2-4 海沿いの街道

 テントで一晩寝た。ぐっすり、とはいかなかったが、とにかく眠れた。


 シャーリーリは日ごろの生活のすさみぶりを実感していた。深夜まで働いて早朝から働く生活をここ数年ずっと続けており、それで生活リズムが狂っていたようだ。テントで寝てあっさり目が覚めてしまい、寝直して起きたら昼になっていた。


 広場では炊き出しが行われていた。ティラヘ名物のサバパンだ。揚げてタレをからめたサバと酢漬けの玉ねぎをパンにはさんで焼いたシンプルな料理。シャーリーリもありがたく食べた。サバにかかったタレと酢漬けの玉ねぎが口の中に広がり、じわりとうまい。


「さてザリク、どうやってここを出ましょうか。別の町にいかなくては」


「少々お待ちください。ただいま情報を収集しています」

 ザリクが助けてくれることに安堵して、シャーリーリはため息をひとつついた。ルッソはシャーリーリの顔を見て、

「ぜんぜん疲れがとれてないな」と言った。


「そりゃあ20代のころなら一晩寝れば翌朝には元気モリモリでしたけど……30を過ぎてしまうとどうしても疲れがとれなくて」


 シャーリーリは苦笑して肩をすくめる。ルッソはガハハと笑うと、

「まあそうだろうな。年を取るのはしんどいことだ」と答えた。


「情報の収集が終わりました。ティラヘを出るルートを計算しています」

 まるっきり天球盤のアップデートだ。シャーリーリはニュースを見ようと天球盤を取り出した。イレイマン家を筆頭に、あの客船に乗っていた人たちの遺族が、カイリオン号を所有する海運会社を相手取って裁判を始める、という記事が載っている。ああ、ここにわたしは生きているのに。それを伝えるすべがないことが悲しくて仕方がない。


 サバパンをもぐもぐと食べて、ザリクのほうを見る。ザリクはまだルートの確認をしているようだ。もうちょっとグレードのいい記憶チップを入れてやるんだった、と思いつつ、一般人はオートマタなんて使わないのでオートマタ向けの高性能の記憶チップなんて簡単には手に入らないものだし、そもそもめったに売られていないものであることも考える。


「計算を完了しました」


「じゃあ、いきましょうか、ザリク」


 ザリクは背中から腕を伸ばして、シャーリーリを背負った。ルッソもサバパンをモグモグしながらついてくる。ザリクの選んだルートは、広場から海沿いのがけに降りて、そこから海岸線を伝って隣村のファトに向かうルートだった。


 ファトの村は「風清き村ファト」とも呼ばれ、大きな風車がたくさんある。粉ひきと陶芸が盛んで、ファトの小麦粉で作られたパンはティラヘでサバパンになったりもする。とてもきれいなところだ、と、シャーリーリは噂で聞いたこともある。


 その前に、まずは海沿いのがけを降りることを考えなくてはならない。


 シャーリーリはイレイマン貿易支社の職員に挨拶し、もし天球盤が戻ってきたら父に連絡してほしい、と伝えて、広場を後にした。広場のすぐ横は、とても急ながけになっていて、海鳥が卵を温め、その海鳥を狙って盗賊鳥がぎゃあぎゃあとわめいている。


 ザリクは慎重に、足場を確認して降りていく。ルッソも困った顔をしつつ、がけを降りる。ときおり強い風が吹きつけて、そのたびシャーリーリはびくりと震えた。


 震えるシャーリーリの背中を、ザリクの無数に伸びた腕の一つがぽんと叩く。安心しろと言っているらしい。だったらがけを降りるより飛んでほしいが、それではルッソがついてこられないと判断したのだろう。ザリクは賢いオートクルスだ。


 海岸に降りた。


 盗賊鳥が数羽、シャーリーリたちがなにか食べ物を持っていないか様子を伺っている。盗賊鳥は大きくて紺色の体をした鳥で、よく海辺に住んでいる。のんきに砂浜でピクニックなんかしていると、食事をかっさらっていってピクニックを台無しにする鳥だ。その上キラキラ光るものも好きで、よくビーズ飾りのついた貴婦人の被り物やアクセサリーをさらっていく。人間の盗賊並みにたちの悪い鳥である。それに、ルルベル教徒は基本的に家畜や魚以外のものを殺さないので、ただただ盗賊鳥にはものをとられるしかできない。


