3-5 脱出
上下に割かれた異形生物は、ぴくぴくと痙攣したのち動かなくなった。これで終わりか。そう思っているとカーマインが呆然としている。
「どうしました――」声をかけようとしたが、カーマインが唐突に泣きだしてシャーリーリは止まる。カーマインは異形生物のはらわたに手をつっこみ、きらきら光る指輪を取り出した。
「母さんの……指輪だ……」
異形生物の血によごれた指輪を、カーマインは泣きながら見ていた。高価なものではなさそうだ、とシャーリーリは思ったが、アクセサリーの価値は値段ではない。アクセサリーの真の価値は、それに込められた思い出だ。
カーマインは手ぬぐいに異形生物の血をぬぐって、
「行こう。この先の牢に、まだ人が閉じ込められてるんだ」
と、とても気丈にそう言った。シャーリーリは、この年端も行かぬ少女の、強い心に尊敬と悲しみを覚えた。
しかしその先の牢は、ほとんどが空だった。一番奥に、うんと歳のいった老人が一人、ガリガリに痩せてあばら骨の浮いた上半身を見せて横たわっていて、カーマインはその老人に駆け寄ると、
「じっさま!」とその老人に声をかけた。
「おおチビ子、無事だったか。お前一人でも生き延びてくれて儂はうれしい」
「じっさま、兄貴と父さん母さんは? いや母さんは……うん」
カーマインは指輪を握りしめた。手の甲に血管が浮く。
「お前の父さん母さんは、砂運びの刑で気がおかしくなってな……それからすぐ具合を悪くして、ぱったりと死んでしまった。お前の兄貴は看守に逆らって殺されてしまった。儂はここに捕らえられたときから、年寄りという理由で労働せんで済んだんじゃ」
「ちきしょう……もっと早ければ……もっと早ければ、助けられたのに」
「仕方がない。虐げられるのは我々赤い瞳のものの宿命なんじゃよ、それにいずれ滅びるのが、すべての生き物の宿命じゃ。泣くでない、チビ子」
「カーマイン、お前本名チビ子っていうのか」ルッソが真面目な調子でつぶやくと、カーマインは深呼吸してから、
「ちがわい。赤い瞳の民は名前を誰にも明かさない。あんたらがいるから、じっさまはあたしをチビ子って呼ぶんだ」
と、冷静に答えた。
「さて――そろそろかんぽーがきいてくるじかんでちゅね」
ヒナがそう言うのとほぼ同じタイミングで、向こう側の牢から人がぞろぞろ出ていく気配がした。漢方薬というのは即効性というわけではないらしい。
「では急がなければ」
シャーリーリはそう言い、牢から出るように皆に促した。もしアレゴの街に、収容所で捕らえられていた人たちが出ていったら、即で騎士団が出動して鎮圧してしまうだろうと思ったからだ。しかしヒナが、
「そこももう手をうってまちゅ。アレゴの街の騎士団はいま別件で出払ってまちゅよ」
「別件?」シャーリーリがそう訊ねると、ヒナはにこっと笑って、
「異形生物のエサを外にばらまいて、異形生物を呼びまちた」
と、なかなかえぐいことを言った。アレゴの街は山に近いので、たびたび山から異形生物が下ってきて騒ぎを起こすのだという。
「じっさま、早くここを出よう」
「しかし……儂の目は赤い。人に見つかれば殺される」
「これ」カーマインは懐から目薬を取り出して、自分で点してみせた。赤い瞳が一瞬でブラウンに変わる。それを見たカーマインのじっさまは、
「ほー! これはすごい!」と喜んで、自分もそれを点した。瞳はブラウンになった。
じっさまはよろよろと起きて、ふらついている。カーマインが左腕でじっさまを支えて、一同、牢を出た。
外はすごい騒ぎになっていた。ボロボロの有角人や尖耳人がぞろぞろ牢獄から出てきたらそりゃあ騒ぎにだってなるだろう。街の人たちは、突然の出来事に驚いていた。そして、すぐに救護所ができて、街の医者たちが捕らえられていたひとたちの傷の手当てを始めた。
騒ぎのおかげで、シャーリーリ一行はほとんど目立たず強制収容所を出た。シャーリーリたちに気付いた人はどれくらいいるだろうか。とりあえず最初にとった宿屋に向かった。
