4-4 呪いの刺青

「うわあー! おまじないのことば、おぞましーい!」


 サウが間抜けな大声を出すので、シャーリーリはサウをきっと睨んで、

「静かにしてください」と注意した。その注意の仕方が、我ながら母に似ているなあ……と、シャーリーリは思ってしまった。


 街じゅうから轟くように聞こえるまじないの言葉に気圧されそうになりながら、みんなで宗教の総本山を目指す。総本山は、街にもともとあった火事よけの神様を祀っている寺院を、居抜きで使っているようだ。


 すでに儀式のたぐいのことが始まっているのか、ぼんやりと肉の焼ける匂いがした。ダウラスの妹ではないことを祈りつつ、総本山のドアをばんと開ける。


 ――そこで焼かれていたのはヤギだった。見渡すが、黒髪に青い目の、西方血統の少女の姿はない。さっきの若者に、完全にハメられたようだ。


「しまった……」


「よく来たなダウラス。きょうこそ入信儀礼を受けるんだよな?」

 黒髪の男性が近寄ってきた。目は濁っていてもとの色が分からないが、どうやらダウラスの父親らしい。同じく目の色が濁った、髪と顔を覆った婦人が、ダウラスの頭を撫でている。


「よかったわダウラス。あなたが入信すれば、レダもきっと入信してくれる」


「入信儀礼を受けに来たんじゃないんだ。レダが焼かれるってオルトから聞いたから来たんだ!」


「オルトくんはもう入信儀礼を受けたよ。お前も入信儀礼を受けるといい」


 やっぱりハメられたのだ。騙し討ちで入信させようとする宗教とはやはりまともなものではない。


 シャーリーリはダウラスの父親の右腕を見ていた。刺青が彫られている。ルルベル教でよく用いられる盃の模様――ルルベル教では儀礼として酒をよく用いるので、それを象徴している――に、ぱっと見では形のわからないうねうねした模様。よくよく考えると、その模様はさっきエスカリオが水から発見した寄生虫型魔法生物だと分かって、シャーリーリはぞわりとした。


 祭壇の奥のタペストリーには、盃と寄生虫型魔法生物の絵が描かれている。


「あの」

 シャーリーリは声を上げた。


「あら、ダウラスの友達……ではなさそうね。ダウラスの友達に足のない人間なんていないもの」


「なんで足のない人間なんかとつるむんだ、ダウラス。神様は五体満足な人間しか愛してはくださらないぞ?」


「この人は、おれの勤めてた工場の、社長の妹さんで、遠くで葡萄酒の貿易をしていた人だ。そんな失礼な言い方をしちゃいけない」


「つまり異教徒ということか」


 ダウラスの父親の表情が、ぎらりと不気味なものになった。ダウラスの父親は、祭壇でヤギを焼くためのまきを割るのに使うナタを握りしめて、シャーリーリに歩み寄ってきた。


 やばい。シャーリーリが母親の前で使ったら怒られそうな語彙でそう思った瞬間、ザリクの腕がぐぃんと伸びて、ダウラスの父親の手首をへし折った。ダウラスの父親は悶絶している。


「異教徒だーッ。異教徒が出たぞーッ」


 ダウラスの父親が叫ぶ。寺院のあちこちにいた人々がわらわらと、まき割りのナタをもって集まってくる。火事よけの神様を祀る寺院に、まき割りのナタというのもなんだか変だが、とにかくただ事ではなくなってしまった。


 エスカリオが天球盤をたたたと打ち、以前シャーリーリたちを襲ったタコ型の魔法生物が飛び出す。手足をぐねぐねと動かしながら、タコ型魔法生物は次々と人間の首を絞めて気絶させていく。


 手首の折れているはずのダウラスの父親が、サウを羽交い締めにしていた。サウは顔を真っ赤にしてダウラスの父親の手をぺちぺち叩いている。格闘技の降参のサインだが、あいにくここは格闘技のリングでなく、邪教との戦闘中である。ルッソがダウラスの父親の背中に一撃峰打ちを当てると、はずみでサウは自由になった。