「ここからどれくらいかかんのかね、ファトの村とやらまで」

 ルッソはそう言ってあくびをした。ザリクが、

「現状のペースではきょうの夜遅くには到着する見込みです」と、そう答える。


「まじかー。そんなに歩かなきゃないのか。そんでたどり着いたファトの村が無事って保証もないんだろ?」


「現在、ファトの村に関する重大なニュースはないようです」と、ザリク。


「……だそうですよ。安心できそうです」


「そりゃお嬢ちゃんはおんぶで移動してるんだからしんどいことはなんにもないだろうがよ、俺は歩きだぞ? がけを降りて、そこから歩きだぞ」


「……そうでした。ごめんなさい」


「いや別にそんな、丁寧に謝ってもらうことじゃない。ただの愚痴だ」


 一行は海沿いのでこぼこ道をしばらく歩いた。歩いているうちに、平らに均された道に出た。どうやらこれをまっすぐ行くと、ファトの村に到着するらしい。


「でこぼこじゃなくて歩きやすくなったな」

 歩きながらルッソは干し芋を食べている。シャーリーリも、干し芋をちぎりながら口に放りこむ。もうそろそろ日没だ。


「ザリク、夜遅くというのはどれくらい遅い時間ですか?」


「現状のペースでは夜十時前後かと思われます」


「それじゃあ宿屋も閉まってますね」


「連れ込み宿なら開いてるんじゃないか?」


 ルッソの下品な冗談に、シャーリーリは露骨に顔をしかめた。ルッソは白い歯をみせて、

「冗談だよ! どこにオートマタ含めて三人で連れ込み宿に泊まるやつがいるんだ。ただの危ない趣味の人じゃないか」と、豪快に笑った。


「危ない趣味っていうか……本当にそういうリアルなジョークはよしてください」

 シャーリーリがあきれ顔をした、そのとき。


 ひゅん、となにかが飛んできた。ザリクはそれをかわして、地面に落ちたものを拾った。


 見たことのない武器だ。矢じりのようなものに持ち手のついた投擲武器。――「狩人」か。


「ほほう、この夕暮れのなかでも拙者のくないをかわすとは、性能のいい人形でござるな」


 なにやら癖のある喋り方。シャーリーリはどこの言葉か考える。メダルマよりさらに東の、ガリヤ国の言葉ではないか。


「――ヒナよぉ。もっと分かりやすく喋れよ。お前西方語話せるんだろ?」


「西方語ではなちゅと、あかたんこちょばになったうのれす」


 今度は西方語の赤ちゃん言葉が返ってきた。近くに「狩人」が潜んでいる。ルッソは正体を知っているようだ。


「『狩人』ですか」

「おう。ガリヤ国の『ニンジャ』ってやつだ。暗殺と諜報に長けたタイプの戦士」


「なんであたちのすじょおをばくろちゅるでちゅか!」

 顔を上げる。夕暮れの影になっている、背の高い木の枝に、少女が一人さかさまに立っていた。足の裏を木の枝の下に貼りつけて、頭が下になっている。頭に血は登らないんだろうか。


「――まあ、くないはかわされるし、いつの間にやらルッソを味方にしてるし――拙者一人では太刀打ちできぬな。さらばじゃ!」


 どろんっ。大げさな効果音と煙が立ち込めて、そのヒナ、とかいうニンジャはいなくなった。


「――手の内をみせて、あっさりいなくなりましたけど」

「もうあいつは充分働いてる。おそらく、イレイマン貿易支社の支社長を殺めたのはあいつだ。ガリヤ国のめちゃめちゃ切れ味がいい剣を持ってる。首なんて一瞬でスパァだ。たぶん、お嬢ちゃんを足止めするのが、あいつの目的だ」


 だとしたら、とルッソは考えている。

「急いだほうがいい。もう一人、心当たりのある『狩人』がいるんだが、そいつの性能を考えると、ファトの村自体が危ない」


 ルッソは急ぎ足になった。ザリクも急ぐ。シャーリーリは揺れるザリクの背中で、これ以上怖いことが起こらないことを真剣に祈った。


 大きな月が空に浮かんでいた。もう自分たちより先に「狩人」が進んでいるとしたら、もっと別の手を考えた方がよかったかもしれない、とシャーリーリは思った。

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