3-2 騎士団
シャーリーリはここのところずっと考えていた。「狩人」たちも人間である、ということを。
いま横を歩いているカーマインにも、家族はいて、心があって、やりたくないこと、やりたいこと、目指すもの、そういうものがあるのである。
――街のはずれに、鉄条網で囲まれた「アレゴ強制収容所」が見えた。鉄条網は飛び越すには高く、くぐるには低く、ぶち破って入るのも無理そうだ。
「面会とかはできないんですか?」とシャーリーリはカーマインに訊ねた。
「ここは民族浄化のための施設だからね……病院じゃないんだ。お見舞いなんてできないさ」
……ふむ。
「ザリク、なんとかして上から見ることはできませんか?」
シャーリーリがザリクにそう訊ねると、ザリクは唐突に胸のフタをぱかりと開けた。天球盤のような画面がついており、ザリクの両耳が蝶のようにぱたぱたと飛んでいった。
「は? え? なんこれどういうこと?」カーマインが混乱している。
「ザリクにできないことはないんですよ」シャーリーリはまるで自分のものみたいに、ザリクを自慢した。
空から見下ろした強制収容所のようすが、ザリクの胸の画面に映し出された。鉄条網の奥に高い塀があり、その向こうで何人かの囚人が砂の山を運ぶ労働をさせられている。囚人の具体的な顔や体格まではよく見えない。シャーリーリはザリクの肩から画面を覗きこみ、それが単なる拷問であることに気付いて、蒼白になった。
「なに青くなってんだお嬢ちゃん」ルッソが訊ねてくる。
「これ、拷問ですよ。砂の山を動かして、動かし終わったら元の位置に戻して、戻し終えたらまた動かして……っていう。確実に精神が痛めつけられるやつです」
カーマインがぎり、と歯を鳴らした。
「父さんも、兄貴も、母さんも、じっさまも……こんな拷問を受けていたなんて」
「で、どうすんだ? 俺は現状丸腰だしサウはこういうときなんの役にも立たん。カーマインは弓が引けないしそもそも弓がない」
「ザリク……に、ひと暴れしてもらうほかないでしょうね」
「そんなことできるの? このお人形、騎士団よりつよいの?」サウが無邪気に言う。
耳が戻ってきたザリクは胸の画面をぱたんと閉じて、
「どうしますか」とシャーリーリに訊ねた。自信満々の口調だ。
「強制収容所の中に入って、カーマインさんの家族を助け出すことはできますか?」
「それは現在の状況では不可能です」
不可能。予想外の言葉に、シャーリーリは少し驚く。大きく目を見開き、ザリクに、
「どうしてですか? 自信満々みたいな顔してたのに」と訊ねた。
「特定の数名を助け出した場合、残りの収容者が粛清される可能性が高いです」
ドのつく正論であった。カーマインが悔しそうな顔をする。
「じゃあどういうことならできますか?」
「収容所の看守騎士を全滅させて、収容者を全員助け出すことなら可能です」
「おいおいちょっと待て。もともと俺らはお嬢ちゃんをエルテラに帰らせるために、騎士団に助けてもらう予定だったんだぞ。そこで看守全滅させたらお尋ね者になって帰れないだろうが」
ルッソが慌てた口調でそう言う。ザリクは目をチカチカさせて――まるで天球盤に外部記憶装置を取り付けたときみたいなチカチカ加減だとシャーリーリは思った――、少し考えると、
「それであれば、先に騎士団の支援を受けられるか確認してから、こちらを対処するほうが効率がいいかと思います」と、これまたド正論を言ってきた。
というわけで、シャーリーリはザリクと二人、騎士団の詰め所に向かうことにした。残りのメンバーとは、宿屋で待ち合わせることにした。
騎士団の詰め所では、若い男性の騎士が、書類を作っていた。騎士の制服である赤いジャケットは着ているが、甲冑はつけていない。どうやら事務方の専門職のようだ。
「すみません」シャーリーリが声をかけると、騎士は顔を上げて、「どうされましたか?」と訊ねてきた。シャーリーリはここまでの事情をいろいろとぼかしつつ説明して、
「そういうわけで、天球盤で父に連絡したいのですが」と、そう言った。
「ええ、構いませんよ。番号は分かりますか?」
「えっと」シャーリーリは父の天球盤呼び出し番号を、若い騎士の天球盤に入力した。しかし、なんだか様子がおかしい。騎士は、
