3-4 ヒナの提案

「提案……というのは?」とシャーリーリは訊ねた。言葉が通じているのはシャーリーリ一人だ。ほかのみんなはぽかんとヒナを見ている。


「ここは民族浄化施設でござる。民のうちに混じる異民族を捕え、アルゴの街の血統を保つための。気高き街と呼ばれるゆえんにござるな」


「ねーあのひとなにしゃべってるの? ぼくわかんないよー」


「なあヒナ、俺らにも分かるように喋ってくれないか」


「……」ヒナは黙ってしまった。よほど赤ちゃん言葉になるのが恥ずかしいらしい。シャーリーリはザリクに、「訳すことはできますか?」と訊ねた。ザリクは頷くと、腕をすっとみなの前に伸ばした。西方語に訳されたヒナの言葉が、字幕になって腕に表示される。


「ザリクが訳してくれるようです。続けてください」


「そうであるか。申し訳ない……民族浄化という考え方は、基本的に悪であると拙者は思っておる。拙者の故郷でも似たようなことがあって、異民族を駆逐する、という思想が流行り、異民族の大量殺戮が起きた」


「それで、提案というのは何ですか。前置きが長いです」


「これは失礼。提案というのは、この施設で行われていることを、もう二度とかようなことの起きぬための戒めとして世界に発信する……という条件を飲んでくれるなら、拙者もここから人を助け出すのに協力しよう、というものにござる。いや、ここにおる時点で既に拙者の結論は決まってござるが」


 シャーリーリにとってなんの損もない提案だった。字幕をみていたみんなに、シャーリーリは、

「いいと思うのですが。どう思いますか?」と訊ねた。


「俺は賛成だ。ここでやってるのは虐待そのもので二度とあっちゃならないことだし、俺らに損はない」と、ルッソ。


「ぼくもそれでいいよー」と、サウ。


「カーマインさんは、どうですか?」

 悩んでいる様子のカーマインにそう訊ねる。なにを悩むことがあるのだろうか、と、シャーリーリはカーマインの表情を伺う。


「でも……そうやって発信して、あたしの家族の顔が知られたら――あのね、あたしの一族は、赤い瞳のゆえに追われてきた。赤い瞳は凶兆だって。赤い瞳の流浪者は病気を流行らせ、入った街は滅びる、村は死に絶える、って」


「――それはどこの言い伝えですか?」


「北方じゃどこでもこう言うよ。赤い瞳の流浪者は見つけ次第殺せ、ってね」


 シャーリーリの知らないことだった。カーマインは悲しい顔で続ける。


「殺される恐怖と戦いながら、街々のどぶみたいなところをさまよって、畑からくすねたものを食べたり、悪夢みたいな暮らしをずっとしてきた」


「それは……」シャーリーリは唇を噛んだ。


「街々の金持ちはあたしらがどぶに住み着いたって分かるとどぶの水に毒を混ぜたりもした。あたしらはすごくすごく忌み嫌われた民だ。だから本当の名前は誰にも教えない。魔法の呪いで殺されたら困るからね。だから、あたしや家族の顔が伏せられるなら、考えてもいい」


「もちろんそれで構わぬ……もいろん、そえでかまあない。かーまいんどのも、いいちゅたえにくゆしめらえたんでちゅね」


 カーマインが噴いた。よほどヒナの赤ちゃん言葉が面白かったらしい。


「よし、商談成立! ですね。ではどうしましょうか……ここが被差別者の入れられている牢だと思うのですが、警備が随分と手薄ですね」


「ぜんぶ拙者が絞め殺しておいたでござる」ヒナの手の速さよ。さっきここにいる時点で結論は決まっていると言ったとおり、最初から味方だったのか。逆に提案を飲めないと言ったら、自分たちはどうなっていたのか。とにかくすべての牢を開けて、解放することにした。手前のほうから順番に牢の戸を開けていく。


 ここに収容されている被差別民は、カーマインの一族だけでなく、尖耳人や有角人もたくさんいた。それも、小さな子供から年寄りまで、ものすごい数。


 とらわれた人たちは、体を動かす元気もないらしく、みなぐったりとしていて、牢が開くのを力なく見つめているだけだった。もう牢から出る元気すらないのである。


 ヒナが懐を探り、なにか薬のようなものを取り出して、動けないでいる人の口にそっと入れた。すると動けなくなっていた人たちは、少し元気を取り戻し、微かに笑うことができた。


