2-5 ファトの村

 深夜。ファトの村には灯りがなかった。そりゃあこの時間だ。シャーリーリは腕時計を見る。男性用の実用のものでなく、アクセサリーのような女性用腕時計は、明らかに狂っていた。ここまで腕時計を見なかったことを不思議に思ったが、時間はザリクに話しかければわかることだった。シャーリーリは腕時計を外し、ポケットに押し込んだ。


「人の気配がしない」ルッソがそう呟いた。


「人の気配ですか。夜だからみんな寝てるんじゃないですか?」


「夜でも、読書灯の灯りとか、そういうのがちらちら見えるもんだし、そもそも人の匂いがしない。家畜の匂いもだ。やっぱりか」


「なにか心当たりでもあるのですか?」


「……サウ、という『狩人』がいてな。そいつは――人でも動物でもモノでも、ターゲットを、どこか知らないところにまとめて飛ばしてしまうという、とんでもない異能を持ってる」


「異能……ですか。ルルベル教では否定されているものですが、本当にあるんですね」


「そうだよ!」

 妙に調子っぱずれな声が響いた。ルッソが剣を抜いて構える。ザリクがシャーリーリをぎゅっと、背中から生えた腕で抱きしめる。


「サウ、やっぱりお前の仕業か。村の人間と家畜をまとめて吹っ飛ばしたな」


「うん! どこに行ったんだろうね!」そのサウと呼ばれた男は、奇妙に明るい口調でそう受け応えする。まったく悪いことなんかしちゃいない、という口調だ。


 実際この男のなかでは、悪いことなんて一つもしていないと思っているのだろう。そしておそらく、自分でも自分の異能で飛ばしたものがどこにいくのか分からないのだ。


 そこまで考えたシャーリーリは、ザリクに「逃げましょう」と声をかけようとした。それを察したルッソが口を開く。


「まあ落ち着けお嬢ちゃん。サウ、お前の異能は、範囲を線で囲う必要があったな?」


「うん! だから早くその囲いに入ってほしいな! あ、そのオートクルスは置いてってね!」


 シャーリーリはザリクの足元を見る。暗くてよくわからないが、土に棒きれかなにかで書いたような線が引かれている。この内側に入るとどこかに飛ばされてしまうのだろう。


「ゆっくり離れましょう、ザリク。相手にしないのがいちばんです」


「ええーなんでだい? ぼくは退屈でしかたがないのに!」


「……なあサウ、こっちの雇い主は金払いがいいぞ。アリラヒソプ葡萄酒貿易社の社長だ。おっ死んだことになっちゃいるがな。どうだ? お前もこっちにつかないか?」


「アリラヒソプ葡萄酒貿易社かあー! ぼく葡萄酒って苦くて苦手なんだよね!」


 だめだぜんぜん意思疎通がとれない。ルッソが肩をすくめる。

「あの、ルッソさん。なんで『狩人』たちはこんな大げさな方法で、わたしたちを足止めしようとしているんですか? わからない、どうしてだろう――」


 シャーリーリが素直に疑問を口にする。ルッソは苦々しい口調で、

「そういう手段しかとれない輩の寄せ集めだからだ。俺は傭兵だから金払いのいいところならどこでも行くし、剣を振ることしかできないからお嬢ちゃんについた。しかしながら、エスカリオは手製のオモチャの実験をしたいし、ヒナは暗殺者だからあんたを足止めするために人殺しをした。で、このサウは、思ったものを吹っ飛ばすことしかできない。で、考えた足止めの手段が、ファトの村人を丸ごとどっかに吹っ飛ばすことだったんだ」


