんでいた。
『第四章 偽りの聖典』完
『第五章 聖都イェルレ』に続く
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