「ヒナ、いまの薬はなんだ?」ルッソがヒナをちらりと見る。


「かんぽーでちゅ。かんぽーやくに、うめぼしとこんぶをまじぇて、どんなにへちょへちょになってもげんきになれるくすりにしたでちゅ。しかし効きがよくないれちゅ……」


「うめぼしー? こんぶー? なにそれー」サウののんきそのもののセリフ。


「ガリア国じゃ日常的な食材なんですよね。すごく酸っぱい果物の塩漬けと、出汁の出る海藻」


 シャーリーリはマーケティング資料で見たガリア国の食べ物を思い出しつつそう答えた。ガリア国では米で作った酒が主流で、葡萄酒は最近にわかに流行りだしたが定着はしていない。


「よくしってるれちゅね。ほらこりぇをどうじょ」


 ヒナは懐からとり出した袋から薬をほいほいとつまみ、動けないほど弱った人たちに飲ませていく。


 牢のなかはひどく汚れ、ムチで打たれたところにウジのわいている人や、足をつなぐ鎖で足首がぐずぐずのひどい傷になっている人、とにかくみなボロボロになっていた。


 だんだんと、牢が明るくなってきた。天窓から明かりが入っているのだ。シャーリーリはザリクに時間を訊ねた。朝五時。


 ――もう七割ほど牢を開けたが、カーマインの家族とはまだ出会えていない。


 シャーリーリはなんだか嫌な予感がして、忙しく目を動かした。カーマインの家族は無事だろうか。まだ三割ある。三割なら賭けるのに充分。


 明るくなるにつれて、牢の悲惨なようすが明らかになってきた。


 人々の衣服は排泄物や血で汚れ、傷口が腐り、体はやせ衰え、明らかに人間の尊厳から考えてあるまじき状況と言えた。


 これを見ておいて黙っておくなんてできない。尖耳人の少年にヒナの薬を飲ませながら、シャーリーリは怒っていた。


 牢の奥に進むと、厳重に鍵のかけられたドアがあった。ただの鍵だけでなく、数字合わせのダイヤルと、複雑な仕掛け鍵がある。どう開けたものか。そう思っているとザリクはおもむろに数字合わせのダイヤルをいじり始めた。ガチャガチャと重い音がして、びっくりするほどあっという間に「がちゃり」と鍵の開く音がした。


 複雑そうな仕掛け鍵のほうも、ザリクはびっくりするほどあっさりと開けてしまった。なんだ、拍子抜けした。シャーリーリはため息をついた。ルッソがドアを開ける。


「ごおおんっ」

 ふいになにか動物の咆哮のような声が聞こえた。――異形生物だ。海の異形生物しか知らないシャーリーリは、陸の異形生物のおぞましい姿かたちにごくりと息を飲んだ。


 狼と鷲を組み合わせて醜悪にしたような異形生物は、ここの門番をさせるために飼われているのだ。足元には人骨と思われる骨が転がっている。死んだ収容者をエサとして与えていたのだ――なんて非道なやり方だろう! シャーリーリは義憤が爆発しかけていた。


「ザリク! やっちまいなさい!」


「了解しました」


 ザリクは語尾に「!」がつきそうな調子で言うと、爆弾を体から取り出して放り投げた。どかん、とアホみたいに大きな音がして、しかし異形生物はピンピンしている。


「ど、どういうことです?!」


「爆破に耐性があるんだ。こいつは多分剣とか弓とか石火矢に弱いんだろう。しかし俺らはそんなものは持ってない。ジ・エンド、ってわけだ」

 そう言ってルッソが肩をすくめる。


「ちょ、そんな簡単にジ・エンドとか言わないでください!」


「だってそーとしかいいようないじゃーん。ぼくらじゃなんもできませーんだよ。床は材質的に線を引けないし、引けたところで後ろに回れないよー」


「ごおおおおおんっ!」異形生物はザリクに肉薄してくる。ザリクは腕を二本伸ばして、異形生物の上あごと下あごをがしっと掴んだ。それだけでは足りなかったのか、さらに腕が増える。


 口を押えられた異形生物の喉を眺めながら、こんな気味の悪い生き物にものどちんこってあるんだ、とシャーリーリはのどかに思った。死にかけているときというのは、そんなに怖いって思わないんだなあ、と、シャーリーリは異形生物を見つめた。


 ――そう思ったとき、僅かにザリクの力が勝った。異形生物は、上あごと下あごから、めりめりと割かれていく。シャーリーリは、小さく(すごい)と呟いた。

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