第四章 偽りの聖典

4-1 灰の匂い

 ロータナの街は、奇妙な匂いがした。バーベキューのような、でももっとおぞましい匂いだ。なんの匂いか分からないで、とにかくキョロキョロしていたシャーリーリに、ルッソが言う。


「人を灰になるまで焼いてる匂いだ」


「……はい?」


 ダジャレになってしまった。しかし事態はダジャレ一つで緩和できる感じではない。なんというか、街全体が暗いのだ。歩いている人の服装がみんな黒っぽいし、女の人はみな、髪の毛だけでなく顔にも覆いをつけ、目しか出していない。


 シャーリーリの祖母――昔ながらの敬虔な西方ルルベル教徒――もこんな感じだったが、それだってもう二十年ちかく前の話だし、晩年は髪しか隠していなかった。それにロータナは特に西方ルルベル教を熱心に信仰している土地ではないはずだ。「人優しきロータナ」という街の呼び名の通り、神様より人を大事にする土地で、みな拝んでせいぜい火事よけの神様くらいで、人間同士、なにか隠したりごまかしたりすることなく暮らしていて、とてもビジネスのしやすい土地である――と、シャーリーリの兄は言っていた。


 それがなにやら怪しげな感じなのだ。街を見ると、至る所に渦巻き模様の描かれた紙が貼られており、なにか不気味な印象を受ける。あれはなんだろう。シャーリーリはルッソにお願いして、薬屋の店先で薬品を調合しているおじいさんに訊ねてみることにした。


 薬屋のおじいさんと、ルッソは二言三言話すと、

「あれ、呪いよけとして流行ってるんだと」と、シャーリーリに教えてくれた。なんでも、「呪いの風」というものが時おり吹くらしく、それを消し去るために必要なのがあの渦巻き模様なのだという。


 呪いは魔法の技術のひとつとして発展したものだが、効率が非常に悪くコストも莫大にかかるため、まともに使おうとする人間なんてそんなにいない。カーマインは名前が知れて呪われることを恐れていたが、しかしそういう極端な思想でもないかぎり使われるものではない。


 そもそも、あんなもので呪いをよけられるのだろうか。


 とにかくシャーリーリは兄の会社のオモチャ工場に向かった。街のなかに大きな建物で建っているはず。子供向けのおしゃべり人形や自動木馬を作っていて、世界中の子供たちに愛されている。そんな大会社の工場がそうそう簡単に――


 ――消えてなくなっていた。


 そこはただの焼け跡だった。工場の建物は焼け落ち、焼け残った柱や梁に残った焦げ跡やすすが、いかにすさまじい火事だったかを想像させる。


「うわあーなんものこってないねー」サウがのどかぁにそう言う。そんなこと言ってる場合じゃない。従業員。従業員を探さなければ――と、シャーリーリが目を動かすと、人骨が転がっているのが見えた。焼き殺されたのだ。


 木造家屋が基本のロータナでは火事はいちばん恐ろしいことだ。


 とりあえず誰か事情を知っている人はいないだろうか。天球盤でニュースになっていないか調べようとすると、ティラヘが完全にエルセバルサム枢機卿の手に落ちたことが大々的に報じられ、その陰になってロータナのオモチャ工場の火事は小さな記事がひとつあるだけだった。


 しかしその小さなニュースによるとどうやら案の定、放火だったらしい。それくらいのことしか分からないが、放火魔が捕まっていないようなので、騎士団は犯人捜しすらしていないのだろう。


 またしても騎士団にイラつきながら、生き残った従業員を探して連絡してもらおう、とシャーリーリは考えた。とりあえず社宅に行ってみよう。シャーリーリはザリクに、オモチャ工場の従業員に割り当てられた寮に行くように命じた。


 イレイマン・トイズの寮にはべたべたと、さっきの渦巻き模様が張り付けられていた。窓には紙が貼られ、中の様子はうかがえない。こんこん、とノックすると、若い男性が現れた。


「あの。イレイマン・トイズの従業員の方ですか?」


「ええ……非番の日に工場が焼かれちゃって」と、男性は困惑している。


「わたしはサリオッツ・イレイマンの妹の、シャーリーリ・イレイマンと申します。兄に連絡を取りたいのですが、なんとかならないでしょうか」


「社長と連絡を取る……っていうと、あの、なんでしたっけ。星の運行で動く機械」


「天球盤ですね」


「あれが必要なんですよね。おれら工場で働いてる人間は、持ってないんです。工場には何台かあって生産や出荷や在庫を管理してたんですけど、おれらはただの工場労働者なので……」


