第三章 赤き瞳のカーマイン

3-1 アレゴの街

 数日歩いて、アレゴの街が見えてきた。背の高い城壁にぐるりを囲まれていて、入り口では甲冑姿の騎士たちが、街に入る人たちの武器の持ち込みを取り締まっている。ティラヘを、閉まっている北方のゲートではなく東側に抜けて、そこからファトの村経由で来たわけだが、アレゴの街はいかにも堂々として、騎士の街といった印象をシャーリーリは受けた。


「しばらくこいつともお別れか」と、ルッソは大剣を軽く叩いた。


「お風呂に入りたいです」シャーリーリはぼそっとそう言う。いい加減髪を洗いたかった。ちなみにカバンに入れていたメイクポーチは、難破したときに水浸しになり使いものにならなくなっている。


「うわあーでっかい街だあー!」と、サウがはしゃいでいる。とにかく、跳ね橋を渡り、アレゴの騎士たちに武器を預ける。預ける武器はルッソの大剣だけだが、実際のところザリクはほぼ兵器だし、サウもとんでもない異能持ちである。


「他の荷物も改めさせてください」


 騎士団に所属している、まだ幼い印象の女騎士が、シャーリーリのカバンやルッソのずた袋を改める。サウはなんと持ち物は棒きれ一本だ。まるっきし子供である。


「その棒も危険なものとして使われかねませんので、預からせていただきます」


「はーい」サウはあっさりと女騎士に棒を預けた。


 城壁の入り口を通り、アレゴの街に入る。やはりそれなりに栄えているし、ルルベル教の寺院も目に入る。しかし寺院の屋根飾りを見るかぎり、アレゴの街のルルベル教は北方ルルベル教のようだ。そういえば騎士団の男性騎士は、みなかぶとからヒゲをモジャモジャはみ出させていた。


 ……シャーリーリはふと考えた。北方ルルベル教の儀礼で飲む酒は林檎酒のはずだ。それだというのに、アレゴの街で葡萄酒のスパークリングが売れていたのは、単純に味がいいからだということに気付いて、シャーリーリはおもわずニンマリしてしまった。


 街角にはアリラヒソプ葡萄酒貿易社のロゴの入った木箱が積まれていて、またしてもシャーリーリのニコニコは止まらない。ルッソに怪しいものを見る目で見られていることに気付いて、


「い、いやその、弊社の商品が売れているなあ、と思って」

 と、シャーリーリは恥ずかしい顔でいいわけをした。ルッソは陽気に笑うと、

「まあ気持ちはわからんではないな。俺もガキのころ、お袋が内職で作った細工物が市場で売られてると、嬉しかったもんだよ」と、肩をすくめた。


 街を歩いてとりあえず宿屋を探す。適当な宿屋を見つけて、イレイマン貿易支社からこっそり貰ってきた銀貨で宿賃を支払った。なんとふかふかのベッドもあるし、バスタブのついた風呂もある。


 こんな素敵な宿屋に泊まれるとは、と嬉しくなってしまった。ふかふかの布団なんて、イーヤ国のお方さまの屋敷以来だ。男性陣とは別の部屋をとった。プライバシーを気にせずゆっくり眠れるというのがこんなに素敵なことだとは、と、シャーリーリは嬉しくなってしまった。


 とりあえずきょうは休んで、明日騎士団に連絡をお願いしてみよう。


 シャーリーリは風呂から上がると、泥のように眠りこけた。気が付いたらもう昼で、ザリクに背負われて宿屋一階の食堂に向かった。


 宿屋は素泊まり、と聞いていたが、女将さんが簡単な食事を用意していた。パンとサラダ。これだけあれば充分。シャーリーリはサクサクとサラダを食べ、パンにバターを塗ってかじった。


「あの、わたしと一緒に来た二人は?」


「さっきなんだかわからないけど出ていったわよ?」宿屋の女将さんはそう言い、シャーリーリはよく分からなくて考え込む。ここにも「狩人」が現れたのだろうか。エスカリオとカーマインとヒナの三人しか知らないが、そのうちの誰かが現れたのか?


