4-5 ダウラスの実家
ダウラスの実家に急ぐ。街には至るところに呪いよけの渦巻き模様が貼られており、住宅街に入るとその密度はいっそう上がる。正直かなり気味が悪い。
「こっちです。この角を曲がって二軒目――」
ダウラスの実家は、壁に隙間なく渦巻き模様が貼られていた。それだけで、家族の呪いへの恐怖が伝わってくる。恐怖で支配する宗教なんて宗教じゃない、とシャーリーリは思った。
ダウラスはドアを開けた。特に鍵はついていない。さすが「人優しきロータナ」である。家の中からは、なにか誰かが暴力を振るっているような声が聞こえた。みんなで中に入ると、さっきダウラスの部屋に来た若者――オルトと、他にも何人かの人間が、黒い塊を蹴ったり叩いたりしていた。黒い塊は、よく見るとまだ幼さの残る少女だった。
「オルト! お前、騙したな!?」
ダウラスが叫ぶ。少女に暴力を振るっていた一団は顔を上げてダウラスを見る。
「騙すも何も、一家全員入信儀礼を受ければ、その家に吹く呪いの風は止むんだ。お前とお前の妹が信じないから、お前の父さん母さんは呪われて、貧乏になったんだ」
「たすけて……」少女がそう呟く。ザリクの腕がその少女を守るように伸びる。どうやらこの少女が、ダウラスの妹のレダらしい。
「なんでレダに暴力を振るうんだ」
「お前の妹は、頑なに入信儀礼を嫌がっている。お前の父さん母さんに、聖典に基づいた入信儀礼を受けるように説得してくれ、って頼まれて、どうしてもうんと言わないからやってるんだ」
ザリクがレダを抱え上げる。目は片方だけ濁っていて、もう片方は美しい水色だ。どうやら寄生虫型魔法生物に侵されつつあるらしい。この街でいま女性がみんな着ている、目しか出ない装束を着ているが、しかし邪教を信じている、というわけではないようだ。
「おい。レダを返せ。レダは俺たちと入信儀礼をするんだ」
そう言う若者の一団をよく見ると、一人祭司のような服装の人がいて、その人はなにやらインクのツボのようなものと、針のようなものを持っていた。刺青の道具だ。
「ザリク! あのインクのツボを撃ちぬいてください!」
「了解しました」
ばりばりばりばり、とすごい音がして、ザリクの目からレーザーが出た。火力が上がりっぱなしだ。インクのツボと、その後ろの祭司風の人が吹っ飛んだ。
インクのツボが弾けて、床にインクが落ちる。落ちたインクは、じゅっ、と焼けるような音を立てて、床にシミをつくった。祭司風の人は気絶しているだけで、体が焼けたりはしていない。どうやら祭司服が体を守ったようだ。
「あいつ、ぶった切っていいか?」ルッソがそう言い剣を握る。若者たちは本職の戦士ではないようで、一歩後ずさった。祭司が起き上がり、聖典のようなものを開く。
「神は我らに答えてくださるはずだ。異教徒を殺せ、五体満足でないものを殺せと、神は仰せられる」
自分も殺される対象なのか、とシャーリーリはぞわりとした。生まれたときから両脚のないシャーリーリを、西方ルルベル教徒の家族は大事に育て、愛してくれた。だから、五体満足でないものを殺せ、という宗教は、絶対に間違っている。ずばり言って邪教だ。
「ザリク! やっちまいなさい!」
轟音を立ててザリクの目からビームが発射される。祭司はそれを魔法で作った盾で防御した。なかなかの使い手と見える。しかし、ルッソが壁を蹴って空中をかっ飛び、祭司の背中に一撃を見舞う。前方を防御するのでいっぱいいっぱいだった祭司は、簡単に倒れて、背中からじくじくと血を流した。ダウラスも、その辺に置いてあった椅子を武器にして、邪教の人々を殴っている。
「神に逆らうのかっ」
「そんなの神じゃない。ロータナの神様は、火事よけのイスールさまだ!」
ダウラスはそう叫び、椅子で人をぶん殴った。殴られた人はあっさり倒れた。随分と倒れるのが早い。その場にいた邪教のひとたちを全滅させて、一同家の中を確認する。
家の中にもあちこちに渦巻き模様が貼られていた。二階に上がると、子供部屋がふたつあって、片方はダウラスが使っていたらしくいまは物置きになっており、もう片方の部屋はレダの部屋のようだ。