「ブロックされているようです」と答えた。ブロック? なんで? とシャーリーリは思ったが、よくよく考えてみるとシャーリーリの父というのはとにかく「騎士」というものが嫌いだった。正義を振りかざして商売人を悪党扱いする税金泥棒だ、と。
というのも大昔シャーリーリの父は、ティラヘで買い付けた宝石細工をエルテラに持ち込もうとして、それが正規の手続きを踏んでいないとみなされ、銀貨何千枚分で買い付けた商品をすべてエルテラの騎士団に没収されたことがあるらしいのである。いまでも時々武勇伝みたいに言っているので、末子であるシャーリーリも知っていることだ。
だからといって世界中の騎士団をブロックせんでも……と、シャーリーリはこめかみを押した。
「……どこに連絡されるおつもりですか?」若い騎士が心配そうに聞いてくる。
「えっと、トーレオ・イレイマン……イレイマン貿易社の社長です」
「ううーん。協力したいのはやまやまなんですけど、商業目的で騎士団の公共天球盤を貸し出すのは禁止なんです」
「いえ、その、別に商売の連絡をしたいわけではなくて。生きているから迎えに来てほしいと、それだけ連絡したいのですが」
若い騎士は腕組みをして、
「だとしてもですね、財界の有名人に堂々とコンタクトを取ったことがバレると、それは騎士団の中で大問題になることでして。それにイレイマン氏は騎士団に喧嘩を売るようなコラムを新聞に掲載していますし、私の出世……じゃない。騎士団の信頼を損なうので」
一瞬でた本音に、やはり騎士と商人は相いれないものだな、とシャーリーリは思った。いちおう、兄たちではどうか、と提案したが、騎士は頑なにそれを拒んだ。
シャーリーリはすっかりしょげた顔で、宿屋の前に戻った。
「どうだった? まあ聞くまでもない顔してるけどな」ルッソが苦笑する。
「やはり騎士団は商人の敵です。やっつけちゃいましょう」
シャーリーリは小鼻をふくらませてそう応えた。作戦決行だ。しかしザリクが兵器である以外、みな丸腰である。そのうえカーマインは右腕が満足に動かない。
「ザリク一人でいかせるわけにはいかないんだよね……」サウが珍しくものを考えている顔をしていた。そう、なにかあってザリクが戻ってこなかったら、シャーリーリが家に帰ることが頓挫してしまう。騎士団の援助を受けられないならなおさらだ。
みな黙り込んでいると、カーマインがぽつりと、シャーリーリに言った。
「……あたしなんかのために、なんでそんなに……なんで考えてくれるの? あたし、ずっとあんたをやっつけようとしてたのに」
カーマインがぽろりと涙をこぼした。娼館の娼婦らしくけばけばしく塗りたくられていた目元の化粧が、涙で溶けて流れていく。
「わたしはべつに、あなたを助けることにメリットがあるとは思っていません。できることなら早くこの街を脱出して、別の頼れる公的機関を探してみるべきだと思います。しかし、ザリクがあなたを助けたいと言ったのです。だからそれを信じた。それだけです」
シャーリーリは、いたって真剣にそう答えた。
「……あんた、なんでそんなお人形の言うこと信じるのさ」
「世界で一番賢いお人形、だからですよ。人間の脳みそには限界がある。しかし、彼の思考は、その限界の枠のずっと外まで広がっている。その思考があなたを助けたいと結論したのですから、信じるほかありませんよ」
「……変なやつ」カーマインは、化粧が溶けてぐちゃぐちゃになった顔で、小さく笑った。
「ええ。変なやつです。ですが、父が以前言っていました。どこでどんな縁で、どんな商談が転がってくるか分からない、と。その縁に賭けてみたくなっただけです。――とりあえず、お化粧を直すなり落とすなりしたらどうですか。それからそのドレス、動きづらくないですか」
「……そうだね。もうちょっと身軽なかっこうしてくる」
カーマインは売春宿に消えた。ほかの面々は、顔を見合わせてにやっと笑った。
決行は警備の薄くなる深夜。全員突入して戦う。戦いにはお荷物かもしれないが、ザリクと一蓮托生で、シャーリーリもついていくことになった。
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