 いや、カーマインとヒナは見れば分かる武器を持っていたので、カバンの中まで改めるこの街の警備を思えば大した脅威ではない。エスカリオがまたバカでかいオモチャを作ってこの街を襲ったのか。想像すると背中がぞくぞくと寒い。


 エスカリオがこのあいだの猫みたいなドラゴンをここに呼び出したら、それこそ街が壊滅しかねない。それを考えてシャーリーリは急いで食事を終えて――どんなに急いでいても食べ残しを置いていくのは宿屋の女将さんの親切な行動に対して失礼と考えたのである――、ザリクに背負われて宿屋を飛び出した。


「ザリク、ルッソさんとサウさんを探してください。どこにいますか?」


「二人ともすぐそこにいます」


 見上げれば売春宿。お前ら他人の(正確には父親の)金でなにしてるんだ。そう思ってシャーリーリはため息をついた。北方ルルベル教はわりと性に寛容だと聞いているので、売春宿があってもおかしいことはなにもない。


 しかし予想と違って、二人は特にお楽しみをせずに、小柄な娼婦を一人抱えて現れた。一見すると高級そうな、でもよく見ると安物とわかる不自然につやつやのドレスを着ていて、右肩には火傷のような傷があり、どうやら右腕が少し不自由なようだ。そこで、シャーリーリはその娼婦の正体に気付いた。


「あなた……カーマインさんですか?」


「ちがう! あたしは……カーマインじゃ、ない」


 カーマインは顔を上げた。真紅だった瞳は、なぜかブラウンだった。


「もう、弓を引くカーマインじゃないんだ。腐って死んでいくしかできない」


「――あの。ルッソさん、サウさん。詳しいことを説明してもらえませんか」


 シャーリーリは二人に声をかける。とりあえず場所を移動しよう、と、街の中央にある噴水の広場に移動した。


 簡単に言うと、カーマインはザリクに撃たれたところがよくなかったらしく、弓を引けなくなり、ザリクを探している権力者、まあ枢機卿だろう――から解雇されたらしい。上手くいけば権力がもらえた、権力があれば、家族を助けられるのに、とカーマインは悲しい声で言った。


 カーマインが前の雇い主にこだわった理由はそこだったのか。シャーリーリは理解して、

「家族はどうなっているんですか?」と訊ねた。


「アレゴの強制収容所に入れられてる。本当はあたしとおなじで人畜無害の、ただの人間なんだ」と、カーマインは答えた。いやお前は人畜無害じゃない。シャーリーリはそう思ったが黙っておいた。


 アレゴの強制収容所というのは、民族差別の温床なのだ、とカーマインは語る。


「あたしの家族は、目が赤いという理由で収容所に入れられた。そのころあたしは子供だったから、まだ目は赤じゃなかった。大人になって目が赤くなって、あちこち逃げ回って、弓の腕を鍛えた。追っ手を、何十人って射殺した。それで遠くの土地で稼いで、目の色をちょっとの間変える薬を手に入れたんだ」


 目の色を数日間変える薬というのは、シャーリーリも知っている。エルテラのティーンエイジャーに大流行して、自分もやってみたいと思ったが母親にだめだと言われて諦めたのだ。


 でもそれを言ったら、また金持ちがのんきなことを言っている、というように聞こえるだろう。シャーリーリは黙って、カーマインの表情を見つめた。


「もうあたしには生きてく価値ってもんがないんだ。弓を引けるなら、家族を助けられたかもしれない。でも、もうなんにもできないんだ」


 シャーリーリは、どうすべきか考えた。敵だったカーマインを見捨てていっても旅に支障はない。むしろカーマインを助けたら遠回りになる。しかし、それを感情が許してくれない。


 そういうふうに、判断のつかないとき、シャーリーリはザリクに訊ねる。


「ザリク、どう思いますか?」

 ザリクは宝石の目をちかちかさせて、しばらく考えてから、

「この人間は間違いなくシャーリーリの命と私の本体を狙っていた敵です。また、旅に余計な時間を割くよりは、騎士団から連絡を取ってもらいエルテラに帰るのが妥当です。しかし」


 ザリクはそこでしばらく考えて、肩からもう一つ腕を伸ばし、カーマインの髪を撫でた。カーマインはなぜ撫でられているのか分からないらしく目をぱちくりして、「な、なに?」とびっくり顔をしている。


「私の中の、機械的に判断できない部分が、この人間を助けろと、そう言っています」


「やはりそう思いますか。ここで死なせてしまうわけにはいかない。できるのですね、ザリク」


「可能です。私は世界で最も素晴らしいオートクルスですから」


 そう言うザリクの口調はどこか誇らしげで、ルッソが笑って「お人形さんもドヤ顔するんだな!」と、そう言ってなぜかサウの背中を叩いた。サウは咳き込んでいる。


 カーマインは、ぽろりと涙をこぼして、「ありがとう」と呟いた。


「まだお礼を言われるには早いと思われます」ザリクが人間臭い声でそう言う。随分人間みたいになったものだ。シャーリーリはザリクの頭を撫でた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る