レダの部屋には、渦巻き模様は貼られていなかった。
とりあえずレダの怪我を手当てしなければ。倒れた邪教の人たちを縛り上げ、レダを居間のソファに寝かせる。黒い服の下には、いかにもティーンエイジャーといった可愛らしい服を着ていた。体のあちこちにあざが出来ている。
「あの、気になることがあるんです。オルトさんはダウラスさんと同じく、水道完備の寮に住んでいたんですよね。なんで邪教にハマったんでしょうか」
シャーリーリはザリクに、オルトのまぶたを開くよう指示した。その目は濁っていなかった。寄生虫型魔法生物に憑りつかれて邪教にハマったわけではなさそうだ。
「やっぱり刺青に呪いの力があるんだろう」ルッソがオルトの右袖を覗く。盃と寄生虫の模様が彫られている。魔法生物に憑りつかれていないので、体の回復は遅いようだ。
「……くそっ」
ダウラスは小さく悪態をついた。
「まあ、妹さんが無事だったんだ。これからエスカリオが合流して助けてくれるだろ」
しばらく待つ。リビングの時計には、渦巻き模様の紙が貼られていて、ダウラスはそれをはがした。八時半。夕飯どきを少し過ぎている。
「……お腹空きませんか。どうせおれの実家だ、料理しても怒られないと思います」
ダウラスはそう言って立ち上がると、食品庫を開けた。中には、干からびたチーズと、干からびた野菜がわずかに入っていた。ダウラスはそれを見て、
「……まともに食事もしてないのかも」と、つぶやいた。
「じゃあ妹さんは飢えている可能性もあるということですか」
「そうかもしれないです。レダ、レダ、わかるか。おれだよ」
ザリクが腕を増やしてお姫様抱っこしているレダに、ダウラスは声をかけた。レダはゆっくり目を開けて、
「……兄さん?」と苦しげに声を発した。ダウラスがレダの顔を見て安心した表情をする。ダウラスは、
「お腹空いてないか?」とレダに声をかけた。
「お腹ぺこぺこ……もう一週間もまともにご飯なんか食べてない」
レダは絞り出すように言った。シャーリーリはザリクにカバンを渡してもらい、干し芋が入っていないか確認するも、もうすっからかんになっていた。
そのとき、外ですごい音がした。窓の外を見ると、――寺院が消滅しているのが、月明かりで見えた。サウの異能だ。
「ここまでやったら邪教も信じる人いなくなるだろうな」ルッソがそう言う。まもなく、サウとエスカリオが到着して、
「総本山を吹っ飛ばしてきた。歴史ある建物だから躊躇したけど、邪教に乗っ取られてるならない方がいいと思って。でも呪いのインクは見つからなかった」
と、エスカリオがため息をついた。
「あの、呪いのインクならそこにシミになってます」シャーリーリがそう言うと、エスカリオはそれを仔細に調べて、
「やはりこのインクに呪いがかかっている。解除してみよう」と、天球盤を操作した。魔法や呪いというのは基本的にテクノロジーなので、プロなら簡単に分解できるものらしい。
呪いが解除されたらしく、インクはすーっと色があせた。倒れていた人たちの腕からも、呪いの刺青が消えていった。
「これでよし。寄生虫に乗っ取られた人たちはどうしたものだろう――井戸水に虫下しでも混ぜればいいのかな。魔法生物で対抗するよりは簡単にできそうだな。盲点だった」エスカリオが真面目に考えている。こいつは本当にあの悪行三昧だったエスカリオなんだろうか。シャーリーリはよく分からないな、と思った。
人というのは重層的なものだ。
エスカリオは天球盤をカタカタと叩いて、錬金術装置でなにかを錬成している。
「よし出来た。あの寄生虫にてきめん効く虫下しだ。呪いのインクの成分が解析できたから作れたんだ。君たちの活躍に感謝するよ」
一同、そこを出て、街じゅうの井戸にそれを流し込んだ。
これで一件落着。シャーリーリは安堵した。
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