 シャーリーリは自分の知っている常識が小さすぎたことが悔しかった。


 天球盤は、工場で働くふつうの人には基本的に無縁なものなのだ。イーヤ国のように、国中に普及させて国の技術力の底上げをしよう、という考えのあるところならともかく、普通なら、ただの一般人が簡単に手に入れていじる道具ではないのだ。


「あ、あの。いまこの街はすごく危険で、異教徒を迫害するのが当たり前なので……とりあえず入ってください。そのままだと石を投げられます」


 若い男性に言われるまま、シャーリーリとザリク、ルッソ、サウはその社宅に入った。ずいぶんと狭いが、まあ独身の人間が暮らす家としては不足はないだろう。


「新聞を読ませてもらっていいか」


 ルッソがそう言うと、若い男性は新聞を差し出した。一面は焼け落ちたイレイマン・トイズの工場の写真で、「異教徒は焼き討ちにすべし、神のいかずち」の文字がでかでかと踊っている。新聞の日付は今朝の朝刊だ。


「異教徒……と、ありますが、いまここではなにが信仰されているのですか? 兄は、火事よけの神様くらいしか拝まない土地だと言っていたのですけれど」


「なんか……突然変な神様が流行りだして、みんなそれを拝んでいて。『真ルルベル教』って呼ばれてます。ふつうのルルベル教は邪教だ、呪いをばらまく、って」


 真ルルベル教。聞いたことがなかった。


「お腹空きませんか。何か作ります。あ、おれはダウラスといいます」


 若い男性労働者は軽く自己紹介をした。黒髪に水色の目をした、西方人っぽい顔立ちをしている。自己紹介のあと、手早く麺料理をこさえると、ダウラスはそれを三人の前に置いた。


 麺はその辺で普通に売っている黄色い乾麺を茹でたもので、赤い花とにんにくとトウガラシで調理してある。ひと口食べると花びらのほろ苦さと、花の蜜の甘さが口に広がり、にんにくとトウガラシのパンチのある味がそのあとにがつんとくる。


 しばらく無言で麺料理を食べた。


「おいしいです」


「それはよかった。……あの、社長の妹さんって、アリラヒソプ葡萄酒貿易社の社長さんですよね。船の事故で亡くなったって」


 シャーリーリはここまでの経緯を説明した。ザリクのことも、兵器としての性能については伏せつつ説明する。ダウラスはふむふむと聞いて、

「それならすぐ社長に連絡しなきゃないですよね。でもおれの知ってる人で天球盤を持ってるひとはいないし、それに……いま、街では天球盤から呪いの風が出るって噂が流行ってて、持ってると壊されるし、真ルルベル教を拝む人は自分から進んで壊してます」

 と、困った顔をした。天球盤を壊すなら、それはルルベル教とは全くの別物だろう。天球盤は学者と商売人の宗教であるルルベル教の生み出したものだ。モノは壊してはならない、というのも教義の端っこのほうにあるはず。


 だいいち天球盤から呪いの風が出るというのはどういうことなのか。そう思っているとドアがドンドンと叩かれた。シャーリーリ一行は物陰に隠れる。


「ちょっと、ダウラスさん。まだ入信儀礼を受ける気がないの?」


 中年女性の怒る声。ダウラスは、「いえ、実家はここから遠いので、そう気軽に宗教に入るわけにいかなくて」とごまかすような口調で言う。


「真ルルベル教は宗教じゃありません。真理です!」


 中年女性の怒鳴り声。シャーリーリは明らかに「真ルルベル教」が異端であると確信した。ルルベル教徒の女ならだれでも、「温和であれ、柔和であれ、人を責め立てるな」と、小さいころから教わるはずだ。


 中年女性は、これを貼るように、と渦巻き模様の紙をたくさんおいて去っていった。


 中年女性がいなくなってから、シャーリーリは言った。


「真ルルベル教というものが、この街のメディアや人の心をむしばんでいるのなら、わたしはそれを、一人の西方ルルベル教徒として許しておくわけにいかないです」


 それを聞いて、ザリクは目を点滅させてから、

「カルト宗教は殲滅せよ、と、私の初期設定に書き込まれています」と、賛同の意を示した。

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