「もしかして、あの寄生虫……身体能力を強化する力があるのか?」


 エスカリオは倒しても倒しても起き上がってくる邪教の人たちをみて言う。そんなこと分析している場合ではない。


「おいエスカリオ! もっとでかい魔法生物を呼べないのか!」ルッソが吠える。


「うーん。ボスのいないところで出しちゃうのはもったいない気もするけど――仕方がない」


 エスカリオは銀縁眼鏡をくいっと上げて、天球盤をやっぱり、ッターン! と叩いた。寺院の天井がにわかに揺れて、大きな穴が現れた。穴の向こうは真っ黒い、闇の世界だ。


 そこから、灰色の体をした、巨大な生き物が姿を現した。頭には目や鼻や耳がなく、とんでもなくとがった牙をガチャガチャ鳴らしていて、体は鱗に覆われている。ぬるり、と体を現した魔法生物は、すさまじい声で叫ぶと、寺院の中に降りてきた。


「僕の最高傑作だ。カーマインを売春宿に売っぱらった金で作った」

 そんなあぶく銭で最高傑作を作らないでほしい。シャーリーリはなんだか頭痛がした。その巨大な生き物は邪教の人間だけを正確に食いちぎっていく。傍若無人だ。さすがに体を食いちぎられるような怪我では、いかに寄生虫に力を貰っている邪教の人たちでも抵抗のしようがない。


「がんばれー」


 サウがすごく、すごくのんきに魔法生物を応援している。まるっきし、小さな子供がヒーローものの漫画を見て言う感じだ。どっちかって言うとこの魔法生物は怪獣のほうだと思う。


「みんな! 聞いてくれよ! みんなは井戸水に混ぜられた魔法生物に操られてるんだ! 人を生贄に求める神様なんて、ロータナにはいないよ!」


 ダウラスは立ち回りながらみんなを説得に回る。しかし、だれも聞いていない。


 ザリクはなかなかアクロバティックに動きながら目から光線を放つが、当たっても邪教の人たちはちょっと痛い顔をするだけでぜんぜん効いていない。カーマインの腕を使い物にならなくしたあの光線が、ちょっと痛い、の程度で済まされていることに、シャーリーリは驚き、恐怖した。


「ザリク! もっと火力を上げられませんか?!」


「了解しました」


 ザリクの目から、ものすごいビームがびかびかびかーっと出た。シャーリーリは兄たちが好きだった漫画でこういうの見たな、と思ってしまう。


 ビームの当たった相手は、体の一部がもげるレベルの怪我をしていた。さすがにおぞましくて目をそらす。しかしあの年端もいかぬカーマインが、異形生物の臓物から母親の指輪を探りだしたことを思い出して、それよりはマシか、と正面を見る。


 エスカリオの作った魔法生物は、すごい勢いで邪教の人たちを噛み砕いていく。これだけの兵器、ちゃんとしたスポンサーをつければちゃんと研究費が手に入るのではないだろうか、と、シャーリーリは思った。


 そこにいた邪教の人たちをやっつけて、あたりは静まり返った。祭壇の上で焼かれていたヤギはもう灰になっていた。


「――妹も、邪教に取り込まれてしまったのかな。井戸水飲んでるだろうし」


 ダウラスはため息をついた。エスカリオは天球盤を操作し、魔法生物を暗黒世界に帰らせると、

「きみの親御さんは、きみが入信すれば妹さんも入信するだろうと言った。まだ悲観するには早い」と、ダウラスの背中をぽんと叩いた。実に人を叩きなれていない叩き方だった。


「きみの実家に行ってみよう。もしかしたら妹さんがいるかもしれない」


「わかりました」ダウラスはそう言って、ふと倒れている人を見た。


「――この右腕の刺青、みんな同じですね。女の人も刺してる」


「そうだね――呪術系の魔法を使われている可能性がある、人の体に刻み込むことで発動するタイプの魔法だ。呪いというのは基本的にコストがかかりすぎて実用に向かないものだが、刺青のインクを媒体にすればさほどコストのかかるものではないはず」


 エスカリオが一同に提案した。


「別行動にしないか。僕はサウと寺院を調べてみる。君たちはダウラスくんの実家に向かってくれないか。インクを見つけ次第、その呪いの主を調べてから天球盤の追跡機能で追いかける」


 なるほどそれは好手だ。その作戦は満場一致で決定された。

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