 ルッソの言うことを聞いて、それなら弓を使うしかできないカーマインは味方に引き入れられるかもしれない……とシャーリーリは考えた。


 とにかくファトの村にいてもいいことはなにもないわけだから、さっさと逃げてしまおう、とルッソに言った。


「逃げる……か。それしかないな――先回りされてなきゃの話だが」


「あ、この先の、きょうじゅうにたどり着ける村は、ぜんぶ吹っ飛ばしたよ!」

 サウの明るい宣言。シャーリーリはため息をついた。ルッソが唐突に、

「なあサウ、お前腹減ってないか?」とサウに訊ねた。


「うーん。たしかになんだかお腹が空いてるなあ! なにか食べるもの持ってるのかい?」


「イーヤ国のあまーい干し芋があるぞ。うまいぞ~」


「いいなあ食べたいなあ!」


「じゃあ、とりあえず一時休戦ということで、俺らを飛ばさないなら一緒に夕飯を食っても構わない」


「本当かい? やったあ!」


 サウは手に持っていた棒きれを適当に放り投げて、シャーリーリたちに近づいてきた。犬みたいなやつだとシャーリーリは思って、ついでにザリクに、「大丈夫でしょうか」と訊ねると、「表情に嘘はありません」と返ってきた。確かに、商売人のカンとして、サウの表情はなにか企んでいる感じではない。


 というわけで、ルッソが火をおこして、サウと食事することになった。


 サウの、焚火に照らされた顔は、いたって明るい。ニコニコしている。ふた心あるタイプには見えない。おいしそうに炙った干し芋をもぐもぐと食べている。


「なあサウ、俺らの味方にならないか? 悪くない待遇だぞ?」


「うーん、雇い主さまに𠮟られちゃうなあ。ルッソはなんでその人に味方したの?」


「単純に金払いがいいからだよ」


「へえー! お金かあー! 僕お金好きだよ! その人についてったら、吹っ飛ばしの異能の使い道ってあるのかい?」


「うーん。即で繰り出せる異能じゃないしな。とりあえず使い道はなさそうだな」


「なーんだつまんない。それじゃあぼくは追いかける側に回るよ」


「ここに俺の剣があることと、いまお前は棒きれを持ってないことを忘れるなよ」


「だって座ったまんまじゃ剣抜けなくない?」


「それもそうか。だっはっは」

 だっはっは、じゃない。この状況はかなり深刻だと思う。シャーリーリは干し芋をモグモグしつつ、ルッソとサウを見比べた。


 サウは線の細い若者、といった印象を受ける青年で、笑顔が妙に可愛らしい。本当に裏表のない性格をしていることが想像できる。というか、二つの感情を並行処理できるタイプではなさそうだ。しかしだからこそ、村をまるごと自分でも知らないところへ吹っ飛ばすというとんでもない事件を起こしていながら、ニコニコしてなんの後悔も不安もない顔をしているのだが。


 夜風で風車が回る音がする。ファトの村は風が強くてうすら寒い。


「……あの。『狩人』って、何人くらい雇われているんですか?」


「詳しいことはわからんが……俺の知ってるかぎりでは俺含めて五人。ここまで全員、あんたの前に登場してる。まあ増員されてる可能性もなくはない」


「では相手の手の内はもうぜんぶ見た、という考えでいいのでしょうか?」


「いや。エスカリオはまだオモチャをぜんぶは出していないし、ヒナの術だってまだいろいろあるはずだ。カーマインもまだなにかあるかもしれない。手の内が出尽くしてるのは、俺とサウだけだ」


「……そうですか。――他の『狩人』たちを、なんとか買収できないでしょうか。わたしが実家に帰ることができたら、父はたんまりお金をはずんでくれると想像できるのですが」


「……エスカリオはオモチャで遊ぶのが楽しくて俺らを追ってくるから、護衛なんてやらないはずだ。ヒナやカーマインは買収できるかもしれないが、そう簡単なことじゃないだろうな。こいつはこの通りだし」


「こいつってぼくのこと?」サウが笑う。ルッソはサウの額をぺしりとつついた。


「シャーリーリ」


 唐突にザリクが声を上げて、シャーリーリは心底驚いた。

「シャーリーリには、私がいます」

「……ザリク。気持ちはとても嬉しいです。でも、いま、わたしたちはザリクを狙う危険から身を守る方法について考えています。敵はわたしではなく、ザリクが目当てです。ザリクが奪われたら、わたしは故郷に帰ることができません」


 シャーリーリがそう答えたそのとき、ひゅん、と風を切ってなにか飛んできた。それは、シャーリーリたちが座っている地面のすぐそばにびしりと突き立った。矢だ。


「サウのバカが派手にやってくれたみたいだ」

 ――カーマインの声だ。それは誰かに呼びかける調子だった。


「あーあ、村人でもうちょっと遊べると思ってたのに」

 エスカリオもいる。シャーリーリは身震いした。ルッソが剣を抜いて立つ。

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