「満足しましたか、ザリク」
歩きながらシャーリーリはザリクにそう訊ねた。ザリクは、しばらく目をちかちかさせてから、
「余計な手間をおかけして申し訳ありませんでした」と答えた。
「余計な手間なんかじゃありませんよ、こうしてたくさんの人が助かりました」
宿屋の食堂で、シャーリーリは天球盤を取り出した。すでにヒナはいなくなっていた。本当に神出鬼没なのだな、ニンジャというものは……などと考えつつ、天球盤のニュースをひらくと、ヒナがいつの間にか報道各社に伝えていたらしく、
『アレゴの街で不当な民族差別』といった真面目な調子のものから、
『驚愕! アレゴ強制収容所の真実!』といったあおるようなものまで、アレゴ強制収容所のことが報じられていた。それがあってはならないことだとも、差別され傷つけられた人たちはアレゴの騎士団を訴えるべきだ、とも。
すべての民に世の中を開くべし、という西方ルルベル教の教えがある。
シャーリーリはその教えを思い出しながら、ちらりとカーマインを見る。じっさまの汚れた肌を、手ぬぐいを何度も絞りながら拭いている。
「カーマインさん、あなたがたはどうされますか?」
「じっさまを連れて北方ルルベル教徒のいない土地にいく。そこでなら、赤い瞳はちょっと変わってるくらいにしか思われないから。身をもって知ったことだ。枢機卿さまの犬をやるのも悪くなかったってことだね」
「……やはり、雇い主は枢機卿なのですね」
「おっと、口が滑った。そうだよ、権力をくださると約束してくれたのは枢機卿さまだ。でも名前までは知らないな……もう弓も引けないし、どこかで静かにじっさまと暮らすよ」
「いいなあ、静かに暮らすの。ぼくものんびりくらしたいなー」
「サウ、あんたは性根がのんびりしてるんだ。これ以上のんびり暮らしてどうすんだ」
カーマインがサウのおでこをつつく。サウはフニャフニャと笑うと、
「そうだね。ぼくはシャーリーリをエルテラまでつれていくんだー。シャーリーリのお父さんやお兄さんが、たくさんお金払ってくれるんだって」と答えた。
「その金は折半だぞ」ルッソの肘がサウの腕にあたる。サウは「いててて」と言うと、
「わかってるよー。ぼくねえ、お金たくさんもらったら、お家を建てるよ。そこで猫ちゃんと暮らすんだー」と、のどかにそう答えた。
「猫と暮らす……ねえ。平和だな――で、これからどうする?」
「エルテラを目指す一択なんじゃないのー?」
「この北方の土地からエルテラをまっすぐ目指すなら、駅馬車に乗ることになりそうですが、しかし……それだと乗り場はアレゴの街の中なので、武器は没収されたままです」
シャーリーリはよく考えてそう言う。ルッソが困った顔になる。
「恐らく、狩人の勢力から一人はずれ、二人仲間になり、一人は行方が分からずもう一人は敵か味方か分からない、という状況では、新しい狩人を投入してくる可能性があります。でもそれでは、どこの枢機卿かわかりませんが、たかだかオートマタ一体にやることが大げさすぎる気がしますね……どうしてもザリクを取り戻したいとお思いなのでしょうが、わたしはちゃんと返すつもりなんですが」
「あの生臭坊主、ホントやることがエグい。オートマタの一体や二体ケチるなっての」
恐れ多くも枢機卿を生臭坊主呼ばわりするカーマインに、一同あはははと笑う。
「返したいって連絡するわけにいかないの?」と、サウ。
「それも考えたんですが、しかし……国家の要人にメッセージを送ったところで、取り合ってもらえるでしょうか? せいぜい目安箱係の人に『なんじゃこりゃ』って弾かれるのが関の山です。だいいち持ち主を知りませんしね」
シャーリーリはため息をついた。そして悩んでから、口を開いた。
「ひとつ、手段があるとしたら……」
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